薔薇色の毒

もちもち

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4話 白き手、紅き爪

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王子ルイセルの夜は、決して安らぎに満ちたものではなかった。

 深夜。静まり返った私室で、王子はひとり、冷水で顔を洗っていた。

 ――熱い。
 頬も、唇も、首筋も、彼自身までも。
 ミゼの指が辿った場所は、記憶に焼き付き、まるで火傷のように疼く。

(……どこまで耐えられる?)

 ふと鏡に映る己の目が、揺れていた。
 蒼く澄んだ瞳――その奥で、本能という名の“獣”が目覚めかけている。

 そこへ、控えめに扉が叩かれた。

「ルイ殿下、失礼いたします。お湯の替えを……」

 声は若く、緊張を孕んでいた。

 ――リリア・ヒルトン。
 年若き侍女にして、名門ヒルトン家の子爵令嬢。宮中で“行儀見習い”として仕えて半年。
 何より、王子がわずかに心を許す、数少ない存在だった。

「……入れ」

 リリアは身を屈め、湯の入った銀盆を持って入ってきた。
 亜麻色の髪を結い上げ、濃紺の侍女服に身を包む彼女の姿には、媚びも飾りもない。

 だが、その清廉さが、王子の熱に痛みを与える。

「……どうかされましたか?」

「……顔色が悪いか?」

「いえ……でも、目が……いつもより、深く揺れておられる気がして……」

 リリアの手が、王子の濡れた髪をそっと拭う。
 その布巾越しに伝わるぬくもりが、なぜか恐ろしいほど優しい。

「……殿下。もし、なにかお苦しみがあるなら、私に……」

「おまえには関係ないことだ」

 そう言いながら、王子は思わず彼女の手を掴んだ。
 繊細な手首。その鼓動。香の匂いではなく、若草のような清らかな匂い。

「……っ、すまん」

 王子は手を離し、唇をかみしめる。

 リリアは何も言わず、ただ静かに頭を下げた。

「……殿下を苦しめているのは、ミゼ・アガナ侯爵夫人……ですね?」

 王子の眉が動いた。
 どうしてその名を――?

「……私、聞いてしまったのです。召使いたちの噂。……あの夫人が、殿下に“何か”をしたと」

 リリアの声音は震えていた。怒りなのか、恐れなのか。

「……許せません。どんなに地位があろうと、貴方様を弄ぶような真似……」

「……俺は、大丈夫だ。おまえに心配はさせん」

「違います……“大丈夫じゃない”から、こうして夜更けに立っておられるのです」

 王子は、その言葉に思わず目を伏せた。
 心を見透かされた気がした。

 リリアは、小さく息を吸った。
 そして、恐る恐る、王子の内腿辺りに視線を落とす。

「……“触れられた”のですね。あの女に」

 王子は息を詰めた。

「そこに、傷があるなら――私が、洗い流してさしあげたかった」

 次の瞬間、リリアはゆっくりと、王子の膝元に跪いた。

「……リリア、何を――」

「清めの儀式です。わが家には、戦場帰りの父上を癒やすため、そっと手を当てて冷水を流す風習があります。……貴方様が苦しんでおられるなら、私が、それを」

 王子の手が動いた。

 彼女の肩に触れ、制止しようとする。

 だが――

 リリアの手が、王子の裾へとゆっくりと伸び、布の上から中心近くにそっと触れた。

 その手は、やわらかく、慎ましく。
 まるで謝罪するように。

「……熱い。こんなに……」

「やめろ……リリア……おまえは……」

「嫌ではありません。私……殿下を、穢したくないのです。だから、手だけで、心だけで……癒やしたい」

 その言葉に、王子の胸が軋んだ。

 毒のような快楽を仕掛けたミゼの指とは違い、リリアの指は、水のように冷たく、優しく、王子の太腿をなでた。

 くちびるを噛みしめる王子の頬に、一滴の涙が伝った。

 どちらの涙かは、わからない。



 そして――その様子を、静かに扉の陰から見ていた影があった。

 ミゼ・アガナ。

 紅い爪を口元に当て、くすりと笑う。

「ふふ……可愛らしい侍女ね。だが、王子の本性を見たとき、彼女は何を思うのかしら」

 今宵もまた、毒の滴が、静かに王宮に落ちた。
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