運命の人

まる。

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第3章 噛み合わない歯車

第3話~疑惑~

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 いつもの様に薄暗い彼の部屋で、彼の仕事が終わるまで映画を見て過ごしていた。
 彼と関係を持ってからというもの以前と違うことと言えば、隣の部屋のリビングで過ごす事が無くなったと言う事。そうした方が彼は仕事をしながらでも叶子と過ごせるという理由ではあるが、きっとそれだけではないのであろうという事は流石の叶子でも十分わかっていた。

「――」

 とっくに映画は終わっていることにも気付かず、ソファーに座りじっと画面を見つめている。この間、絵里香が言っていた事が、叶子の頭の中をずっと支配していた。


 ◇◆◇

「……え?」

 絵里香は話辛そうに俯きながら、カクテルピンに刺さっているオリーブをグラスの中でコロコロと転がしている。絵里香が突然発した言葉に、ざわついていた店内の喧騒は叶子の耳には届かず、一気に静寂に変わっていくのが感じられた。

「絵里香?」

 再度呼びかけると、諦めた様に大きく息を吸って叶子を真っ直ぐ見つめる。何を言われるのかとゴクリと息を呑んだ叶子に、絵里香は少しずつ話始めた。

「あの人に泣かされたを沢山知ってるの。だからカナにはそんな思いさせたくない。――ただそれだけよ」
「ちょっ、ちょっと絵里香、なんなのそれ? ちゃんと話してよ」

(絵里香が彼に泣かされたを沢山知っている?)

 先程まで浮かれていたのが嘘の様に、一気に絶望に苛まれた。心臓を急に鷲掴みにされたかの様に、ほんの少しの吐き気さえ覚える。絵里香の口が少し開く度に呼吸が苦しくなり、これはきっと何かの間違いだと叶子は祈る思いだった。
 絵里香はオリーブをグラスの外に出すと一気にそのカクテルを飲み干した。その様がこれから聞かされる内容を暗示するかのようで、一際大きな緊張感が張り巡らされた。

「実はね」

 渋々といった感じで聞かされた話は、彼女にとってとても信じられないものだった。
 絵里香が言うには、ジャックは誰が見ても一際目を引く存在で、それは先ほど彼が店内に入って来た時にも証明されている。絵里香の働く店でも同じ様な現象が起こっていたそうだ。更に、ジャックはいつもブロンドの髪の綺麗な女性と二人で来ていたらしいのだが、どう見ても親密そうな二人の様子を見ても尚、店のスタッフはジャックに夢中になる子が後を絶たなかった。
 その内、女性を連れて来ているにも拘らず、相手が席を外した時を見計らっては言葉巧みに店の女の子達を誘い、飽きたらあっさりと捨てる。そんな噂が流れ始めたと同時にいつの間にかその事がオーナーの耳に入り、ジャックが来店するとホールの女の子は全て奥へ引っ込めさせられていたのだと言った。

「何それ? う、噂なんでしょ?」
「そう思いたいカナの気持ちはわかるけど。私、何人も捨てられた子を見てきてるのよ。かわいそうに、精神的に参っちゃってる子もいたわ」
「……」
「大体さ、私なんて裏方だから顔なんて覚えてる方がおかしいと思わない? 根っからの女好きなんだ……よ。――カナ?」
「え?」

 俯きながら絵里香の話を聞いていた叶子が顔を上げると、絵里香が罰の悪そうな表情を浮かべた。

「やだ、カナ。泣いてるの?」

 絵里香にそう言われて小刻みに震える指で頬に触れてみると、自分では気付かぬうちに涙で頬が濡れていた事を知る。

「あ、あれ? なんでだろう……。悲しいわけじゃないのにな」

 拭っても拭っても頬を伝う涙に、叶子は動揺を隠せずにいた。


 ◇◆◇

「どうしたの?」

 ソファーが沈んだのを感じ、ドキッと心臓が跳ねる。ジャックはテーブルの上のリモコンに手を伸ばすとそのままテレビを消し、バーボンウィスキーが注がれているロックグラスをテーブルに置いた。

「考え事? 何も映ってない画面ずっと見てたね」
「……あ、ううん。仕事、終わった?」
「うん、やっと解放されたよ」

 両腕を思いっきり上に伸ばす。一気に脱力するとそのまま叶子の肩を抱いた。それに合わせるようにして、ジャックの肩に頭を預ける叶子。その仕草を見たジャックの顔から、自然と笑みが零れた。

「随分時間がかかったなぁ」
「今日はいつもより早く終わった方じゃない?」
「そうじゃなくて」

 もう一方の手で叶子の髪を耳にかき上げると、そのまま顔の輪郭にそって耳から下あごを指でゆっくりとなぞる。

「僕が肩を抱いたら君が自然と寄り添ってくれるようになるのが、って事」
「……」

 言葉を失っている叶子の顎を掬うと、そっとやさしい口づけが降って来た。
 軽く食む様にして重なった唇。唇が触れ合ったままの状態でお互いに薄っすらと目を開いた。

「今日……泊まってく?」

 鼻先が触れ合う距離で言われ、ジャックの吐息が唇を掠める。胸の鼓動が早くなるのを感じていると叶子の返事を待たずして、ジャックは彼女のシャツのボタンに手を掛け始めた。

「……っ、あの! 明日、朝早くから大事な会議があるの。だから、も、もう帰らなきゃ」

 ジャックの腕の中から逃れる様に慌てて立ち上がると、視線を合わせる事も出来ずに背中を向けたまま帰り支度を始めた。

「……こないだも同じ事言ってたよ?」
「――っ、し、しょっちゅう朝一からあるの、皆嫌がってるってボスに一回言ってやらなきゃ」

 自然に振舞おうと思えば思うほど、声が上擦っているのが自分でもわかる。それに気付いてしまうと余計にぎこちなくなり、更に不自然さが際立った。
 普通に、いつも通りにしなきゃと思えば思う程、彼の目を見る事さえままならなくなっていた。

「本当に会議なんてあるの?」

 叶子の努力もむなしく、あっけなく嘘が見抜かれてしまう。

「ほ、本当よ。なんで嘘なんか」
「――じゃあ明日、君のボスに電話するよ?」

 まるで親が子供の嘘を暴こうとしているようなその台詞に叶子は耳を疑った。背を向けていた身体を彼の方へと向き直ると鋭い視線を向けた。

「酷い、それって私を信用してないってこと?」

 ソファーに座り、少し疲れた様子のジャックは太腿の上に置いた自分の掌をギュッと握りしめた。

「酷いのは君の方だよ!!」
「きゃっ!」

 テーブルをバンッと叩きながらジャックは急に大きな声を出した。その衝撃でロックグラスは横転し、茶色の液体が絨毯に染みを作る。急に怒鳴られた事によって驚いた叶子はビクッと肩を竦め小さな悲鳴を上げた。
 いつも穏やかなジャックの表情はみるみる豹変し、今まで見た事の無い彼の姿が顔を出した。以前、何事に関しても自分について来れる奴だけついて来ればいいというタイプだと、グレースが話していたのを思い出す。本当の彼は俺様気質なのだと言わんばかりのその話に信じられない気持ちでいたが、今、目の前の彼を見ているとグレースが言った事はこういう事だったのかもと思い知った。

「何故僕を避けるの? 僕が何をしたの? 全くわからないよ!」
「さ、避けてなんか」
「っ!! 僕が君の少しの変化も見抜けないような、そんな鈍感な男だと思ってるのかい!?」

 何か言葉を発する度に、ジャックの声量も大きくなる。叶子の返す言葉が全く腑に落ちないのか、どんどん怒りが増していく様子だった。
 いつもの優しいジャックはいつの間にか姿を消している。部屋の隅に追い詰められ、身体を小刻みに震わせている様はさしずめ蛇に睨まれた小さな鼠の様だ。そんな恐怖に戦く叶子の事など気にもとめず、目の前の彼は怒りに身を任せ、更に彼女を追い詰めていった。



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