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【4】名もなき朝の私《さよなら、先生》
13.ぎゅーってしたい
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「いや、保留になった」
それを聞いて、葉子は少しホッとした。
「矢嶋社長も葉子ちゃんの声が出なくなったのは、心因性だったと知ってショックを受けていたよ。こんな時に、交代のメートル・ドテルと入れ替えては、レストランに混乱が起きるだろうと、まだここに慣れた俺を置いてくれることになった」
『安積先生の予約は』
「あれからない。もし予約がまた入っても、通常のお客様として受け入れいる予定にしている。矢嶋社長も最初は、『篠田に会いに来る目的で頻繁な予約、レストランの回転をオーバーさせる予約を入れてくるから、それなら篠田を外してみよう』という対策だったけれど。逆に葉子ちゃんがいなくなったという状態で、様子を見てみようということになったんだよ。でも、もう来ない気がする。矢嶋社長もそう言ってる。十和田シェフもだ」
『どうして。だって蒼さんに会いたくて来ていたんだよ』
「まず、俺の上司にレストランにそぐわない客だと見られたかもしれないと気がついたこと。葉子ちゃんのクレープフランベは実は、接客ではなくて上司からのテスト実践をしていただけで、レストランの対応落ち度ではないのに、まるで落ち度があるように発言してしまったこと。あと、ハコの唄チャンネルが停まっていることで、先生もなにかが起きたと知って、それが自分がやってきたことと関係があるのではと知り、我に返っているかもしれない――。行き着くところまで行ったので、もうなにもしてこないのではと判断されている」
また心の中心部に食い込んだままの楔が、ズキズキと痛み始める。
恋ではなかったのかもしれない。全部、葉子への憎しみだった?
そう思うとやるせない……。葉子にダメージがあったことで終わったということ?
『それでも、蒼さん……。三月には帰っちゃうんだよね』
「そうだけど。希望としては、帰らないつもりだよ。こんな葉子ちゃん、置いていけるわけないでしょ」
そう聞いて涙が出てきた。
でも。
『蒼さんのキャリアを無駄にするような判断は絶対にしないで』
「わかってるよ。俺はそこまで駄目な男ではないと信じてほしいなあ。俺ってば、あのダラシーノよ? ハコちゅわん」
急にダラシーノ的にふざけてきたので、次の言葉を一生懸命に打ち込んでいた葉子は噴きだしてしまった。
『やだ、もう!😆😆😆』
「わー! 葉子ちゃんが笑った! 久々に笑った!! ぎゅーってしていいかな、いいかな!?」
『だめ』
「もう~、厭らしい気持ちじゃなくってさ。兄貴のぎゅーなんだけど、師匠のぎゅーなんだけどっ」
『ちょっとまえに、ぎゅーってしてくれたの嬉しかった。忘れていないよ』
そう伝えたら、せっかくダラシーノになってくれたのに、また大人の憂う男の目になってしまった。
「俺のこと、頼りない男かと」
『思ってないよ。すごく頼りにしてます』
「男として? 師匠として? なにもかも秀星さんに負けてる」
初めて、真っ直ぐに問われ葉子は戸惑う。
どう答えていいかわからなかった。
「ああ、そうそう。葉子ちゃんと話せるようになったら言おうと思っていたことがあったんだ」
『なあに?』
「俺に任せてくれないかな」
『😶?』
「ハコのチャンネル。しばらくダラシーノが運営することにしていいかな」
『なんて説明するの』
「いまお休みをもらってると伝えてみる。まったく配信しないより、少し事情がわかって、視聴者もわかってくれると思うんだ。俺だけでも動いていれば、いつものチャンネルで維持できる。秀星先輩の写真集が出るまでは、チャンネルは維持したい」
『いいの?』
「もちろん。ここまで葉子ちゃんを追い込んでしまった一因が俺にあるから」
『ないよ』
これまたスマートフォンで、自分の至らなさから来たという長ーい文章を打ちにくくて、すぐに伝えられなくてもどかしい。
話せたら一気に伝えられるのに。イライラしながら文字を打ち込んでいると、目の前にいる彼からため息が聞こえてきた。
「もう、いいから、葉子ちゃん。自分を責める言葉を打ってるだろ。秀星さんが亡くなってから、たくさんのストレスを乗り越えて、いままで頑張っていたんだよ。いま自分を責めていると思うけれど、それも全部やめてくれ。次の俺の休暇には、どこか食事にいこう。な……。頼む……」
『頼む』と彼が口にした時には、向き合っている葉子の両肩を彼の両手が握りしめ、目の前で彼が頭を下げている状態だった。
『わかった。楽しみに待ってる。ココア、おいしいね。今日、アオイさんに会えて良かったよ。私も、今日から秀星さんの写真だけでも再開するね。チャンネルのこと、任せるね』
「よかった。うん、任せてくれ!」
すこし元気が出てきた。
こうして彼との時間が取れるなら、少しずつ気持ちが元気になってくると思えた。
まだ心の奥に食い込んだ熱を持った楔は抜けないままだけれど。
そのうちに溶けてなくなってくれるかもしれない。
それから葉子は自宅にいる間に、ゆっくりと秀星の写真を眺めて、SNSにアップを再開。いままでどおりに、季節や写真の中の大沼の風景を解説するコメントも添えた。
ぶら下がりのコメントに『ハコちゃん! よかった。活動再開なんですね!』、『唄は? 唄の配信がないよ?』、『体調が悪かったの? 無理しないで』――という温かいコメントが溢れた。いままでもそうだったが、余程でないかぎり葉子は返信はしない。でもやっぱり有り難かった。
写真を再開すると同時に、『ダラシーノ』が唄チャンネルの活動を再開してくれた。
《おっはよー。まず第一弾、ダラシーノ担当で今朝の動画をアップしておきました。ひさしぶりにいつものポイントでの撮影だよ。見てねー》
蒼からのメッセージを確認して、ゆっくりと過ごしていた葉子は、午前の遅くに自分の動画チャンネルを開いてみた。
いつもより閲覧数ののぼりが早い? 普段とは違う数字が午前中に叩き出されている?
ダラシーノが代理とはいえ、ハコチャンネルが再開したから?
蒼がどんな撮影をしてくれたのか。葉子も閲覧をしてみる。
晴れた青空に、冠雪の駒ヶ岳。そして白く反射する眩しい湖面、枝先が積もった雪で白い森林。今朝はそんな風景で、そこから始まっていた。
でも強い風の音が入っている。
「おはようございます。そして少しだけお久しぶりになりました。ハコちゃんと一緒に活動をしているカメラマンのダラシーノです」
蒼がどう自分のことを伝えるのか。葉子はドキドキしてきた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。実は、ハコちゃんの声がでなくなってしまいました」
……え?
葉子はぎょっとする。それとなく体調を崩していると曖昧に報告するだけではなかったのか?
蒼がダイレクトにハコの状態を伝えてしまっていた。
それを聞いて、葉子は少しホッとした。
「矢嶋社長も葉子ちゃんの声が出なくなったのは、心因性だったと知ってショックを受けていたよ。こんな時に、交代のメートル・ドテルと入れ替えては、レストランに混乱が起きるだろうと、まだここに慣れた俺を置いてくれることになった」
『安積先生の予約は』
「あれからない。もし予約がまた入っても、通常のお客様として受け入れいる予定にしている。矢嶋社長も最初は、『篠田に会いに来る目的で頻繁な予約、レストランの回転をオーバーさせる予約を入れてくるから、それなら篠田を外してみよう』という対策だったけれど。逆に葉子ちゃんがいなくなったという状態で、様子を見てみようということになったんだよ。でも、もう来ない気がする。矢嶋社長もそう言ってる。十和田シェフもだ」
『どうして。だって蒼さんに会いたくて来ていたんだよ』
「まず、俺の上司にレストランにそぐわない客だと見られたかもしれないと気がついたこと。葉子ちゃんのクレープフランベは実は、接客ではなくて上司からのテスト実践をしていただけで、レストランの対応落ち度ではないのに、まるで落ち度があるように発言してしまったこと。あと、ハコの唄チャンネルが停まっていることで、先生もなにかが起きたと知って、それが自分がやってきたことと関係があるのではと知り、我に返っているかもしれない――。行き着くところまで行ったので、もうなにもしてこないのではと判断されている」
また心の中心部に食い込んだままの楔が、ズキズキと痛み始める。
恋ではなかったのかもしれない。全部、葉子への憎しみだった?
そう思うとやるせない……。葉子にダメージがあったことで終わったということ?
『それでも、蒼さん……。三月には帰っちゃうんだよね』
「そうだけど。希望としては、帰らないつもりだよ。こんな葉子ちゃん、置いていけるわけないでしょ」
そう聞いて涙が出てきた。
でも。
『蒼さんのキャリアを無駄にするような判断は絶対にしないで』
「わかってるよ。俺はそこまで駄目な男ではないと信じてほしいなあ。俺ってば、あのダラシーノよ? ハコちゅわん」
急にダラシーノ的にふざけてきたので、次の言葉を一生懸命に打ち込んでいた葉子は噴きだしてしまった。
『やだ、もう!😆😆😆』
「わー! 葉子ちゃんが笑った! 久々に笑った!! ぎゅーってしていいかな、いいかな!?」
『だめ』
「もう~、厭らしい気持ちじゃなくってさ。兄貴のぎゅーなんだけど、師匠のぎゅーなんだけどっ」
『ちょっとまえに、ぎゅーってしてくれたの嬉しかった。忘れていないよ』
そう伝えたら、せっかくダラシーノになってくれたのに、また大人の憂う男の目になってしまった。
「俺のこと、頼りない男かと」
『思ってないよ。すごく頼りにしてます』
「男として? 師匠として? なにもかも秀星さんに負けてる」
初めて、真っ直ぐに問われ葉子は戸惑う。
どう答えていいかわからなかった。
「ああ、そうそう。葉子ちゃんと話せるようになったら言おうと思っていたことがあったんだ」
『なあに?』
「俺に任せてくれないかな」
『😶?』
「ハコのチャンネル。しばらくダラシーノが運営することにしていいかな」
『なんて説明するの』
「いまお休みをもらってると伝えてみる。まったく配信しないより、少し事情がわかって、視聴者もわかってくれると思うんだ。俺だけでも動いていれば、いつものチャンネルで維持できる。秀星先輩の写真集が出るまでは、チャンネルは維持したい」
『いいの?』
「もちろん。ここまで葉子ちゃんを追い込んでしまった一因が俺にあるから」
『ないよ』
これまたスマートフォンで、自分の至らなさから来たという長ーい文章を打ちにくくて、すぐに伝えられなくてもどかしい。
話せたら一気に伝えられるのに。イライラしながら文字を打ち込んでいると、目の前にいる彼からため息が聞こえてきた。
「もう、いいから、葉子ちゃん。自分を責める言葉を打ってるだろ。秀星さんが亡くなってから、たくさんのストレスを乗り越えて、いままで頑張っていたんだよ。いま自分を責めていると思うけれど、それも全部やめてくれ。次の俺の休暇には、どこか食事にいこう。な……。頼む……」
『頼む』と彼が口にした時には、向き合っている葉子の両肩を彼の両手が握りしめ、目の前で彼が頭を下げている状態だった。
『わかった。楽しみに待ってる。ココア、おいしいね。今日、アオイさんに会えて良かったよ。私も、今日から秀星さんの写真だけでも再開するね。チャンネルのこと、任せるね』
「よかった。うん、任せてくれ!」
すこし元気が出てきた。
こうして彼との時間が取れるなら、少しずつ気持ちが元気になってくると思えた。
まだ心の奥に食い込んだ熱を持った楔は抜けないままだけれど。
そのうちに溶けてなくなってくれるかもしれない。
それから葉子は自宅にいる間に、ゆっくりと秀星の写真を眺めて、SNSにアップを再開。いままでどおりに、季節や写真の中の大沼の風景を解説するコメントも添えた。
ぶら下がりのコメントに『ハコちゃん! よかった。活動再開なんですね!』、『唄は? 唄の配信がないよ?』、『体調が悪かったの? 無理しないで』――という温かいコメントが溢れた。いままでもそうだったが、余程でないかぎり葉子は返信はしない。でもやっぱり有り難かった。
写真を再開すると同時に、『ダラシーノ』が唄チャンネルの活動を再開してくれた。
《おっはよー。まず第一弾、ダラシーノ担当で今朝の動画をアップしておきました。ひさしぶりにいつものポイントでの撮影だよ。見てねー》
蒼からのメッセージを確認して、ゆっくりと過ごしていた葉子は、午前の遅くに自分の動画チャンネルを開いてみた。
いつもより閲覧数ののぼりが早い? 普段とは違う数字が午前中に叩き出されている?
ダラシーノが代理とはいえ、ハコチャンネルが再開したから?
蒼がどんな撮影をしてくれたのか。葉子も閲覧をしてみる。
晴れた青空に、冠雪の駒ヶ岳。そして白く反射する眩しい湖面、枝先が積もった雪で白い森林。今朝はそんな風景で、そこから始まっていた。
でも強い風の音が入っている。
「おはようございます。そして少しだけお久しぶりになりました。ハコちゃんと一緒に活動をしているカメラマンのダラシーノです」
蒼がどう自分のことを伝えるのか。葉子はドキドキしてきた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。実は、ハコちゃんの声がでなくなってしまいました」
……え?
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