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生と死と8
しおりを挟む「山田 翔子さんの関係者?」
中年のスーツの男が僕を頭から足先までぐるりと見ながら言って、僕は頷く。
「はい、店の従業員です」
答えれば、隣の若いスーツの眼鏡の男が、
「私達は警察の者なんだけど、面会に来たのなら、一緒にいいかな」
もちろん、拒否する理由なんてなくて、承諾した。病室までの間に、名前や年、昨日は何時まで働いてたのかとか聞かれ正直に答える。
一緒にいた男性医師は翔子さんの主治医で、翔子さんは大きなけがもなく意識もハッキリしているそうだ。ただ一つ問題があって……と言った所で一番の奥の個室に着いた。
とりあえず入ってみて、と刑事促されて、僕を先頭に部屋に入る。
ドアをスライドさせたら、気持ちのいい風が通り抜けた、カーテンが靡いて窓を見ていた翔子さんのボブが揺れる。その見覚えのある背中に泣きそうになったけど、背中を叩かれて一人じゃないと思い出して、涙を引っ込めた。駆け寄りたい衝動を抑えて、いつも通り。
「おはようございます」
と明るく、声を掛けた。肩がビクッと反応して僕の方を見る、頬にガーゼを貼ってる、翔子さんは僕と目が合うと、にっこり昨日と同じ笑顔で笑ってくれた。
笑うのか、そうか笑えるのかこの状況で。
曇りのない笑顔……でもその違和感は直に解決した。翔子さんは僕に言ったのだ。
「あら、将一郎帰って来たの? お父さん今日は遅くなるって」
「…………」
後ろで「さっきと全然反応が違いますね」「将一郎? ああ、息子の名前?」と刑事が話してる。
先生が一歩前に出て来て、僕の耳元で言った。
「解離性健忘、山田さんは火事のショックで記憶喪失になっています。まだ詳しくは調べていませんが、およそ十年間程の記憶が空白です。今の感じだと、君を息子さん? に勘違いしているのかな」
「僕に似ていたみたいです。どうすればいいですか」
「今はこれ以上ショックを与えてもいけないので、そのままでお願いします」
「わかりました」
先生はこんな状態なので、これ以上昨日の話はできないと後ろの二人に説明して刑事はまた来ますと、病室を出て行った。
「仕事はどう? お腹空いてない?」
ベッドに近付く僕に翔子さんは笑い掛けてくる、点滴を差し替えていた看護師が小さな椅子をどうぞと引いてくれて、お礼を言って腰かけた。
「大丈夫だよお母さん、上手くいってる」
「やだ、どうしたの? いつもはもうるせえって言ってくるのに、何か失敗した?」
「……いや? ほっとけよ、うるせえな」
「はいはい、それで? お腹は空いてる?」
「空いてないし、ここにいたんじゃ飯も作れねえだろ」
「本当よ、お父さん心配症だから、ちょっと具合が悪いって言っただけなのに大袈裟よ」
話を合わせて、翔子さんを見た。昨日と変わらない、翔子さんだった。でも指先に包帯を巻いてて、僕を将一郎と呼ぶ癖にその両手には割れた卵形のガラス位牌を大事そうに握り締めていた。
翔子さんは今どんな気持ちなんだろう、一応手紙も持って来てる、翔子さんと撮った写真も携帯にたくさん入ってる。
息子からの手紙、翔子さんも見たんだろうか、でもそんなの聞けない。胸が痛すぎる、こんな悲しい事ってあるかな。翔子さんは何も悪くないのに。いや、もうわかんないけどさ、世界中、皆誰だって生まれた瞬間から悪い奴なんていないのに。なんかもう全部に落ち込む。
そしたら包帯が巻かれた指が、スッと僕の顔に伸びてきて、頬を擦った。
「そんな顔して何かあったの?」
「何もねえよ」
「じゃあ、やっぱりお腹が空いてるのね。後で退院の手続きするから、夕飯は必ず作る。そうだな……いつものナポリタンとプリンと…………うん、それでいいでしょ。大盛にするから」
「後、食後のコーヒーもね」
「ええ? あなたコーヒー飲めないでしょ」
「ああ、そうだった」
笑い合って、やっぱり、ちょっと疲れたって、僕はベッドに伏せて少し泣いた。翔子さんは僕の背中を叩きながら小さな声で歌っていた。店で流れてるジャズだ、店の記憶があるのか、昔から好きだったのか、僕は知らない。高音が掠れる所が切ない、でも綺麗。
これで良かったんだ。翔子さんの記憶から僕は消えてしまうけど、翔子さんがこの世で一人にぼっちだと気付いてしまう位なら、この方がいいのかもしれない。
そんなの、僕が悲しむ翔子さんを見たくないって勝手なエゴだ。でも彼女もまた、あまりの大きな喪失を前に心を閉ざした、これ以上自分が傷付かないように。
いつの間にか、看護師も先生もいなくなっていた。たまに入ってくる風を感じて何もない時間を過ごした。
翔子さんは自分に不都合なものは見えない、両手の包帯も、頬のガーゼも、位牌も、
そして目の前の……僕も。
余談だけれど、翔子さんの記憶はそのまま戻らなかった。何度も病院に足を運んだけれど、その内に僕を息子とも認識しなくなった。認知症だった、介護付きの老人ホームに移って、そこにも通ったけれど、僕を思い出す日は来なかった。
位牌を抱きながら昨日出勤した死んだ夫の帰りを待ち続けて、死んだ息子を語って。年老いて、言葉が分からなくなって歌わなくなって、しゃべれなくなって、食べなくなって、動かなくなって、何でもない日に、
何も言わずに一人で死んだ。
それがこの世での彼女の終わり方だった。悲しいかな? でも翔子さんは話せる最後の日まで夫と息子の自慢をしてたんだ。ほら悲しくないだろ? 可哀想とか不憫とか人の不幸で蜜吸うクズがうだうだごちゃごちゃうるせえよ。
病室を出て、一階のロビーに座っていた。大きな大学病院だ、たくさんの人が色んな理由で病院を訪れている。天井に花畑が広がっていて、壮大なホスピタルアートが描かれていた。
日本人の死因の一位は病死(癌)だ。ふと、だいたいの人が病院で死ぬとすれば、最後に見る景色は真っ白い天井なのかなと思った。
じじいもこの病院に搬送されているんだろうか、よくテレビである遺体の確認とか? まさか翔子さんがしないよな? 親戚? あまり聞かないけど親戚がするのかな、それとも僕が……。
缶コーヒーを買って飲んだ、これから池袋署に行こうかなって気持ちを落ち着かせていたら、ロビーに設置されたテレビで火事の速報が流れた。
もう犯人は捕まったはずだが、マスコミにとっては美味しい事件だ、ここぞと取り上げられている。
こないだ来店したアイドルの涙ながらのインタビュー、オタク叩き、喫煙者のマナー、住宅密集地で起こる火災の怖さ、開かずの踏切のせいで消火活動が遅れた等々、話題は豊富だ。
それぞれのコメンテーターが視聴者の気持ちを煽ったコメントして、皆もそれをじっと見てる。それくらいなら驚かなかったが、突然映像が止まって、スタジオに画面が切り替わった。
アナウンサーが慌てた様子で渡された原稿を読み上げて、刹那僕はコーヒーの缶を握り潰した。
【速報です。昨晩池袋で起きた火災現場から、連続落書き犯と思われる犯人の指紋が採取されました】
※ミステリー小説大賞に参加しています。宜しければ応援して下さると嬉しいです。
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