前略、僕は君を救えたか

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生と死と9

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 全身の毛が粟立った。採取された場所は分からない、僕は思わず席を立ち上がってテレビに背を向けて歩き出してしまったから、怪しまれてはいない。

 ここでは会計番号が表示されれば皆バラバラのタイミングで席を立つから、僕もその一人にしか見えない筈だ。
 何だよ、このまま警察署で取り調べを受けて、犯人だとバレても仕方ないって言ってた割に迫って来られると怖いのかよ。

 自首、したい、逃げたい。本当腰抜け、自分で蒔いた種なのに体は勝手に逃げようとしてる、鞄の中には給料がある、これでどこまで行けるだろうか。
 いや、逃げるって母さんと桜には何て説明するんだ? というかその指紋が僕のだと分かるなんて時間の問題で、そうなったら警察が家に行く。なら、やっぱり今家に電話して自首か? なら、九州まで行って父さんと……なんて変な考えが浮かぶ、今更こんな事で頼られても困るよな。

 病院を出て、さて、どうしようかってバス停を眺めていたら、携帯が震えた。もう警察かと見たら、恩田さんだった。


「もしもし、ごめん恩田さん、もう僕に電話かけない方がいいと思う」
【何で? ああ、指紋が出たって話? 私も今見てる。でもまだ確かな話じゃないでしょ】
「確かな話だよ、だって確実に僕だし本当はこれから署に向かわないといけないのに、僕は逃げようとしてる。今更怖くなってるんだ、格好悪いでしょ。まあ逃げたって捕まるよ、恩田さんには迷惑かけたくないからもう電話は止めておこう」

【それは大丈夫】

「どうして?」
【私今からフライトなの、この電話はお別れの挨拶】
「今から? 急だね」
【帰国は前から決まってたんだけど、昨日言わなかっただけ。ああ、もちろん兵藤君が一緒に行きたいって言うなら詳しい場所教えるよ。タイムリミットは後三十分だけど】
「そっか、残念だけどパスポートも空港にも間に合いそうにないや」
【…………どうしてもって言うなら午後の便でもいいよ】
「気遣いありがとう……嬉しい、でも家族を置いていけない」
【そう…………そっか、うん、わかってたけど聞いた】
「ごめん、せっかく誘ってくれてるのに」

 別れと言っても最後の別れって訳じゃないのに、何だか電話を切るのが寂しい。だって恩田さんの声を聞いて安心したんだ。昨日初めて聞いたのに不思議な声だ。


 何故か昨日言わなかった癖に、好きだよ、なんて告白しそうになってしまった。


 耳の向こうの静寂、それさえも心地いい電話の声は魔法がかかっていると思った。いや、僕が切羽詰まってるからかな。

【兵藤君?】
「何でもないよ、気を付けて。また日本に帰ってきたら会ってくれる? お金もまだだし」
【もちろん、塀の中でも行くよ】
「ふふふ、常識外れでごめん」
【いいえ】
「じゃあ、僕忙しから色々と」
【そうだね、さよなら】
「うん、元気で」





【あ、ねえ……兵藤君】





「何かな」
【あの……そうだな、えっと……信じる事を忘れないでね】
「うん? うんわかった、ちょっと抽象的で難しいけど、肝に据えとくよ。他には?」

【他にはない】
「そう、じゃあ本当にこれで、さよなら」   





【うん、昨日はありがとう、バイバイ】





 彼女の返事を待たないで電話を切った、これでいいんだ。彼女は桔平が好きで、きっと僕を恨んでいたはずだ。でも心の成熟が僕を受け入れてくれて、こんな僕の相談まで乗ってくれた。
 それで十分だ、手紙の理解者がいてくれて今の状況を咎めないでいてくれる、それ以上は望んじゃいけない。
 だって、僕には失うものなんてないのに逃げようとしている、薄情で浅はかな僕の人生に彼女を巻き込みたくないだろう。


 何だよ、他の世界では僕はヒーローみたいなのに、ここではとんだ落ちこぼれだな。薄っぺらな人間の癖に暴かれるのを恐れてる。だからここで恩田さんという逃げ道を封鎖して良かった。


 バスに乗って駅まで出た。本屋で立ち読みしたり、ご飯も一瞬で済ませて、どこに行こうかって迷ってた。
 意味もなく東京駅まで行って、お土産物屋さん見て、こんなもん売ってるんだって知って、新幹線の行先を眺める。

 ここから日本のどこまでも行けるんだ、窓口では人が列をなしてる、並んでる人達はどんな気持ちで切符を待ってるんだろう、たくさんの駅弁を笑顔で買ってる人はどこに向かうんだろう。抱き合ってるカップルはこの後遠くに離れてしまうんだろうか。


 世話しなく横断する人を、僕はただ眺めていた。ぼうっと……不思議と退屈じゃなくて、このままずっと永遠にこの時間が続いてもいいかな……なんて……。
 新幹線がなくなって在来線の終電がなくなればここも閉まる、そしたら歩いて有楽町の方を目指そうか、そっちの方が漫画喫茶は安そうだ。

 いや、待てよ。全国でニュースが流れたんだ。都内の漫画喫茶なんて、一番に顔が割れるのではと思って日が暮れる前に東海道線に乗る。

 数分電車に揺られて赤羽付近だ、桜からメールが来た。


【お兄ちゃん今どこ】って

盲者でも音声だけで携帯は使える、そういう時代だ。携帯には画面を読み上げる機能があって、 桜達はその音声を何倍速の速さで聞き取って、画面を聴覚で視覚しメッセージを送ってくる。
 赤羽と送れば、直に【降りて】って「いやだ」と言うには説明する時間がなくて、仕方なく駅を降りた。降りれば桜から【そこに行く】と返信が来た。

 いつもなら僕が迎えに行くか来るなっていう所だが、今日は何となく桜を待ってみた。
 赤羽の駅前、駅を出て直に交番がある、大勢の人の中に紛れているのに緊張する。喫煙所で煙草を吹かして、そう言えば今日はこれが一本目だったなって気付いた。

 携帯を見れば、桜はもうそろそろ着くって、家にいたんだろうな王子から赤羽は近いんだ。喫煙所を出てロータリーを見ていたら、タクシーから大きめな鞄を持った桜が降りて来た。掛け寄って、桜は足音で僕だと察知すると笑った。

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