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いーち
『おまえの秘密を知っている』
はて。
秘密、とは。
フィネは、そう書かれたカードをまじまじと見つめた。
宛先も差出人も無い白い封筒に入れられた一枚のカード。
筆跡は流麗で癖が無く、まるで教科書の手習いのような文字だった。
このカードは私室の机上に置かれていた。
それに気が付いたのは、学園から帰宅した今現在である。
フィネは首を捻った。
この家のルールとして、配達物は一度集められ、家令がチェックと仕分けを行っている。その後、フィネ宛の配達物は侍女に渡され、侍女が親展以外を開封して内容を確認してからでしかフィネの手には渡らない。
宛名も差出人も無いカードが私室の机上に置かれていたことが示すのは、フィネの私室に出入り出来る者が直接置いたということに他ならない。
誰が、何のために。
フィネは、自分の机にあったということは、自分に向けての言葉なのだろうと思ったが、『秘密』とやらにまるで心当たりが無かった。
秘密、秘密……秘密?
私の秘密ってなんのこと?
そして『知っている』から何だというのか。
たとえば、その秘密をバラされたくなければ金を寄越せなど、何かを要求しているのであれば、まだ話は分かる。
立派な脅迫だ。
しかし、このカードには、知っている、だけで特に要求は書いてはいない。
秘密とやらにも皆目見当が付かないフィネは、カードを置いた者の目的が分からず、それがかえって奇妙で気持ちが悪かった。
それとも、これから第二弾、三弾と何かしらの接触が続くのだろうか。
「秘密、ねえ」
フィネは思わず呟いた。今は侍女も下げて部屋には一人である。
秘密。
他人に知られたくないこと。知られると不利益になること。恥ずかしいこと。
「私の、知られたくないこと……」
心当たりの無いフィネは、痛くもない腹を探るため、己を省みた。
主観では一切心当たりがないので、乳母などから聞いている話も混ぜ、客観的に『己』を紐解いてみることにした。
名はフィネ・シェルテル。
シェルテル伯爵家第三子の長女。伯爵である父とその妻で侯爵家の次女である母の実子である。
母方の祖母は王家の血筋であり、フィネは王家の傍流として王位継承権を持っている。第三十五位という、もう数えなくてもよくない? というような順位だが。
長兄クラウスと次兄カールは年子で、とんでもない暴れん坊だった。
父をはじめ、乳母と家庭教師たちが一日中全力疾走をして二人を追いかけまわしていたそんな日々の中、フィネは生まれた。
ふにゃふにゃと待望の女児誕生。
家族は夢中になったらしいが、フィネの誕生からそう間を置かずに母は妹を身籠もり、つわりとむくみがひどくて伏せがちになってしまったという。
更に月足らずで生まれた妹は、風邪一つで命を落としかねない状況が続き、産後の肥立ちが悪かった母と共に、シェルテル家では二十四時間の医療体制が敷かれることになった。
そんな中でも、ちょっとでも目を離すと姿を消し、返り血に濡れながら仕留めた魔物を引きずり帰って来る兄二人。
一瞬たりとも目が離せない日々に、暴れん坊にも程があったと侍女が溜め息をついて追憶していた。
そうなると、どうなるか。
伯爵家の物事を受け入れる能力の内訳はこうなる。
四割が母と妹。
三割が長兄と次兄。
二割五分五厘が領地経営や屋敷の運営など。
四分五厘がその他雑事。
フィネは『その他』であった。
健康でよく乳を飲み、すやすやとよく眠るフィネの世話は、言うまでも無く優先順位が低かった。
なんせ、手がかからないのである。
いや、赤子としての昼夜を問わない世話は必要だが、兄たちや妹に比べてという意味で手がかからない、イイ子だった。
まあ妥当かな、とフィネは自分でも思っている。
放置されたわけでもなく、虐げられていたわけでもなく、愛されていなかったわけでもなく、ただ、順位が低かっただけである。
フィネが物心ついた時には、家族というものは見かけたら幸運くらいの疎遠な存在となっていた。
長兄と次兄に対して常に物々しい警戒態勢が取られている本館ではなく、平和な別館にフィネの部屋が調えられ、更には食事が別々であったことも、フィネと家族をより疎遠とした原因の一つである。
本館ではフィネ以外の家族が揃って食事をする中、フィネだけが別であることに、誰も疑問を持たなかった。
なぜならば、伯爵家の食卓は常に戦。
伯爵である父自ら、子らの口に食事を突っ込むという仁義なき戦いが繰り広げられていたからである。
父は兄二人をとにかく着席させて食べさせることに終始し、拳骨と怒号もやむなしの戦場。
母はすぐに吐き戻す妹にかかりっきり。
最初は妹も別室で食事をさせようとしたらしいが、母は妹から離れられず、母の姿が見えないと兄たちは食卓から逃走して探し回るため(ママっ子)、苦渋の決断だったと聞いている。
そんな中で落ち着いて食事が出来るはずもなく、フィネのためにフィネだけが別館でいつも一人で静かに食事をしていたのである。
寂しく思うこともあった。
なぜ、いつも自分だけは別なのか、泣いた時もあった。
けれども、フィネは独りではなかった。
乳母も侍女も庭師も家庭教師も専属で側にいたし、家庭のある者は配偶者と子どもたちも別館で共に暮らし、家族のようにフィネを包んでくれていた。
フィネの机の引き出しには、家族の肖像画があった。便せんより少し大きいくらいの絵だが、父に抱かれた赤子のフィネと、母に抱かれた生まれたばかりの妹と、その間に立つ兄二人の肖像画である。
フィネが唯一、家族の一員であることを忘れずにいられる縁だった。
毎晩寝る前に、小さく「おやすみなさい」とその絵の家族に声をかけるのが、フィネの習慣だった。
フィネは幼くとも腐らずに、自分の家族を『そういうもの』として静かに見ていた。時間がかかったけれど、そうやって受け入れたのである。
数年経ち、長兄と次兄は貴族が通う学園に続けて入学し、同年代と寮生活をするようになると、格段に落ち着きを見せた。
当初、伯爵家では、それぞれが初日で退学になる(断定)と本気で覚悟していた。
貴族を名乗る家として、学園に入れないわけにはいかなかったため、入学はさせたのである。
そんな心配をよそに、闊達なのには変わりは無いが、外に出しても伯爵家の者として恥ずかしくない振る舞いの加減を長兄も次兄もすんなりと身に付けていった。
元々きちんと教育はされていたので(家庭教師は命がけ)、それがようやく芽吹いたとも言えた。
兄たちがやっと『人間』になったと、伯爵家の皆が喜びに咽び泣いたのは仕方のないことである。
喜ばしいことは続くもので、妹が医師から「もう何の懸念もいらない」と言われ、健康を回復させていた。
伯爵家は大きな喜びに包まれた。
父は、この喜びのまま画家を呼び、家族の肖像画を描かせようとした。
そして、ようやく気が付いたのである。
長女フィネが側にいないことに。
この時、フィネ八歳。
既に色々諦め、心に仕舞い込んだ後だった。
別館から本館に部屋を移し、食事を共に摂るようにと父からの伝言を受けたフィネは、首を傾げた。
分からないから家庭教師に素直に尋ねた。
「私は何か粗相をして、指導されるのですか?」
本館に移り共に食事をすることを、両親からのなんらかの指導があるイレギュラーとして受け取ったフィネに、家庭教師は回答に困った。
フィネは八歳にしては落ち着いていて、学業の進み具合も三年は先取りしている優等生である。
生徒ではあるが、家庭教師もきちんとした一人の人間として対応していた。
家族だから。
その回答をフィネに対しては出来ない。
ならば、家族なのに何故今まで別だったのかと当然に聞かれ、答えられないからである。
「それに、私はお父様たちをなんと呼べばいいのですか?」
親や兄、妹であることは知っている。
だが、フィネは物心ついてから家族に面と向かって「お父様」とも「お母様」とも「クラウスお兄様」とも「カールお兄様」とも、妹にすら「アリシア」と呼んだ記憶はなかった。
もちろん、家族の話をする時には呼んではいたが、本人にそう呼びかけてもよいか。それとも、乳母たちが呼ぶように「旦那様」「奥様」「若様」「お嬢様」と呼称するべきかどうか。
自分の立ち位置がフィネには分からなかったのである。
この報告を受けた父と母は愕然としていたそうだ。
二人にとってみれば、中々会うことはなくても、定期的に委細を報告させているフィネを疎遠だと思っていなかったらしい。
だが、二人はどんなに記憶をたどっても、フィネの声が思い出せなかった。
フィネの「お父様」や「お母様」と呼ぶ声を知らないのだから。
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