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【8】 姉妹、花のシーズン カラスがいつもそばにいる
③ お姉ちゃんのリバティプリント
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羊の丘もすっかり緑を取り戻し、雪の間は飼育小屋にこもっていた羊たちも丘の斜面を駆け出す。雪解けの後に植えた苗がすくすくと伸び、ガーデンも緑でいっぱいになる。
紫に白やピンクのライラックが華やかに咲き始め、ニセアカシアのアイボリーの花が大きな木の枝先に鈴なりになり、甘い香りが風に乗ってくる。
六月初めの日曜日。徐々にお客様が各地から、またガーデンの花を楽しむために訪れるようになっていた。
ネペタに紫の蕾がついた。カラク様と出会ってもうすぐ一年が経つ。
「お願い、お姉ちゃん!」
「だめ、サイズが合わない」
「ちょっとくらい大きくても大丈夫だもん」
そして、妹の美羽がこの家に来て五ヶ月が経とうとしていた。
「お姉ちゃん!」
こんな妹らしい我が儘も平気で言うようになってきた。庭の仕事に行こうとしているところを、二階の部屋から階段を降りて、一階のダイニングに飲み物を取りに来ても、美羽はずっとひっついてきて離れない。
ついにカフェの厨房で仕事をしていたバリスタエプロンをしている父が来てしまった。
「美羽は、なにをお姉ちゃんにお願いしているのかな。こっちのホールまで声が聞こえてきたよ。もうすぐ開店だから聞こえないようにね」
美羽がむくれながらも『ごめんなさい』と呟いた。
舞も降参する。
「わかった。お姉ちゃんのお洋服、貸してあげるから」
「やった! 葉っぱと小鳥の柄があるリバティプリントがいい!」
お姉ちゃんと同じスタイルにきめて、庭仕事を一緒にしたいと言い出したのだ。そのために、舞がコレクションをしているお気に入りのリバティプリントのブラウスを着て、同じエプロンをして、腰にツールベルトもして、一緒に手伝いたいと言っているのだ。
「美羽は、ほんとうにお姉ちゃんの仕事が好きなんだね」
父も微笑ましいとばかりに、しあわせそうな笑顔を見せてくれる。
それはもう三十歳を目の前にした大人の娘がひとりいるだけでは、決して浮かべない柔和なものだった。娘ふたりが戯れる賑やかさがとても愛おしいのだろう。前よりずっとずっと父はしあわせそうだと、舞も嬉しくなってくる。
「もう一度、お部屋に戻るよ」
やったやったと、姉の背中にくっついてくる美羽と一緒に二階の部屋へ向かう。
クローゼットを開けて、美羽お気に入りの柄になったブラウスを出してあげる。グレー地に緑の葉模様と青い小鳥が描かれているものが妹のお気に入りだった。
育ち盛りなのか、この家に来たときから少しまた背が伸びていた。身長差は五センチあるかないかだろう。まだ体型が子供寄りだから胸元がだぶつくぐらいだろうか。ベッドの上にブラウスと帽子とエプロンを出して、好きなものを選ばせ、着替えさせる。
「袖が長いでしょう。まくって着てみようか」
大きめのところはなんとか調整して着せてみた。
「このブラウス、そんなに好きなの?」
「うん。お姉ちゃんが着ているとき素敵だなって、ずっと思ってた」
「そっか。じゃあ、これあげるよ」
エプロンの紐を結んであげていると、まだ背が小さい妹が驚いて舞を見上げた。
「でも……。これ、大人が着るいいお洋服なんだよね」
そんなところはまだ、長く一緒に住んできた姉妹ではない遠慮が残っている。
「大人になったら着たらいいじゃない。このお洋服の生地はイギリスで長い歴史があるものだから、流行に左右されないの」
「いいの、ほんとに」
「いいよ。お姉ちゃんのお気に入りを、美羽も気に入ってくれて嬉しいから」
他にも何枚も持っているので差し支えはなかった。もちろん愛着はあるが、妹だから譲るのだ。それに。夏にはきっと別れてしまう。いまなら自然な形で姉としてのものを譲れる。姉妹一緒に過ごした思い出の品にして欲しい。
「お姉ちゃん、あんまり笑って話さないよね」
「あ、ごめん。にっこり愛想良く笑って譲らないと不安だよね」
いつもの淡々とした言い方だったことに舞も我に返った。子供にはわかりやすくしてあげなさいと父からも優大からも言われていたのに、と。だが、美羽のほうが柔らかに微笑んで、そっと首を振った。
「笑ってくれなくても、声でわかるよ。お姉ちゃんだからわかる。声は優しいの。嬉しい。大事にするね。大人になってから大事に着るね」
「うん。お姉ちゃんも、美羽が大人になるのが楽しみ」
舞もそっと妹を抱きしめた。
お姉ちゃんのお仕事着を着て、一緒に庭に行こうとした。
一階のカフェホールへ向かうドアを開け、一緒に長靴を履くところで、仕事をしている優大と鉢合わせをする。
「うわ、なんだよ。おまえら。そっくりじゃん!」
日よけ帽子も、ブラウスも、エプロンも。黒髪をひとつに束ねているのも、なにもかもお姉ちゃんが庭仕事で着ているもの。隣に並んだ美羽は小さくても、それだけで大人びた雰囲気を醸しだしていて、そっくりに並んでいる姉妹を見て優大が驚きおののいている。
「お姉ちゃんからこのブラウス、もらっちゃった」
「マジか。そりゃ大事にしなくちゃな。イギリスの伝統ある生地の服、姉ちゃんお気に入りでコレクションしているものだからな」
「うん。大事にする。大人になっても着るの」
「そうか」
優大も少女を慈しむ眼差しを向けてくれる。そして、父から期限のことを聞いているのか、妹が大人になるまで一緒にいられないことを思ったのか、彼も少しだけ眼差しを陰らせたのがわかってしまった。優大はほんとうにわかりやすい。でも、それが優大らしさで彼のいいところ。
「待て、撮影してやるから、動くなよ」
優大がスマートフォンを構えたので、舞と美羽はくっついて並んで笑顔を浮かべてみる。きっとこれもいつか、大事な思い出になっていくのだろう。
「行ってきます!」
初夏の青空の下へと、美羽が元気に飛び出していく。
梅雨がない北国の爽やかな初夏、午前の風と光の下には、咲き始めた小花たちが揺れている中へと、妹が駆けていく。
舞もゆっくりと続こうとしたら、優大に呼び止められる。
「これ、今日のドリンクな。ハイビスカスとローズヒップのアイスティーだ。それと今日の菓子」
ドライフルーツが入っているパウンドケーキだった。
「ありがとう」
「日差しに気をつけてやれよ。美羽は集中すると周りが見えなくなる。まだ子供だからな」
舞はふと笑う。まるで彼が。
「パパみたいじゃない」
「あほ。兄貴と言えや」
「美羽が言っていたよ。優大君みたいなお兄ちゃんが欲しかったなって。旦那さんにしたら最高だよねって。元ヤンだよと教えたら、そんなの関係ないもん――だって。なんで彼女がいないのかなんて、生意気なこと言うの」
なにか思うところがあるのか優大が神妙な様子で表情を曇らせた。
「カノジョなんていらねえ」
「そうだよね、優大君はいま、仕事と勉強が一番だもんね」
「それもあるけどよ、そうじゃねえよ……」
消え入るような声だったので、舞はもう一度『なに?』と聞き返していた。
「ここでずっと働いていきたいだけだ。おまえと」
伸びた黒髪が大人の雰囲気で馴染んできた優大。その真顔で、舞に菓子とマグボトルをまとめた保冷バッグを持たせてくれた。
『私も――』、なにか続けたかったが、悪い癖が邪魔して言葉が出てこない。
「じゃあな。そろそろ窯出しだから」
「行ってきます」
ずっとここで一緒にいたい人だよ。と言えなかった。
妹の後を追いかける。美羽はもうジャーマンカモミールのところにいた。
他の花の開花と共に、白い小さな花が少しずつ増えてきている。初夏のそよ風に揺られると、甘い果実のような香りがするから、美羽がまた嬉しそうにして、花の側から離れない。
「はい。今日の美羽のお仕事は、カモミールの花摘みです」
「え、摘んじゃうの」
「これでもかというぐらいに、いっぱい咲くからね。それに最初に咲いた初摘みのカモミールは、紅茶と一緒でファーストフラッシュとして、お茶にして飲むと好い香りなの。あとね、お風呂にも入れるからね。今年は石鹸作りも挑戦しようかな」
「楽しそう! このかごに入れたらいいの?」
「かごいっぱいになったら、納屋の水道で洗うから運んでね。それからザルに広げて、納屋の軒下で天日干しにするよ」
「わかった。いっぱい摘んじゃう!」
お姉ちゃんと同じお仕事姿になった美羽が、はりきってジャーマンカモミールの群生の前で作業を始める。
舞は同じ石畳の小径のもう少し先で、盛夏に咲かせるための花の苗を鉢あげして、庭の土へと植え替える。そしていつもの雑草処理。
『今年もいっぱい咲きましたね』
いつもの優しい声が、遠くから聞こえた。そちらに目を向け舞は仰天する。カラク様が美羽の真後ろに立っていて、声を掛けていたからだ。
なのに美羽がふっと、なにかを気にするように後ろへ振り向いている。舞の心臓が止まりそうになる。
だが美羽はキョロキョロしている。カラク様もびっくりした顔をしてあたりを見渡し、やっとネペタとアリウムが茂る根元にしゃがんでいる舞を見つけた。慌ててこちらに歩いてくる。
「なんですか、そっくりじゃないですか」
「霊力がある方でも、見間違えることがあるのですね」
いつも余裕の大人の顔をしているカラク様が、あたふたしている。
「私の服が気に入ったようなので譲ったんです。今日は同じ格好をして庭に出たいというので、ぜんぶ、私の帽子やエプロンに道具をつけてあげたんです」
「いやいや、放つ空気も匂いも似ていました。さすが姉妹。そっくりで、疑いもしませんでした」
なにか気配を感じているのか、または姉が密やかに囁いているなにかを察したのか、美羽が怯えるようにこちらに走ってきた。
「お姉ちゃん、いま、なにか鳥みたいなのがバサバサって音を立てていたような気がしたんだけれど」
鳥? 舞は首を傾げる。そしてまたふっとカラク様がいなくなっている。
「ほら。あのカラスかも。さっきからカアカア鳴いているの」
奇妙なものを感じた。この庭にカラスなんていつでもいるし、森の木陰には何羽もいる。石畳の小路をちょんちょん歩いて、花をついばんでいるときだってあるし、秋になると、カフェのそばに植えている姫リンゴをつついたり、冬には白い雪の中でもはっきりと映える赤いナナカマドの実も食べている。
でも思い返せば、カラク様がいなくなると、そばにカラスがいる?
紫に白やピンクのライラックが華やかに咲き始め、ニセアカシアのアイボリーの花が大きな木の枝先に鈴なりになり、甘い香りが風に乗ってくる。
六月初めの日曜日。徐々にお客様が各地から、またガーデンの花を楽しむために訪れるようになっていた。
ネペタに紫の蕾がついた。カラク様と出会ってもうすぐ一年が経つ。
「お願い、お姉ちゃん!」
「だめ、サイズが合わない」
「ちょっとくらい大きくても大丈夫だもん」
そして、妹の美羽がこの家に来て五ヶ月が経とうとしていた。
「お姉ちゃん!」
こんな妹らしい我が儘も平気で言うようになってきた。庭の仕事に行こうとしているところを、二階の部屋から階段を降りて、一階のダイニングに飲み物を取りに来ても、美羽はずっとひっついてきて離れない。
ついにカフェの厨房で仕事をしていたバリスタエプロンをしている父が来てしまった。
「美羽は、なにをお姉ちゃんにお願いしているのかな。こっちのホールまで声が聞こえてきたよ。もうすぐ開店だから聞こえないようにね」
美羽がむくれながらも『ごめんなさい』と呟いた。
舞も降参する。
「わかった。お姉ちゃんのお洋服、貸してあげるから」
「やった! 葉っぱと小鳥の柄があるリバティプリントがいい!」
お姉ちゃんと同じスタイルにきめて、庭仕事を一緒にしたいと言い出したのだ。そのために、舞がコレクションをしているお気に入りのリバティプリントのブラウスを着て、同じエプロンをして、腰にツールベルトもして、一緒に手伝いたいと言っているのだ。
「美羽は、ほんとうにお姉ちゃんの仕事が好きなんだね」
父も微笑ましいとばかりに、しあわせそうな笑顔を見せてくれる。
それはもう三十歳を目の前にした大人の娘がひとりいるだけでは、決して浮かべない柔和なものだった。娘ふたりが戯れる賑やかさがとても愛おしいのだろう。前よりずっとずっと父はしあわせそうだと、舞も嬉しくなってくる。
「もう一度、お部屋に戻るよ」
やったやったと、姉の背中にくっついてくる美羽と一緒に二階の部屋へ向かう。
クローゼットを開けて、美羽お気に入りの柄になったブラウスを出してあげる。グレー地に緑の葉模様と青い小鳥が描かれているものが妹のお気に入りだった。
育ち盛りなのか、この家に来たときから少しまた背が伸びていた。身長差は五センチあるかないかだろう。まだ体型が子供寄りだから胸元がだぶつくぐらいだろうか。ベッドの上にブラウスと帽子とエプロンを出して、好きなものを選ばせ、着替えさせる。
「袖が長いでしょう。まくって着てみようか」
大きめのところはなんとか調整して着せてみた。
「このブラウス、そんなに好きなの?」
「うん。お姉ちゃんが着ているとき素敵だなって、ずっと思ってた」
「そっか。じゃあ、これあげるよ」
エプロンの紐を結んであげていると、まだ背が小さい妹が驚いて舞を見上げた。
「でも……。これ、大人が着るいいお洋服なんだよね」
そんなところはまだ、長く一緒に住んできた姉妹ではない遠慮が残っている。
「大人になったら着たらいいじゃない。このお洋服の生地はイギリスで長い歴史があるものだから、流行に左右されないの」
「いいの、ほんとに」
「いいよ。お姉ちゃんのお気に入りを、美羽も気に入ってくれて嬉しいから」
他にも何枚も持っているので差し支えはなかった。もちろん愛着はあるが、妹だから譲るのだ。それに。夏にはきっと別れてしまう。いまなら自然な形で姉としてのものを譲れる。姉妹一緒に過ごした思い出の品にして欲しい。
「お姉ちゃん、あんまり笑って話さないよね」
「あ、ごめん。にっこり愛想良く笑って譲らないと不安だよね」
いつもの淡々とした言い方だったことに舞も我に返った。子供にはわかりやすくしてあげなさいと父からも優大からも言われていたのに、と。だが、美羽のほうが柔らかに微笑んで、そっと首を振った。
「笑ってくれなくても、声でわかるよ。お姉ちゃんだからわかる。声は優しいの。嬉しい。大事にするね。大人になってから大事に着るね」
「うん。お姉ちゃんも、美羽が大人になるのが楽しみ」
舞もそっと妹を抱きしめた。
お姉ちゃんのお仕事着を着て、一緒に庭に行こうとした。
一階のカフェホールへ向かうドアを開け、一緒に長靴を履くところで、仕事をしている優大と鉢合わせをする。
「うわ、なんだよ。おまえら。そっくりじゃん!」
日よけ帽子も、ブラウスも、エプロンも。黒髪をひとつに束ねているのも、なにもかもお姉ちゃんが庭仕事で着ているもの。隣に並んだ美羽は小さくても、それだけで大人びた雰囲気を醸しだしていて、そっくりに並んでいる姉妹を見て優大が驚きおののいている。
「お姉ちゃんからこのブラウス、もらっちゃった」
「マジか。そりゃ大事にしなくちゃな。イギリスの伝統ある生地の服、姉ちゃんお気に入りでコレクションしているものだからな」
「うん。大事にする。大人になっても着るの」
「そうか」
優大も少女を慈しむ眼差しを向けてくれる。そして、父から期限のことを聞いているのか、妹が大人になるまで一緒にいられないことを思ったのか、彼も少しだけ眼差しを陰らせたのがわかってしまった。優大はほんとうにわかりやすい。でも、それが優大らしさで彼のいいところ。
「待て、撮影してやるから、動くなよ」
優大がスマートフォンを構えたので、舞と美羽はくっついて並んで笑顔を浮かべてみる。きっとこれもいつか、大事な思い出になっていくのだろう。
「行ってきます!」
初夏の青空の下へと、美羽が元気に飛び出していく。
梅雨がない北国の爽やかな初夏、午前の風と光の下には、咲き始めた小花たちが揺れている中へと、妹が駆けていく。
舞もゆっくりと続こうとしたら、優大に呼び止められる。
「これ、今日のドリンクな。ハイビスカスとローズヒップのアイスティーだ。それと今日の菓子」
ドライフルーツが入っているパウンドケーキだった。
「ありがとう」
「日差しに気をつけてやれよ。美羽は集中すると周りが見えなくなる。まだ子供だからな」
舞はふと笑う。まるで彼が。
「パパみたいじゃない」
「あほ。兄貴と言えや」
「美羽が言っていたよ。優大君みたいなお兄ちゃんが欲しかったなって。旦那さんにしたら最高だよねって。元ヤンだよと教えたら、そんなの関係ないもん――だって。なんで彼女がいないのかなんて、生意気なこと言うの」
なにか思うところがあるのか優大が神妙な様子で表情を曇らせた。
「カノジョなんていらねえ」
「そうだよね、優大君はいま、仕事と勉強が一番だもんね」
「それもあるけどよ、そうじゃねえよ……」
消え入るような声だったので、舞はもう一度『なに?』と聞き返していた。
「ここでずっと働いていきたいだけだ。おまえと」
伸びた黒髪が大人の雰囲気で馴染んできた優大。その真顔で、舞に菓子とマグボトルをまとめた保冷バッグを持たせてくれた。
『私も――』、なにか続けたかったが、悪い癖が邪魔して言葉が出てこない。
「じゃあな。そろそろ窯出しだから」
「行ってきます」
ずっとここで一緒にいたい人だよ。と言えなかった。
妹の後を追いかける。美羽はもうジャーマンカモミールのところにいた。
他の花の開花と共に、白い小さな花が少しずつ増えてきている。初夏のそよ風に揺られると、甘い果実のような香りがするから、美羽がまた嬉しそうにして、花の側から離れない。
「はい。今日の美羽のお仕事は、カモミールの花摘みです」
「え、摘んじゃうの」
「これでもかというぐらいに、いっぱい咲くからね。それに最初に咲いた初摘みのカモミールは、紅茶と一緒でファーストフラッシュとして、お茶にして飲むと好い香りなの。あとね、お風呂にも入れるからね。今年は石鹸作りも挑戦しようかな」
「楽しそう! このかごに入れたらいいの?」
「かごいっぱいになったら、納屋の水道で洗うから運んでね。それからザルに広げて、納屋の軒下で天日干しにするよ」
「わかった。いっぱい摘んじゃう!」
お姉ちゃんと同じお仕事姿になった美羽が、はりきってジャーマンカモミールの群生の前で作業を始める。
舞は同じ石畳の小径のもう少し先で、盛夏に咲かせるための花の苗を鉢あげして、庭の土へと植え替える。そしていつもの雑草処理。
『今年もいっぱい咲きましたね』
いつもの優しい声が、遠くから聞こえた。そちらに目を向け舞は仰天する。カラク様が美羽の真後ろに立っていて、声を掛けていたからだ。
なのに美羽がふっと、なにかを気にするように後ろへ振り向いている。舞の心臓が止まりそうになる。
だが美羽はキョロキョロしている。カラク様もびっくりした顔をしてあたりを見渡し、やっとネペタとアリウムが茂る根元にしゃがんでいる舞を見つけた。慌ててこちらに歩いてくる。
「なんですか、そっくりじゃないですか」
「霊力がある方でも、見間違えることがあるのですね」
いつも余裕の大人の顔をしているカラク様が、あたふたしている。
「私の服が気に入ったようなので譲ったんです。今日は同じ格好をして庭に出たいというので、ぜんぶ、私の帽子やエプロンに道具をつけてあげたんです」
「いやいや、放つ空気も匂いも似ていました。さすが姉妹。そっくりで、疑いもしませんでした」
なにか気配を感じているのか、または姉が密やかに囁いているなにかを察したのか、美羽が怯えるようにこちらに走ってきた。
「お姉ちゃん、いま、なにか鳥みたいなのがバサバサって音を立てていたような気がしたんだけれど」
鳥? 舞は首を傾げる。そしてまたふっとカラク様がいなくなっている。
「ほら。あのカラスかも。さっきからカアカア鳴いているの」
奇妙なものを感じた。この庭にカラスなんていつでもいるし、森の木陰には何羽もいる。石畳の小路をちょんちょん歩いて、花をついばんでいるときだってあるし、秋になると、カフェのそばに植えている姫リンゴをつついたり、冬には白い雪の中でもはっきりと映える赤いナナカマドの実も食べている。
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