前略、僕は君を救えたか

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黒いポスト3

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 プロセッサーの電源が入って、振動と回転と同時にタマネギが一瞬で刻まれていく。
 にんじんを剥く手が止まって、また嘆息、深く吸い込んだ胸が痛くて息が吐く時に震えて、自分が泣きそうなんだと気付いて瞼を強く閉じた。

 桔平のこともあるけど、なんか一瞬父さんを思い出したからだ。こんな話誰にもできない、できないけど、もし話せるとしたら父さんだったのかなって。

「梧、手が止まってる」
 「本当に五年戻ったところで僕は何も変われないんだろうな」  
 「男の癖にウジウジと、だから個性が成長しないんだよ」
 「何だそれ」

 顔を上げれば、早く剥けとピーラーを持つ手を肘で押されて、手を動かした。じじいは
 刻まれたタマネギをボールに移して次のタマネギをプロセッサーに投入してる。

 「人生消化試合みたいな顔しやがって、寝込むほど過去に戻りたいなら、五年後、今をやり直したいと思わないように、ここが踏ん張りどころなんだと、なぜわからない?」
「またその話かよ、痴呆? さっき聞いたし戻りたいとも一言もいってない」
「梧、人はな、何も持たずに生まれてくる」
「そりゃ、そうだろ」
「死ぬ時だってそうだ。あの世には何も持っていけない」
「ああ……まあそうだな」

 またタマネギが形をなくして刻まれて、ドロドロになってボールに落ちていく。

「金持ちになったって、有名になったって、いい車乗ってたって、奥さんが美女だって、死んだらその手には何も握れない」
 「何だ、じゃあ今頑張る必要なくない? 金持ちだって貧乏人だって死ぬ時は無一文で誰も連れてけないんだし」
 「だから、俺は金を稼ぐ為に生きるのを辞めた。お金があれば、会社が大きくなれば、幸せになると勘違いしてた。一番大切な人との時間を犠牲にしてた。きっとあの時死んでたら後悔してただろうな」
 「それと僕の個性とどう関係あんの?」
 「人が喜ぶ絵を描く前に、自分の喜ぶ絵を描けよ。金も名誉も死んだら消えてなくなるけど、人の気持ちはなくならないだろ。今のままじゃお前は誰の何にも残らない。熱意がないから、感動を与えられない、60点くらいの絵描いて満足してる」
 「耳がいてぇな」

 肩で耳を擦って、いつもならうるせえってけんかしてるだろうけど、今日の僕にはその勢いがなかった。
 それはじじいの説教? の熱意が尋常じゃないからだ。このままヒートアップさせちゃったら仕事に響くだろ、じじい高血圧だしさ。
 それに言ってる事も、ごもっともだしよ。ぐうの音も出ないとはこのことだな。

 「人生一度しかないのに、ぼーっとするな。考えなきゃいけないのは過去じゃなくて明日のお前だよクソガキ」
 「考えてるよ、明日何食おうかなって」
 「まかないだバカ」
 「ああ、そうか」

 じじいがフライパンに火をかけてニンニクを炒め始めたところで、店の入り口に人影が映った。
 時計を見ればもうモーニングの時間になっていて、客は常連の近所のおばあちゃん。僕は濡れた手を拭いて、必ず頼むオーダーの準備を始める。トースターにパンを放って、ゆで卵の乗った皿を出した。
 僕を見てじじいはマキネッタを火にかけた。そしてドアベルが鳴る前におしぼりとお冷やを持ってキッチンを出て行った。

 「いらっしゃいませ、おはようございます」
 「おはよう山田さん、もういい?」
 「もちろん、いつものお席へどうぞ」
 「ありがとう。これ、うちの庭で咲いたバラなんだけど良かったら飾って?」
 「きれいですねえ」

 花を受け取ったじじいがこっちを見たから、僕は背後の棚に置かれた花瓶を二つ持ってどっちにする? と目で合図を送った。目線で首の長い花瓶だと判断して水を注ぐと、花を受け取って位牌の横に飾った。この間僕達は会話0で、本当にこのじじいとは仲が悪いのに息が合って困るなと思った。
 朝は大体、このおばあちゃんを皮切りに席が埋まっていく出勤前のサラリーマンに夜勤明けの看護師や警備員、近所のじじばば、二階の席までは開けないけど賑やかになる。ランチとディナーはもっと混む訳で、むしろよくこの店を二人で回していたよなあって関心だ。

 仕事が増えるから従業員はわざと雇わなかったって、翔子さん曰く、「もちろんオーダー取りに行くのも提供するのも遅くなっちゃうけど、入店時にそれでいいですかって聞いて、渋るようなお客様は断ってるの」だそうだ。まあ翔子さんのあのおっとりした優しい口調で遅くなってごめんなさいね~? なんて言われたら怒る気もなくなると思うが。

 それで、いつもならモーニングとランチの間にいったん客が引くんだけど、今日はそれがなかった。
 なぜかと言うと件のアイドルが昨日Twitterでうちの店を紹介したらしいのだ。てっきり雑誌が出たらファンが来るかと思いきやこのタイミングとは……。
 情報は早いもので現代はマジでSNS社会なんだなと、二人で慌てながら接客に当たった。
 そして、ランチラッシュが引いて、じじいはボソッと言った。

「今日のディナーはなし」
「言うと思った。まあ材料もないし、この様子で明日も混むようなら仕込み増やした方が良さそう」
「四時になったらレジ締めて翔ちゃんに売上報告しておいて」
「ん」
「俺に来た客は通していいから、どうせコーヒーしか出さないし」
「ん」

 この犯罪者の僕にレジのお金を任せるって、よくよく信用されたもんだな。案の定、本日ランチの売り上げは夜の営業分も稼ぎ出していた。そりゃそうだ、プリンなんて瞬殺だったもんな。
 店長様の言い付け通り、四時に店を閉めて片付けて、店内には静かなジャズの音楽とじじいの包丁の音が響いていた。
 僕は掃除。たまにじじいの前の会社のヤツが来て、コーヒーを一杯、雑談して帰ってく。
 そんで表にはクローズの看板を見て落胆するドルオタがチラホラいた。肩を落としながら仕方なく僕が書いた看板と記念撮影してる。アイドルと同じポーズで何枚も撮ってて、お願いだからネットに拡散するの止めて下さい。
 すると、不思議そうな顔をしながら出掛けていた翔子さんが店に入ってきた。

「ただいま。あーあらあら、店が閉まってる、どうしたの?」

 掃除の手を止めて、店を見渡す翔子さんに近寄ると荷物を受け取った。近くのイスを引けば翔子さんは着席した。

「おかえりなさい。メールしたんですけど、まさかの店が繁盛しちゃって、早々にプリンは売り切れ、仕込みも材料もなくなってしまって止むを得なくです」
「ああ、Twitterで?! へえ凄い効果ねえ」

 じじいもカウンターから出て来て、翔子さんが座ったテーブルにコーヒーを置く。

「後一時間営業してたら、潰れるところだったよ」
「やだ、そんなに混んだの? ごめんねいなくて」

 じじいも席について話し始めたので、僕はキッチンで仕込み作業だ。
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