116 / 163
第5章 触手
第16話~すれ違う想い~
しおりを挟む
背筋をピンと伸ばし、ソファーに浅く腰掛けながら温かいミルクが入ったマグを両手で握り締める。彼の様子がやはり変だと気付いたものの、かといってどうすることも出来やしない。今はとりあえず落ち着いて考えようと、まだ十分熱を持っているミルクをふー、ふー、と口を尖らせながら冷ましていた。
彼の為にスペースを空けたソファーを素通りし、ジャックは自分のデスクへと向かう。何やらゴソゴソとしているなと思ったその時、最悪な結末が訪れた。
「あの、僕もう行かなきゃ」
「え?」
デスクの上に叶子が先ほど置いたチケットを手にすると、大きなトランクを引きずり出した。
「ち、ちょっと待って! 私も一緒に!……」
慌ててミルクをテーブルに置いて立ち上がるも、彼は既に部屋の扉を開けていた。
「君はゆっくりしてていいよ。後、三十分したらビルに車回してもらうように頼んでおくから、それに乗って。じゃ」
顔だけは叶子の方に向いていたが、おそらく彼の視界に彼女は入っていない。ジャックは不自然な笑顔を見せると、さっさと扉をパタンと閉めた。
「あっ、の……! ――」
――これは、夢?
あまりにもあっけないサヨナラに何の感情も込みあがるものもなく、ただ呆然とその場に立ち尽くした。
「……う、そ」
そのうちに膝の力が抜け、ペタンと床に座り込んでしまう。急に全身を妙な震えが襲い、小刻みに震える自分の手のひらをじっと見つめた。
「嫌われちゃった、の? 私、そんなに酷いこと言った?」
手だけではなく体全身から来る震えを止めようと、両腕を抱きしめるようにして睫毛を伏せた。
◇◆◇
ゴロゴロとタイヤの転がるこもった音が響き渡り、ずんずんと長い廊下をジャックは早足で進んでいく。それはまるで、何かから逃れようとしているかのような勢いだった。
「……無理だろ」
一言呟いて、ぎゅっと目を瞑る。
「耐えられる訳が無い」
目をバチッと開いて、ふーっと大きく息を吐いた。
自分を落ち着かせようとしても、勝手に目の前に浮かんでくる光景がそうはさせてくれなかった。
ジャックが部屋に朝食を持って入った時、そこにはダボダボの自分のセーターだけを身に纏い、憂いをなした表情で彼を見つめる悩ましい姿の愛する女性が佇んでいた。そうなることを狙って自分のセーターを渡した訳では無いが、叶子の姿を見て心臓が大きく跳ね上がったのは事実。メイクを落とした肌は艶々としていて、切ったばかりの髪は少し寝癖がついていた。昨夜は妖艶だった彼女が、さっきは愛らしい表情になっていたのに正直驚いた。心の動揺を悟られないようにと慌てて目を逸らし、手にしたトレーをテーブルに置けば、まるで小さな子供の様にトコトコトコとやって来てソファーにちょこんと腰を落とした。着ているセーターが少しずり上がり、白くて程よく肉付きのある太腿に目を奪われてしまう。
(参った。仕草から何からかわいくて仕方が無いよ……。あのままあそこに居たら、僕は絶対仕事なんて行けっこない)
「ふう。――ヨシ」
握り締めたチケットをジャケットの内ポケットにしまい込む。気持ちを切り替えるためにもう一度大きく肩で深呼吸して、頭の中を占領している雑念を必死で取り払った。
◇◆◇
~三十分後~
身支度を終えた叶子は、突然の別れに戸惑っていた。ジャックが最後に言った言葉は「じゃ」の一言だけだった。「又電話する」でも無く、「愛してるよ」でも無い。「じゃ」なんてありふれた言葉は、友達でも道を聞かれた人に対してでも言う様な軽い言葉だ。
(次は無いって事なのかな……)
考えれば考えるほど訳がわからなくなった。
肩を落としながら長い廊下を歩き、玄関の扉を開くと既にビルが車の中で待っていた。叶子がやってきたのに気付いたビルはニカッと笑うと、親指をクイクイッと指して後ろに乗るように合図をする。叶子は引きつる口元を無理に上げてペコリと会釈すると、後部座席のドアを開けた。
「おはようございます。すみません、また送って頂くなんて」
「いやぁー、いいんだよ。ジャックが先にいっちまったお陰で俺は少しゆっくり出来たし。……実は、ジャックからの電話で起きたんだ。良かったよー、三十分後にあんたを送っていってくれって言われて」
「そうだったんですか」
ビルはそう言うとガハハと大声で笑い出した。
(私は全然良く無いんだけど)
心の中でそう思いながらも、その場はとりあえず一緒に笑うことにした。
いつまでたっても車が動き出す気配が無い事に首を傾げると、「ああ」とビルが思い出したように言った。
「悪いね、もう一人相乗りなんだ。もう、そろそろ来ると――お、来た来た」
「すまん、ビル。お待た……せ……? ――カナコ??」
後部座席のドアが突然開き、そこに現れたのは二人の甘い時を台無しにした諸悪の根源とも言える、彼の双子の兄のブランドンだった。
彼の為にスペースを空けたソファーを素通りし、ジャックは自分のデスクへと向かう。何やらゴソゴソとしているなと思ったその時、最悪な結末が訪れた。
「あの、僕もう行かなきゃ」
「え?」
デスクの上に叶子が先ほど置いたチケットを手にすると、大きなトランクを引きずり出した。
「ち、ちょっと待って! 私も一緒に!……」
慌ててミルクをテーブルに置いて立ち上がるも、彼は既に部屋の扉を開けていた。
「君はゆっくりしてていいよ。後、三十分したらビルに車回してもらうように頼んでおくから、それに乗って。じゃ」
顔だけは叶子の方に向いていたが、おそらく彼の視界に彼女は入っていない。ジャックは不自然な笑顔を見せると、さっさと扉をパタンと閉めた。
「あっ、の……! ――」
――これは、夢?
あまりにもあっけないサヨナラに何の感情も込みあがるものもなく、ただ呆然とその場に立ち尽くした。
「……う、そ」
そのうちに膝の力が抜け、ペタンと床に座り込んでしまう。急に全身を妙な震えが襲い、小刻みに震える自分の手のひらをじっと見つめた。
「嫌われちゃった、の? 私、そんなに酷いこと言った?」
手だけではなく体全身から来る震えを止めようと、両腕を抱きしめるようにして睫毛を伏せた。
◇◆◇
ゴロゴロとタイヤの転がるこもった音が響き渡り、ずんずんと長い廊下をジャックは早足で進んでいく。それはまるで、何かから逃れようとしているかのような勢いだった。
「……無理だろ」
一言呟いて、ぎゅっと目を瞑る。
「耐えられる訳が無い」
目をバチッと開いて、ふーっと大きく息を吐いた。
自分を落ち着かせようとしても、勝手に目の前に浮かんでくる光景がそうはさせてくれなかった。
ジャックが部屋に朝食を持って入った時、そこにはダボダボの自分のセーターだけを身に纏い、憂いをなした表情で彼を見つめる悩ましい姿の愛する女性が佇んでいた。そうなることを狙って自分のセーターを渡した訳では無いが、叶子の姿を見て心臓が大きく跳ね上がったのは事実。メイクを落とした肌は艶々としていて、切ったばかりの髪は少し寝癖がついていた。昨夜は妖艶だった彼女が、さっきは愛らしい表情になっていたのに正直驚いた。心の動揺を悟られないようにと慌てて目を逸らし、手にしたトレーをテーブルに置けば、まるで小さな子供の様にトコトコトコとやって来てソファーにちょこんと腰を落とした。着ているセーターが少しずり上がり、白くて程よく肉付きのある太腿に目を奪われてしまう。
(参った。仕草から何からかわいくて仕方が無いよ……。あのままあそこに居たら、僕は絶対仕事なんて行けっこない)
「ふう。――ヨシ」
握り締めたチケットをジャケットの内ポケットにしまい込む。気持ちを切り替えるためにもう一度大きく肩で深呼吸して、頭の中を占領している雑念を必死で取り払った。
◇◆◇
~三十分後~
身支度を終えた叶子は、突然の別れに戸惑っていた。ジャックが最後に言った言葉は「じゃ」の一言だけだった。「又電話する」でも無く、「愛してるよ」でも無い。「じゃ」なんてありふれた言葉は、友達でも道を聞かれた人に対してでも言う様な軽い言葉だ。
(次は無いって事なのかな……)
考えれば考えるほど訳がわからなくなった。
肩を落としながら長い廊下を歩き、玄関の扉を開くと既にビルが車の中で待っていた。叶子がやってきたのに気付いたビルはニカッと笑うと、親指をクイクイッと指して後ろに乗るように合図をする。叶子は引きつる口元を無理に上げてペコリと会釈すると、後部座席のドアを開けた。
「おはようございます。すみません、また送って頂くなんて」
「いやぁー、いいんだよ。ジャックが先にいっちまったお陰で俺は少しゆっくり出来たし。……実は、ジャックからの電話で起きたんだ。良かったよー、三十分後にあんたを送っていってくれって言われて」
「そうだったんですか」
ビルはそう言うとガハハと大声で笑い出した。
(私は全然良く無いんだけど)
心の中でそう思いながらも、その場はとりあえず一緒に笑うことにした。
いつまでたっても車が動き出す気配が無い事に首を傾げると、「ああ」とビルが思い出したように言った。
「悪いね、もう一人相乗りなんだ。もう、そろそろ来ると――お、来た来た」
「すまん、ビル。お待た……せ……? ――カナコ??」
後部座席のドアが突然開き、そこに現れたのは二人の甘い時を台無しにした諸悪の根源とも言える、彼の双子の兄のブランドンだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
211
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる