花好きカムイがもたらす『しあわせ』~サフォークの丘 スミレ・ガーデンの片隅で~

市來茉莉(茉莉恵)

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【8】 姉妹、花のシーズン カラスがいつもそばにいる

② 夢見る少女のイラスト

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 三月になると急激に日差しが強くなり、日に日に雪がなくなっていく。カフェの周りも、納屋の周りも、秋に積もった枯れ葉と土が顔を出し、そこから球根草のクロッカスやムスカリ、スイセンなどが咲き始める。土色の大地に、今年最初の彩りが咲き始める。

 やがて、父が待っていた『スミレのリボン』がカフェを取り囲み始める。
 その頃には雪はほとんど溶けて、北国は春を迎える。


 美羽も春休みを終えようとしていた。父がまた東京へと一人で出かけていった。美羽の両親と話し合いをするためだ。

 その間、美羽は舞と優大と留守をしているのだが、表情が暗かった。この家に来た時のように、大人しい自信のない少女の面影を灯し始めていた。

 舞は美羽の本心を聞いている。
『帰りたくない。また厳しい学校で勉強ばかりになって、お父さんに睨まれて、お母さんは弟に精一杯で、お父さんは弟にばっかり話しかけるの。ここにいたい。帰りたくない』だった。

 もちろん舞は、聞いたそのままのことを父に報告している。なるべく舞の私情は入れないようにしているつもりだったが、舞自身は『まだ帰るべき時期ではない』と思っている。決して口には出さないようにして。姉の舞がそういえば、美羽はなおさらに東京の家庭を拒否するだろう。カラク様に言われたとおりに、上川の父と東京の父親との間が拗れないよう、踏み込まないように耐えている。


 父が留守の間は、カフェメニューはお休みにして、お持ち帰り品の販売だけにしている。今日も優大は厨房でパンと焼き菓子を懸命にこしらえている。

 舞の庭仕事もそろそろ再開で忙しくなる。ペンション時代から元々あった大きなサンルームにいくつものプランターを置いて、二月初頭から苗を育てていたものを、外の庭に植え替える準備を始める。その前にカフェ建物の裏に父がつくってくれていたビニールハウス内で、今年の土をつくらなくてはならない。父がいなくとも、ガーデンカフェはシーズンに向け徐々に活気を取り戻し始める。

 優大と舞が忙しくしている間も、美羽はダイニングで勉強をしたり本を読んだりしている。
 ビニールハウス内の土作りは力仕事だった。

「お姉ちゃん、手伝おうか」
「しんどいよ。それに汚れる」
「お姉ちゃんと一緒にいたい」

 いまにも泣きそうな顔を見せられる。実の父親と実の母と義理の父がなにを話し合っているのか不安で仕方がないのだろう。

「スコップを持って、お姉ちゃんと同じことをして。ストーブに気をつけて、倒さないでね」

 こっくりと頷いて美羽はビニールハウス内に入ってくる。

 堆肥などをスコップを大きく振って混ぜる。雪かきと同様の力仕事だった。でも美羽も黙々としてくれている。根を上げず不平不満を言わずに黙々と。嫌なことを忘れたくて無我夢中なのか、案外、性に合っているのかはわからない。

 姉妹で淡々と作業をしていたのだが、ビニールハウスの入り口に人影が見えた。ウィンドブレーカー姿のカラク様だったので、舞はドキリとする。妹と一緒にいる時に、彼が現れたのは初めてだ。そして敏感な美羽も姉の変化に気がついた。

「誰かいるの?」

 彼女も振り向いたが、入り口に視線を止めてもきょとんとしていた。

「大ちゃんが、なにか持ってきてくれるかもしれないね」

 姉妹で仲良くしていると、優大が間に入ってくるのもよくあることだった。彼も舞と美羽が上手く関係を築けるように、非常に気を遣ってくれているのだ。こうして一緒にいると『これ、食え』とパンでもお菓子でもドリンクでも、なんでも持ってくる。そして、舞をからかって賑やかにして、美羽には優しく気を遣ってくれる。だから優大がまた姉妹が仲良くしているか覗きに来たと美羽は思ったようだった。

 でも違う。カラク様がビニールハウスに入ってきて、ポールにもたれ腕を組んで、こちらを微笑ましそうに見守っていた。
 舞は少しずつ少しずつ、土を混ぜる箇所を移動をして、さりげなく美羽から離れ、カラク様の元へ向かう。

 すぐ背後にいる状態で、舞はスコップを動かしながら口を開く。

「お菓子もお茶もありませんよ」
「いえいえ。麗しい姉妹の姿を見たいと思いましてね。お母さんが異なる姉妹とのことですが、お二人ともそこはかとなく似ている素敵な花ですね。舞はマダムハーディがお好きで似合っていますが、美羽ちゃんはなんの花を好み、また側に添えたら映えるのでしょう。そう思うと、それだけでときめきます。女性はいいですね。心が華やかになります」

 なんと。そんな男性的な感性もお持ちだったかと思いたかったが、花が好きな精霊のようなこの人が、姉妹は麗しいと言ってくれると照れてしまう。

「先日はあんなことをいいましたが、おそらく美羽ちゃんはまだ、この家にいられるでしょうね」

 まるでなにもかも、わかっているかのような呟きだった。

「お姉ちゃん? やっぱり優大君がいるの?」

 背を向けて作業をしていた妹が、こちらに振り返り舞はどきりと背筋を伸ばした。
 なにやら妹は少しだけ気配を感じているらしい。

 カラク様は余裕げに美羽に手を振っているが、美羽はただただ首を傾げて不思議そうにこちらを見ているだけ。気のせいだったかと舞も胸をなで下ろす。

「同じ姉妹でも、彼女は僕が見えないんですね。不思議です」

 不思議な人が不思議と笑っている異様さに、舞はおもわず眉をひそめる。

「また来ます」

 そう告げると、ビニールハウスをふっと出て行った。外を覗いたが、あっという間に姿を消している。

 舞はため息をつく。

「ほんと、掴みどころがないんだから」

 その後すぐだった。ポケットにあるスマートフォンから着信音。取り出すと東京にいる父からだった。

『舞か。美羽は側にいるかな』
「いるよ。ビニールハウスで土作りを手伝ってくれているの」

 剛パパからの連絡だとわかった美羽も作業と止めて、こちらを心配そうに見ている。

『そうか。頑張っているね。うちで預かることについてなんだけれど、ひとまず一学期の間だけ様子を見ることになったよ。つまり延期。そのかわりゴールデンウィークには札幌で家族と過ごしてもらうことにしたよ。そこで一度、学校について話すとのことだよ』

 カラク様の言うとおりになったので、舞は驚きながらも喜びに弾ける。

「そうなんだ! ちょっと待って。美羽に代わるね」

 こちらを窺っていた妹へと歩み寄り、舞はスマートフォンを渡す。

「パパ……。うん、ほんとに? そうなんだ。うん! 待ってる。お土産? うーん、いらない。お菓子は大ちゃんが作ってくれるから」

 妹の笑顔がぱっと明るく咲いた。

「やった、まだお姉ちゃんと一緒にいられる! 優大君のお菓子も食べられるし、パパのドリンクも。なにより、スミレ・ガーデンのお花が咲くのを見られる! 絶対に見たかったの、お姉ちゃんのお花たちを!」

 美羽から抱きついてきたので、舞もおもいっきり笑顔で抱き返し、姉妹ふたりできゃあきゃあ騒いでしまった。でも舞の嬉しさは、そのあとすぐに影を落としすぼんでいく。

 本当にこれで良かったのだろうか。あちらの家族から大事な娘を奪い取っているような罪悪感を初めて感じた。




 ムスカリ群生の紫が納屋の周りを覆う、カフェの周りにはバイオレット色のスミレの帯、森の入り口には紫や黄色のクロッカスが点々と咲き始め、ガーデンにはチューリップが蕾をつけ始める春がやってきた。

「素敵、素敵! ほんとうに絵本みたい。私が好きなターシャおばあちゃんの絵本みたい!」

 もう妹の喜びようが凄かった。雪の季節にやってきたので、蕗の薹から始まり、スノードロップ、淡い青色のエゾエンゴサクが森の入り口木々の下にびっしりと咲き始めたり、黄色のクロッカス、紫のムスカリ、白いスイセンとそこらじゅうにポンポンと花たちが咲くたびにはしゃいでいる。

「見て見て、パパ。森の中の木の下にも、エゾエンゴサクがいっぱい、水色の絨毯みたいに咲いていたの。ピンクぽい色も混じっていて虹色みたいに綺麗。納屋の周りもクリスマスローズにカタクリが咲いていたから、描いたの」
「どれどれ、おお、いつも上手に描くね。美羽のスケッチブックはまるで植物図鑑だな」

 美羽は絵本好きなだけあって、絵を描くことも好きだった。

「ターシャおばあちゃんみたいでしょ。自分の家のまわりをお花でいっぱいにして挿絵を描くの」
「アメリカの挿絵作家、ターシャ=テューダーのことだね。お父さんも好きだよ。あの人の絵も、自然な暮らしをしていた花の家も」
「これから庭に咲く花をぜんぶ描くの。お姉ちゃんが咲かせる花を、妹の私が描く」

 夢見る少女の美しさがそこにあった。舞もそんな妹を眩しく感じている。
 父もありのままの美羽を大事にして受け止めている。優大もいつも美羽がすることを褒めて応援してくれる。どんどん美羽は、ありのままの自分を開いて笑顔もキラキラしていた。

 美羽が部屋に戻ると、ダイニングは静かになり、お茶の途中だった父と舞の二人だけになる。
 父がため息をついた。

「このままでいいのだろうか。最初は、心を閉ざしたあの子が都会で非行に走らないように、刺激を与えないようにと、こちらで預かったけれど。どんどん引き離している気がしてきたよ。いや、楽しいし、やはり血の繋がった娘だと思ったらかわいいし、あんなにパパと慕ってくれるのも、すごく嬉しいよ」

 舞も自分で入れたセイロンティーを飲みながら頷く。

「私も。この年齢になって十五歳も離れた妹ができるなんて、どうしようとおもっていたけれど。全然……。もうあの子が産まれたときから、ずっと一緒にいたかのような気分だもの」

 でも違うのだ。そこを見過ごしてはいけない。そんな気持ちを持つようになったのは、美羽を預かる期限を過ぎた春休みの終わりからだ。そして再度の話し合いにて、また父が預かるようにまとまってしまった。

「私立の女子中学校に戻れば、エスカレーター式で高校受験はないんでしょ。それならまだこっちにいても――」
「そうなんだが。あちらのご主人が体裁を気にしていてね。いつまで体調を整えるために親戚に預けているのかという理由も、そのうちに限界が来るだろうから。それに私立の学校もいつまでも休学にはさせてくれないよ」

 カラク様の『妹の帰るべき場所』という釘刺しが、舞も気になってきた。

「でも、お願い。私の庭を夏まで見させてあげたい。私も姉として見てもらいたい」
「そうだな。あんなに絵を描くのが好きだったとはね。あちらのお父さんは知らなかったのかな」

 勉強ばかりさせてきたのか、美羽が義理の父親と早く家族になりたいと我を押し殺して、大人たちが望むようにしてきたからなのだろう。

 夏までは――。それが期限だと舞は密かに胸に刻んだ。

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