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とある腐女子侍女が騎士を追い詰める回
しおりを挟む今日もまた、俺の背後に気配がある。
ぴったりとくっつくような、それでいて絶妙な間を保っている。影が差す。気配が刺さる。首筋がかゆい。
だが、俺は振り返らない。振り返ったら、負けだ。ここで動揺したら、あの女の思うつぼである。
俺の名はリアム=アルバ=フェルンハイム。侯爵家の三男にして、近衛騎士団きっての俊英。そして何より、いま最も悩まされている男。
理由は――
「リアム様ぁ~♡ 本日もお疲れのところ、眼福をありがとうございますぅ♡♡」
……これだ。
この声、この艶、そしてこの無遠慮なテンション。
「おい、リリン嬢。貴女、何度言ったらわかるんです? 職務中にその……あからさまな視線を向けるのはおやめください」
俺はぐっと堪えながら、振り返った。
そこには、いつものように――
「うふ♡ 振り返ってくださっただけでご褒美ですわ……っ。拝めた……尊い……」
──リリン=システィナ=クラリチェ嬢。齢四十、未婚。子爵家の出ながら、なぜか王城で侍女として働いているという奇跡の存在である。
特徴は、乙女心をこじらせまくった瞳、常に手元にある謎の薄い本、そして俺への異常な愛情。
いや、「愛情」というのは語弊がある。あれは……執念とか執着、むしろ「狩り」と呼んだほうが正しい。
「私はね、リアム様。あなたの後ろ姿が、この世界の全てなのです。誰よりも正面より背面が映える男、なんて希少種……! ねぇ、今日もお尻が最高に騎士でした♡」
「意味が分かりません」
「騎士とは、美尻なり……!」
「それは格言じゃありません。あと、いつ俺の尻を見た。いや、訊くのも嫌だ……」
「日課ですもの♡」
「俺の職場は戦場だ、貴女の妄想の舞台じゃない」
……ふぅ。
俺はため息をひとつ。何度これを繰り返したかわからない。王城に仕えるようになって三年。初めは穏やかだった彼女のアプローチは、年々進化し、ついには職務をすり抜けて俺の後ろに立つようになった。
ちなみに侍女というのは、基本的には王妃付きや姫君付きの身の回りの世話係のはずだ。なのに、なぜこいつは俺の周囲に現れるのか。
「私、今は近衛騎士団厨房付きですの。あの、昼餉の差し入れとか……それで、リアム様のお食事運搬係に♡」
「……聞いてない。誰が任命した」
「はい、わたくし♡」
「…………ッ」
くそっ、隙がない。
自称任命制とか、王政を舐めてるだろう。
俺が再び歩き出すと、彼女はぴったり後ろからついてくる。まるで影のように、いや、ストーカーのように。
ああいや、ストーカーそのものだった。
「……おい、貴女。俺が誰かと話しているとき、ずっと記録してるって噂、本当か」
「えぇ、はい。リアム様の台詞帳♡ 名台詞コレクション。今朝の『朝は一番剣が振れる時間帯だ』は痺れましたわ……あれを枕元で囁かれたら、百年眠れる……」
「それ、昏倒してるだけじゃないか?」
「なんなら、私がリアム様の剣になりたい……」
「…………意味が怖い」
やべぇ。真顔で言ってる。こいつ、悪びれもせず……というよりむしろ嬉々として俺を記録し、観察し、そして思考を拗らせている。
しかも、彼女は美人だ。世間一般的には。
深い藍色の髪を後ろで束ね、瞳は知性を帯びた琥珀色。立ち居振る舞いは貴族そのもので、年齢を重ねた色香が滲んでいる。
だが――
「私ね、リアム様となら二人で修羅場も乗り越えられる気がしますの。私の推しCPが現実になってしまったらどうしましょう……! 自爆しちゃう!」
……すべて台無しだ。
なぜだ、なぜこんな女性が俺に執着する。しかもよりによって、腐っている。
この国には「腐女子法」とか存在しないのか。精神的な距離感を守る憲章とか、制定されてほしい。
しかも、こいつ。俺が誰か他の女と話しているときは――
「……今日、例の騎士見習いの子と話していらっしゃいましたわね」
きた。
その瞳、ハイライトが消えてる。冷たい。微笑んでいるのに、目が笑ってない。
やばい。
「ち、違う。あれは剣の持ち方を教え――」
「剣を、ですか」
「お、おい、やめろ。その手に持っているのは何だ……フライパンか? いや、なぜ騎士詰所に?」
「厨房付きですので♡」
「ぎゃああああっっっっっ!!!!」
俺は本能で逃げた。跳ねるように廊下を走り抜け、庭を突っ切り、厩舎に飛び込む。
リリンから逃げるためなら、俺は馬にもなる所存である。
***
その夜。
珍しくリリンの姿がなかった。
食堂にいても、風呂に行っても、訓練場にもいない。なんなら俺の部屋の前にも気配がない。ドアの下からなにか覗くものもない。逆に怖い。
……まさか、怒らせたか? 本気で?
心なしか、胸がざわついた。あの手の人間は、一度思い込んだら止まらない。もしかして、王城を爆破しようとしているのでは。
……いや、あいつはそこまでしない。多分。
翌日。俺は恐る恐る厨房に向かった。
いない。侍女たちの間でも「リリン様、昨夜から姿が見えませんの……」という話が持ちきりだった。
心配になった俺は、ついに彼女の部屋をノックすることにした。
「……リリン嬢?」
返事がない。俺は扉を開けた。
……中にいた。
枕を抱えたまま、床に突っ伏している。周囲には山のような薄い本、俺の似顔絵、そして「リアム様×俺」などと書かれた謎のノート。
嗚呼、地獄だった。
だが、そんな部屋で寝ていた彼女が、ふと目を開け、俺を見て……そして笑った。
「……来て、くれたのですね……」
「いや、まぁ、なんか気配がなかったから……」
「ごめんなさい……昨日、リアム様の背中を見て、自分がどれだけ幸せだったか気付いたの。……だから、少し距離を取ったほうがいいと思ったのです」
「……は?」
「でも、無理でした。……恋って、どうにもならないですね」
その瞬間、ほんの一瞬だけ、俺の胸がちくりとした。
なんだこれ。今までの狂気的な言動はどこいった。まるで別人じゃないか。
……あぁ、やばい。
ちょっとだけ、かわいいと思ってしまった自分がいた。
***
そして、翌朝。
「リアム様っ♡ 元気そうでなによりですわ♡ やっぱりお尻が尊い! 今日の下半身も騎士そのもの♡」
「返してくれ、昨日の感動……」
「え? 昨日? あぁ、乙女的葛藤ルートですか? あれ、最高に捗りましたの♡ 続きは夢の中で……ふふふ……」
「やっぱり貴女は俺の天敵だ!!!」
俺の苦悩の日々は、まだまだ続く――。
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