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二十章 光への道標
しおりを挟むフィリアとの統合を決めてからは、誰もが目も回るほどに大忙しであった。フェイは寝る間も惜しんで正式な建国に向け動いていて、少し心配ではあったけれどその瞳に僅かに戻った光は、アルベルトにとって何よりも嬉しいものである。
そしてその裏でフィリアの危機に一早く駆け付けてくれたレスティアやテバンの人々に、アルベルトは感謝してもしきれぬ程の恩を感じていた。フィリアの民がその手を血に染める事もなく、エルバントにも傷一つなく済んだのは、本当にレスティアのお陰である。重ねて彼女は建国祝いにと、オーラストのあった地をラブールに譲ってくれたのだ。ジャックの墓があり、フィリアにも近いその場所を、ラブールの本国とする事に決めた。
移住や家の建設の関係で移り住む日取りは一年後となったが、フェイは頻繁に本国予定地に出向いていた。アルベルトはその間小屋の中で過ごしていたから、フェイに会えない日々が寂しくもあり、前へと進む背中に更に心を奪われて行った。エルバントとシンと一緒に暮らす事も、自ずと本国が完成してからとなった。
徐々に前へと進む日々。輝かしい未来が、もう目の前まで迫っていた。
そして今日、二ヶ月ぶりにフェイがラブールに帰って来るのだ。逸る気持ちを抑え、アルベルトはミトの迎えを待つ。疲れているだろうか、沢山話しを聞いてあげたい。そう思うと落ち着かず、夜になるまでずっとアルベルトは浮ついて過ごした。
やがてミトが奴隷小屋に顔を出し、アルベルトはフェイの部屋へと向かった。部屋に入ったものの、いつもならば優しい笑顔で迎えてくれていたのに、やはり相当疲れていたのかその日フェイは既にベッドで重い瞼を閉じている。眠っているのかと思い静かに枕元に腰を下ろすと、フェイは閉じていた瞳を薄っすらと開いた。
「起こしたか」
アルベルトの問いに小さく微笑んで首を振ってはいるが、少し赤くなった瞳にはやはり疲れが見える。その顔にかかる前髪をそっとどけてやると、フェイはアルベルトに小さく問い掛けた。
「オーラストは、どんな国だった」
アルベルトは長い長いこの旅を振り返り、静かに瞼を閉じる。
「今思えば、素晴らしい国だったのかもしれない」
ジャックが愛した国だから。ジャックが、命を賭してでも守ろうとした国だから。
そうか、と小さく呟いて、フェイは天井を見詰めた。不安気な瞳が月明かりの下で揺れる。
「怖いんだ。こんな俺に、王など務まるのか。リーハのように、滅ぼしてしまわないか」
ラブール建国が決定して以来、誰もが安心してフェイの背中をただ追った。フェイが王ならば大丈夫だと皆口を揃えて言った。その胸の葛藤さえも誰にも悟られず隠していたかと思うと、やはりこの男は誰よりも強い男なのだとアルベルトは知った。それでもアルベルトに見せる顔は、不安を隠し切れないフェイの素顔。
「この先どんな事があったとしても、私が側にいる。大丈夫だ」
それは何の力もない言葉なのかも知れない。もうフェイはたった一人孤独の道を歩む事はない、アルベルトが出来る事はただそれだけだ。それでも何故か潤んだ瞳に、それこそがこの男を救う道なのだとアルベルトは胸の奥で感じていた。
手を引かれ、いつものように腕の中で瞼を閉じる。これから先、どんな未来が待っているのだろう。フェイはいつか、他の誰かを愛す日が来るのだろうか。ふとそんな取り留めもない不安がアルベルトの胸を過る。その時にこの心は、心から祝福する事が出来るのだろうか──。
「どうした」
不意に頭上から降った声に、この暗い気持ちを悟られたくなくて、アルベルトは思わず回した腕に力を込めた。それ以上何も言わずに、フェイはただ優しく金色の髪を撫でた。不安だと、どこにも行かないでほしいと、心のままに叫ぶ事が出来たなら、どんなに良かっただろうか。フェイを失う事はこれまで感じて来たどんな事よりも恐ろしい事に思えた。
「好きだ」
余りにも脈絡なく降ったその言葉にアルベルトの口からは間の抜けた声が上がる。
「何だその反応」
アルベルトが思わず顔を上げると、フェイは少し不貞腐れたような顔を見せている。
「よ、よく聞こえなかったのだ、もう一回!」
「バカか!もう寝ろ、明日も早いんだから!」
そう言ってフェイは布団を頭から被ってしまった。初めて言われたのだ。短い言葉だったけれど、思わず泣き出してしまいたくなる程の悦びにアルベルトの胸は打ち震える。互いに言葉に出さずその心を感じ合って来たけれど、どうして言葉にするだけで、こんなにも胸が熱くなるのだろう。
「私もだ……私も、フェイが大好きだ」
布団から顔を覗かせたフェイに導かれるようにゆっくりと唇を重ねる。髪に伸びた指先が頬をなぞり、首筋に緩く這う。そのもどかしい快感にアルベルトは身体に力を込めた。気を抜けば口に出てしまいそうで、この欲情がフェイを傷付けてしまう事が、ただ怖かった。
「ごめんな」
フェイは不意に手を離すとそう小さく呟いた。その言葉でアルベルトは堕ちずにいられて良かったと、心底安堵した。
「これだけで充分だ」
アルベルトはフェイの胸に顔を押し当てて自分に言い聞かせるように言った。
黒札として生きていた時、アルベルトは客に抱かれる度にその意味を考えた。その行為自体酷く無意味に感じていた。けれど今、心は叫ぶようにフェイの熱を求める。抗う事なく堕ちて行きたいとさえ思う。同じ行為でも相手が違うだけで何時の間にか重い意味を持つものに変わっていた。そしてフェイに愛され幸福の絶頂にいる筈なのに、何時迄も満たされる事のない自分に酷く嫌気がさしていた。
こうして穏やかに一年が過ぎて行き、オーラストのあった土地には一つの国が出来た。風に靡く旗に描かれたものは、落日を背負う漆黒の馬。ラブールの国章であるそれを考えた者は意外にもルーイで、アルベルトはルーイを少しだけ見直した程だ。
夏の日差しが降り注ぐ中、アルベルトとフェイはラブールに残る人々に別れを告げて、一ヶ月程かかって無事に移住を終えた。アルベルトが国を出てから早くも五年。恐ろしく長い旅路のようでいて、まるで一瞬の出来事のような、そんな不思議な心地がした。
漸く片付けがひと段落すると、汗を拭うアルベルトの元へ、エルバントが嬉しそうに走り寄る。
「兄様!」
「エル!」
きつく抱き合う二人を見て、フェイが呆れたように溜息を吐いた。
「散歩でもして来たらどうだ。俺はまだやる事があるし、その糞ガキに色々案内してもらうのも良いだろう」
アルベルトが知らぬ事まで見て来たフェイは、どうやらエルバントの事を認めてはいないようで、余り気持ちの良い態度を取ってはくれない。アルベルトはそれを少し寂しく思いながら、二人はこれからゆっくりと歩み寄れれば良いと感じていた。未来がこの手の中にある事は、そんな些細な事さえ悦びに変えてくれる。
「夕飯迄には戻るよ」
その思いを胸に不機嫌な背中に声を掛け、アルベルトはエルバントと共に街を見下ろせる丘、ジャックの眠る場所へと足を進めた。
四年前に見た真黒い大地には、今では所狭しと家が建ち並び、その外れに申し訳なさそうに建つ白い小さな城まで存在している。城と言ってもただ少し大きな家にしか見えないけれど、ラブールに生きる全ての人にとっては立派な城だ。
人はこうして亡くした命の上に生き、その悲しみも虚しさも喜びに変えて行くのだろう。人間とは愚かで、愛すべき種族である事をアルベルトは噛み締めた。
ぼんやりそんな事を考えていると、隣で同じように国を見下ろしていたエルバントが小さく呟いた。
「ねえ、兄様。何故この国の王にならなかったの?」
「……どうして?エルはフェイが嫌いか?」
アルベルトの問いに、翡翠色の瞳が微かに揺らぐ。二人共に大切な人だから、エルバントにもフェイにもお互いを嫌い合って欲しくはない。アルベルトのその心も分かっていながら、エルバントもまた痞えを呑み込めずにいた。
「僕にはまだ、分からないんだ。あの人が兄様よりも王に相応しいのか」
フィリアで生きて来たエルバントには、兄こそが王の中の王であるように感じていたのだ。だがアルベルトもまた、外の世界の王となるには自分のような者では務まらぬと感じている。フィリアにはアルベルトのやり方が合っていた。それだけなのだ、と。
「私はつい踏み込み過ぎてしまう。それで揺らぐ事も少なくはない。あの男はね、エル。どれ程の強い向い風を受けても、例え胸の奥でどんな痛みを抱えていても、何時でも真っ直ぐに立っているのだ。誰もが彼を認める理由は何だと思う?それは、揺るぎない信念の元にただ前を見詰めているから。フェイは、素晴らしい王だよ」
エルバントは未だ納得のいっていないようだったが、この先を見ていれば分かるだろう。アルベルトが何故あの男に憧れ、そして惹かれたのか。
暫く国を見下ろしてから、二人は街に降りた。奴隷の人々には一つの大きな小屋が用意され、アルベルトの住む場所も必然的にそことなる。前の土地だと隣り合っていたフェイとの距離は、ここに来てかなり遠くなってしまった。国土自体は大して広くはないものの、歩いて二十分は掛かるだろう。加えてテバンの永世和平国宣言の日が近いから、フェイは色々と忙しくなると言っていた。他国間の付き合い方などはアルベルトにはよく分からない。建国も結局提案しただけで、後はフェイが全て一人でやっていた。そう思うとアルベルトは自分がまるで子供のように思えた。少しでもフェイの負担を減らせたら、そうは思っても、アルベルトは未だにタグの無い奴隷のまま。自分で決めた道の筈が、フェイとのあまりの格差に少しだけ物怖じしてしまう。
「兄様、今は幸せ?」
不意にエルバントはそう問うた。アルベルトは何故か、直ぐに頷く事が出来なかった。愛する人に囲まれてこうして生きている事は、何よりの幸せである。フェイにだって、愛されている──アルベルトは鉛のような大きな蟠りを呑み込んで、エルバントに問い掛けた。
「エルは、シンを見てどう思う?」
「え?何それ。最近年を取ったかなって思う」
シンももう三十歳を越えた筈だし、それはそうだろう。
「いや、違う……どんな時に、愛されていると感じる?」
エルバントは怪訝な表情を隠す事もなく、アルベルトの肩を掴んだ。
「ねえ、何かあったの?あいつに酷い事でもされているの?もしかして、調子に乗って遊び歩いているとか?」
「ちっ、違う!フェイはそんな男じゃない!ただ──」
抱いてくれないなどと、こんな事を弟に相談するものだろうかとアルベルトは言い淀んだ。だがミトはまだ子供だし、ルーイには何と無く言いたくはないし、ラフターはそもそも知っているのだからこの胸の内を吐露するには一番良いのかも知れないけれど、あの男に変な事を言うと面白おかしくフェイに伝わりかねない。あと二人の関係を知っているとすればシンと、エルバント位である。兄としてこれ程情けない事はない。やはりシンにしておけば良かったか。そう思い、何でもないと誤魔化そうとした時。アルベルトを真っ直ぐに見詰めるエルバントの瞳に息を呑んだ。
幼かった弟、何時迄も子供だと思っていたのに、自分などより遥かに大人びて見えた。アルベルトに向かいガキ臭いと吐き棄てたラフターの心が、今になって分かったような気がした。
「ねえ、兄様。何かあるなら僕に言って?今迄沢山傷付けた分、力になりたいの。そんな事で許される訳ないけど……」
エルバントは未だに過去の過ちを悔いている。アルベルトはフェイを愛し、エルバントの気持ちが分かった。失いたくない、その強い想いが歪んでしまう事、それは誰にも責める事は出来ない。
「ありがとう、エル」
そう言って笑いかけると、エルバントも笑いかけてくれた。大好きだった屈託のない笑顔。それが戻った事が、アルベルトは堪らなく嬉しかった。
結局、アルベルトはエルバントにこの悩みを打ち明ける事にした。
「──抱いてくれない!?」
「こっ声が大きい!」
ごめん、と言いながらも、エルバントは驚きを隠し切れず、丸い瞳を更に丸くしている。
「まあ、そんな大した事じゃないのだけれど……」
そう言うアルベルトに、エルバントはまるで叱るように強く言葉を投げた。
「それって、兄様が思うよりも重要な問題なんだよ?」
そうなのだろうか、アルベルトにはよく分からない。二年近く我慢出来ているのだから、これは単なるわがままでしかないのだろうと、そう思っていたのだ。
「二年も……よく我慢出来たね。兄様は聖人みたいな人だからわからないかも知れないけれど、欲望に身を任せて愛し合う事って、凄く凄く大切な事なんだよ」
何故大切なのだろう、やはりアルベルトには分からない。そしてエルバントは本当に心配してくれているのに、何故だろう、無性に腹が立つ。
愛する弟はアルベルトの中ではまだ子供だった筈なのに、知らない間に兄である自分よりも遥かに大人になっていて、それに対しての苛立ち。これは娘を持つ父親のような、きっとそんな感情なのだろう。嫉妬のような、成長が嬉しいような──どちらにしても、シンを一発殴りたい。アルベルトはそんな気分であった。
エルバントはシンに会って帰れば、と言ってくれていたが、アルベルトは本当に手が出てしまいそうで、明日にする事にして一人城へと戻った。
城に戻ると皆慌ただしく動き回っていた。ミトとルーイが奴隷達を連れ、二日後には本国に到着する。その到着を待って正式な建国宣言と、その祝いを執り行う事となっているからである。フェイは酷く乗り気じゃなかったけれど、何とか皆で説き伏せ納得してもらった。それと同時に明後日からアルベルトはまた小屋で過ごす。忙しくなるフェイとは暫く顔を合わせる機会も減ってしまうだろう。せっかくの門出に、アルベルトは一人、複雑な思いを抱いていた。こんな事ではダメだと言い聞かせてはみても、フェイがどんどんと遠くなって行く気がして怖かった。
そんな事を考えながら呆然と人々の様子を見詰めていると、ふと視線が合ったラフターは、軽い手招きでアルベルトを呼び寄せた。
「おい、みっともない面をするな。フェイがおまえを構えなくなる事なんて分かり切っているだろう。いちいちそんな事で落ち込むな」
それをラフターに言われる事が悔しい。それでも簡単に不安を顔に出してしまった自分が、情けなくもあった。
「……そうだな。すまない、気を付ける」
アルベルトは少し風に当たろうと歩き出したものの、ラフターが直ぐにそれを制した。
「あいつだって、不安みたいだぞ。おまえがいつあの色男の所へ戻らないかってな」
色男、戻る、何を言っているのか、アルベルトは分からず首を傾げた。
「誰の事だ?」
「……フェイも大変だな」
そう言って気怠気に離れて行くラフターを見送って、アルベルトは一人小さなバルコニーに出た。
夏の厳しい日差しの中で忙しなく動く人々。元フィリアの民と、元奴隷であったラブールの人々。こうして共に暮らしている姿を見ると何ら変わりはない。育った環境、肌の色や髪の色が違っても、皆同じように、幸せなら笑い悲しくて泣いてこうして精一杯生きている。
「アル」
その声に振り向くと、少し心配そうな瞳でフェイが見詰めていた。そういえばいつから糞犬ではなくなったのだろうか──そんなどうでも良い事を考えながら、アルベルトはフェイの胸に飛び込む。
「何かあったか」
戸惑いながらも背に回された腕が、とても愛おしい。いつもこうして忙しいにも関わらず気に掛けてくれる事は、フェイがアルベルトを大切に思ってくれているからだろう。それでもまだ少し不安な自分が後ろめたくて、真っ直ぐフェイを見る事がなかった。
「少し、このままでいて」
この手を離したらきっともう大丈夫。不安なんか無かったかのように笑える筈だ。強がりでも構わない、フェイの光となる為に幾通りもある中からこの道を選んできたのだ。そう心の中で言い聞かせ、一つ呼吸を整えスルリと腕の中から抜け出し、アルベルトは精一杯笑って見せた。少し困った顔をして、フェイもまた優しく微笑みかけてくれた。
互いが胸に秘めた想い。すれ違いながらも二人は、ただ前へと進む。
そして遂に二日後。ラブールに残っていた奴隷達と共に、ミトとルーイが本国に到着した。
「わんこ!」
駆け寄るミトを抱き締めると、嬉しそうに笑うその姿にアルベルトも思わず頬が緩んだ。
「建国宣言なんて、兄貴ちゃんと出来るかなあ」
「きっとフェイの事だ、しっかりやるよ」
そう言って笑い合って、二人は手を繋ぎ自室に籠るフェイの元へと向かった。椅子に深く身を沈めていたフェイは二人の予想以上に緊張しているようで、机の上には無駄に巻かれた煙草が散乱していた。ダメかも知れない。アルベルトはミトと顔を見合わせ、そんな事を思った。
建国宣言はアルベルトもフェイも初めてである。そう難しく考える事はないのだろうが、やはり一国の王となるからには国民の命を背負い、国を守ると言う大きな責任が伴う。一度国を失ったフェイはやはり、その重さを誰よりも知っている。だからこそ余計に不安なのだろう。
「ミト、少し二人にしてくれるか?」
愚図るかと思っていたアルベルトの予想を裏切り、ミトは快く受け入れ部屋を出た。
扉が閉まった途端、フェイは大きく溜息を吐く。例え長い時を共にしたミトだろうと、弱い姿を見せることが出来ないようだ。遂に頭を抱えてしまったフェイの姿に、アルベルトの胸を少しの不安が過る。
「情けないな。ここまで来たのに、震えが止まらない」
そう言って小さく笑う姿が、酷く孤独に見えた。戻ってしまわぬよう、アルベルトはフェイを抱き締める。
「皆受け入れてくれるにきまっている。フェイが誰かの為に一人心を痛める姿に、その背中に皆今迄ついて来たのだ。自国の民の心を信じてくれ」
フェイは何も言わず、アルベルトの背中に腕を回した。まだ少し震える身体がまるで縋るようだった。
この部屋を一歩出たら、フェイは正式にこの国の王となる。だから今だけは甘えさせてやりたい。強くなくても良い、恐怖に打ち勝てなかったとしても、必ず光を見せよう。二度と迷う事の無いように、二度と、望む事を拒絶しないように。王となるフェイと同じよう、アルベルトもまた、大きな決意をその胸に秘めていた。
漸く身体を離すと、吹っ切れたかのようにフェイは口角を上げて見せた。
「もう、迷わない」
その表情は思わず息が止まる程であった。まるで太陽を内包したかのように輝く漆黒の瞳。暗く霞んでいたその顔立ちには、もう塵雲ひとつ見受けられない。正しく大国の王としての気品と威厳に満ち満ちている。部屋を出る背中にさえ、何より強い信念が滲み出していた。誰ひとり惑わせることの無いような、絶対的な安堵を与えるような──これが、フェイの本来の姿なのだろう。その姿を前に、アルベルトは圧倒され、そしてその男が自身を愛してくれていることにこのうえのない歓びを覚えたのだった。
国中の人々が待ち侘びた建国宣言。集まる群衆の前に進み出たフェイの姿に、誰もが一瞬息を呑んだ。夏の暑さの中、思わず鳥肌が立つような、それ程に圧倒的な雰囲気を纏っている。これが、王としての風格とでも言うのだろう。一つ大きく息を吸い込み、フェイの建国宣言が始まった。
「今日はこの国の為に集まってくれて有難う。大切な建国宣言をまえに、言っておきたい事がある。ラブールを創る前、俺は西の国で暮らしていた。利己的で残酷な戦を繰り返し、沢山の血と涙を糧に肥え太るその国を俺は愛し、そして同時に憎んでもいた。俺は──その国の王子であり、そして十五年前、未熟さ故に国を滅ぼした王だった。何万の民を、大切な人達を、一瞬で失った。以来俺は先祖の罪に身を沈め、孤独に縋って生きて来た。誰もが憎んでくれる事を願い、救われる事を拒んで来た。それが罰だと、償う事の出来ぬ罪を背負う代償だと信じて。だが、そんな虚しい人生から救い出してくれた者は、ここにいる皆だ。俺に夢を、そして重い暗黒の中に一筋の光を与えてくれた。心より感謝している。だから俺はこのラブールを良い国にしたい。悲しみも、苦しみも、絶望さえも乗り越えてゆける、そんな国に」
自らの血塗られた過去を明かし、それでも王となる事を宣言したフェイ。その心が再び光を取り戻した事を、その時に誰もが確信した。その鮮やかな建国宣言に誰もが賞賛を与える。しかし沸き立つ群衆を制し、フェイは静かに続けた。
「それでも再び王となる事は、正直怖い。この呪われた命に、また食い潰されてしまうのではないかと。俺は強がる事が上手いだけの弱い男だ。たった一人ではとても王など務まらない」
何を言っているのだろうと、誰もがその続きを待つ。アルベルトもまた呆然とその姿を見詰めていると、不意に群衆に紛れていたアルベルトを、フェイは真っ直ぐに見据えた。
「アルベルト。俺と共に王になってくれ」
「……え?」
一国に二人の王など、聞いた事がない。大体この首にはまだ、首輪が──言い返そうとするアルベルトを制したものは、国中の民であった。
「王様、早く早く!」
「え!?いや、私は……!」
慌てふためくアルベルトの手をミトが引く。
「わんこ、逃げんなよ?」
まるで全てを知っていたかのようなミトの笑みに文句を投げようとしたものの、押し出されるようにフェイの前に立った途端、その瞳がアルベルトに訴えていたものは、己への拭い切れぬ不安であった。きっとその微かな揺らめきはアルベルトにしか分からないであろう。そんな瞳で見詰められたら、断る事など出来ないではないか。
どうしようかと思いぐるりと見回した人々の顔に浮かぶ、自身に向けられたあまりにも優しい笑み。その時、アルベルトは漸く気付く。この命はきっと、この為に生き抜いて来たのだ──。
「精一杯、皆で幸せになろう」
涙が溢れて、それ以上言葉にはならなかった。
国中に歓喜の波が打ち寄せる。悲しみや、憎しみや、絶望や、後悔や、同じ位の幸福、その全てを胸に、人々は明日を見詰め煌めいていた。ラブールの建国宣言は、未来への希望に満ち溢れた、そんな素晴らしい物となった。
奴隷であったアルベルトがこの国の王となった。それは世界的に見ればとても衝撃的な事ではあったが、人は誰でも同じ命を持って生まれた筈だ。それが奴隷であっても王族であっても。そんな些細で最も大切な事さえ、人は忘れて行くのだろう。
奴隷の王様──その大きな意味を、アルベルトはその時に初めて知った。
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