貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第三十話 熊と二尉に挟まれて

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「そう言えば、どうして音無おとなしは配属希望で地元を選ばなかったんだ?」

 松本まつもと駅が近づいてきたので、早めに座席を立ってデッキに移動したところで森永もりなが二尉が質問してきた。

 あっちこっちに問答無用で飛ばされるイメージがある部隊配属ではあるけれど、一応は本人の希望をいくつか書いて提出することができる。あくまでも参考程度で保証されることはないわけで、初めての部隊配属がとんでもなく故郷から遠く離れた孤島ってこともないわけではない。

 ちなみに私達のような幹部でない隊員は、意外と同じ場所に長くとどまっていることのほうが多い。

「松本駐屯地にですか? ここには補給中隊が常駐していませんしね。それにここ、糧食班は管理職以外、地元の業者さんに外注されていますし」

 一応これでも一通り調べたのだ。そして希望を出したものの、結果は見事にすべて通らず練馬ねりまに行くはめになった。そして運よく今の駐屯地に来るチャンスが巡ってきて喜んでいたのに、あと少しでまた練馬に戻らなくてはならない。あ、思い出して気分が憂鬱ゆううつになってきた。

「やっぱり駐屯地の蕎麦そばはうまいんだろうな」
「どうかなあ、営外においしいお店が何店もあるから意外と隊員達の口は肥えてるみたいで、父はよく駐屯地で出てくるお蕎麦そばには文句言ってましたよ。私は小さい頃に一般開放の日に食べた、ナメコ蕎麦そばがおいしかった記憶がありますけど」

 ただ、栄養価からして蕎麦そばはあくまでも汁物程度の存在だったという話を、よく父はしていた。とにかくここの食事で大事なのは、おいしい蕎麦そばより肉だよ肉!って常々つねづね力説していたっけ。

 電車がホームに止まってドアが開いたので、荷物を二尉に任せて電車から降りる。直属ではないものの、上官に当たる二尉に自分の荷物を持ってもらうなんて、休暇中とは言え落ち着かないけどまあしかたがない。だって、そもそもの原因は二尉のせいなんだものね。でも一応は聞いておこう。

「あの、自分の荷物ぐらい持ちますけど?」
「ヨロヨロしているのになに言ってるんだ。大した重さじゃないから気にするな。それより、オヤジさんとの待ち合わせの時間と場所は大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。どの電車に乗って来るか知らせておきましたから、今頃は改札口の外で待ってるはずです」

 久し振りの地元のにおいに、ホッとした気分になりながら改札口へと向かう。改札口の前にたどりついたところで、向こう側の柱の前に人間にまじって大きな熊、じゃなくて父親が立っているのが見えた。

「いました、あの熊みたいな人です」

 私が指さした方向に目を向けた二尉は、なるほどとうなづいた。

「熊……ああ、申し訳ないが、たしかに熊だな……」
「でしょ? あれでも退官して少し縮んだそうなんですけどねー」
「ちなみに退官後は何を?」

 こそっと二尉がたずねてきた。

「今は市役所の嘱託しょくたく職員をしてます。危機管理部だったかな。陸自とのつながりもあるので重宝ちょうほうがられているそうです」
「なるほど」
「本当は、蕎麦そば打ちだけして暮らしたかったらしいんですけどね。隠居するにはまだ早いでしょって、母に言われてしかたなく」

 ただいた部署がちょうど良かったのか、なんだかんだと言いながらも楽しくやっているらしい。しかも元陸上自衛官だからか、駐屯地の隊員さん達とも仲良くなって、たまの休みの時は一緒に登山することもあるって聞いていた。もしかしたら、山に登る以外にもこそこそと悪だくみをしているんじゃないかとにらんでいるんだけど、どうだろう。

 手を振りながら改札口を通り抜けて父親の元へと急ぐ。

「ただいま!!」
「もう足は大丈夫なのか?」
「この通り。と言ってもまだ中にプレートが入ってるから、それを取り除く手術が残ってるんだけどね」
「そうか。まあ任務も大切だが体は大事にしろよ?」
「うん」

 そして私の後ろに視線を向けてから敬礼をする。退官して市役所の職員になってからかなり経つけど、やっぱり敬礼する姿は様になっているなって我が父ながら惚れ直してしまった。

「初めまして、森永です」

 二尉は父親の敬礼に対して答礼をしてから、あらためて挨拶をして頭を下げた。

「これの父親です。娘がいつもお世話になっています」
「自分のほうこそ」
「家内も来たがっていたんですが、あいにくと学校の研修とやらでどうしても都合がつかず、申し訳ありません」
「いえ。こちらこそ急なお願いをしてしまい申し訳ありませんでした」
「お父さん、私の荷物、持ってくれる? 二尉が二つも持つの大変だから」

 互いに謝り合っている男二人の間に割り込むようにして話しかける。

「わかってるよ。申し訳ありませんね、色々と」
「怪我が完治していないのに帰還式に来てくれとお願いしたのは自分ですから」

 父親は私のカバンを受け取ると、付いてきてくださいと言って前を歩き始めた。

「駐屯地の知り合いに、案内をするように頼んでおきました。しかし本当に今日いきなり? 疲れていないんですか? まだ帰還式から二日でしょうに」
「この二日でゆっくり休みましたし、せっかくの夏季休暇を無駄にしたくないので」
「そうですか。分かりました。じゃあ、旅館に荷物を預けたらそのまま駐屯地へお送りします。美景みかげ、お前はダメだぞ」
「え?! 私も行きたいのになんで?!」

 山岳さんがくレンジャーの実戦訓練をする場所を案内してもらうことになっていると聞いて、当然のように自分も連れて行ってもらえると思っていたのに。

「私も自衛官だけどダメなの?」
「野外に行くとなったらその足ではまだ無理だ。一時間やそこらで終わる話じゃないからな。ついていって何かあったら、森永さんや他の隊員の迷惑になる。今回は遠慮しろ」
「えー……」

 そう言いながら、同行してもかまわないぞと言ってくれるんじゃないかと期待しながら、二尉のほうに視線を向けた。そのとたん、父親の鋭い声が飛んできた。

「ここで何かあったらお前じゃなくて、森永さんの評判に傷がつくということを忘れるな」
「……分かった、今回は諦める」

 二尉の評判に傷がつくと言われては、おとなしく引き下がるしかない。シュンとなった私に、二尉は慰めるように背中を軽く叩いた。

「かわいそうだが今回は我慢だな。帰ってきたら話して聞かせてやるから」
「森永さん、そんなに娘を甘やかしちゃいけません。隊でやるように厳しくどうぞ」
「美景さんは自分の部下ではなく恋人ですから。外での多少の甘やかしは見逃してください」

 二尉は父親に向かって微笑む。父よ、心配しなくても二尉は私のことを甘やかしてなんかいないから。どちらかと言えば体力真剣勝負だから安心してほしい。

「誰に似たのか口の悪い娘ですから、甘やかさないほうが森永さんのためだと思うんですがね」
「それは分かっています。ですがまあ、その口の悪さが気に入ったもので」
「そりゃまた物好きな」
「ちょっと、二人とも私に失礼じゃない?」

「お前の口が悪いのは事実だからな」
「気に入ったのも事実だ」

 二人してまったくもって失礼な。

「任務に戻れば厳しく接しますから安心してください。こちらの指示に従わなければきちんと罰します。例えば安静にして養生しろと命じたのに、はしゃぎ回っていたことなども含めてきちんと」

 なにやら意味深な目でこっちを見下ろしてきた。

「なんですか、その目は」
「俺がなにも知らないとでも? 俺が不在の間、駐屯地では文字通り走り回っていたそうじゃないか」

 きっと藤谷ふじや二尉あたりから情報を仕入れているとは思っていたけどね!!

「それはそっちのせいでしょ? 大森おおもりさんに私のことを監視するように命令する二尉が悪いんです、私は悪くない。小隊が私にちょっかいを出してこなかったら、あんな事しなかったんですからね!」
「とにかくだ、小隊の再訓練の他に音無にも何かペナルティを考えないとな」

 その顔は何を考えているか丸分かりだ。

「私のことはおかまいなく。二尉は小隊のことだけ考えていれば良いんですよ」
「どうやら、おでこに油性マジックで反省中と書かれないとダメみたいだな、音無」
「ちょっと。私が大森さん達のおでこにおしたのは油性インクじゃありませんよ!」

 私達の言い合いに父親が呆れたように笑い出す。そして私達は父親が予約しておいてくれた旅館に荷物を預け、そのまま父親の運転する車で駐屯地に向かった。その途中で、バックミラー越しに父親がこっちをのぞきこんできて顔をしかめた。

「いい加減にその顔はやめろ。どんなにすねてもダメなものはダメだ」
「だって、せっかく見学できるって楽しみにしていたのに」
「森永さんの評判とお前のワガママ、どっちを取るかなんて言うまでもないことだろうが」
「分かってるってば。諦めてはいるけどすねるの私の勝手でしょ?」

 私の言い分に父親は呆れたように首を振り、二尉は横で楽しそうに笑った。

「まったくお前ときたら。本当にこんな娘で良いんですか? 手綱たづなを握るのも大変でしょう」
「飼い慣らしがいがあります」
「ああ、なるほど。しっかりと調教してやってください。私達の育て方が悪かったのか、いろいろと奔放ほんぽうすぎて」
「人を馬か野生児みたいに言わないでくれる?」

 まったく。二人して飼い慣らすだとか調教だとか。私は馬じゃないって言うの!!

「似たようなものだろうが。普通の女の子ってのはだな、男子を追い掛け回して木になんて登らないもんだ」
「またそんな昔のことを蒸し返して!!」
「これ以上は無茶して大怪我をしないように、きっちりと見張るつもりでいますから安心してください」
「それはありがたいことですな」

 どうも男二人を同時に相手にするのは分が悪い。


+++


 駐屯地の前で待っていたのは父親の後輩で、私も何度か会ったことがある普通科連隊の中隊長をしている人だった。男三人であれこれと話をしているのを、ちょっと面白くない気分で車の中から眺める。まあ腰も痛いから乗り降りしなくて済むのはありがたかったけど、なんとなく疎外感を感じて面白くない。私だって自衛官なのに。

 二尉がこっちを見て軽く手を振ってきたので振り返す。二人を見送った父親が車に戻ってきた。

「迎えにくる時間を決めておいた。五時にここだ。森永さんが戻ってくるまで、美景はどうする予定なんだ?」
「一緒に見学するつもりだったからなーんにも考えてない。だから旅館に戻ってゴロゴロしてる……なに?」

 父親の生温かい視線を感じて顔をしかめてみせた。

「いや。森永さんの様子からして、少なくとも俺がアルペンレンジャーを受けた時と同じ心境じゃないみたいだから安心した」
「……まあその点、二尉は自分に正直だから」
「そうか」

 父親はおかしそうに笑う。そしてそれじゃあと話を続けた。

「夕方は俺が森永さんを迎えに行って旅館まで送り届けるから、お前は宿で温泉にでもつかってのんびりしてろ。時間がずれ込むようならこっちから連絡を入れる。まだ足が痛むんだろ? 駅でお前が歩いてくるのを見ていたが、歩き方が変だったぞ?」
「……分かった」

 父親が怪訝けげんそうな顔をしてこっちに目を向ける。

「美景、顔が赤いぞ? どうした、夏風邪でもひいたのか?」
「そんなことないよ、大丈夫! 足はしばらくは違和感が消えないだろうけど、それは仕方がないことだって医官からも言われているし」
「まあとにかくだ、大事にな。あまり無茶をして、森永さんを心配させるなよ?」
「分かってるって」

 お言葉ですけど父よ、貴方の娘に一番無茶をさせるのは、その森永さんなんですけどね!
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