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攻略対象・幼馴染編(ファンディスク特別編)

【真珠】『兄』と 青天の霹靂

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 わたしは兄と話をするべく、固まっている彼の表情を見上げた。誤解されているのならば、解かなくてはならない。

 それは、兄にあんなことを言われるとは、思いも寄らなかった――三分前のこと。



          …



「お兄さま……」

 わたしは兄に、おそるおそる声をかけた。
 声に覇気がないのは、気まずさから。

 わたしが翔平に愚痴ったのは、謂わば兄に対する悪口。

 いや、わたしではあるのだが、正確にはわたし自身が言ったのではなくて――でも、わたしが語った覚えがある、という非常にややこしい状況及び心境だ。
 自分でも、複雑すぎて訳が分からなくなる。

 その記憶のあるわたしが、誠心誠意兄に対して謝らねばならない。

 けれど兄からは何の返答もない。

「お兄……さま?」

 勇気を振り絞り、再度わたしが呼びかけると、我に返った兄がその口元を右手で覆った。
 相当なショックを受けての動きなのかもしれない。


 一息で、謝罪の言葉を口にのせようとしたところ――

「ごめん……ごめんね――真珠」

 わたしは兄から突如抱きしめられ、謝罪を受けることとなった。


 理解に苦しみ、どうしてよいのか判断がつかない。
 わたしは、とりあえず兄の背中に腕をまわすことにした。

 何故、わたしはこんなにも謝られているのだろう。
 謝罪すべきは、わたしの方だというのに。


「寂しかったよね――僕がいない間、君はいつも一人でいたんだもの。僕は自分のことだけで手一杯で、君の心まで気づいてあげられなかった。本当は、兄である僕が、君の心を守ってあげなくちゃいけなかったのに――」


 わたしの身体を腕の中から解放した彼は、「苦しかったかな? ごめんね」と恥ずかしそうに告げると、目線を合わせるように膝を折った。


「君がひとりでいる時間、いったい何をしていていたんだろう――そう疑問に思ったのは、まだつい最近のことなんだ。だけど――翔平さんが、君のことを見守っていたことを、今日初めて知ることができて……良かった」


 兄は俯くと、少しだけ悔しそうな表情を見せる。


「翔平さんは、君を大切に扱ってくれていたんだね。それに……僕のことも、気にかけてくれた」


 翔平が、兄に対して「心配だぜ」と言った、笑顔の件のことを言っているのだろうか。
 兄はそれに対して、何か思うところがあったのだろう。


「正直に言うとね、まるで本物の兄妹のように君と仲良くする翔平さんを見て、僕は『実の兄』として嫉妬をしていたんだ。君の寂しい気持ちを、家族のかわりに取り除いてくれた恩人に、ヤキモチを焼いてしまうなんて、僕は本当に……兄失格だ」


 兄失格――そう呟いた彼の声には、色々な感情が宿っているような気がした。

 何故、そう思ったのかは分からない。
 けれど、兄も悩んだり、苦しんだりしたのかもしれない。

 ――その理由は、分からないけれど。


 わたしは首を横に振り、兄を見つめた。

 ――失格なんかじゃない。

 正しい道に導こうと苦言を呈することは、なかなかできるものではない。

 面倒な衝突を避け、甘言を弄することは簡単だ――でも、道を正すことには労力がいる。

 いとわれるのを覚悟して告げる言葉には、発する側の深い想いが込められている。
 けれど、受け取める側にそれを理解する心の力量がなければ、煙たがられるだけ。
 関係に亀裂が入ってしまう可能性だってある。それは家族であれば尚更に。


 兄はそれでも、『真珠』を導こうと努力してくれたのだ。
 『真珠』には幼すぎて気づけなかった彼の想いも、今のわたしには受け止めることができる。


 わたしは兄の手を握り、微笑んだ。
 妹への深い愛情が伝わり、とても嬉しかった。


 そんな兄を持てたことを、わたしは誇りに思う。


「お兄さまは、今までも……これからも――わたしの、自慢のお兄さまです」


 わたしの言葉に、兄の動きが止まった。
 その様子を不思議に思いながらも、疑問は抱かずに言葉をつづける。


「少し前のわたしには分からなかったけれど、今なら理解できます――お兄さまが忙しくてわたしと遊べなかった理由も、わたしの言動を注意してくれた意味も」

 真珠が嫌がった忠告のたぐいは、妹の将来を心配した兄の、誠実な思い遣りから生じたものだ。

 兄は、ただ静かにわたしの話に耳を傾けている。


「お兄さまから、こんなにも大切に想われていたのに、そのことに気づけず、翔平に愚痴をこぼしていたわたしが……恥ずかしい」


 それが今の正直な気持ちだ。

 兄がわたしの頭を撫で、この双眸を覗き込む。


「僕は……ずっと、君にとって『本当の兄』でいられた? こんな僕でも、これからも『自慢の兄』だと……そう思ってくれる?」


 不安そうな表情をする彼に向かって、わたしは満面の笑みを向ける。


「勿論です! それに、お兄さまが、兄失格というなら――わたしは、妹失格です」

 本当に、妹失格だと思う。
 自宅外で、こんなに素晴らしい兄への不平不満を口にするなんて、恥知らずもいいところだ。


「君は本当に――変わったね。成長したと言うのかな……いや、まるで本当に別の人間が入り込んだみたいだ。……」


 心底ホッとした様子を見せた兄。

 その態度と、彼が口にのせた言葉に、わたしの動きが完全に止まった。


 わたしが硬化したことに気づいた兄が、優しく――いたわるように微笑む。



「僕も、貴志さんと同じように、君を守る人間でありたいんだ」



 そう言って繋いでいた掌を離した兄は、わたしの両肩にその手を置く。



「何度考えても、何かがおかしいんだ。君の変わりようと、あの演奏技術――僕は、頭がおかしくなってしまったのかもしれないと、それこそ何度も思った。そんなこと、現実ではありえないと……そう、幾度となく結論が出ているのに……否定しても、否定しても――でも、もしかして……、と疑問が生まれるんだ」



 兄はわたしの頬を撫で、この瞳を見つめた。


「起点は、いつも……あの日の――あの舞台の演奏」


 兄は、『伊佐子』が『真珠』の中で目覚めた瞬間――『無題ーfor Isakoー』を弾いたコンクールのことを言っている?


 いや、これは予想ではない――確信だ。
 彼は、間違いなく、あの時のことを言っている。

 
 動揺を極力悟らせないよう努力はするけれど、身体の震えは気づかれている。

 心臓が早鐘を打ち、口内が乾き、痺れたような感覚が舌を襲った。


 言葉が、何も出てこない。


 兄は――月ヶ瀬穂高は、わたしの身体を抱き寄せ、その腕の力を強くした。

 まるで慈愛に包まれるかのような錯覚をおぼえ、その優しさに戸惑う。


 彼は、わたしの耳元で囁いた。


「貴志さんのように、僕が……君に認められた時――その時は、本当の意味で君を守りたい。とても、大切なんだ――誰よりも、一番近くで理解したい……君は僕の、大切な『妹』だから……」



 わたしは黙って、彼の次の言葉を待った。

 「何を言っているの」と笑い飛ばし、冗談として扱うことも、もしかしたらできたのかもしれない。

 けれど、わたしの本能が告げる――否定をしても無駄だ――と。


 あまりに突然のことすぎて、わたしは、ただ呼吸をするだけの人形と化していたような気がする。

 どう反応するのが正解なのか、まったく分からない。


 けれど――兄は、何かに気づいている。



 先ほど、翔平との話に絶妙なタイミングで割り込んできたのは、偶然ではなく――これ以上の追及を、彼にさせないため。


 兄はわたしの窮地を救い出してくれたのだと、今になってやっと理解できた。



「穂高兄さま……」


 わたしは震える声で、彼を呼ぶ。



「警戒しないで、僕は誰よりも君の味方のつもりだよ。いつか……君が僕を認めてくれた時でいい。僕を本当の意味で、君の『兄』と認めてほしいんだ。真珠……いや……『伊佐子』さん?」



 青天の霹靂とは、このことを言うのかもしれない。








【後書き】

 今回は、過去話の119話【真珠+穂高】幸せの形 での穂高の疑問の答えが出ました。

 真珠大好きな兄・穂高が、点と点を結んで、自ら答えにたどり着こうとしているのでしょうか?
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