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第2章:風の調べとゴブリンとコボルトと

第8話:コボルト

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「ルトング様!」

 森の中心部。
 大きく開けた場所に、簡素な造りの建物とも呼べない小屋が立ち並ぶ。
 その中でも一際大きな小屋の中から、キャンキャンと犬の吠えたてる声が聞こえてきた。

 中では少しばかりコリーのような面影を残す、雑種と分かる犬が片膝をついている。
 顔は確かに犬なのだが、人のように手足が長い。
 木で作った鎧を纏っており、犬の毛皮で頭の先からつま先まで覆ったような人物。
 そう、犬人の魔物であるコボルトだ。

 そのコボルトの下げた頭の先には大柄な狼のような顔をしたコボルトが、息の荒い雌のコボルトを脇に抱えて面倒くさそうにそちらを睨みつける。

「キャン!」

 そして手に持った木のコップを、小さなコボルトに向かって投げつける。
 コップの持ち手が額に当たり、悲鳴をあげるコボルトになお不快そうに片眉をあげる。

「貴様、俺が楽しんでるときに入ってくるとはいい度胸だ。そんなに殺されたいか?」
「ヒッ……」

 雌のコボルトを乱暴に草に突き飛ばし立ち上がったそれは、空になった手を自分の顔の高さまでもってきて爪を伸ばして威嚇する。
 不穏を察知した雌コボルトが慌てた様子で小屋を飛び出すが、男に睨みつけられてすくみ上った小さなコボルトはガタガタと震えながらもその場を動かない。

「重要な報告ですルトング様……」

 絞り出すように漏れ出た言葉に、ルトング様とよばれたそれはチッと舌打ちをしドカッと胡坐をかいて座った。
 それで報告が許されたと思ったのだろう。
 コボルトが言葉を続ける。

「ゴブサワの集落に向かわせた連中が先ほど戻って参りました」
「ああん? 結論から言え!」
「脅威となる存在が現れたようです」
「フンッ! なんだそれは。冒険者か? それとも、竜でも現れやがったか?」
「いえ、戻ってきたものたちの話では、人が2人と……その、なんとも形容しがたい力を秘めたゴブリンが……」
「はぁん? たかが人2人に、ゴブリンだぁ? んなもん、てめーらでなんとかしろや! それとも、その人様は英雄でもあらせられるってのか? 馬鹿馬鹿しい」

 コボルトの報告に興味を失ったのか、ルトングは首を左右にふって凝りをほぐすようにならすと瓢箪のようなものを手繰り寄せる。
 その中身を口に流し込むと、酒臭いげっぷをして手をヒラヒラと振る。

「まあいい、戻ってきたゴブリンどもは殺せ! それから、そいつらを率いてたコボルトを俺んとこに呼べ」
「あの……」
「その後でてめーも殺してやるから。俺のお楽しみを邪魔しやがって!」
「ヒッ!」

 ルトングの脅しに、しりもちをついて後ずさるコボルトにつまらないものでも見るような視線を向ける。
 そして鼻をならしてフンと笑みを浮かべると、あくびをしながら小指の爪で頬をかく。

「冗談だ……今回はな……本気にされたくなかったら、さっさと行け!」
「はっ! はひっ!」

 ルトングの脅しに、コボルトが慌てた様子で4足で駆け出す。
 
「まるで犬だな……腑抜けが」

 やっぱり殺すべきだったか?
 そんなことを考えつつルトングが、瓢箪を傾け……中が空だと気づくと垂れてきた一滴を長い舌で掠めるように口に運び舌なめずりをする。
 そのまま瓢箪を放り投げると、入り口に背を向けて横になる。

「あまり仲間を虐めるもんじゃないよ」
「……」

 横になったルトングの視線の先にはカーテンがかけられてあり、その奥から柔らかな少年のような声が掛けられる。
 片方の眉を持ち上げたルトングは、頬杖をついていた手をずらして額と目を覆う。
 すぐに姿勢を正し、正座をしてそちらに向き直る。

「いつお戻りで」
「あー、君が盛ってる時かな」
「声を掛けてくださればよかったのに」

 先ほどまで横柄な態度で偉そうにしていたとは思えない豹変っぷり。
 少し緊張した面持ちだが、それでも尻尾が左右に大きく振られていることから喜びの感情も読み取れる。

「王は厳しくならねばならない……だが、優しくもないとな」
「イエス、マイロード」

 カーテンの奥の言葉に、ルトングは深く頷き言葉を返す。
 次にカーテンが揺れたときには、そこには誰も居なかった。

「おいっ! 誰か!」
「はっ!」

 すぐにルトングが声をあげると、若いコボルトが顔を出す。
 
「さっきの奴に伝えろ。ゴブリンを殺すのはなしだと」
「はっ!」

 こんどのコボルトはルトングの言葉を預かると、2本の足で駆けっていった。
 ルトングが、その姿に満足そうに頷く。

「あいつは見所があるな」

 そう呟くと、立ち上がって乱れた衣服を正す。
 
「お優しい方だ……だからこそ、あの方の役に立ちたいと思えるのだが。そうか……そうだな。俺もそうあらねば、そう思われぬか」

 何度となく思ってきたことだが。
 どうも短慮なところがあるのは、彼の悪い癖だ。
 自覚してはいるが、ついカッとなってしまう。
 
「ゴブリンロードだぁ?」
 
 それからしばらくして、報告に来たコボルトに対して威圧を込めた言葉で問いかける。
 先ほどの反省はなんだったのか。

「間違いないと、ゴブリン共が申しておりました。それと中に送り込んだゴブリンが1匹帰ってきません」
「チッ!」

 思わず舌打ちをする。
 そのゴブリンは取り込まれたのか。
 それとも捕まったのか。

 どちらにしろ、あっちにゴブリンが戻ったのはまずい。
 しかも、こちらに対抗しうる力を持った相手がいる状況で。

 ゴブリンロード。
 たかがゴブリンとはいえ、キング種である自分では荷が勝ちすぎる相手だ。

 そしてロードの配下は、全能力が1段階上書きされる。
 それに対して、キングの能力は統率力と知性が1段階上がる。
 士気をあげることで、ポテンシャルを最大限に引き出すことは出来るが。
 全幅の忠誠と引き換えに全能力を1段階引き上げることは出来るが。
 条件が厳しい。
 ロイヤルと呼ばれるその種は、群れの中でも3匹しかいない。

 コボルト1匹に対して、ゴブリンなら3~5匹当たれば確実に負ける。
 すなわち3匹のロイヤルでは、ロード配下のゴブリンなら安全マージンを取って最大で9匹しか相手にできないのだ。
 
「俺が出たらどうにかなるか?」

 ルトングが親指の爪を噛みながら、苦々しい表情を浮かべる。
 
「それに人間どもだ。ゴブリンロードと一緒にいるような人間……士気をあげるために、ゴブリンロードが狩った獲物なら良いが」

 もしそうじゃなかったら。
 人とゴブリンが手を組んだなら。
 
「馬鹿馬鹿しい」

 そんなことあるはずがない。
 人間は、魔物を毛嫌いしている。
 下等な生物と侮って、狩りの対象にする程度に。
 腹立たしいことだが。

 いずれ、人間どもも狩ってやろうと考えていたが。
 そのためには群れを拡大しなければならない。
 だが、里にいる純粋な雄は自分だけ。
 他の雄は殺されたか、虚勢されたものばかり。
 
 まあ、キングである自分の種を植え付けて増やした方が、遥かに群れの質はあがるだろうが。
 ルトングは自嘲気味にそんなことを考えて鼻を鳴らすと、億劫そうに立ち上がる。

「あの方を頼るわけにはいかねーよな。良いところをみせねーと」

 天井を見上げて、強く決意をした。
 
「具足を持て! 武器を用意しろ!」
「はっ!」

 パタパタとコボルトが集まってくる。
 ルトングに鎧を着せ、手にハルバートを渡す。

「あの方が持ってきてくれたこの武器で、そのゴブリンロードとやらを血祭りにあげてやる」

 ルトングが身に着けた鎧は、少し淡い光を放っている。
 強化の魔法が施されているのだろう。

「これだけでも勝てそうだが……確実じゃねーな」

 祈祷が使えるコボルトに、強化を掛けさせる。
 全身の筋肉がさらに肥大し、身体が一回り大きくなる。
 それに合わせるように、鎧も輝きを増しそのサイズを変える。

「戦争だお前ら! 目標はゴブサワ! そこにゴブリンロードが現れたらしい! 相手にとって不足なし! 俺とやつの決闘の場を用意しやがれ」

 森を獰猛な狼の遠吠えが木霊する。
 まるで戦前に陣太鼓を打ち鳴らしたかのように鼓舞された他のコボルトが、それに応えるようにわーわーと声を上げる。
 いくつもの獣の遠吠えに、眠りについていた鳥たちが音を立てて枝から飛び立ち、森のあちらこちらから動物たちが離れるように駆け出す

 そしてそれは遠くにいた、鈴木達にも聞こえていた。

『馬鹿じゃねーの……』

 警戒してくださいと言わんばかりのお祭り騒ぎに、俯瞰の視点を広げれば戦の準備をしている犬たちが。
 奇襲にも夜襲にもならない状況。
 それどころか、自分たちの居場所をこれでもかとアピールする標的に思わずため息とともに漏れ出たのはそんな言葉。

 それに同意するように頷いているのは、眠っているニコの傍で鈴木に触れているフィーナ。
 鈴木に触れることで、その言葉を聞くことが出来るわけだが。

「本当に……愚かですね」

 心底呆れた様子の主に対し、似たような感想を述べて立ち上がる。

「迎え撃ちますか?」

 そう問いかけるが、返事はない。
 立ち上がると同時に鈴木から手を離したわけだ。
 そうなる。

 少し恥ずかしそうにしゃがんで、鈴木に触れるフィーナ。

『うん……』

 なんとなく気まずそうに返事が返ってきた。
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