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【11】 さよなら、花守人
② 花好きカララクの罪
しおりを挟む「あの、わかりました。では、シーズンも終わったので、また納屋に来ます。その時に一緒にお茶を。そうだ。優大君がまたとびきり美味しいマロンパイを作ったので、それを売ることになったんです。茶道の先生おすすめのお抹茶と一緒に売ることになりました。それを是非――」
笑みも浮かべてくれないカラク様が、神妙に首を振った。
舞の中に徐々に襲ってくる不安。それが当たってしまう。
「もう、充分にいただきました。いままで、ありがとう。舞、とても楽しかったですよ」
「ど、どうしてですか!」
「この姿である自分が、なに者であるのか思い出してしまったからです」
「なにを思い出されたのですか? カララク・カムイだってことですか」
そう投げつけても、カラク様は動揺もせず、ただ舞をじっと見つめているだけ。
「僕がいなくても、舞はもう大丈夫。剛さんは徐々に回復していくでしょう。安心してください。そして舞、貴女はもうひとりではない。ここに来た時に、貴女こそ心を閉じていたのですよ。自分がいるばっかりに、お父さんが幸せではないからと、一人きりで、なんでも出来るようになろうと意地を張っていた。そうですよね」
そのとおりであって、舞もこの三年、ガーデンで自然や人々を通して繋がって、助けてもらっていることの大事さに気がつくことが出来ていた。
「だからではないでしょうか。僕のような、アイヌではない者が見えたのは。僕が見えなくなってきたのは、もう僕が必要ないからです。そして僕と一緒にいたら、せっかく見つけた一番大事なものを、貴女は手放してしまう」
「そんな、カラク様がいても、ここで見つけた大事なものは手放しません」
ガーデンも、妹も、この家も、父のカフェも――と言うつもりだった。
「いいえ。僕じゃない。迷うとき、貴女がこれから向かうのは、その一番大事な人です。そこへ行きなさい、帰りなさい」
そこまで言われ、舞は口を閉ざす。この人には嘘がつけないと思った。
「さよなら、舞。花さえ咲いていれば、僕は充分しあわせに過ごせますから」
「オレンジティーは、美味しいお菓子も、もうよろしいのですか」
彼がなにも答えずに、笑顔を見せた。いつも舞が安心していた優美なお兄様の微笑みだ。優しい眼差しを残し、雪を被っているアカエゾマツの森へと、出て行ってしまった。
「待って!」
日が沈みかけた森は鬱蒼としていて、もう暗闇に包まれている。続く小径をアイヌの着物姿の彼が歩いて去ってく。
「待って、カラク様!」
その背を追って、まだ雪が残る小径を舞は走っていた。
歩いている人を追いかけているはずなのに、舞は走っている。
彼の背が木立の重なりで消えた。でも舞は追いかける。いままで踏み入ったことがない、森の小径をまっすぐ走っていた。
待って、待って待って!
「行かないで、まだ、カラク様!」
思いのほか奥までずっと細い細い雪道が続いていた。暗くても舞は必死に走っていた。最後にお茶くらいしてお別れしてよ。まだ聞いて欲しいこといっぱいある! 妹の美羽が東京でも元気に過ごせるようになったこと。父が思ったより弱々しく見えるようになってしまったこと。それから――。あんなヤツと思っていた男が、すごく、すごく、そばにいると安心できる一番そばにいて欲しい人になっていること! お茶をしてお菓子を食べて話したい。いままでどおりじゃダメなんですか!?
「いままでどおりじゃ、ダメなんですか!」
『駄目です。帰りなさい! ここでお別れです!』
声だけが聞こえてきた。聞こえてきたその方向へと走り出す。
「お願いです、もう一度だけ――」
せめて最後のお茶会を――と、叫ぼうとしたそこで、次に踏み出した先に径がないことに気がつく。
真下に見えるのは、雪に覆われた急斜面――! 心臓がぎゅっと掴まれるようにヒヤッとしたときには遅かった。『あああああ!』。枯れ枝がある木立の中を、身体を転がしながら舞は滑り落ちていく。
転がる間に、枯れている低木や白樺の幹に何度か当たって、さらにダウンジャケットの滑る素材の性質が手伝って滑落していく。
どこかでようやく止まった。いつのまにか瞑っていた目を、そっと開くと月が見える。身体が動かない。落ちた方向を探すと、かなり急な斜面。でも頂きがどこなのか木立に隠れて見えない。雪にも暗闇にも覆われてどんな斜面なのかも見えない。
「優大……君、お父さん……」
谷間の上に月が見える。積もったばかりの雪の上に頬を埋める。寒さに震えているうちに気が遠くなってきた。
花が好きなのです。このあたりは随分前から丘陵牧草地で、昔も貴女のガーデンのように様々な花が覆っていたのです。僕の大好きな場所でいつもここで遊んでいました。
僕の仕事は、アイヌを導くことです。迷っている人々に少しだけ道しるべを。道しるべを見つけてからは、貴方たちアイヌの力で進んでいくのです。そして貴方たちに迫る危機を知らせること――。
僕はあるとき、花畑でうつつを抜かして使命を忘れてしまった。ここコタンの大きな河が氾濫する大雨が降る時に、知らせるのを忘れたため、川辺のコタンにいるアイヌが全滅したことがあります。
僕は罰を受けました。ずっとこの丘の花畑から出られなくされたのです。アイヌの国で肉体は限界を迎え朽ち果て骨だけになった。僕の骨は、この谷間に眠っているのです。土深く埋まっても、まだ朽ちない。とてつもない長い間、僕はカムイの国に帰れずに、霊魂だけ彷徨っている。あまりにも長い年月、僕は様々なことを覚えきれなくなり忘れていきました。
この丘にアイヌがやって来たのは、オレンジティーの彼女の夫妻でした。たくさんの人が彼女の館の客として訪れ、僕はそれを眺めていたけれど、彼女が気がついてくれるようになって、一緒にお茶をした。アイヌ民族だった彼女は気がついていたのです。僕が罰を受けたカムイだということに――。
これ以上、僕が舞にしてあげられることはないのです。ないのに一緒にいたら、僕の役割が無駄になってしまう。だから、舞――
ふっと目が覚める。まだ雪の中に頬を埋めていた。どれぐらい時間が経ったのか。うつ伏せになっている姿勢から、寝返りをしてみたがかなり痛かった。それでも身体が上に向くと、月が真上に見えた。かなり時間が経っている。
まずい。きっと父と優大が案じているに違いない。
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