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1.*かがみの向こう

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「ぅん――……ぁ……は――ぁ……」

 きつい香が焚かれた室内に、なまめかしい声がひびいている。

 灯は弱く部屋は薄暗い。俺と相手の顔は、互いの影がかかってハッキリと見えない。
 そばには簡素なベッド。俺たちは倒れこむように毛布の海へ沈んだ。

「ぁっ……ん、ちょ――…」

 俺を押し倒してなお、相手はくちびるを離してはくれない。

 からめとられた舌がぐちゅぐちゅ音を立てる。
 そんな淫靡な音が、余裕のない女みたいな声が、俺の喉から出ていることが信じられない。

 嘘だろ。

 俺は感じてんのか。

「ちょ――…んぅ……まてっ――…」

 こんな、野郎とのキスで??

 自覚とともに、それまでもうろうとしていた意識がハッと覚醒した。

 ちがう、感じてるわけがない。

 情事みたいな雰囲気になってるのは、すべてこのラブホみたいな安宿のせいだ。
 余裕がないのも、意識がもうろうとしていたのも、諸事情あって高熱が出ているからで…。

 ていうか!

「まておいっ…リオンッ――…なんで、こんなこと…する必要があるんだっ…!」

 俺は必死の思いで、目の前の男の顔を引きはがした。

 くそ、熱で頭がぐらぐらする。
 視界がかすむ…。

 それでも、目の前の金髪の男の顔は、嫌みなくらい整っていることが分かる。

「仕方ないだろ…俺だって、好きでもない相手とキスなんざしたくない」

 俺のファーストキスのお相手、ディノワール王国騎士団長のリオン・ナイトレイは、そう言って髪をかき上げた。

「ホラ、いいから舌出せ、アオト」
「んぐぐ…」

 ああこのヤロウ。

 なんでカノジョもいない童貞の俺が、こんなイケメンにベロ入れたキスされにゃならんのだ…。

(それもこれも、全部あの鏡のせいだ…)

 俺は絶望的な気分で、我が高校に伝わる七不思議を思い出していた。


 ~~~~~


「くそう…『頼りないから無理』とか…それが一世一代の告白に対する返事かよ…」

 都内のとある高校で、俺――卯月碧人(ウヅキ アオト)はクソデカため息を吐いた。

「あわれ童貞碧人、一年間の片思いは実らずか…」
「童貞は関係ねえだろ!」
「ま、相手は学年屈指の美少女・小鳥遊サンだもんなぁ」

 机に突っ伏す俺を、悪友のトモキとレンが見下ろしている。

 その通り。
 俺は先日、一年間の片思いをこじらせた末クラスのマドンナ・小鳥遊さんに告白し、そして見事玉砕したのである…。

 ああ、思えば一目惚れだった。
 入学式で黒髪をなびかせる彼女に目を奪われ、その後はあれよあれよと初恋の沼に落ちていったのだ。

 二年生に進級する前に、何を血迷ったか気持ちを伝えてこのざまだ。

「ま、碧人が頼りないってのはその通りだもんなあ」
「顔は悪くねえから女子との交流はそれなりにあるけど、トモダチ以上には発展しない典型だよな」
「去年の文化祭で女装カフェやったら、女子より人気出てたよな」
「むしろ生まれる性別を間違えたんじゃね?」
「お前ら人の心あるか??」

 この世に救いはないのか。
 見た目が頼りないなら、筋トレでもして筋肉をつけるべきか…。いやでも、中学でビリーズブートキャンプにハマったとき隊長と死ぬほど鍛えたのに、結局ぜんぜん筋肉つかなかったしな…。

 やはり魅力か。
 男として魅力が足りないのか。

「なぁー…どうやったら男っぽくなれるんだよ」
「知らねーよ。帰宅部のオレに聞くんじゃねェーよ」
「やっぱ女子が食いつくほどの肩書が必要だろ。勇者として魔王倒したとか、実は一国の王子とか」
「アニメの見過ぎだろ…なんだ、結局俺には不可能だって言いたいんか」

 マトモに取り合ってくれない悪友たちに辟易していると、ふとトモキが「あ」と声を上げた。

「ファンタジーに頼るなら、いっそ学校ここの七不思議を試してみるとかアリかもな」
「七不思議ぃ?なんだよそれ」

 俺が顔を上げると、トモキはふっふっと得意げに俺たちの顔を見た。

「ま、先輩方が作ったデタラメだろうけどな。この学校に伝わる七不思議のひとつに『きこりの鏡』ってのがあるんだ」

「は、鏡?泉じゃなくて?」レンが首をひねる。
「そこがいかにも創作って感じだよな。童話の『きこりの泉』では、泉に落ちた斧を女神が拾うだろ?『あなたが落としたのは金の斧、それとも銀の斧?』って。七不思議だと、この学校の四階踊り場にある大鏡に、それと似たことが起きるらしい」
「女神が話しかけてくるってか?」
「ウワサだと、な。そんで女神の言うとおりにすりゃ、自分の願いが叶うって話だ」
「はあー」

 なんて胡散臭い。これぞ七不思議。

「んで、そんな創作っぽさ満載のウワサを俺に話した理由は?」
「ダメもとで試してみろ。アオト、お前の恋愛成就にはもうこれしかない」
「言い切るな、バカ!」

 ・
 ・
 ・

 …という100パー嘘っぱちの七不思議に乗っかる俺もおれだ…。

 そう。トモキの話を一笑に付したあと、俺は本当にウワサの大鏡の前へとやって来たのである。

 いやっ、俺だってホントに信じてるわけじゃない!ただ、ホントだったら儲けものだし、ウソでも話のネタにできると思ったまでで…。
 …。

(む、虚しい。自分に弁解しても何にもならんだろ)

 …まあ…そうは言っても?
 期待する気持ちがないではないわけで。

 別に小鳥遊さんにこれ以上アタックしたいわけではない。まじでアッサリ振られたから未練すら残らんわ。

 俺が本当にショックだったのは、なにより『失恋』という事実。

 再三言うが、初恋だった。
 生活が手につかないくらいその人のことを考えて、笑顔を見かけるだけで心が跳ねて、会話なんてした日には嬉しくて眠れなかった。

 そんな青臭い…けれど幸せな感情をあっという間に失ってしまったものだから、なんか喪失感で落ち着かないというか…。

(『もう恋なんてしない』とか、すました決意なんて俺にはできない。あの気持ちをまた味わいたい)

 だから。
 女神様。

 もしいるのなら答えてほしい。

 もう失恋なんて苦しい思いはしたくないんだ。
 俺にもう一度、恋をさせてくれ。

 そしてその恋が実りますように。

 誰かを想って、同じくらい想われて。

 そんな幸せが、一度でいいから俺に訪れますように…。

 …。
 …。

 恥ずかしげもなく、鏡の前で指を組んで祈ること数分。
 誰もいない階段とはいえ、さすがに恥ずかしくなってきた。

(よく考えたら…いや、考えるまでもなくデタラメな話だよな…)

 再びクソデカため息をつく。こんなことしたって明らかに時間の無駄だ。
 さっさと帰ろう…。

 そう鏡に背を向けたときだった。

「――…カ――…」
「え…?」

 誰かの声が聞こえたような気がして、俺はふっと鏡を見た。

「…!」

 息をのんだ。

 俺が映っていたはずの鏡が輝きだしている。

 陽光なんか反射する場所じゃない。鏡が自分で光り出しているんだ。
 白く輝いて何も見えない…。
 だが次第に、鏡は俺ではない別のものを映し出した。

「…リュカ……リュカ――…あぁ…」

 女神の御声とは思えなかった。
 弱々しい男の声だ。

 怪光は収まった。
 俺は知らず鏡へと歩み出していた。

(ここは…森、か…?)

 真っ暗な夜の森に、ひとりの男が膝をついている。

 雨が強いらしい。彼の金色の髪には幾筋もの雨がしたたっているが、男はまったく意に介さない。
 ただ一心不乱に、黒い何かをかき抱いていた。

「!…ぁ…」

 再び俺は間抜けな声を上げる。

 黒い何かは、人間だった。
 全身血にまみれているのだ。身体から流れる血の量にしても、力なくだらりと下がった四肢からしても、その人が死に瀕していることは一目瞭然だった。

 いや、すでに死んでいるのか。

 金髪の男は、ただすすり泣きながらその者に顔をうずめている。

(な…なんだ、これ…)

 俺はただただその光景に圧倒された。

 だが、マヒした思考とは裏腹に、手が無意識に鏡へと伸びていた。
 まるで金髪の男に触れようとでもするように。

 この森はどこだ。なぜこいつらはここにいるんだ。
 どうしてこの男は泣いているんだ。

 …。

(何をそんなに泣いてるんだ…)

 それは同情心だったのだろうか。単にこのとんでもない現象への好奇心だったのか。

 伸ばした手は鏡面に触れた。
 ドラマの中の登場人物を憐れむような気分だった。テレビに入れないと分かっていたから、俺は手を伸ばしたのだ。

 そう、鏡の中には手が届かない。
 そのはずだった。

「はっ!?」

 …俺が触れた瞬間、鏡はぐにゃりと歪んだ。

 森の映像はかき消えた。
 鏡面はいつの間にか水面のように波紋を作って、俺の手を飲み込んだのだ。

(ぬっ、抜けない…!?)

 とっさにもがくが意味はない。

 ずぶずぶ底なし沼のように、鏡は俺の手を、腕を、そして肩から体全体を飲み込み始めた。

「くそっ…んだこれ――…!」

 俺の声が、誰もいない階段に響いている。
 だれか――…。自分の最後の叫びは喉から出ていただろうか。

 …トプン…。

 1分もかからず、鏡は俺のすべてを飲み込んだ。

 斧ではなく俺自身を飲み込む泉だなんて、一体だれが予想しただろう。
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