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小話

第三十七話 小料理屋 た恵 3

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「お、ゆずる君がおるやないか!」

 札を持って入ってきたお客さんが、先輩を見て声をかけてきた。

「どうも、お久し振りです」
「しかもカノジョさんづれとか。大人になったんやなあ、君も」
三十路みそじの人間相手に、大人になったとかないでしょ。それと、カノジョではなく職場の後輩です。俺と同じ、騎馬隊員ですよ」

 これで同じやり取りが三度目。先輩はうんざりした様子で答えている。

「なんやー、違うのかー。お婆さん、がっかりやなあ」
「とっくにガッカリして、チンチンしてはりましたわ」

 お母さんが笑った。それを聞いて、お客さんがガハハと笑う。

「はようせんと、お婆さんにひ孫を見せる機会がなくなるで? まあ、あのお婆さんのことや、元気に二百歳まで生きはりそうやけどなあ」
「憎まれっ子世にはばかると言いたいんでっしゃろ?」

 お婆さんが奥から、お茶とおしぼりをもって出てきた。ゆっくりした動きではあるものの、その足取りはしっかりしている。

「はばかりまくってますやんか、お婆さん。そのせいでおかみさん、再婚できへんかったて聞いてますけど?」
「あんさん、それは余計なお世話どすなあ」
「おお、こわいこわい」

 お客さん達は、お婆さんに追い立てられるように、お座敷席に落ち着いた。お婆さんがお茶とおしぼりをテーブルに置き、注文を聞いている。

「お婆さんも現役さんなんですね」
「俺が家を出たもんだから、孫の世話がなくなってヒマらしくてね」

 先輩は、注文を取っているお婆さんの背中を見ながらほほ笑んだ。

「うちは観光客相手じゃないし、常連さん相手なら注文を取るぐらいはできるから、働いてもらっているんだ。さすがに料理を運ぶのは、うちの母親なんだけど」
「今日はあんたがお運び」
「俺、今日は客として来てるんだけどなあ」
「たまには、お母ちゃんにも楽させてください」

 お母さんの言葉に顔をしかめる。

「あの、運ぶぐらいなら、私でもお手伝いできますよ?」
「とんでもない。それこそ馬越まごしさんは客として来てるんだから。店にいる間は、おとなしくここで、飲み食いしていてください」

 お手伝いの提案は、あっさりと却下されてしまった。

「もしかして、馬越さんのご実家も飲食店なん?」
「うちですか? うちはひいひいおじいさんから父まで、消防士でした」
「あら、火消しさんの家系なんやねえ」

 お婆さんが後ろの食器棚からお皿を出してきて、お母さんの横に置く。お母さんは、受け取った手書きの伝票を見て、お料理をお皿に盛っていった。最近はタブレットが多いので、ああいう伝票はなかなか新鮮だ。

「私か弟か、どちらかにもなってほしかったみたいなんですけど、消防署にはお馬さんいませんし」
「馬が好きすぎてこっちで騎馬隊員を希望したんだよ、馬越さん」

 先輩の人差し指がこっちに向けられた。

「あらあら。ちなみに弟さんは? まだ学生さんなん?」
「今年から自衛隊に入りました。なので消防士家系はここで断絶なんです」
「それは残念やったね。けど、その子供らがまた消防士になる可能性もあるし」
「まあそうなんですけどね」
「はい、譲君、これを本多ほんださんのところにお願いします」
「……本当に俺にさせるんだな」

 先輩がぼやきながら、渡されたお盆に料理を乗せて、さっきのお客さんのところへと運んでいった。

「馬越さん、他になにか食べたいものは? 今日は息子のおごりなんやから、遠慮なくしっかり食べていきね」
「あ、はい、ありがとうございます。じゃあ、そのお魚をお願いしても良いですか?」
「なまぶしやね。たいていはこうやって、お大根とくことが多いんよ」

 お皿が前に出される。

「いただきます!」

 身をほぐして一口食べると、しょうがとカツオの味が口の中いっぱいに広がった。

―― はぁぁぁぁ、幸せぇぇぇぇぇ ――

「ええわあ、その顔。おいしい顔して食べてくれると、こっちも作りがいがあるわー」
「あ、すみません、つい我を忘れました」
「ええのええの。息子なんて何を食べさせても、そんな顔してくれへんし。作る側としては、おいしい顔して食べてくれるんが、一番うれしいんよ?」
「俺がなんだって?」

 先輩が戻ってきた。

「あんたはこんなふうに、おいしい顔して食べてくれへんて、話してたん」
「そんなことないだろ? 俺、ちゃんとうまいって言ってる」
「ちゃうの。おいしい顔して食べてほしいんよ、お母ちゃんは」
「どんな顔」
「こんな顔らしいです」

 私は自分の顔を指でさしながら、先輩のほうを見る。

「……まったくわかりません」
「え」
「で、俺がいない間、馬越さんに余計な話はしてないよね?」

 唐揚げを食べてビールを飲むと、先輩がお母さんの顔を見た。

「失礼な子やね。お客さんとの世間話程度しかしてへんよ」
「なら良い」
「先輩~~、いくらお母さんだからって、そんな無愛想はいけませんよ。おいしいご飯を食べているんです。もっとこう、なごやかな雰囲気で食べないと~~」
「そうやそうや。もっと言ってやってちょうだい」

 先輩は、まるで大久保おおくぼさんを前にした丹波たんばのように、スーンとした顔をしている。

「もー。私だったら、先輩のお母さんのご飯、毎日でも食べに来たいのになー。お財布が破産しそうだけど」
「もう場所はわかっただろうから、これからは好きに来たら良い。俺に断りをいれなくても良いから」
「だったら、休み前には絶対に来ますね! めざせ常連で!」

 はあああと横でため息をつかれた。

「え、ダメなんですか?」
「いや、ダメじゃないけどさ」
「じゃあ今のため息はなんなんですか」
「いや、良いんだ、気にしないでください」

 先輩のスーン顔をのぞきこんでから、お母さんに視線を向ける。

「息子のことは関係なく、来てくれたら嬉しいわ。一人でも気兼ねなく来てちょうだいね。カウンターの席はいつも、一人分ぐらいは空いてるから」
「はい!」

 それからお母さんはなにやら思案顔になった。

「でも、そんなに気に入ってくれたんなら、うちの子を引き取ってくれて同居でもしてくれたら、もれなく朝昼晩ついてくるんだけど?」
「え?」

 朝昼晩、毎日こんなおいしいご飯が食べられる生活とか?

「真面目な顔で検討するのはやめようか、馬越さん」
「え、うちは本気やったけど?」
「ちょっと母さん。食べ物で釣るのはやめてもらえる? 馬越さんにそれは、シャレにならないから」

 ん? なにげにそれって、私に失礼な発言では?
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