女神のつくった世界の片隅で従魔とゆるゆる生きていきます

みやも

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第2章 夏

◆季節の箱庭:ひと匙の未来

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【まったり日常回】


その日、「じゃな!」「世話になったの」「……また(ボソ)」と転生組三人衆は泉の精霊石からカナンガラへと帰って行った。

夏の嵐のような日々だったけど、不思議と疲れより笑顔が残っている。
あれだけ大変だったのに、今はもう「楽しかったな」と思えている自分がいるのが不思議だ。

またすぐ会える気がする。というより、きっとすぐ来るだろう。
バッカスさんなんて特に。散々素材とお酒を交換して行ったけど、多分すぐになくなると思うのよね。
それに温泉もできたし、もし、私がいなくても番頭さんがお世話をしてくれる。

だから、いつでも気兼ねなく立ち寄ってほしい――
ここで、故郷の味を用意して待っているから。
英気を養って、どうかご無事に。

祭りの後のように急に静かになったリビングで、椅子の背もたれに体を預けたまま、ぼんやりと天井を見上げる。
騒がしく笑い合っていた声がまだ耳の奥に残っている気がして、余韻に包まれるように目を閉じた。

「ギャッギャギャ、ギャッギャギャ」

……余韻じゃなかった。ガチャ丸の声だった。
でもその瞬間、ハッとする。

ガチャ丸が私の袖を引っ張りながら指差す方向、それはフィオの森。
急がなきゃ!!!!
早くしないと 蜜奏ミツカナデが散ってしまう。

「ガチャ丸ありがとう!!すぐ行こう!」

感傷よりも“採取”“生産”“アイテムストック”、これが悲しき生産職のサガである。

蜜奏ミツカナデは以前、レオンさんがアロマにしたフィオの森に自生する低木性の花(※1)で、これくらいの時期に花を咲かせるのだけれど、開花の時期は短く、白からあっという間に濃赤色へと移り変わり、儚く散っていく。
そして、その散る間際、花弁が赤く熟れるように色付く瞬間が一番強い香気を放つのだ。

散る間際の色は、熟れたザクロのようなベルベットの濃い赤。
その香りもまた、甘く濃密で胸を打つほどに芳しく、まるでクラシックのフィナーレが空気を震わせるかのように、あたり一面に強く満ちる。
まさに蜜奏ミツカナデの名にふさわしい、儚くも美しい最期である。

それを私は毎年逃さずシロップと精油にしているのだ。
蜜奏ミツカナデは、その名の通り、もともとの花自体に甘さがある。もちろん保存用に砂糖は加えるけれど、でもそれも少量で済む。それなのに、出来上がったシロップは、他の花ではとても真似できないほどの――とろりと濃厚で、どこか蠱惑的な味わいになるのだ。
姫ちゃまの大好物になる予感しかない。

加えてその薬効が素晴らしい。
少量の回復効果の他、体温を整えて夏冷えを予防し、虚弱体質を体の負担にならないよう、ゆるやかに改善する作用もある。さらに、蠱惑的な香気には安眠を促す効果もあり、夜の休息を深く穏やかなものにしてくれる。
例えば、一日の終わり、夜のリラックスタイムとして紅茶やミルクに加えるだけで、眠っている間に心身をかなり整えてくれるのだ。

そして、精油もかなり良い。
まず香り。散り際の蜜奏ミツカナデ特有のとろみのある甘やかな香りは、柔らかな女性らしさに溢れていて、ヘアオイルとして使えば、すれ違うだけで周囲の空気がふんわりと和らぐような優しさがある。
実際にその香りには、心を解くような薬効があり、リラックスするだけでなく、緊張の緩和や不安軽減にも最適で、この精油を極少量染み込ませただけの布を枕元に置いて眠るだけでも、相当に爽やかな朝を迎えることができるほど。

フィオの森の慣れたケモノ道を私と従魔達でテクテク歩いていると、遠くに見慣れた人影が数人。
どうやら巡回中らしい騎士様方。

「おや、ノエルちゃんじゃないか!全員そろって狩りかい?」
そう声をかけてきたのは、レオンさんだった。目の前に現れたスタンダードしーちゃんに、驚きを隠せない様子で目を見開いている。

私が、みんなで散り際の蜜奏ミツカナデを採取しに来たことを伝えると、レオンさんはパッと顔を明るくした。
「妻がね、白い蜜奏の香りをとても気に入ってくれてさ!」
その人懐っこい満面の笑みに、なんだかこちらまで嬉しくなって、思わず「ふふっ」と笑みがこぼれる。

そんなレオンさんの背後では、いつもの騎士様たちが
「あーはいはい、今日は特にあちぃなー」
「リア充爆発しろー」
などと冷やかしては、しっかりゲンコツをお見舞いされていた。

そんなレオンさんに、帰りにお店に寄って欲しい旨を伝え、蜜奏ミツカナデ密集スポットへ。

そこはフィオの森の中でも“浅層”と言われる場所。森の中にあっても比較的見渡しやすく、陽の光りもよく届き、そのせいか植生も豊かで実りも多い、トレッキングコースのような心地の良い場所だ。
とは言え、丸腰で来るような場所でもないのだけれど。

そこはやはりモンスターのいる世界。
美しい山道も、楽しみながら歩こうものなら、鋭い牙を持つヌートリアのような“トラットラット”や縄張り意識の強い“ホーンラビット”が右から左から襲ってくる。
私の場合はガチャ丸やしーちゃんなど、わかりやすく高位なモンスターを連れているおかげで脅威はないのだけれども。

到着すると、そこには自然が綴る詩のような世界が広がっていた。
風がそっと花を揺らすたびに、赤く熟れたザクロ色の花弁がひらりひらりと散りゆく光景は、深紅の羽が舞っているようでもあり、それが奥へ奥へと誘うように甘く咲き誇っていた。
花々の隙間から立ち上る香気は、とろりと濃く、一面に強く満ち満ちている。

私の肩の定位置に留まっていた姫ちゃまは、いの一番にバビューンと突撃。高速の羽ブンブンで天然の甘い甘い蜜を堪能しまくっている。

(やっぱりねー、好きだと思った)

私とガチャ丸でプチプチと花を毟り続け、それはそれは山盛りの蜜奏ミツカナデを採取して帰路に就く。
太陽はちょうど中点から少し西に傾きかけていた。

帰ったら採取した蜜奏ミツカナデを特大サイズの金盥かなっだらいに入れて、上から精霊水をジャブジャブかけて汚れを落としていく。
精霊水でこの作業をすると、野菜でも花でも果物でも、あっという間に汚れが落ちていくからすごく便利。
それだけでもタリサがいてくれる意味があるというもの。
以前は、井戸水で何度も洗わないといけなかったから結構重労働だったのよ。

そしたら、シロップ用と精油用に分けて、シロップ用は少量の砂糖をまぶした状態で大鍋に花を入れてしばし放置。
精油用はいつもの蒸留器セットをフル稼働して、こちらは出来上がるまで放置。

シロップ用の大鍋を確認する。
ヘラで花を寄せた時、水分が出ていればオッケー。

(よし、水分が十分に出てるね)

そしたら、ヒタヒタに精霊水と防腐用のティー(※2)を入れて、ゆっくりとヘラで混ぜながら焦げつかないようトロミが付くまで火を入れる。

完成したシロップは、保存ビンの中で静かに燃えるガーネットように、甘く滴り落ちる濃密な赤色をして、それが夕陽に照らされると夕焼けが世界を染め上げているかのように美しく見えた。


---------

「これ、どうぞ、奥様に」

「いいのか!?」

「えぇ、いつもたくさん買っていただくお礼です。蜜奏ミツカナデの香りがお好きならきっと気に入っていただけると思います」

お仕事帰りに立ち寄ってくれたレオンさんに、できたばかりのビロード色の蜜奏ミツカナデシロップをプレゼントする。
きっとお体の弱い奥様にピッタリのものだと思うから。


---------


「あなた、お帰りなさい」

「あぁ、無理するな。横になってていいぞ」

「ごめんなさい」

「謝るな。仕方ないことだ。それよりも、一緒に紅茶を飲まないか?」

マルセリーナは微笑んでうなずき、レオンが手際よく準備する様子を、静かに目で追っていた。

「今日な、ノエルちゃんに会ったんだ。散り際の蜜奏ミツカナデ──お前の好きなあの花──を摘みに来てたらしくてさ。ありがたいことに、出来たての蜜奏ミツカナデシロップを少し分けてもらった」

「まぁ……あの香り高い花の……?」

「そうそう。ほら、ちょっと入れてみた。味も香りも抜群だぞ。しかも、身体にいいんだとさ。じんわり効くらしい。やさしくな」

そう言って、カップをそっと彼女の前に置く。

湯気の立ちのぼる紅茶から、濃厚で柔らかな甘さが香り立つ。赤い蜜奏ミツカナデのシロップが光の中でわずかに揺れて、琥珀色の液体にまじり、まるで朝焼けのような色を作っていた。

「……ふふ、なんだか贅沢な気持ちになるわね。ありがとう、あなた」

ベッドから起き上がったマルセリーナと一緒に静かに紅茶をすする。


---------


翌朝。カーテン越しの柔らかな陽光の中、いつもより早く、マルセリーナの声が響いた。

「あなた、朝食、一緒に用意してもいいかしら?」

レオンは一瞬、夢かと思った。

「…無理するなよ?」

「ううん。大丈夫なの。なんだか、体がふわっと軽くて……少し動いてみたくなったの」

いつもより血色の良い彼女の頬を見て、レオンはふっと微笑んだ。

蜜奏ミツカナデはただ甘いだけじゃなかった。
静かに灯る希望の証でもあった。未来へ踏み出すための、ささやかで確かな一歩。
そのひと匙を託してくれたノエルに、そして、そのノエルとの出会いに、レオンは心の底から感謝していた。

* * *
(※1)第2章.夏「◆その香りは、森がくれたラブレター」で登場
(※2)第1章.春「◆異世界の自然派生活」で登場

---------

【ちょこっとお知らせ】
いつも『女神の箱庭』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
現在、書籍化に向けた準備を進めており、その関係で更新ペースが少しゆったりめになっております。
今後の投稿は、基本的に「金・土の週2回更新」を目安とさせていただく予定です。
ただし、制作状況によっては更新日が前後する場合もございますので、あらかじめご理解いただけますと幸いです。
引き続き、『女神の箱庭』をどうぞよろしくお願いいたします!
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