花好きカムイがもたらす『しあわせ』~サフォークの丘 スミレ・ガーデンの片隅で~

市來茉莉(茉莉恵)

文字の大きさ
55 / 66
【11】 さよなら、花守人

② 花好きカララクの罪

しおりを挟む

「あの、わかりました。では、シーズンも終わったので、また納屋に来ます。その時に一緒にお茶を。そうだ。優大君がまたとびきり美味しいマロンパイを作ったので、それを売ることになったんです。茶道の先生おすすめのお抹茶と一緒に売ることになりました。それを是非――」

 笑みも浮かべてくれないカラク様が、神妙に首を振った。
 舞の中に徐々に襲ってくる不安。それが当たってしまう。

「もう、充分にいただきました。いままで、ありがとう。舞、とても楽しかったですよ」
「ど、どうしてですか!」
「この姿である自分が、なに者であるのか思い出してしまったからです」
「なにを思い出されたのですか? カララク・カムイだってことですか」

 そう投げつけても、カラク様は動揺もせず、ただ舞をじっと見つめているだけ。

「僕がいなくても、舞はもう大丈夫。剛さんは徐々に回復していくでしょう。安心してください。そして舞、貴女はもうひとりではない。ここに来た時に、貴女こそ心を閉じていたのですよ。自分がいるばっかりに、お父さんが幸せではないからと、一人きりで、なんでも出来るようになろうと意地を張っていた。そうですよね」

 そのとおりであって、舞もこの三年、ガーデンで自然や人々を通して繋がって、助けてもらっていることの大事さに気がつくことが出来ていた。

「だからではないでしょうか。僕のような、アイヌではない者が見えたのは。僕が見えなくなってきたのは、もう僕が必要ないからです。そして僕と一緒にいたら、せっかく見つけた一番大事なものを、貴女は手放してしまう」
「そんな、カラク様がいても、ここで見つけた大事なものは手放しません」

 ガーデンも、妹も、この家も、父のカフェも――と言うつもりだった。

「いいえ。僕じゃない。迷うとき、貴女がこれから向かうのは、その一番大事な人です。そこへ行きなさい、帰りなさい」

 そこまで言われ、舞は口を閉ざす。この人には嘘がつけないと思った。

「さよなら、舞。花さえ咲いていれば、僕は充分しあわせに過ごせますから」
「オレンジティーは、美味しいお菓子も、もうよろしいのですか」

 彼がなにも答えずに、笑顔を見せた。いつも舞が安心していた優美なお兄様の微笑みだ。優しい眼差しを残し、雪を被っているアカエゾマツの森へと、出て行ってしまった。

「待って!」

 日が沈みかけた森は鬱蒼としていて、もう暗闇に包まれている。続く小径をアイヌの着物姿の彼が歩いて去ってく。

「待って、カラク様!」

 その背を追って、まだ雪が残る小径を舞は走っていた。
 歩いている人を追いかけているはずなのに、舞は走っている。
 彼の背が木立の重なりで消えた。でも舞は追いかける。いままで踏み入ったことがない、森の小径をまっすぐ走っていた。

 待って、待って待って!

「行かないで、まだ、カラク様!」

 思いのほか奥までずっと細い細い雪道が続いていた。暗くても舞は必死に走っていた。最後にお茶くらいしてお別れしてよ。まだ聞いて欲しいこといっぱいある! 妹の美羽が東京でも元気に過ごせるようになったこと。父が思ったより弱々しく見えるようになってしまったこと。それから――。あんなヤツと思っていた男が、すごく、すごく、そばにいると安心できる一番そばにいて欲しい人になっていること! お茶をしてお菓子を食べて話したい。いままでどおりじゃダメなんですか!?

「いままでどおりじゃ、ダメなんですか!」
『駄目です。帰りなさい! ここでお別れです!』

 声だけが聞こえてきた。聞こえてきたその方向へと走り出す。

「お願いです、もう一度だけ――」
 せめて最後のお茶会を――と、叫ぼうとしたそこで、次に踏み出した先に径がないことに気がつく。

 真下に見えるのは、雪に覆われた急斜面――! 心臓がぎゅっと掴まれるようにヒヤッとしたときには遅かった。『あああああ!』。枯れ枝がある木立の中を、身体を転がしながら舞は滑り落ちていく。

 転がる間に、枯れている低木や白樺の幹に何度か当たって、さらにダウンジャケットの滑る素材の性質が手伝って滑落していく。
 どこかでようやく止まった。いつのまにか瞑っていた目を、そっと開くと月が見える。身体が動かない。落ちた方向を探すと、かなり急な斜面。でも頂きがどこなのか木立に隠れて見えない。雪にも暗闇にも覆われてどんな斜面なのかも見えない。

「優大……君、お父さん……」

 谷間の上に月が見える。積もったばかりの雪の上に頬を埋める。寒さに震えているうちに気が遠くなってきた。





花が好きなのです。このあたりは随分前から丘陵牧草地で、昔も貴女のガーデンのように様々な花が覆っていたのです。僕の大好きな場所でいつもここで遊んでいました。
僕の仕事は、アイヌを導くことです。迷っている人々に少しだけ道しるべを。道しるべを見つけてからは、貴方たちアイヌの力で進んでいくのです。そして貴方たちに迫る危機を知らせること――。

僕はあるとき、花畑でうつつを抜かして使命を忘れてしまった。ここコタンの大きな河が氾濫する大雨が降る時に、知らせるのを忘れたため、川辺のコタンにいるアイヌが全滅したことがあります。

僕は罰を受けました。ずっとこの丘の花畑から出られなくされたのです。アイヌの国で肉体は限界を迎え朽ち果て骨だけになった。僕の骨は、この谷間に眠っているのです。土深く埋まっても、まだ朽ちない。とてつもない長い間、僕はカムイの国に帰れずに、霊魂だけ彷徨っている。あまりにも長い年月、僕は様々なことを覚えきれなくなり忘れていきました。

この丘にアイヌがやって来たのは、オレンジティーの彼女の夫妻でした。たくさんの人が彼女の館の客として訪れ、僕はそれを眺めていたけれど、彼女が気がついてくれるようになって、一緒にお茶をした。アイヌ民族だった彼女は気がついていたのです。僕が罰を受けたカムイだということに――。

これ以上、僕が舞にしてあげられることはないのです。ないのに一緒にいたら、僕の役割が無駄になってしまう。だから、舞――




 ふっと目が覚める。まだ雪の中に頬を埋めていた。どれぐらい時間が経ったのか。うつ伏せになっている姿勢から、寝返りをしてみたがかなり痛かった。それでも身体が上に向くと、月が真上に見えた。かなり時間が経っている。

 まずい。きっと父と優大が案じているに違いない。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

完結 シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣

織部
ファンタジー
 ノルドは、古き風の島、正式名称シシルナ・アエリア・エルダで育った。母セラと二人きりで暮らし。  背は低く猫背で、隻眼で、両手は動くものの、左腕は上がらず、左足もほとんど動かない、生まれつき障害を抱えていた。  母セラもまた、頭に毒薬を浴びたような痣がある。彼女はスカーフで頭を覆い、人目を避けてひっそりと暮らしていた。  セラ親子がシシルナ島に渡ってきたのは、ノルドがわずか2歳の時だった。  彼の中で最も古い記憶。船のデッキで、母セラに抱かれながら、この新たな島がゆっくりと近づいてくるのを見つめた瞬間だ。  セラの腕の中で、ぽつりと一言、彼がつぶやく。 「セラ、ウミ」 「ええ、そうよ。海」 ノルドの成長譚と冒険譚の物語が開幕します! カクヨム様 小説家になろう様でも掲載しております。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

処理中です...