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本編
第十九話 引くのがダメなら押してみる?
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だいたい相手に気付かれないように自分のことを手に入れたいと思わせるなんてどうやったら良いのよ。素っ気なくしてみるとか? いやいや佐伯さんのことだもの、そんなことをしたら絶対にやっぱり駄目だったのかって早々に諦めちゃうんじゃないの? もともと付き合うのも結婚するのも消極的になっている人なのに一体どうすれば?
「……杏奈さん?」
引くのが駄目ならひたすら押す? それってやっぱり押し売りじゃ? それじゃあ佐伯さんは私に押し切られた感満載よね? これじゃあ母曰くダメってことなのよね? あー、でも別にそこに拘る必要なんてないのかな、人それぞれなんだし?
「おーい、聞こえてる?」
佐伯さんの声に慌てて前を向くとテーブルの向こう側から彼がこちらを覗き込みながら手を振っている。
「あ? ああ、ごめんなさい、ちょっと考えごとしてました」
「何だか凄く怖い顔してたよ。もしかして映画、期待外れだったとか?」
「え、そんなことないですよ。ちょっと上映時間が長くて途中でじっとしているのが辛かったけど予想以上に面白かったです。これ、まだ続きがあるんですよね、続きが上映される日が楽しみだな」
「ここにシワ寄せて考え事していたけど?」
そう言って佐伯さんは手をのばしてきて私の眉間を指先で触れた。今日のデートは以前から一緒に観ようって話していた壮大なテーマのファンタジー映画。最初は映画館では観られないんじゃないかって半分諦めていたんだけど何とか二人の休みが重なって一緒に観ることが出来た。
「もしかしてお母さんに何か言われた?」
「まあ言われたような言われてないような……」
「俺がバツイチのことについて?」
「それに関しては特に何も言いませんでしたよ、息子さんがいることも。ただ離婚した理由は尋ねられましたけどね。きっと浮気とかそういうのじゃないから問題無しと判断したみたいです。母としてはどちらかと言うと私がちゃんと佐伯さんを捕まえられるかどうかってことの方が気になっていたみたい」
バツイチのことについて何も言われなかったと聞いて少し安堵した様子。ただ捕まえるって言葉に首を傾げた。
「杏奈さんが俺を捕まえる?」
「母はそう考えているみたいですよ」
「俺、とっくに杏奈さんに捕まっていると思うんだけどなあ……」
「そうですか?」
私はどちらかと言うと佐伯さんに捕まったような気がするのよね。神様な先輩のことやあの謎の三代海の男のお婆ちゃんとか、あと寺脇さん夫妻? それに佐伯さんだって普段は消極的ではあるけれどここぞって時には何気に強引なところもあるし。改めて周囲を見渡してみれば包囲されているのは私の方じゃないかって思えてくるのは気のせい?
「あ、それと」
「なに?」
「東雲さんのことなんですけどね、母が私の話に東雲さんが頻繁に出てくるから付き合うなら彼だと思ってたって」
あれ? 佐伯さんの笑顔が何だかそのまま能面みたいな感じになって周囲の空気が冷たくなったような気がする。お店の何処かから隙間風でも入ってきたのかな、暖房、効いてるよね? まさか季節外れの風邪でもひいたかな?
「ふーん。それを聞いて杏奈さんはどう答えたの?」
「何でそこで東雲さんのことが出てくるの?って」
「うん。そうしたらお母さんはなんて?」
口調はいつもと変わらないけど何だかちょっと不穏な空気をまとっていませんか? 変わらないと言うよりもいつも以上に穏やか過ぎて少し怖いですよ佐伯さん。
「だから私が職場の話をすると東雲さんがよく出てくるからだって。だけど当然ですよね、同じ広報にいる人なんだから。それに面白いネタ話に事欠かない人ですし、別に私は特に意識して東雲さんの話をしていた訳じゃないですよ。たまたま女子に人気があってそれにまつわる笑い話が多い人なだけで」
「……で、なんで顔を赤くしてるのかな?」
何故かちょっとだけ愉快そうな顔をして私のことを指さしてきた。
「え、顔、赤いですか? 冷え逆上せかな……」
「なにか後ろめたいことでもあるんじゃ?」
「無いですよ。なんで職場の人の面白い話をして後ろめたい気分にならなきゃいけないんですか」
「お母さんに何か指摘されたんじゃないのかな? さっさと白状した方が良いと思うけどな」
「別に何も無いです」
「俺、この近くにラブホじゃない小奇麗なシティホテルがあるの知ってるよ? そこに連れていって欲しい?」
母といい佐伯さんといい、何で他人様に聞かれたら恥ずかしいことを平気な顔してサラリと言うのか、まったく……。もしかして私が人の目を気にし過ぎているの? いやいやそんなことない、絶対に二人の方がおかしい。
「こんなところで何てこと言うんですかっ」
「だったら杏奈さん、さっさと白状しなさい」
「たから何もないですって」
「本当のことを言うまで閉じ込めて欲しい? 明日、仕事に行けなくなるかもね」
「なんだか佐伯さん、それってヤンデレっぽい……」
「時間切れって言って欲しいかな?」
だからわざとらしく腕時計を見ないでほしい。
「……」
「カウントダウンしようか? 俺は時間切れになって杏奈さんを肩に担いで店を出ることになっても平気だから」
やりそう……佐伯さんだったら本当にやりそうだから怖い。
「……だから、母親は東雲さんが私のことを好きだったんじゃないかって推理してるんですよ」
「好きだったって過去形?」
「……」
「ホテルいく?」
「……現在進行形で」
「で?」
「でって?」
「それを知った杏奈さん的にはどうなのかなって」
「今更そんなこと言われても困りますって感じです。そもそも東雲さんをそういう対象で見たことないですし」
「ふむ」
「ふむってなんですか、ふむって」
「いや、なんとなく彼が気の毒な気がしたかもしれない……あくまでも一瞬だけ」
「一瞬だけって……」
佐伯さんはそこでやっといつもの笑顔を浮かべた。
「だってそうだろ? 自分が好意を寄せている異性に全く気が付いてもらえないなんて、やはり同じ男として同情するよ。ま、あくまでも一瞬だけなんだけどね。彼のことは気の毒ではあるけれど俺的には良かったと思ってる。お蔭でこうやって杏奈さんと過ごせるんだからね」
今のところはねって頭の隅っこでもう一人の私が囁いた。
こうやってお付き合いする分には佐伯さんも最近は消極的じゃないし楽しんでいる様子だ。たまに寄港先で御当地のキーホルダーやフィギュアを写メして送ってきてくれたりするぐらいだし、離れていてもそれなりにお互いに楽しんでやり取りをしている。だけどこの状態がずっと続くわけじゃないだろうし、その後は?って思ってしまう。これ、絶対に母のせいだ、母が結婚したらなんて話をしたからこんなこと考えちゃうんだな、きっと。
「杏奈さん、また怖い顔をしているよ」
「え……ああ、母と話していたら色々と考えることが増えちゃって。もう母親ってなんであんなに煩くいうんでしょうねえ……」
「そりゃ娘が心配だからじゃ? 近いとはいえ別々に暮らしている訳だし今じゃ男と付き合っている訳だしね、それなりに心配するのは当然だと思うよ?」
「それは分かってるんですけどね。お蔭で悩みが増えちゃって困りますよ」
「悩み?」
首を傾げている。
「だってそうでしょ? 東雲さんのことなんて最たるものですよ、こっちはまったく意識していなかったのに今更そんなこと言われちゃったらこれから職場でどんな顔をしたら良いのかって悩みますよ。この一週間は殆どマツラー君の中に隠れていたので顔は合わせてませんけど週明けからどうしたものか」
溜息混じりにそう呟くといきなり手を掴まれた。
「杏奈さんのことだから大丈夫だとは思うけど、東雲さんのことを知って気持ちが揺らいだりしないよね?」
「……まさか疑ってるとか?」
「いや、そんなことはない。だけど一応は確認しておかないと気が済まない、かな」
「忘れたんですか? このお試しお付き合いだって私から言い出したんですよ? 言い出しっぺの私が今更そんなことになる訳ないでしょ? 佐伯さん、それって私にすっごく失礼なんですけど」
ちょっと怖い顔をしてみせたら佐伯さんはショボンとなった。
「ごめん。だけどどうしても言わずにはいられなかったんだ」
「どっちかと言えば私の方が心配した方が良いのかなって思いますよ、佐伯さんが逃げ出さないようにって」
「俺?」
「そうですよ。だってお付き合いするのだって最初は二の足踏んでいた訳ですし、もしかしたらいきなりその気が無くなって音信不通になってそのままって可能性もあるんじゃないですか?」
「俺はそんなことしないよ。万が一……まあそんな気になるとは思えないけど、杏奈さんと付き合うのをやめたいと思ったらちゃんと話をする。それを心配して難しい顔して悩んでいるとか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
でもこの先はどうなるのか少し心配かなって思っていたらバッグの中でメールが着信したことを知らせるメロディが鳴った。一応、仕事関係、家族関係でそれぞれ分けていて、今のメロディは兄貴からのメールだ。どうしたんだろう、こんな風に休みの日にメールが来るなんて珍しい。どちらかと言えば文字をチマチマ打つのが苦手な人だから電話してくることが多いのに。まさか訓練中に怪我したとかじゃないわよね……あ、それだったら母から連絡が来るか。
「佐伯さん、兄からのメールみたいなんですけどメールの確認しても良いです?」
「とうぞ」
バッグの中から携帯を出してメールの確認をする。
「……」
「お兄さん、なんだって?」
「え、ヒマか?って」
「なんだろうね、事実を伝えてみたら?」
「ですね」
そういう訳で『佐伯さんとデート中で今はお茶してる』と返信してみる。しばらくして兄貴からのメールが返ってきた。それを読んで目を疑った。
「え……なんですと?」
「どうした?」
「これ」
佐伯さんにメールを開いたまま携帯を差し出した。
『妹のお前に先に結婚されると兄貴としての面目が立たん。そういう訳で祥子と五月に結婚することになった。だからお前達が結婚する気なら六月以降にするように。追伸:圭祐にも招待状を送るから住所を教えろ』
「……もう三月だよな、そんなに早く結婚式の準備って出来るものなのか?」
「どうなんでしょう、私は結婚したことが無いので何とも言えないです。佐伯さんの方が詳しいんじゃ?」
「うちは意外と昔のしきたりとか重んじる年寄りが多かったからプロポーズから結婚式までなんだかんだで一年ぐらいかかったんだ」
しきたりを重んじるお年寄りが多いって、それはそれで凄いかも。あれだよね、きっと結納なんていうのも正式な感じでやったんだよね。もしかして佐伯さんの御実家って京都の旧家? 京都だから呉服屋さんとか茶道とか華道とかそんな感じの古い家柄とか?
「……まさかデキ婚じゃないですよね?」
「それなら三ヶ月先とかじゃなくてもっと急ぐだろ?」
「あ、そっか……」
まさか本気で私より先に結婚しないと兄貴としての立場が無いなんて思っているとか? いやいや兄貴に限ってそれは無い。それにカノジョの祥子さんの御実家だってそんなこと気にするような人達じゃないし、祥子さんも杏奈ちゃんの方が先にお嫁に行くかもねなんて言うような人だし。
「これは……どういうつもりなのか……」
「まさかとは思うけど、こっちにプレッシャーをかけてきている訳じゃないよね、お兄さん」
「プレッシャー?」
「このメール、読みようによっては俺と杏奈さんに六月以降に結婚しろって言っているようなものじゃないかな」
「まさかうちの兄に限ってそんな回りくどい言い回しは……」
しないと思いたい。だけど兄貴ってばこういうおめでたいことが大好きだし、佐伯さんのことえらくも気に入ったみたいだし絶対に無いと言い切れないところが怖い。
「ああ、ついでだからお兄さんのメールに俺の自宅の住所と伝言を返信してくれないかな」
「いいですよ」
佐伯さんの自宅の住所と伝言をメールで送った。伝言の内容は外洋に出ることになれば出席できないし、突然の出港もあるので急な欠席になっても構わないなら有難く招待をお受けしますというもの。それに対して戻ってきた兄貴の返信は『こっちも同じようなものだから心配無用だ』だった。
「……杏奈さん?」
引くのが駄目ならひたすら押す? それってやっぱり押し売りじゃ? それじゃあ佐伯さんは私に押し切られた感満載よね? これじゃあ母曰くダメってことなのよね? あー、でも別にそこに拘る必要なんてないのかな、人それぞれなんだし?
「おーい、聞こえてる?」
佐伯さんの声に慌てて前を向くとテーブルの向こう側から彼がこちらを覗き込みながら手を振っている。
「あ? ああ、ごめんなさい、ちょっと考えごとしてました」
「何だか凄く怖い顔してたよ。もしかして映画、期待外れだったとか?」
「え、そんなことないですよ。ちょっと上映時間が長くて途中でじっとしているのが辛かったけど予想以上に面白かったです。これ、まだ続きがあるんですよね、続きが上映される日が楽しみだな」
「ここにシワ寄せて考え事していたけど?」
そう言って佐伯さんは手をのばしてきて私の眉間を指先で触れた。今日のデートは以前から一緒に観ようって話していた壮大なテーマのファンタジー映画。最初は映画館では観られないんじゃないかって半分諦めていたんだけど何とか二人の休みが重なって一緒に観ることが出来た。
「もしかしてお母さんに何か言われた?」
「まあ言われたような言われてないような……」
「俺がバツイチのことについて?」
「それに関しては特に何も言いませんでしたよ、息子さんがいることも。ただ離婚した理由は尋ねられましたけどね。きっと浮気とかそういうのじゃないから問題無しと判断したみたいです。母としてはどちらかと言うと私がちゃんと佐伯さんを捕まえられるかどうかってことの方が気になっていたみたい」
バツイチのことについて何も言われなかったと聞いて少し安堵した様子。ただ捕まえるって言葉に首を傾げた。
「杏奈さんが俺を捕まえる?」
「母はそう考えているみたいですよ」
「俺、とっくに杏奈さんに捕まっていると思うんだけどなあ……」
「そうですか?」
私はどちらかと言うと佐伯さんに捕まったような気がするのよね。神様な先輩のことやあの謎の三代海の男のお婆ちゃんとか、あと寺脇さん夫妻? それに佐伯さんだって普段は消極的ではあるけれどここぞって時には何気に強引なところもあるし。改めて周囲を見渡してみれば包囲されているのは私の方じゃないかって思えてくるのは気のせい?
「あ、それと」
「なに?」
「東雲さんのことなんですけどね、母が私の話に東雲さんが頻繁に出てくるから付き合うなら彼だと思ってたって」
あれ? 佐伯さんの笑顔が何だかそのまま能面みたいな感じになって周囲の空気が冷たくなったような気がする。お店の何処かから隙間風でも入ってきたのかな、暖房、効いてるよね? まさか季節外れの風邪でもひいたかな?
「ふーん。それを聞いて杏奈さんはどう答えたの?」
「何でそこで東雲さんのことが出てくるの?って」
「うん。そうしたらお母さんはなんて?」
口調はいつもと変わらないけど何だかちょっと不穏な空気をまとっていませんか? 変わらないと言うよりもいつも以上に穏やか過ぎて少し怖いですよ佐伯さん。
「だから私が職場の話をすると東雲さんがよく出てくるからだって。だけど当然ですよね、同じ広報にいる人なんだから。それに面白いネタ話に事欠かない人ですし、別に私は特に意識して東雲さんの話をしていた訳じゃないですよ。たまたま女子に人気があってそれにまつわる笑い話が多い人なだけで」
「……で、なんで顔を赤くしてるのかな?」
何故かちょっとだけ愉快そうな顔をして私のことを指さしてきた。
「え、顔、赤いですか? 冷え逆上せかな……」
「なにか後ろめたいことでもあるんじゃ?」
「無いですよ。なんで職場の人の面白い話をして後ろめたい気分にならなきゃいけないんですか」
「お母さんに何か指摘されたんじゃないのかな? さっさと白状した方が良いと思うけどな」
「別に何も無いです」
「俺、この近くにラブホじゃない小奇麗なシティホテルがあるの知ってるよ? そこに連れていって欲しい?」
母といい佐伯さんといい、何で他人様に聞かれたら恥ずかしいことを平気な顔してサラリと言うのか、まったく……。もしかして私が人の目を気にし過ぎているの? いやいやそんなことない、絶対に二人の方がおかしい。
「こんなところで何てこと言うんですかっ」
「だったら杏奈さん、さっさと白状しなさい」
「たから何もないですって」
「本当のことを言うまで閉じ込めて欲しい? 明日、仕事に行けなくなるかもね」
「なんだか佐伯さん、それってヤンデレっぽい……」
「時間切れって言って欲しいかな?」
だからわざとらしく腕時計を見ないでほしい。
「……」
「カウントダウンしようか? 俺は時間切れになって杏奈さんを肩に担いで店を出ることになっても平気だから」
やりそう……佐伯さんだったら本当にやりそうだから怖い。
「……だから、母親は東雲さんが私のことを好きだったんじゃないかって推理してるんですよ」
「好きだったって過去形?」
「……」
「ホテルいく?」
「……現在進行形で」
「で?」
「でって?」
「それを知った杏奈さん的にはどうなのかなって」
「今更そんなこと言われても困りますって感じです。そもそも東雲さんをそういう対象で見たことないですし」
「ふむ」
「ふむってなんですか、ふむって」
「いや、なんとなく彼が気の毒な気がしたかもしれない……あくまでも一瞬だけ」
「一瞬だけって……」
佐伯さんはそこでやっといつもの笑顔を浮かべた。
「だってそうだろ? 自分が好意を寄せている異性に全く気が付いてもらえないなんて、やはり同じ男として同情するよ。ま、あくまでも一瞬だけなんだけどね。彼のことは気の毒ではあるけれど俺的には良かったと思ってる。お蔭でこうやって杏奈さんと過ごせるんだからね」
今のところはねって頭の隅っこでもう一人の私が囁いた。
こうやってお付き合いする分には佐伯さんも最近は消極的じゃないし楽しんでいる様子だ。たまに寄港先で御当地のキーホルダーやフィギュアを写メして送ってきてくれたりするぐらいだし、離れていてもそれなりにお互いに楽しんでやり取りをしている。だけどこの状態がずっと続くわけじゃないだろうし、その後は?って思ってしまう。これ、絶対に母のせいだ、母が結婚したらなんて話をしたからこんなこと考えちゃうんだな、きっと。
「杏奈さん、また怖い顔をしているよ」
「え……ああ、母と話していたら色々と考えることが増えちゃって。もう母親ってなんであんなに煩くいうんでしょうねえ……」
「そりゃ娘が心配だからじゃ? 近いとはいえ別々に暮らしている訳だし今じゃ男と付き合っている訳だしね、それなりに心配するのは当然だと思うよ?」
「それは分かってるんですけどね。お蔭で悩みが増えちゃって困りますよ」
「悩み?」
首を傾げている。
「だってそうでしょ? 東雲さんのことなんて最たるものですよ、こっちはまったく意識していなかったのに今更そんなこと言われちゃったらこれから職場でどんな顔をしたら良いのかって悩みますよ。この一週間は殆どマツラー君の中に隠れていたので顔は合わせてませんけど週明けからどうしたものか」
溜息混じりにそう呟くといきなり手を掴まれた。
「杏奈さんのことだから大丈夫だとは思うけど、東雲さんのことを知って気持ちが揺らいだりしないよね?」
「……まさか疑ってるとか?」
「いや、そんなことはない。だけど一応は確認しておかないと気が済まない、かな」
「忘れたんですか? このお試しお付き合いだって私から言い出したんですよ? 言い出しっぺの私が今更そんなことになる訳ないでしょ? 佐伯さん、それって私にすっごく失礼なんですけど」
ちょっと怖い顔をしてみせたら佐伯さんはショボンとなった。
「ごめん。だけどどうしても言わずにはいられなかったんだ」
「どっちかと言えば私の方が心配した方が良いのかなって思いますよ、佐伯さんが逃げ出さないようにって」
「俺?」
「そうですよ。だってお付き合いするのだって最初は二の足踏んでいた訳ですし、もしかしたらいきなりその気が無くなって音信不通になってそのままって可能性もあるんじゃないですか?」
「俺はそんなことしないよ。万が一……まあそんな気になるとは思えないけど、杏奈さんと付き合うのをやめたいと思ったらちゃんと話をする。それを心配して難しい顔して悩んでいるとか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
でもこの先はどうなるのか少し心配かなって思っていたらバッグの中でメールが着信したことを知らせるメロディが鳴った。一応、仕事関係、家族関係でそれぞれ分けていて、今のメロディは兄貴からのメールだ。どうしたんだろう、こんな風に休みの日にメールが来るなんて珍しい。どちらかと言えば文字をチマチマ打つのが苦手な人だから電話してくることが多いのに。まさか訓練中に怪我したとかじゃないわよね……あ、それだったら母から連絡が来るか。
「佐伯さん、兄からのメールみたいなんですけどメールの確認しても良いです?」
「とうぞ」
バッグの中から携帯を出してメールの確認をする。
「……」
「お兄さん、なんだって?」
「え、ヒマか?って」
「なんだろうね、事実を伝えてみたら?」
「ですね」
そういう訳で『佐伯さんとデート中で今はお茶してる』と返信してみる。しばらくして兄貴からのメールが返ってきた。それを読んで目を疑った。
「え……なんですと?」
「どうした?」
「これ」
佐伯さんにメールを開いたまま携帯を差し出した。
『妹のお前に先に結婚されると兄貴としての面目が立たん。そういう訳で祥子と五月に結婚することになった。だからお前達が結婚する気なら六月以降にするように。追伸:圭祐にも招待状を送るから住所を教えろ』
「……もう三月だよな、そんなに早く結婚式の準備って出来るものなのか?」
「どうなんでしょう、私は結婚したことが無いので何とも言えないです。佐伯さんの方が詳しいんじゃ?」
「うちは意外と昔のしきたりとか重んじる年寄りが多かったからプロポーズから結婚式までなんだかんだで一年ぐらいかかったんだ」
しきたりを重んじるお年寄りが多いって、それはそれで凄いかも。あれだよね、きっと結納なんていうのも正式な感じでやったんだよね。もしかして佐伯さんの御実家って京都の旧家? 京都だから呉服屋さんとか茶道とか華道とかそんな感じの古い家柄とか?
「……まさかデキ婚じゃないですよね?」
「それなら三ヶ月先とかじゃなくてもっと急ぐだろ?」
「あ、そっか……」
まさか本気で私より先に結婚しないと兄貴としての立場が無いなんて思っているとか? いやいや兄貴に限ってそれは無い。それにカノジョの祥子さんの御実家だってそんなこと気にするような人達じゃないし、祥子さんも杏奈ちゃんの方が先にお嫁に行くかもねなんて言うような人だし。
「これは……どういうつもりなのか……」
「まさかとは思うけど、こっちにプレッシャーをかけてきている訳じゃないよね、お兄さん」
「プレッシャー?」
「このメール、読みようによっては俺と杏奈さんに六月以降に結婚しろって言っているようなものじゃないかな」
「まさかうちの兄に限ってそんな回りくどい言い回しは……」
しないと思いたい。だけど兄貴ってばこういうおめでたいことが大好きだし、佐伯さんのことえらくも気に入ったみたいだし絶対に無いと言い切れないところが怖い。
「ああ、ついでだからお兄さんのメールに俺の自宅の住所と伝言を返信してくれないかな」
「いいですよ」
佐伯さんの自宅の住所と伝言をメールで送った。伝言の内容は外洋に出ることになれば出席できないし、突然の出港もあるので急な欠席になっても構わないなら有難く招待をお受けしますというもの。それに対して戻ってきた兄貴の返信は『こっちも同じようなものだから心配無用だ』だった。
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