57 / 66
【11】 さよなら、花守人
④ なにか見えていただろ?
しおりを挟む今度は舞が入院生活になってしまった。
足の骨折はなく捻挫、身体は打撲と肋骨骨折だった。三日ほどで退院の予定。
病室にやってきた父に散々叱られた。森の中には入らないと約束した。何故入ったのかと厳しく追及され『美羽を助けただろうカラスを追いかけてしまった』と子供みたいな返答しかできなかった。
肋骨の痛みを抑える鎮痛剤のおかげで、なんとか穏やかにベッドの上で過ごしていた。精神的にも少し疲れていたのか、寝ていることも多い。
日中は通院中の父が面倒を見に来てくれるが、日が暮れると優大が訪ねてくる。
「これ。頼まれていたやつ」
もの凄く不機嫌な顔をして、彼がやってきた。紙袋に入っているのは、舞の着替え。彼に部屋から持ってきてもらうように頼んだ。しかも下着だった。
「ありがとう。三日の入院だから、上はレンタルの患者着でいいんだけれど。下着はやっぱりね」
「おまえ、そういうのは父ちゃんに頼むもんじゃねえのかよ」
「なんで。お父さんに見られるほうが嫌だよ。中学生になってから、自分の下着は自分で洗ってきたし、お父さんに触らせたことなんて一回もないから」
「だからって。おまえ……、他人の男、しかも、その、触れさせたこともない男にさ。留守の間に部屋に入らせて、タンスを開けさせて、ずらっと並んだ、その……」
キャミソールにブラジャーにショーツと、男性が見るには憚るものばかり、優大に持ってくるように頼んだ。女性のランジェリーボックスを目の当たりにしてしまい、大変戸惑ったことだろうと申し訳なくは思っている。
「……いいじゃん。どうせ、これから幾つも見ることになるんだから」
優大がびっくりして、すぐに顔を真っ赤にしたのがわかった。そういう舞もきっと頬が赤くなっているはず。
「だ、だから。おまえ、言い方ってもんあるだろ!」
「じゃあ。他人のほうが、父に見られるよりマシです」
呆れたように優大が目を覆ってうなだれた。
「身も蓋もねえな。さっきのほうがマシじゃねえかよ」
「娘はそんなもんなんだって。だって。頼める女性いないんだもの」
「確かにな。こんな時、やっぱ母ちゃんとか姉妹がいれば、だよな。美羽がいたら中学生でもあいつに頼んだんだろ」
舞もこっくり頷く。が――。
「でも、これからは優大君がいるから」
また彼が顔を赤くして、黙って俯いてしまった。
「少しは声が出るようになったな」
「うん。鎮痛剤が効いているから。切れるとちょっと辛い。でも肋骨は自然治癒だから仕方ないね」
「庭、どうする。冬支度がまだだっただろ」
「お父さんが高橋チーフに相談してくれて。花のコタンの職員さんを何人かつれて、出来るだけの片付けと冬支度をしてくれるって」
それなら、よかった――と優大もほっとひと息ついてくれた。
「これ。甘食とフィナンシェと、クッキー、その他もろもろだ」
舞が好きなおやつばかり持ってきてくれた。スミレ・ガーデンカフェの紙袋に包まれているものを、舞も『ありがとう』と受け取る。
中身を確かめて笑顔になる。
「私が気に入っている優大君のお菓子ばっかり」
マドレーヌも入っていた。それを見つめているうちに……、急に涙が出てきた。
もう。このお菓子を、カラク様と食べることができなくなったんだと。
「舞……」
彼がそっと、大きな手で舞の背中を撫でてくれる。なんで泣いているのか、慌てるのかと思っていたら、優大は思いのほか落ち着いていた。
舞が入った部屋は入院患者はいないが、優大が人目を気にするようにベッド周辺のカーテンを閉めた。椅子に座り直すと、少し躊躇っているようにして、黙っている。これからの男と女としての関係について、しっかり話し合うつもりなのかなと舞は思ってしまい、心構えを整える。
「聞きたいことがある」
「はい」
「おまえ。やっぱりなにか見えていただろ」
ん? しおらしく『はい』と答えたのに、まったく違うことを問われている。しかも、いつか彼が納得して聞き流したはずの話題が蒸し返されている?
「カムイだと思えるものが見えていたんだろ。アイヌの姿をした男だ」
ドキリとさせられ、舞は目を丸くした。
「どうして。アイヌの男性だと思ったの?」
「あの日、おまえが納屋からちっとも帰ってこないことに気がついたのは、日が暮れてしばらく、十八時ごろだ。真っ暗になった納屋に行ったら、ドアが開いたまま、おまえがどこにもいない。ガーデンにもいない。もしやと思って森に入ってみたら、足跡がずっと奥へと続いていた。なんで、嘘だろと思った。いままで森に一度も入ったこともなかったおまえが、なんで森へ、しかも雪が積もった日の夜に入っていたんだと、尋常じゃないものを感じた。すぐにオーナーに知らせて、警察、救急、消防団が駆けつけて、森に入ってくれた」
「ほ、本当に。ごめんなさい。すごい迷惑かけちゃって」
父が酷く舞を叱責したのは、町の皆さんに心配を掛けるような軽率な行動を娘が取って、騒ぎになったからでもあった。舞も反省している――。でも優大はまだ静かに続けた。
「途中で足跡が途切れていたんだよ。そこから、捜索隊が八方にちらばることになったんだが、おまえの痕跡がひとつも見当たらなかった。雪が積もった暗い森の中を、何時間も歩き回るのは捜索している人間にも危険だ。おまえの父ちゃん、捜索隊を危険な目に遭わせられない、でも娘は絶対に見つけて欲しいという葛藤と戦っていたが、徐々に決断を迫られていた。そこで俺はもう一度、おまえの足跡を納屋から辿ることをしようと、一度、森の外に出た。懐中電灯でひとつひとつ、おまえの足跡を追って、左右のアカエゾマツの並木の奥も確認して――。そうしたら、目の前にいたんだ。黒髪のアイヌの姿をした男が、カラスを何羽も従えて立っていたんだ」
カラク様だ! 優大の目の前にも現れていた。いや、優大が舞を見つけたい一心で引き寄せた? そうだ。カララク・カムイは迷っているものを導くのが使命――だから?
「すげえ綺麗な顔をした男だった。黒髪がカラスの羽のように虹色をまとって。俺を静かに見るだけで、なにも話しかけてこないんだ。で、不思議なんだけどよ。気がついたら俺、雪道に寝そべって倒れていたんだよ。まるで眠らされたかのように。俺、言ったことがあるだろ。カムイが人の姿で現れるのは、夢の中でお告げをするときだって。それで俺、ピンときた。あのカラスたちは、美羽を助けたカラスで、その中の一羽がハマナスを咥えて飛んでいたやつで、そして……おまえがいつもひそひそとはなしていたのはこの男だったんじゃないかと――」
舞はもう頬に涙が流れ出していた……。
「それで……? カララク様はどうしてくれたの」
「いつの間にか倒れていて目を開けたら、その男はいなかった。でも、カラスだけが残っていて、俺についてこいとばかりに先へ行っては振り返って集まっていて、俺が追いつくと先へと飛んで、そのうちに俺と一緒に走って先へ先へと案内されたのが、あの谷の淵だったんだよ。それからも周りのアカエゾマツにもカラスたちが止まってカアカア鳴いて、谷の底へと飛び降りるヤツもいて確信した。ここに、舞がいるんだって」
舞の頭上にカラスが集まってきた時のことなのだろう。
「その男と、いつもひそひそ話していたんだろ。そいつが、美羽を助けてくれたんだろ。カラスのカムイだ。婆ちゃんも見えていたんだな。そして新たにやってきた舞となにかが通じたんだろう」
やっぱり。カラク様が優大を、遭難した舞のところまで導いてくれていた。止めどもなく流れる涙を拭いて、舞も真実を告げるため、意を決する。
「そうだよ。そのカムイ様、優大君のお菓子が大好きで、いつも私と一緒に食べていたの。お父さんのオレンジティーも大好きで、優大君が作ったガトーショコラと合わせて食べたいと言い出したのも、カララク様。少しずつ、道しるべを示してくれて、あのカフェを導いてくれていたの。お花が大好きで、よく散歩に来ていた。いつも肝心なときに、道しるべを示してくれた人なの」
「それ……。マジでカララク・カムイじゃねえかよ」
「でも。大昔にお役目を忘れて失態を犯したとかで、あの丘から出ることが出来ずに、いつもうろうろしているみたい……な、夢をみたんだけど。それもカララク様が見せてくれたのかな。危険を知らせる役目があったのに、あの丘の花畑で遊んでいて忘れてしまって、近くの川が氾濫したときにアイヌのコタンが全滅したとかなんとか」
優大が青ざめている。この近くには天塩(てしお)川という大きな河があって、氾濫もよく起こしていたことを、地元で育った者としてよく知っているとのことだった。
「石狩峠の強情なキムン・カムイ、熊のカムイのユーカラと似ているな」
「そうなの。骨がまだ朽ちていないから、カムイの国に帰ることができない……とも言っていたような気がする。でも夢ぽくて、私の気のせいか思い込みかも」
それでも、あの声の語りは、カラク様がカムイとして舞の夢に現れたと思いたい。
「でも。初めて目の前に現れた時、アイヌの姿じゃなかったの。いまと同じ現代ファッションをご自分のお好みでお召しになっていたみたいで。今年に入ってからなの。急にアイヌの民族衣装で姿を現すようになった。いつだったかな。夏の頃から『思い出してきたら、この姿しかできなくなった』と言って、お別れを言いに来たときも……、あの姿で……。最後に、さよならをした時も……、あの美しい模様がある着物の背中で……谷間に消えちゃって……」
さようなら、私の花守人――。
優しい声が蘇ってきて、舞は泣きさざめく。もうなにも話せなかった。
優大が立ち上がって、舞を抱きしめてくれる。黙って、優しく、長く。
もう僕は必要ありませんよ。
その言葉も蘇る。もう舞はひとりじゃない。
1
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
完結 シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣
織部
ファンタジー
ノルドは、古き風の島、正式名称シシルナ・アエリア・エルダで育った。母セラと二人きりで暮らし。
背は低く猫背で、隻眼で、両手は動くものの、左腕は上がらず、左足もほとんど動かない、生まれつき障害を抱えていた。
母セラもまた、頭に毒薬を浴びたような痣がある。彼女はスカーフで頭を覆い、人目を避けてひっそりと暮らしていた。
セラ親子がシシルナ島に渡ってきたのは、ノルドがわずか2歳の時だった。
彼の中で最も古い記憶。船のデッキで、母セラに抱かれながら、この新たな島がゆっくりと近づいてくるのを見つめた瞬間だ。
セラの腕の中で、ぽつりと一言、彼がつぶやく。
「セラ、ウミ」
「ええ、そうよ。海」
ノルドの成長譚と冒険譚の物語が開幕します!
カクヨム様 小説家になろう様でも掲載しております。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる