King of the slave

鴻上縞

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七章 穢された誇り

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 フィリアにその死が伝えられる三ヶ月程前。オーラストで意識を失ったアルベルトは、暫くの間眠り続けていた。丸一日が経とうかという頃、漸く暗闇に沈み込んでいた意識がゆっくりと浮上して行く。それと共に後頭部に走る痛みが酷くなって行った。鈍いその痛みに意識を囚われながらも一体どうなったのか、アルベルトはそれを思い起こす。確か、陥落したオーラストの街並みを眺め、そしてフィリアに帰ろうと──。
「そうだ、フィリアに!」
 思わずそう叫び慌てて目を開くと、そこにはアルベルトを覗き込む何人もの顔が目の前に並んでいた。
「ひっ!」
 思わず短い悲鳴をあげた途端、群がっていた人々は弾かれるように飛びのいた。アルベルトは朦朧とする頭に浮いた疑問符を振り払い、重い体を起こして辺りを見回す。
 薄暗い随分と簡素な小さな部屋の隅で、先程覗き込んでいた十人程の人々がまるで未知のものでも観察するかのようにアルベルトを見詰めていた。
「すみません、少し驚いてしまって……。あの、ここはどこなのですか?」
 なるべく穏やかに問い掛けたつもりが、誰一人口を開こうとはしない。変に思いアルベルトも逆に観察してみると、皆揃って雑巾のようなボロを纏い、首に小さなタグの付いた皮の首輪をしている。益々疑問は増えるばかりだ。
「……貴方、何者?」
 その声に視線を向けると、一人の少女が目を丸くしながらアルベルトを見ていた。何日洗っていないのか、ボサボサの髪がまるで表情を隠すように顔を覆っている。その少女の首にも、汚れたタグ付きの首輪が見て取れた。
「私はアルベルト・フィリア。この山の向こうの──」
 そこまで言って、アルベルトの顔からはさっと血の気が引いた。さっきからこの部屋は木板が軋むような音を立て乱暴に揺れている。窓もないから確認する事は出来ないが、ここはどうやら馬車の中のようだ。
 驚愕の事態に、それでも何か情報を得ようとアルベルトが頻りに辺りを見回していると、先程の少女は蚊の鳴く程の小さな声で呟いた。
「……貴方、名前があるのね」
 また一つ、アルベルトを悩ませる疑惑が増えた。
「すまない、君の言っている事が私にはよく分からないのだけれど、名前がある、とは?」
 だがアルベルトの問い掛けにも、少女は視線を逸らし黙り込んでしまった。他の人も同様に、アルベルトが名乗ってから視線すら合わせてくれようとはしない。
 頭は混乱するばかりである。とにかく自分は何かの間違いでこの不思議な首輪族の人々と勘違いされ連れていかれている。アルベルトは苦し紛れにそう自己解決してみた。そしてそう思うと、一応にも納得はいく。
 兎に角何でもいいからこの馬車を降りてフィリアに帰らなければ。ジャックの想いを無駄には出来ない。そう意気込んだアルベルトは直様立ち上がり壁を叩き始めた。 
「すみません、止めてください、すみません!」
 首輪族の人々はその様子を目にするや、逃げるように散った。勿論その様子は気になったが、取り敢えずしばらく壁を叩いていると、突然一際大きく馬車が揺れ、アルベルトは無残にも硬い床を転がった。当然誰も心配してくれる様子はない。この首輪族の人々はアルベルトがそれ程に怖いのか、これ程あからさまに人に怯えられる事は生まれてこのかた初めてである。アルベルトはそう不貞腐れながらよろける足でなんとか立ち上がる。それと同時に、馬車の後方の扉が開かれた。良かった、これでやっとフィリアに帰れる。アルベルトはその安堵から自然と微笑み、開かれた扉に向かい真っ直ぐ足を運んだ。 
 しかし、扉を開けた一人の男は、アルベルトの姿を目に止め、細い目を見開いて驚いている。
「……なんだ、こいつ」
「私はアルベルト・フィリア。山向こうの国の王です。どうやら手違いで首輪族の人々に紛れてしまい──」
 男はアルベルトが話しているのに何故か顔を背け、全く聞いていないようだ。それどころか、外にいる誰かに向かい、鼓膜がびりびりと痺れるほどの大声を上げた。
「ミト!お前、頭イカれてるものは拾うなって毎回言ってるだろ!」
 頭がイカれている、その言葉に多少ムッとはしたが、なんとか顔には出さず、アルベルトは努めて穏便に進めようと男に笑いかけてみた。
「おいおい、笑ってるぞ気持ち悪いな!おいミト!お前自分の持ってきたもん責任持って確認しろ!」
 アルベルトの頭はもう混乱で爆発しかかっていた。よく分からないが、笑う事が気持ち悪いのだろうか。
 あまりの事に呆然としていると、細目の男の脇から小さな少年が顔を覗かせた。
「だってほら、金髪」
「言い訳は良い!だからお前はいつまでも使えないんだよ!自分で侘び入れろよな、俺は知らねえぞ!」
 細目の男は乱暴に少年の尻を小突くと、徐に馬車の扉付近で蜷局を巻いている鎖を乱暴に引いた。馬車の中にいた人々が転がるように外に出て行き、アルベルトも強い衝撃と共に引きずり出された。
 その時に初めて、アルベルトは自分の片足が鎖に繋がれていた事に気付く。そしてその黒い鎖は馬車の中にいた人々全員と、一列で繋がっていたのだ。人を鎖で繋ぐなんて──。
「なんて、酷い事を」
 思わず吐き捨てたアルベルトの腹を細目の男は思いきり蹴り飛ばした。弱った足腰で踏ん張れる筈もなく、かなり吹き飛んで倒れたアルベルトの鎖に引かれ、首輪族の人々も何人か地面に倒れ込んだ。
「すみません、大丈夫ですか?」
 アルベルトが慌てて近くにいた老人を助け起こそうと肩に触れた途端、老人は慌てふためき、逃げるように腰を引いた。アルベルトはもう何が何だか分からず、途方に暮れた。それでも現実はそれを理解する時間を与えてはくれない。 
「ほら、早くしねえと日が暮れるぞ!」
 細目の男が鎖の端を引っ張り、それにつられて人々は歩き出す。アルベルトは丁度七人目辺りに繋がれていて、列を乱さぬようになるべく歩調を合わせて歩いた。

 アルベルトは考えた。どうやら首輪族の人々はこの細目の国に捕虜として捕えられたようだ。事情を話して解放してもらおう。できる事なら首輪族の人々も解放してもらいたいが、国同士どんな話しがされているか。まずはそれから知らなくては。
 そう思い及んでふと辺りを見回してみると、初夏の太陽が開けた空のてっぺんに顔を出している。土の道はよく馬車が通るのか、踏み締められ硬くなっていて、周囲は低木が無数に取り囲んでいた。森でもなく、街でもないような場所。列の一番後ろからは、ミトと呼ばれた少年がゆっくり馬車で追っていた。列から顔を出して先を見ると、街の入り口と思わしき小さなアーチ状の看板が見て取れた。そのアーチにはこの街の名前らしく、『ラブール』と書かれている。アーチをくぐると列は途端に歩みを遅め、アルベルトは思わずつんのめりそうになりながらも何とかついて行った。
 ラブールは決して都会的な栄えた街という訳ではないようなのだが、大きな通りを行く人々の数は相当なもので、所狭しと並ぶ露店を見てもとても活気のある街のように思えた。
 ところで何故こんな往来の激しい大通りの真ん中を鎖に繋がれ一列で歩かなければならないのだろう。これではまるで見せ物のようだ。アルベルトはそう一人ごちながらも観察を続けた。
 大通りを行き交う人々の中で、稀に細目の男に話しかける者がいる事に気付く。細目は短く言葉を交わし小さな紙切れに何かを書き手渡す。サインだろうか。もしかしたら細目はこの街の英雄だったりするのかもしれないと思いながら、アルベルトはそれを否定するように自ら首を振った。あんな乱暴者が、英雄の筈がないと。

 大通りを歩き続けた一行は、ようやく一つの建物の前で足を止めた。それまで一応にも呑気に観察を続けていたアルベルトは、その建物を見て竦み上がった。
 三角屋根の付いた二階建ての家があり、隣にもう一つ小さな小屋がある。更にその隣には、三十人程収容出来そうな粗末な檻があった。更に、赤錆の浮いた古めかしいその檻の中には、十五人程の人々が収容されていた。膝を抱え俯いた人々の首にはやはり、タグの付いた首輪が施されている。牢屋には嫌な思い出しかない。本能的にアルベルトは、ここがどうしようもなく危険な気がした。
 一行は牢屋を通り過ぎ、二階建ての家へと足を進めた。馬車を止めた少年も最後尾からその後に続く。家の入り口はやけにだだっ広く、十人程が入ってもまだ余裕があった。細目の男が少年に鎖を手渡し入って右手の扉へと消えたが、直ぐに丸眼鏡をかけた新たな若い男と戻って来ると、一定間隔で印の付いた長い木の棒を先頭の首輪族の横に立て、どうやら身長を測っているらしい動きを見せる。
 丸眼鏡の男は手に紙とペンを持っていて、まるで医者のように人々の目や口の中を診てはペンを走らせていた。そしてその全てが終わると、ミトと呼ばれた少年がタグを新しい物に付け替えていく。あまりにも馴染みのなさすぎる行動を前に、アルベルトは最早何も考えられず、呆然と自分の番を待っていた。
 やがて前の老人の番が終わると、医者のような丸眼鏡の男は訝しげにアルベルトを見やった。
「ルーイ、こいつは?」
「ああ、そう言えばミトのバカが拾ってきやがったんですよ。兄貴に一度見せた方が良いと思いまして」
 ルーイと呼ばれた細目の男のこれまでの無駄の無い動きと、アルベルトの存在さえ忘れる程流れるように作業をしていた事に、この行為の習慣性が伺えた。アルベルトはここぞとばかり、出来得る限り身を乗り出した。
「私は、アルベルト・フィリアです。何かの手違いのようで──」
 一体アルベルトは今日だけで何度自己紹介しただろうか。
「……何なの、こいつ」
「ほらね、イカれてるんですよ」
 自分は正常だし、そちらの方が変なのだ。そう心の中で毒吐きながらも、アルベルトは務めて穏やかな笑顔を向けてみた。だが眼鏡の男は眉を顰め、不恰好なアルベルトの顔をじっと見詰めている。そして、盛大な舌打ちを放った。
「面倒なもん拾ってきやがって。ほら次」
 遂には面倒なもんと言われても、最早アルベルトにも反論する気力は残っていなかった。先程から幾度も上がっているその兄貴とやらに会えばきっと誤解は解けるだろう。それに望みを繋いで、アルベルトはひたすら残りの人が終わるまで黙って待っていた。
 ようやく全員の診察のような物が終わると、案の定アルベルトだけ鎖を外され、代わりに細い縄で手首を一つに縛られた。残りの人々はルーイが入ってきた扉から外へと連れ出し、残された丸眼鏡の男とミトはアルベルトを放置し何やら小声で話し込んでいる。
 しばらく待ってはみたがいつまでも二人が動こうとしないものだから、遂に痺れを切らしアルベルトはこちらから声を掛けた。
「あの、お話中にすみませんが。私は国に帰らなければならないのです。早くその方に会わせてもらえませんか?」
 だがアルベルトの発言に二人は驚いたように揃ってこちらを見詰めた。何がそこまでこの人達を驚かせているのか全く分からないこの状況に、アルベルトは不安からか段々と苛立ち始めていた。それでも二人はお構いなしに小声で話しを再開した。
「ラフターさん、どうしよう……」
「参ったな。あいつ、今相当ご機嫌斜めだぞ」
 その言葉にミトががっくりと肩を落として項垂れていると、漸くルーイが戻ってきた。
「おいミト、とっとといってこいよ!仕事にならねえんだよ!ラフターさんも、こいつ甘やかさないで下さいよ!」

 しばらく三人はああでもないこうでもないと論議を重ね、ようやく動きを見せたのは、それから一時間程経ってからだった。待ちくたびれてぼんやりとしていたアルベルトは、突然手首に走った痛みで我に帰る。
「痛いっ!」
 思わず叫ぶと、ルーイの蹴りが思いっきり腰に入れられる。反射的に転がったものの、縛られた手首だけが引っ張られ細い縄が食い込むあまりの激痛に、小さな悲鳴が上がった。野蛮だ。このルーイと言う男はまるで野蛮人だ。あまり刺激しないようにしよう。アルベルトは野蛮人達に囲まれながら、そう心に誓った。
 ミトに縄を引かれ狭い階段を上がる。その間もアルベルトは早くフィリアに帰りたい一心であった。階段を上り切ると、ミトは突き当たりの扉を小さく叩いた後、ゆっくりと開いた。アルベルトはその部屋から流れ込んだ匂いに、思わず息を詰めた。余りにも強烈な酒の匂い。そんな中、ルーイに押し出されるよう、ミトが先陣を切って部屋に足を踏み入れた。
「兄貴、ちょっと相談が……」
 決して広いとは言えぬ質素な部屋の真ん中に置かれた机に足を投げ、新聞を顔に乗せ眠り込んでいるらしい男に向かいミトが小さく呟く。だがピクリとも動かない男の元へ、丸眼鏡の男、ラフターが徐に歩み寄った。
「ちょっとラフターさん、あんまり刺激しないでくだ──」
 ミトが言い終わらないうちに、ラフターは新聞を剥ぎ取り男の顔面をそれで叩いたのだ。乾いた音と共に小さく跳ねた男は、あからさまに眉を顰め薄っすらと瞼を開いた。
「おい、起きな」
 一瞬ラフターを睨んだ男は、酷く気怠げに足を下ろし、頭を抱えてそのまま机に突っ伏してしまった。
「何……」
 アルベルトはその声に驚き目を見開いた。まるで枯葉を風が踊らせているような、酷く掠れた低い声。
「兄貴、ミトがタグ無しの貧弱なガキを拾ってきやがって、それがちょっと頭イカれてるみたいなんですわ」
 ルーイが後ろからアルベルトを机に向かい押し出した。ゆっくり顔を上げた男と、その瞬間に瞳がぶつかる。 
 左目にかかる殆ど黒に近しい髪の色。周囲の光を全て吸い込んでしまうような、深い色をした鋭い吊り目。鼻筋の通った顔立ちは整ってはいるが、どこか頽廃的な香りのする男。だがその黒い瞳はシンを思い出させ、アルベルトの胸は締め付けられる。シンに会いたい。その一心で、アルベルトはなるべくゆっくりと男に声をかけた。
「私はフィリアの王、アルベルトと言います。何かの手違いでここに来てしまったのですが、早く国に帰らなければならないのです」
「……はあ?」
 男は呆れたように溜息を吐くと、怠そうに立ち上がった。立ち上がる事により男の正体不明の威圧感が増し、アルベルトは思わず後退りたくなる気持ちを必死に抑える。すらりと伸びた長身は均整の取れたもので、別段体格が良いと言う訳ではない。それでも、やはり頭の片隅では常に警鐘が鳴り響いていた。その男の持つ圧倒的な雰囲気は、幾度の死線を乗り越えた騎士や、大国の王が持ち得るもののようにも感じられたのだ。
 しかしそんなアルベルトの様子などなんら気にすることなく、男は指先で煙草を巻き始めた。
「おいミト。どこで拾って来た」
「オーラストの街でウロウロしてて、それで……」
 男はふうんと呟いてから、再びつま先から頭の天辺まで舐めるようにアルベルトを眺めた。
「そこのお前、前髪どかしてみ」
 アルベルトは何故だと言いかけ、国を出て一年、全く切っていないから髪も大分伸び、前髪が顔を覆っている事に気付く。服ももうぼろ布になっていたし、これでは王だと思われないのも無理はない。そう納得した所で、アルベルトは言われた通りに前髪を上げた。
「私を待つ民の為に早く帰りたいのです。どうか、分かって下さい」
 そのアルベルトの言葉に、目の前の男ではなく、後ろにいたルーイが鼻で笑った。
「フィリアってどこだよ」
「疑うのならば共に国まで来てもらえれば分かる!」
 声を荒げたアルベルトに食って掛かろうとしたルーイを、男は片手で制した。
「確かにフィリアと言う国はある。まるで桃源郷のような国だそうだ。それで?その王が何故こんな所にいる」
 兄貴と呼ばれるだけあってこの男はどうやら話しが通じるようだとアルベルトは心から安堵し、ここに至るまでの経緯をなるべく詳しく話して聞かせた。 
 アルベルトがその全て話し終えると、男は大きな欠伸を一つしてから、先程巻いた煙草に火を付けた。
「分かってもらえただろうか。だから私はどうしても国に──」
「よく分かった」
 アルベルトの言葉を遮り放たれたその返答に心底ほっとしたのも束の間。男の口からは、予想だにしなかった言葉が吐き出された。
「でもな、あんたが王かどうかははっきり言って俺にとってはどうでもいい事だ。それにオーラストの捕虜だったってことは、今頃国では葬式をしている頃だろう。あんたのな」
「そんな……だったら!」
 尚更早く帰らなければ。そう慌てるアルベルトをよそに、男は喉の奥で小さく笑った。
「帰らなければ、とか思ったろ。世間知らずのあんたは知らないだろうが、ここは人買いの街だ。そして俺はこの街の所謂総元締め、フェイ。分かるか。俺に捕まった時点で、あんたはもう王じゃない。奴隷なんだよ」
 フェイと名乗った男は至極淡々と言葉を投げてよこすばかり。アルベルトは余りの衝撃に、足の指先から震えが這い上がってくる感覚を覚えた。
 つまり、首輪族と名付けたあの人々の実態は、奴隷だったと言う訳だ。そしてこの身も──その瞬間、目の前で優雅に煙草をふかす男が、酷く恐ろしく見えた。
 だが立ち尽くすアルベルトなど気にもとめずに、男達は話しを進め始めている。そしてフェイは引き出しから鋏を取ると、それをミトに手渡し徐にアルベルトの顎を掴んだ。
「とりあえず髪は切っとけ。金髪は高く売れる。しかし、随分と上玉だな」
「何を、言っている……!」
 震える唇でようやく反論する言葉らしいものを発しては見たが、男達は誰一人聞いていないどころか、耳元近くで入れられた鋏の音に、身体が強張るばかり。一体この人々は何なのだ。外の世界は何て恐ろしい所なのだ。アルベルトは頭の中で何度もそう繰り返し、最早恐怖以外何も感じる余地はなかった。
 髪を切り終わると漸く顎を掴んでいた手が離され、代わりにミトの手に握られた真新しい首輪が目に飛び込んだ。
「兄貴、タグはどうします?」
「これじゃあ貧相過ぎるしな。力仕事に慣れてもいなさそうだし。とりあえず、グリーンタグでいいだろう」
 荒く息を吐き、今にも倒れてしまいそうなアルベルトを前に淡々と作業をこなしていく男達。
 冗談じゃない。何故こんな仕打ちを受けなければならないんだ。この男達は何故まるで今日の夕飯の話しをするかのように会話をしている。人の人生を、何だと思っているのだ。
 アルベルトは恐怖に支配されながらも、己の内に燻り始めた焔の揺らめきを感じていた。そして、ミトの手が首に伸びた瞬間。
「触れるな!」 
 アルベルトは恐怖とその怒りに圧され、思わずミトの手を思い切り払いのけてしまった。生まれて初めて人に暴力を振るったと、そんな事にショックを受けてる場合ではなかった。反動でよろけたアルベルトの首元を、フェイは力任せに引っ張り上げたのだ。一瞬にして気道が閉まり、それでも必死で目をこじ開けたアルベルトの瞳がフェイを捉えた瞬間、その漆黒の瞳が放つ殺気に、震える事さえ許されぬ恐怖を感じた。
「おい、ミト。この生意気な糞犬はブラックタグだ」
 吐き捨てるように言うと、フェイは乱暴にアルベルトを突き飛ばした。その色が何を意味するのかを当然アルベルトは知らない。それでも、最悪の結果を招いた事ぐらいは容易に想像が付いた。
 床に倒れたアルベルトを無理矢理引っ張り起こすと、ルーイは明らかに不機嫌になった男に困った視線を向けた。
「ブラックって……こいつ、綺麗な顔はしてますけど、どうせ真っ新ですよ?仕込みはどうすんですか?」
 その言葉に苛立ったのか、フェイはそれ程頑丈そうにも見えぬ机を蹴り飛ばした。轟音が響き、狭い部屋に緊張が走る。
「叫ばれるのが嫌なら口を塞ぐか、薬でも盛っとけば良いだろうが。そんな事ぐらい自分で考えられないのか」
「……すみません」
 アルベルトが野蛮人と認定したルーイでさえ、縮こまっている。人買いの街の元締め、フェイ。まだ若いであろうその男の放つ重い怒気は、元来勇敢なアルベルトですら竦み上がる程のものだった。しかしルーイがそのままアルベルトを連れ部屋を出ようとした時、突然ラフターがそれを制した。
「どうしたフェイ。幾らなんでも性格的にもこいつにブラックタグは無理だ。おまえが見誤る筈はないよな。女にでもフられた腹いせか?」
 ミトが慌ててラフターを止めようとするも、もはや手遅れ。再び蹴られた机が悲鳴を轟かせ、更に緊張感を煽る。
「煩え、腐れ眼鏡が。向き不向きなんざどうでもいいんだよ。良いじゃねえか。王が泣いて地面に這いつくばる姿なんざ、喜ぶ奴はごまんといるぜ」
 その言葉を聞いた瞬間、恐怖に気圧されていたものが、アルベルトの中で弾け飛んだ。
「お前の為に、流す涙などない!」
 それは挑発以外の何物でもない言葉だ。それでも人を犬呼ばわりし、平気で傷付けようとするその男に、アルベルトは燃えるような怒りを感じた。当然殺気を含んだ瞳が鋭くアルベルトを捉える。
「……上等だ。お前ら、下がれ」
 酷く掠れた声で一際低く男が呟くと、ルーイとミトは慌てて部屋を後にした。
「ガキ相手にあまりムキになるな」
 ラフターもまた、捨て台詞を残し諦めた様に部屋を後にした。 
 二人きり残された部屋で、アルベルトは一筋の光さえ射さぬ深い闇色の瞳を真っ直ぐに見据えた。首輪族だと思っていた人々の真の姿。この男のせいで、あの人達はあんなにも怯えていたのだ。絶対に許す事はできない。恐怖など忘れる程に、アルベルトの胸には怒りだけが渦を巻いている。
「おい糞犬。その度胸だけは認めてやるよ」
「私はアルベルト・フィリアだ。糞犬などと言う名前ではない!」
 フェイの瞳が再び殺気にも似た怒りで揺れる。それでもアルベルトは、こんな男に負けたくはなかった。

 睨み合う時間が微かに過ぎ、フェイは突然乱暴に縄を引き寄せた。縛られたアルベルトの手首には激痛が走る。だが歯を食いしばりその痛みに耐え、近付く男を前にアルベルトは慌てて抵抗を始めた。しかしその奮闘虚しく、直ぐに胸元に伸びた手が、アルベルトを身体ごと思いきり引っ張り上げた。目の前で揺れる瞳に、息を付く事さえ忘れるよう な、そんな恐怖を思い出す。
「……いいか、糞犬。俺はな、王族ってものがこの世で一番嫌いなんだよ。王に一体、何が守れる」
 そのほんの一瞬だけ、この男の顔に浮かんだ読み取れぬ程あまりにも深い感情は、そんな一瞬でも簡単にアルベルトを呑み込んでしまった。
 フェイは手の力を緩め、ぐちゃぐちゃになった机にアルベルトを叩きつけた。全身を打ち付ける鈍い痛みに息が詰まり、肺が空気を求め小さく震えだす。足の間に身体を割り入れたフェイをそれでも必死で睨み付けると、あれ程に感情を剥き出しにしていた癖に、その顔には全くの感情も滲んではいなかった。まるで一つの仕事を淡々とこなしていくような、そんな雰囲気だけを纏っている。その表情は、怒りを向けられるよりも余程恐怖心を煽った。
 作業的に服を脱がされていく屈辱と恥辱の中で、それでもアルベルトは力の限り暴れ回る。
「やめろ、手を離せ!」
 しかしフェイは鬱陶しそうにするだけで、更に縛られた手は頭の上にまとめられ状況は悪化してしまった。慣れた様子で一粒の薬のような物を取り出し、フェイは徐にそれをアルベルトの口の中にねじ込んだ。突然すぎて思わず吐き出すと、小さく舌打ちをした男は眉を顰めアルベルトを見下ろした。
「飲めよ。どのみち痛いが、少しはマシだ」
 一体何の薬なのかは知らないし、元よりアルベルトにとってはどうでもいい事だ。この男の手から与えられる物など誰が口にするか。そう心の中で毒吐いてみても、息が上がって言葉にならない。
  再び捻じ込まれた薬も、アルベルトは勢いよく吐き出した。
「……強情だな、この糞犬」
 フェイは酷く面倒臭そうに自ら薬を口に含み、あろうことかそのまま唇を押し当ててきたのだ。熱い舌が歯列を割って入り込む。そのあまりの嫌悪感に、アルベルトは思いきり男の舌を噛んだ。しかしほぼ同時に横っ面を殴り飛ばされ、一瞬宙を舞った体は直ぐ床を転がった。驚いたフェイが反射的に取った行動なのだろう。痛みを抑え、アルベルトは素早く上体を起こし、口内に残された薬を吐き出すと、怯む事もなく真っ直ぐに男を睨み付けた。
「私に触れるな、下郎が!」
 互いの内で、何かが切れた。漆黒の瞳は怒りで燃え、アルベルトの心に芽生えた灼けるような熱いものが渦巻き身体中を駆け巡っている。
 口元の血を拭い、フェイは苛立ちを隠しきれない様子で奥歯を噛み締めた。
「糞ガキが!」
 フェイはへたり込んだアルベルトの顔面を蹴り上げ、床に伸びる隙も与えず乱暴に引き上げる。再び机へと叩きつけられ、アルベルトは背骨が軋む程の痛みからもう抵抗すら容易には出来なくなっていた。
 酸素が足りず、意識が遠のいて行く。その朦朧とした意識の中で聞こえた自分の物とは思えない叫び声、身体を真っ二つに裂くような壮絶な激痛。守る事の出来なかった、純潔。その悪夢のような行為の中で、アルベルトはただシンを想った。穢れてしまった己にはシンを想い続ける資格すら、もうないのだろう。それでもどうして、こんなにも会いたいと願うのだろう。
 悔しくて、息も出来ぬ程に苦しくて、世界があの暗い地下牢のように、一気に色褪せていった。アルベルトはその時、絶望と言う名の景色を知った。

 アルベルトは再び己に問うた。どうしていつも険しい試練の道ばかり選んでしまうのだろう。あの時ああしていれば、この道を選んでいなければ、未来は違ったものだったのだろうか。それもまた、愚問でしかない。アルベルトは自らの足で、この道を選んだのだから。
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ドSな両親から生まれ、使用人がほぼ全員ドMなせいで、本人に特殊な嗜好はないにも関わらずSの振る舞いが発作のように出てしまう(不本意)シャルル。 その悪癖を正しく自覚し、学園でも息を潜めるように過ごしていた彼だが、ひょんなことからみんなのアイドルことミシェル(ドM)に懐かれてしまい、ついつい出てしまう暴言に周囲からの勘違いは加速。婚約者である王子の二コラにも「甘えるな」と冷たく突き放され、「このままなら婚約を破棄する」と言われてしまって……。 婚約破棄は…それだけは困る!!王子との、ニコラとの結婚だけが、俺があのドSな実家から安全に抜け出すことができる唯一の希望なのに!! 婚約破棄、もとい安全な家出計画の破綻を回避するために、SとかMとかに囲まれてる悪役令息(勘違い)受けが頑張る話。 攻めズ ノーマルなクール王子 ドMぶりっ子 ドS従者 × Sムーブに悩むツッコミぼっち受け 作者はSMについて無知です。温かい目で見てください。

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