男装宰相と護衛騎士

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男装宰相は騎士の肩でうたた寝する

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 完全無欠の人形宰相ことラーズ・ベリィの前には山と積まれた紙の束があった。
 山はひとつではない。通常のものより大振りな宰相の執務机をいっぱいにして、それでも足りず追加の机を持ち込んで積み上げられているありさまだ。

 そして今もまた、紙の束を抱えた従僕が新たな山を築いて一礼を残し、部屋を去って行った。

「ものすごい山ですね」

 扉がきっちりと閉まったのを確認して、声をかけたのは部屋のなかに立っているトウだ。ラーズの専任騎士に任命された彼は王に言われたその通りにおはようからおやすみまでラーズのそばにいてその紙束の中身を知っているため、呆れを隠せない。

「一国の王、それも再発進したばかりで基盤がもろい国を手中に収めたいという諸外国の皆さまの熱心さには参るね。国王の婚約者探しをしていると噂を流しただけで、これだけの絵姿が集まるのだから」

 ラーズの言葉の通り、部屋を埋め尽くさんばかりの紙束はすべて国王の婚約者に収まらんという女性の姿絵である。
 国王が執務の合間にぽつりと「国もずいぶんと落ち着いてきたし、そろそろ伴侶を考えねばいけないね」とこぼしてから数日でこの有様だ。
 国内外を問わず送り付けられてくる姿絵は、まだまだ増えるだろう。

「せめて国ごとに取りまとめて送ってくれるなりすれば助かるのに。気が利かない国ばかりだ」
「誰かひとりでも王の目に留まれば、とあえて個別に送ってくるのでしょう。王子ならばともかく、国王の伴侶の座が、それも年若く有能な方の隣が空いていることはまれですから。ご令嬢方も必死になるのでしょう」

 送り主たちを擁護する形になったトウの発言に、ラーズは黙って自身の護衛騎士を見つめる。

「トウの隣は?」
「は?」
「あなたの隣におさまる方はいる?」

 宰相閣下の唐突な質問に面食らいながら、トウは「いいえ」と答えた。

「私は辺境の出、それも爵位も土地も何もない四男ですから。婚約を結んでくれる相手もなく。強いて言えば、仕事と結婚しているようなものです」
「そう」

 冗談めかしたトウの言葉にラーズはかすかに笑う。
 人形、と揶揄される宰相の珍しい表情にトウが眉をあげた。
 そこに浮かぶ疑問の色を的確に見抜いて、ラーズはさらりと言う。

「あなたの仕事は私の護衛」
「はあ、それは承知していますが」

 先ほどまでの話題とどうつながるのか。
 宰相も自分も仕事人間だと言われているのだろうか、と首をかしげるトウをよそに、ラーズは姿絵の山に手を伸ばす。
 忙しい宰相の仕事を邪魔してはならないと、トウは疑問を胸にしまって護衛の仕事に戻るほかなかった。

 *****

 午後になり、トウを伴ったラーズは執務室を出て城の廊下を歩いていく。
 向かう先は荒れ放題が少しましになってきた、城の庭だ。
 いつもであれば風が吹き抜ける音か息抜きに訪れた騎士の声くらいしか聞こえない庭に、さざめくのは少女たちの声。

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 宰相の仮面をかぶり表情を消したラーズが集まった少女たちを前に礼をとる。
 その所作の美しさに、そしてその礼をとったラーズの見目の良さに居並ぶご令嬢方の間に華やいだ雰囲気が満ちたのが、数歩離れて見守るトウにも伝わった。

 今日、城に集められたのは王の婚約者候補たちだ。「序列を考えてたら執務室の床が抜ける」というラーズの強行により、山積みの絵姿のなかでも早期に届いたものから選び抜かれた優秀なご令嬢たちである。

「宰相さまはお噂通り、お人形のようにおきれいですのねえ」

 なかでも身分が高いのだろうひとりの令嬢がうっとりと言えば、集まる少女たちが花のようなドレスを揺らし同意する。

「ええ、ええ。陶器のような頬といい、うっとりするほど長いまつげといい、まるで少女のよう。何かお手入れはしていて?」

 少女のよう、という言葉にトウはドキリと心臓を跳ねさせた。

 何を隠そう、ご令嬢方の前に座る宰相は男装の少女なのだ。国を治める王が少年であるうえ、宰相を務めているのが年若い少女だと露見すれば今以上に国内貴族、ひいては近隣諸国に侮られてしまう。
 ようやく国が落ち着きはじめた今、それは避けるべき事態だ、と焦る護衛騎士の心中をよそに、ラーズは微笑みもせずわずかに首をかしげてみせる。

「特には。強いて言うならば、朝から晩まで執務室にこもっていることが要因でしょうか。日に当たらなければ焼けようもありませんから」
「まあ! ではあちらのお噂が本当なのかしら」

 大げさに驚いてみせたご令嬢が、内緒話をするようにテーブルの中央へと顔を寄せた。

「王が宰相さまと寝所をともにしているというお話。おふたりは恋仲だという、お噂ですわ」

 トウは噴き出さなかった自分を誉めたい。
 しかし仮に噴き出していたとしても、ご令嬢方の間から上がった「きゃあ」という華やいだ声にかき消されていただろう。

「わたくしも聞きましてよ! 王は片時も宰相さまをお離しにならないほど愛しておられるだとか!」
「まああ! わたくしは王が宰相さまにひと目ぼれなさってお城にお連れになったと聞いてますわ!」
「ではでは、あちらの噂も本当なのかしら。宰相さまが表情を変えないのは、他のかたに素顔を見せては王が嫉妬なさるからという、お噂!」

 きゃいきゃいと盛り上がるご令嬢方が「宰相さまを抱き上げて廊下を歩いてらしたとも聞きましたわ」「ではお庭でふたりきり、膝枕をしていたというのは?」と好き勝手盛り上がるのに、トウは顔を青くしていいやら赤くしていいやらわからない。
 なぜならどちらも彼は身に覚えがあったからだ。

(それは俺だと名乗りをあげるのは絶対ちがう。ちがうが、王との仲を誤解されていて良いのか? いやよく無いだろう。だって相手は王の婚約者候補だぞ? 候補から落ちたとして、あらぬ噂を持ち帰り広められては、宰相閣下にとってもよろしくないだろうし……!)

 一介の騎士がどうやって口を挟むべきか、トウは胃をきりきりさせる。その間にもご令嬢方は用意された茶や菓子などそっちのけで盛り上がる。
 好奇に満ちた視線にさらされながら無表情でいたラーズは、その賑わいの一瞬の隙をついて口を開いた。

「寝所は別ですね。私室に書類をお持ちすることはありますが」

 さらりと言う顔に気負いはない。
 事実、嘘ではない。数週間前までは防衛のため同室で寝起きしていたが、トウが護衛として付いた今はラーズにも個人の居室が与えられている。
 そして夜間に打ち合わせのため王の部屋へ行くこともある。都度、付き添っていくトウも承知していることだ。

「恋仲というのも愉快な噂ですね」

 さらりと否定したラーズにトウはほっとした。ご令嬢方は何を期待していたのか「まあ」「あら」とつまらなそうな声をあげているが、妙な噂にラーズが傷ついていないことこそ、護衛騎士の望むところだ。

「私を抱き上げて運んだのも庭でともに過ごしたのも、そこにいる専任の護衛騎士ですから」

 が、続いたラーズの言葉にトウはいよいよ動揺を隠しきれなかった。ご令嬢方が「まあっ」「あらぁ!」と目にもとまらぬ速さでロックオンしてくるのに、顔の赤面が止められない。

「まあああああ! では!」

 期待に満ちたご令嬢方の視線を集めて、ラーズはこっくり頷いた。

「皆さま方のご心配は杞憂です。王は伴侶さまを愛し、大切になさるでしょう」

 *****

 連日、ラーズはご令嬢方とのお茶会に足を運んだ。
 そのたび姫抱っこをし、膝枕をしたのはこちらの護衛騎士だと説明されていろめき立つご令嬢の視線を向けられ、トウの精神はもはや瀕死状態。

「もういっそ、王に直接お茶会に参加してもらってはどうです……?」
 
 疲れたトウはお茶会の帰り道、ラーズにこぼした。

「王は私を軽んじる姫はいらないのだと。私は宰相の職を降りる気はないし、となれば私が直接面談をするのが手っ取り早い」
「それはそうですけど……」

 こらえきれないため息がトウの口からこぼれるのを耳にして、ラーズの単調な足取りがぴたりと止まる。
 
「疲れた?」
「まあ、気疲れはしますね」
「お茶会、嫌になった?」
「正直に言えば。ご令嬢方のあの遠慮のない視線は、そろそろ腹いっぱいですねえ」
「……嫌になった?」
「え?」

 繰り返された同じ問いに、ラーズの顔を覗き込んだトウは驚いた。
 
(え、泣きそうになってる?)

 作り物めいて美しい顔はどこへやら、迷子の子どものような不安に満ちたラーズがそこにいた。

「え、あ!? あー! 宰相閣下!」

 驚き、困惑し、血迷ったトウは口に馴染んだ役職名を呼びながら彼女の体を抱え上げた。

「お茶会しましょう! 俺と、ふたりで!」

 ラーズが目を丸くしている間に、トウは駆け出した。
 鎧を着込んで剣を振り回す訓練を積んできた男にとって、華奢な少女ひとりを抱えて走るのはさほど困難なことではない。
 むしろ混乱が頂点に達した今のトウは、普段以上の馬鹿力を発揮して全速力でラーズの私室に駆け込んだ。

「お茶会、するの? ここで?」

 勢いよく走ってきたのとは正反対に、ゆっくりやさしく椅子に下ろされてラーズが首をかしげる。

 男装した少女であることを隠すため限られた相手しか入室できない彼女の私室は、掃除こそされているが飾り気がない。
 そのことを指して言ったラーズに、トウは不甲斐なさを隠しもせずうなだれた。

「あなたが一番心休まる場所といえば、ここしか浮かびませんでした」

 がっくりと肩を落としつつ、腰に手をやったトウが取り出したのはひとつの袋。
 騎士のマントに隠れて見えなかったが、彼はやや大ぶりな袋を腰に下げていたらしい。
 そこから出てきたのは筒型の水入れと、包み紙にくるまれたクッキーだ。

「さすがに温かくはないですが、無いよりはマシでしょう」

 棚からカップと皿を取り出し、水入れの中の紅茶と包み紙のクッキーをそれぞれに入れる。「どうぞ」と差し出されるままカップを手にしたラーズは、ひとくち飲み込んだところで、のどが渇いていたことに気がついた。

「おかわりどうぞ。良かったらクッキーも」

 飲み干したカップに追加が注がれる。
 ラーズは感謝の言葉もそこそこに、勧められるままクッキーを手に取った。

 大ぶりなクッキーは生地が厚く、木の実がふんだんに散りばめられてどっしりとしている。貴族向けの小ぶりで食べやすいそれとは正反対の品物は、城で作られるものではない。
 
 両手で持ってもあまりあるそれをラーズはしげしげと見つめる。

「……」
「あー、やっぱ食べにくいですか。誰かに厨房から別の菓子を持ってきてもらって」

 頭をかいたトウが行動に移ろうとしたとき、ラーズはくちを大きくあけてクッキーにかじりついた。

 ざく、と小気味良い音とともに、ラーズの口の中に香ばしさが広がる。
 しっかりとした噛みごたえと素朴な風味は雑穀のもの。散らされた木の実がかりりと割れて、生地の甘みに旨味を添える。

 忘れていた空腹がラーズのなかで主張をはじめ、彼女は無心でクッキーを頬張った。
 
 ざく、ざくと続けて食べ進めていくラーズはまるで小動物だ。
 気づかれないようこっそり笑ったトウは、一歩下がってその姿を見守る。
 
 見守る者と見守られる者の視線が交わったのは、それからしばらく経ってからのこと。
 大きなクッキーを一枚食べきって、紅茶を飲んだラーズがトウを見上げる。

「クッキー、町で買ったの?」
「ええ。私はお側を離れられないので、人に頼んだのですが……お口に合いませんでしたか?」

 問われて、ラーズはふるりと頭を振った。
 そしてぽすぽすと自身の座る椅子の空いた箇所を叩く。仮眠もとれるようにと横長に作られた椅子は、小柄なラーズひとりが座ったところで埋まりはしない。
 その空いたスペースに腰かけろ、とラーズは視線でトウに訴える。

「え、あの」
「…………」

 ぽすぽすぽす。
 
 上目遣いでの無言の訴えは、ためらう護衛騎士をも倒す。
 
「……お、お邪魔いたします」

 ためらいがちに並んで座るトウは、せめてもと椅子の端に腰を下ろした。が、ふたりの間のすき間はすかさず詰めて座り直したラーズによって消え失せる。
 間近に迫る小さくやわらかなぬくもりに、大柄な騎士は身体を縮こまらせて、膝に手を付きお行儀よく座ることしかできない。

「あの、宰相閣下?」
「トウも食べる。これはお茶会でしょう?」

 両手に持ったクッキーを一枚差し出すラーズを無下にできるトウではない。というより、受け取らなければ口に押し込むぞ、と言わんばかりのラーズの無言の圧力にトウは屈した。

 神妙に受け取り、もそもそと口に運ぶ。そのとなりでラーズも二枚目のクッキーに口をつける。
 ざく、ざく、ざく。
 クッキーを食む小気味よい音が静かな部屋に響く。

「……トウは、嫌になってない?」

 ラーズがぽつりとこぼす。
 んぐ、と慌ててクッキーを飲み込んだトウはラーズに向き直ろうとして、すでに触れあっている膝を詰めることができずに首だけで彼女を振り向いた。

「それです。先ほども問われましたが、私には宰相閣下の意図がわかりません」
「むぅ」

 むくれた。すねた。
 ラーズの陶器のごとき頬がふっくりと膨れたことにトウは慌てる。

「本当に、今日はどうされたのです!? 同じ質問を繰り返したり、やけに俺との距離を詰めたがったり、むやみとかわいいし! やっぱり連日のお茶会でお疲れなのですね。本日は終業しましょう! 以後の執務は明日以降に回すよう手配をしておきますからっ」

 言うが速いか、隣に座ったままラーズを膝に抱き上げてトウは立ち上がろうとした。
 が、それはなされない。
 するりと首に回された細い腕に、近すぎる互いの顔の距離に、彼は固まり動きを止める。

 すり、とやわらかな頬がトウの頬をなでた。
 近すぎて表情が見えないまま、護衛騎士の耳にラーズはささやく。

「きれいな姫君がたくさんいたでしょう。あなたはそれを見ていただけだけれど、私の椅子に座りたいと思いはしなかった? 仕事ばかりの私のお守りをしているのは、もう嫌に……なっていない?」

 早口の問いは震えていた。
 ひりつくような緊張感を伴う沈黙をよそに、トウは「っはぁあああああーーーー……」と息を吐いて椅子の背もたれにずるりと倒れ込む。
 護衛騎士の常にない行動に驚き目を丸くしたラーズが何か言うより早く。

「俺は」

 うなるように言ってトウは天井をあおぐ。

「俺は、あなたが疲れていないかがずっと心配でした。連日、昼も食べずにお茶会に出るのにお茶会でも何も口にされない。だから、いつでもお渡しできるよう日持ちして腹持ちも良い菓子を忍ばせてたんです。正直に言って、ご令嬢方の顔と名前はひとりも一致しません」
「ひとりも?」
「ええ。毎回同じ令嬢が服を変えて参加していたのだと言われても、そうなのかと思うくらいには、みんな同じに見えました」

 きりりとした顔で頷くトウに、ラーズは笑った。
 ふんにゃりと笑って、目の前の胸板に身体を預ける。

「え、っと……宰相閣下?」
「ラーズ。ふたりの時は名前でよんで」

 気が抜けたように、ラーズの口調がやわらかくなる。
 その変化に「あ、眠くなったな」とわかる程度にはトウは彼女を知っている。

 居心地の良い場所を探しているのか、ぐりぐりと顔を押し付けてもぞもぞと動く。彼女が疲れていると知る護衛騎士は、逃げ出したい気持ちと戦いながら寝床に徹していた。
 結局、ラーズはトウの肩を枕にすることで落ち着いたらしい。
 身動きもやみ、しばらくすると健やかな寝息が護衛騎士の耳元をくすぐるようになる。

「……ラーズさまこそ、俺が護衛騎士でいて良いのですか」

 かすかに上下する背中をなでながらつぶやくのは、役職や立場やふたりの間にあるいろいろなことが邪魔をして聞けない問い。
 
「あなたが宰相でいる限り俺はあなたの護衛騎士でいたいです。あなたが宰相でいる限り、私はあなたのとなりにいられるということだから」

 トウは浮かした両手で彼女を抱きしめようとして、けれどできずに息を吐いた。眠る彼女を起こさないよう静かに、深く。
 
「……ベッドで寝なければ、身体をいためますよ」

 ささやいて、これは宰相の身を守るためだと言い訳をして。
 護衛騎士は男装宰相の身体を抱え上げ、部屋の奥の寝床へと運んでいった。
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