運命の人

まる。

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第3章 噛み合わない歯車

第22話~動き出す二人の運命~

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「おはようジュディス。今日も綺麗だね」
「お、おはようございます。……ありがとうございます」

 普段通りの朝の挨拶をするジャックは、いつにも増してご機嫌だという事が一目でわかる。『今日も綺麗だね』と言う言葉に深い意味はなく、やはり社交辞令だったのだとジュディスはこの間の一件で気付かされた。異性の中で自分が一番近しい存在なのだと思っていたが、それは自惚れだったと知り小さく肩で息を吐いた。


 ◇◆◇

 昨晩の事、そして今朝の事を思い出すとジャックの顔に自然と笑みが零れる。お互いを深く信じる事で二人の揺るぎない気持ちに確信を持ち、ジャックは叶子を想う気持ちが一層深まった。
 もう大丈夫、もう二人が引き離される事などもうないのだと、心からそう感じていた。

 余韻に浸っている暇もなく、デスクの電話がけたたましく鳴り響く。我に返ったジャックは頬を両手でパチンと叩いて気を引き締めなおした。

「はい」
「会長からお電話です」
「父さんから? ありがとう」
(珍しいな、どうしたんだろう?)

 普段、父とは久しぶりに会ったとしても会話は殆ど無く、正直何を考えている人か息子の自分でさえも良くわからない。仕事の用があったとしても全て秘書からしか連絡を寄越さなかったと言うのに。
 そんな寡黙な父がわざわざ息子の出社するであろう時間を見計らって電話を掛けてくるなんて一体何事だろう。もしや、母になにかあったのだろうか。
 電話が切り替わるまでの間、何となく嫌な予感が頭を過ぎった。

「もしもし? あ、うん。……、――え?」


 ◇◆◇

 ジャックと時を同じくして、叶子もまた驚きの表情を浮かべていた。

「えっ? ほ、本当ですか?」

 目の前に座っているボスは、心底嬉しそうな顔で腕を組みながらうんうんと何度も頷いた。
 朝早くから打ち合わせ室に呼ばれた叶子は、また何か変な噂がでているのかと不安な表情を浮かべていたが、そんな予想をいい意味で裏切られ驚きのあまり顔が固まった。

「こないだのJJエンタの君の功績が称えられたんだよ。来月からマネージャーとして皆を引っ張って行ってくれよー?」
「は、はい! 頑張ります!」

 ボスより先に打ち合わせ室から出ると、軽く握っていた手が勝手にガッツポーズを作る。まだボスが言った言葉がにわかに信じられず、ボーっとした表情のまま自分の席に腰を落ち着かせた。

 周囲を見渡すといつものオフィスの光景。これが夢ではなく、現実のものなのだと感じると徐々に顔が緩みだした。




 ランチタイムになり、携帯電話を手に取ると急いで外に飛び出した。春の風を頬に感じながら電話を掛ける彼女の顔はほころんでいて、この喜びをジャックと早く分かち合いたい気持ちで一杯だった。

(彼に言ったらなんて言うだろう? 一緒に喜んでくれるかな?)

 一人で妄想を膨らませていると、居ても立ってもいられなかった。

「あ! もしもし? 今大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。珍しいね君から電話なんて。どうかした?」
「ちょっと話があって、今日も会える?」
「――うん、僕も丁度話があるんだ」
「良かった! じゃあ後で」

 この時の叶子は自分のことで頭が一杯になっていて、ジャックも話があると言った事を特に気に留めていなかった。


 ◇◆◇

 待ち合わせの場所に着くとジャックはいつも先にそこにいて、叶子が現れるのを待ち詫びている。側道に止めた車にもたれ片手をポケットに突っ込みながら、手持ち無沙汰そうに自分の爪を見ていた。

「……」

 何気に顔を持ち上げると、大勢の人込みの中に紛れ込んだ叶子を見つける。途端にジャックの顔から笑みが零れ、車に寄りかかっていた身体を急いで起こした。
 叶子はいつもその瞬間の彼にときめいてしまう。明日も明後日も……きっと何年経ってもその気持ちは変わる事が無いとさえ思っていた。

 まだ少し足を庇うようにして歩く叶子を見て、心配そうな面持ちで人の流れに逆らいながらジャックが近づいてくる。叶子の手を捕まえると、やさしく肩を抱き寄せた。

「まだ痛む?」
「少しね」

 心配そうに眉根を寄せる彼を見ると、いつもの笑顔が見たくなる。

「だ、大丈夫よ! ほらっ! ……いっ!」

 怪我をした方の足だけで無理に立ってみせた叶子はバランスを崩し、前のめりになった所をジャックに抱きかかえられた。

「もう、そんな見栄張らなくていいのに」

 苦笑いを浮かべると、ここに掴まってと言わんばかりにジャックが腕を差し出した。

「ねぇ」
「ん?」

 叶子の顔を覗き込むようにして、ジャックが微笑んだ。

「大好き」
「……」

 叶子からの突然のその言葉に、ジャックは驚きの余り言葉を失っている。やがて、丸くしていた目がだんだんと細められるのにつれ、口角がじんわりと上がった。

「僕の方がもっと好きだよ」

 嬉しそうな顔で微笑むジャックを見ると、叶子の胸がトクンと音を立てた。

 ジャックはいつも大きな愛でやさしく包んでくれる。彼がいれば怖いものはもう何もないのだと、叶子は心からそう感じた。


 

「そう言えば話って?」

 食前酒が運ばれてきた時にジャックが先に口火を切った。シェリーグラスに伸ばしかけていた手を引っ込めると、両手を膝に置き突然かしこまる。

「実はね」

 少し照れるようにして叶子が話し始める。すると、ジャックの表情が一瞬固まり、次第に彼の顔から笑顔が消えた。

(あれ? 何か変な事言ったかな?)

 少し不安になったものの、すぐにその不安は掻き消される。

「す、凄いじゃない! おめでとう!」

 みるみるジャックの顔に笑顔が戻った事で、ほっと胸を撫で下ろした。

「ありがとう。貴方のお陰よ」
「違うよ、君の実力さ。そうかー、じゃあお祝いしなきゃね。っと、とりあえずシャンパンで乾杯しよう!」

 そう言うとジャックは右手を挙げて、ウェイターにドン・ペリニョンをオーダーすると視線を叶子に戻した。

「あ、あと、今日は君の好きなの思う存分食べていいよ」
「いつもそうしてるけど?」
「ああ、そうか。あっそうだ、何かプレゼントするよ」
「いらない」
「どうして? 何でもいいから言ってごらん?」

 それでも叶子は頭を左右に振った。

「貴方が居てくれるだけで十分」
「――カ、ナ」

 ストレートに気持ちを伝えて来る叶子のその言葉に、彼の表情がまた曇り始める。テーブルに肘をつくと両手で口元をすっぽり覆いながら睫毛を伏せた。

「どうしたの?」

 叶子の問いかけにゆっくりと開かれたジャックの目は赤く充血している。涙が零れ落ちそうになるのを必死で我慢しているのが良くわかった。

「いや、嬉しくて」
「もう……。貴方がそんな顔したら私もうつっちゃうよ」

 声を震わせながら二人は笑った。

「――」

 幸せすぎて感極まった叶子とは対照的に、ジャックの中では違う感情の波が押し寄せていた。




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