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攻略対象・幼馴染編(ファンディスク特別編)

【『紅葉』・手塚実】その隠された首の噛み痕は

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 都内で開かれる星川リゾート系列の定例会議。

 俺・手塚てづかみのるは長野の老舗旅館『紅葉』の参加者のひとりとして『インペリアル・スター・ホテル』に出張中だ。

 ここにやってくるまでの間に起きた一連の出来事により、急ぎ葛城と会う約束を取り付けたのは今日のこと。
 待ち合わせ場所は、ホテルのラウンジ。


 紺のスーツに身を包んだ葛城が、少し遅れてやって来た。
 薄い空色のシャツ、ネクタイはオフホワイトと淡い金を基調とした細かな格子模様。
 葛城のスーツ姿は、男の俺が見ても惚れ惚れするほどだ。


「すまない。遅れた」


 謝罪をしながら席に着き、注文を取りに来たウェイターにエスプレッソをオーダーする。

 こいつが席に着いてから、周囲の視線が刺さって痛い。
 正直言って、落ち着かない。

 葛城が席に座る時に起きた微かな風が、清潔感あふれる香りを届けた。


「お前が約束の時間に遅れるなんて珍しいな。どうかしたのか?」


 気のせいか、少し髪が濡れている?
 シャワーでも浴びていたのだろうか。


「いや……色々あってな」


 言葉を濁しているが、そういえばアルサラーム国の王族との謁見がどうのと、佐藤マネージャーと『天球』支配人である俺の父・手塚ゆずるが移動中に会話していたことを思い出す。


 早々に珈琲がテーブルに配膳され、葛城が従業員に礼を伝える。
 その時の首の角度で、たまたま見えた首筋の白い布が気になった。


 布?
 いや、白いガーゼだ。


 それはシャツの内側に、隠されるように貼られていた。


 怪我でもしたのだろうか?
 心配になって訊ねてみる。


「その首は、どうしたんだ?」


 俺の問いに対してハッと息を呑んだ葛城は、咄嗟に左の首筋に手を当てた。


「まさか、女がらみか? 相変わらずモテるな、お前は。でも、女遊びも程々にしないと、そのうち痛い目を見るぞ」


 挨拶代わりに揶揄からかってみたが、何故か否定の言葉が返ってこない。


 しかも、珍しく動揺している。


 本当に女との情事の後だったのかと、俺も慌てる。

 この手の話題は挨拶代わりなら軽く流せるが、事実であるとしたら踏み込むのは得策ではない。


「葛城……いや、すまない。冗談のつもりだったが……図星か? それで少し髪が濡れているってわけか。
 あのさ、プライベートは自由だとは思うけどな。大丈夫なのか? お前真珠さんと……」


 皆まで言い終わらぬうちに、葛城が俺の言葉に重ねてすぐさま否やを唱える。



「違う。そんな相手はいない。これは……真珠にやられた」



 血相を変える様子が珍しく、俺は呆気にとられた。

「はぁ? そんなところ……何されたんだよ?」


 葛城が口にした内容に頭が追いつかず、質問を返したのは条件反射だった。


 葛城は躊躇ためらうように視線を逸らした後、観念したのか静かに口を開く。


「噛まれた。思い切り。首を」


「はぁ!? お前たち、何でそんなことになっているんだよ」


 『紅葉』の夜を思い出す。

 葛城と真珠さんを見ていると、何故か背徳的な雰囲気を感じた、あの一日。


 同僚の安西千夏が気づいた、真珠さんの首にあった『痕』の件がよみがえり、俺はガタッと椅子から立ち上がった。


「お前、まさか……」


 真珠さんの顔が、突然脳裏に描かれる。


 あでやかで妖しげな、大人の女の瞳で笑う子供。

 幼い筈なのに、どこか煽情的せんじょうてきな仕草で、俺の心さえも惑わせた小悪魔のような少女。


「手塚? 何を誤解しているのか分からないが、寝惚けて突然噛みついてきたのはあいつだ。早く座れ。周りからの視線が痛い。針のむしろを経験するのは、一日に一度で充分だ。勘弁してくれ」


 訳の分からない呟きと共に、葛城が溜め息をつく。


 寝惚けて、噛みつく?

 一緒に眠っていたということなのか!?


「どういうことなんだ? あの子は、まだ子供だろう? 確かに子供に見えなくて、俺もちょっと心を奪われかけて、恐ろしい思いをしたが……」


 俺の言葉に、今度は葛城が眉間に皺を寄せる。


「手塚、ちょっと待て。それはどういう……いや……、真珠……あいつは本当に、誰彼かまわず節操なしめ……まったく……目が離せない」

 そう言って、葛城は再度深い溜め息をついた。


「葛城、言っておくが、俺は踏みとどまったぞ。恐ろしい思いをしただけで、お前のように囚われてはいない。そこは勘違いするなよ」


 だが、子供相手に、何故そんな妄想が生まれてしまうのだろう。

 ただ単に、昼寝をさせるために添い寝をしていただけかもしれないのに。

 ――彼女のあの目が、この心に正常な判断を許してくれないのだ。


「で? 真珠絡みで、何か聞きたいことがあって呼び出したんだろう? それとも『紅葉』で何かあったのか?」


 葛城はそれだけ言うと、目の前の珈琲に手を伸ばした。









【後書き】
続きは、12:30更新
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