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『Underground rabbiT』
人生の幕開け
しおりを挟むそれからは特訓の日々だった。普段飄々としている白井さんでさえ、俺が余りにも上達しないものだから半ばキレていたように見える。これじゃあ期日までに引き渡せないと、何時もブツブツと文句を言っていた。
何事も好きこそもののなんとやらとはよく言ったものだ。俺はホモではない。だから野郎のモノを舐めたいとか微塵も思わないし、気持ちよくしてやろうなんて思えない。
それとは裏腹に、後ろは順調に開発されて来ていた。こっちは割と素質があるとかなんとか。全く嬉しくないし、歯を食いしばり過ぎて歯が欠けそうだ。
学校に関しては結局時期も時期だし、この一年家庭教師を付けられて、来年度から定時制の高校に行く事となった。全くめでたくないが、そんな風にして順調に日々が過ぎていた。
そして明日。俺は遂に初めての仕事に出向く事となる。相手は最初に紹介されたうちの一人で、若い実業家。名前は笹原祐樹さん、三十ニ歳。白井さんの三つ下だ。驚く事に白井さんは俺の予想より少しばかり年を食っていた。身体付きや顔付きは若く見える。しかし確かにあの落ち着き過ぎた雰囲気は、三十前後では持てないだろうけれど。
話しを戻すと、笹原さんは少し金を持っている普通の人だ。顔は普通、背も普通、身体つきも普通。ただ、顔合わせで会った感じは凄く優しそうな人だった。だがこの頃の俺は優しそうな人に酷く警戒心が強くなっていたから、あまり印象は良くなかったけれど。愛人を買おうなんて人間はたかが知れている。だから明日が酷く憂鬱で、その日は夜まで布団の中から出れなかった。
「冬弥さーん、飯出来たんで出て来てもらって良いですかー?」
今日、白井さんは帰らないから、舎弟らしき内の一人が俺の世話をしに来ている。馬鹿でかい声でドンドン扉を叩かれ、堪らず頭まで布団を被った。あの男は何時も白井さんの前では不貞腐れている奴。歳は二十後半位だろうか。名前は確か白井さんが慎太郎とか呼んでいた気がする。
「いらない」
俺の声は扉を叩く音で掻き消された気もしたが、どうでも良かった。相変わらず食欲はない。お陰でまた少し痩せて、それも白井さんの苛立ちの原因になっていた。
「またですか。困るんですよねえ。俺が将生さんに怒られるんですから」
扉の向こうの声は大分苛立っているようだ。
「知らない」
こんな大分年下のガキに敬語を使わなきゃならないあの男は可哀想だとは思う。でも俺には関係ない。断固俺が部屋から出ないと分かると、慎太郎さんは盛大な溜息を吐いた。
「良いっすねえ。わがまま言っても怒られないんだから。あの人すげえ陰険なの知ってます?こないだもちょっとしたヘマなのに人間否定ですよ。それから延々と陰湿な口撃を受け続けてさすがの俺も二日引き摺りましたわ。なんて言うんですかね、心的ストレス?医者行こうかなあ。治療代は冬弥さんに請求しますけど良いですよね。だって、冬弥さんの所為だし」
子供かと疑うような、それでも金に関して敏感な俺にとっては聞き捨てならない言葉が聞こえて慌ててベッドから飛び出し扉を開くと、腕を組んで仁王立ちしている男のニヤけた面が待ち構えていた。直ぐに部屋に逃げ込もうとしたものの、一寸早く羽交い締めにされてしまった。
「はい、捕獲!」
嬉しそうに叫んだ慎太郎さんの熱い息が耳元を掠め、背筋に悪寒が走った。昔もじゃれ合いでこう言う事はよくあった。なのに何故か、過剰に反応してる自分に驚いた。この先大丈夫なのか、俺。
「冬弥さん本当食べた方が良いですよ。これちょっと痩せすぎ」
少しトーンを落とした声に全身の毛が逆立つ様な嫌悪感が走る。
「分かってるよ、離せ!」
「じゃあ飯食ってくれます?」
「食うよ、食うから離せ!」
ならばよしとか言いながら、慎太郎さんはようやく俺を解放した。こうしてまんまと罠に掛かり、食べたくもない夕飯を食べる事となってしまった。
渋々リビングに向かうと、そこにはもう慎太郎さんが作ったらしき夕飯が並べられていた。昔からインスタント食品ばかりだったから特に食事に関しては何とも思わない。けれど、慎太郎さんは相当不器用らしい。不器用な癖に凝り性って言う最悪のパターンらしい。
仕方なしに席に着いたまでは良かったが、目の前の異物に顔をしかめずにはいられなかった。
「……これ何?」
「え、ウサギですけど?」
何をキョトンとしているんだ。ハンバーグらしきモノは黒焦げでぐっちゃぐちゃ。ウサギと言われても全然ピンとこない位、ボロボロのパッサパサ。大体何でウサギ。ガキじゃあるまいし。
「可愛いでしょう。これ、娘に作ってやったりするんすよ」
慎太郎さんはそう言って携帯を取り出すと、まだ六歳位の子供の待ち受けを俺の鼻先に突き出した。髪を二つに結んだ、慎太郎さんに良く似て猿顔の可愛い女の子だ。
「うちの夢ちゃん。ね、可愛いでしょ?」
満面の笑みが眩しい。慎太郎さんは優しい父親の顔をしていた。幼い少女の笑顔につられ、顔が緩む。俺も少し、優しい気持ちになれた。
「うん……可愛い」
美冬と年は同じ位だ。元気だろうか。幸せに暮らしているだろうか。そうだったら、良いな。
「冬弥さん、笑った方が良いよ」
慎太郎さんの声でハッと現実に戻ると、目の前の男はジッと俺を見詰め、何故か嬉しそうな顔をしてる。
「笑った顔は確かに可愛い」
バカみたいな発言に、思わず机の下で蹴りを入れた。男が可愛いとか言われて喜ぶと思っているのか。気持ち悪い。弁慶の泣き所を押さえ悶絶する男を尻目に、とりあえず無事そうなサラダに手を伸ばす。レタスを手で千切っただけの色気のないサラダだ。けれどそんな物でも、慎太郎さんのさっき見せた父親の顔がチラついた。
俺は素直に羨ましいと思ったんだ。写真を待ち受けにしている位、娘が大切なのだろう。それは世間では普通の事なのかもしれない。また、どうして俺は──そんな思いが湧き上がった。考えたって無駄な事位分かっているのに。
突然そんなセンチメンタルな俺の心をまるで無視し、間の抜けた着信音が鳴り響いた。確か教育テレビかなんかのでかい着ぐるみが出てる番組の歌だ。この人はそんな所まで娘が浸透しているのかと呆然とする俺を尻目に、慎太郎さんは調子良く電話を始めた。
「あ、お疲れ様です。……今ですか、飯食ってますよ。……ええ、元気過ぎて蹴り入れられましたわ。……はい、はい、分かりました。ほい。将生さん」
まるで関係ないと思っていたのに、突然携帯を突き付けられて変に動揺した。受け取って少し深呼吸してから耳を当てる。
「……もしもし」
「あ、冬弥。元気そうだね。安心したよ。慎太郎大丈夫かな、ちゃんとやってる?」
受話器の向こうから聞き慣れた声が響く。目の前の黒い物体に視線を向けると、とてもちゃんとしてるとは思えなかった。
「……うん。夕飯も美味いです」
けれどさっき見せてくれた父親の顔のお陰か、咄嗟に嘘をつく事が出来た。こっそりと視線を向けると嬉しそうな顔が向けられていて、気持ちが悪いから直ぐに逸らした。
「そう。明日の朝には帰るからさ。あ、冬弥。寂しくない?」
「……は?」
「いや、大丈夫なら良いんだけど。暑くなって来たからって腹を出して寝るなよ。じゃあおやすみ。慎太郎にもよろしく言っといて」
それだけ言うと電話は切れてしまった。俺が寂しくしているとでも思ったのか。白井さんは意外にもとんでもなくおめでたい頭をしているんだな。何だか途端にバカらしくなって無言で携帯を突き返す。
「将生さん何て?」
「明日の朝には帰るって」
その事は知っていたのか、慎太郎さんはあまり興味を示さず、黒焦げの物体を美味そうに口に運ぶ。思わず顔が引きつってしまった。美味いんだろうか。いや、絶対それはないな。中々手が付けられない俺に気付くと、慎太郎さんは徐に俺の黒焦げに指をさして来た。
「ウサギ、食って下さいよ!」
だからどんなに頑張ってもウサギには見えっこない。大体こんなの焦げを食ってるみたいなもんだろ。心の中では散々悪態が吐けるのに、口には出せなかった。慎太郎さんを悲しませたくなかった。変な俺。
そんなよく分からない不毛なやり取りをしていると、ふとウサギと言う単語が脳の片隅に引っかかる。
「……アンダーグラウンドラビットってさ、どう言う意味?」
慎太郎さんは一瞬キョトンとした後に、何やら考える仕草を見せる。だがいくら待っても答えは出なかった。やはり、知らないか。
「あ、今バカにしましたよね、英語以外は人並みなんですよ?」
言うが早いかさっと携帯を取り出すと、直ぐに答えは見つかったらしい。
「地下ウサギ」
「何それ」
全く意味が分からない。
「……響きが良かったんじゃないすか。あの人変にシャレてるから」
頭の悪い俺達は、結局そう言う結論に至った。
それから風呂に入って直ぐに俺は布団に潜り込んだ。慎太郎さんは俺が風呂から上がった時にはリビングで既に鼾をかいて寝ていたから放置した。
けれど暗闇で目を閉じていくら待っても、眠気は訪れなかった。心が落ち着かない。何とか気持ちを落ち着けたくて、布団から抜け出しそっとカーテンを開くと、ビル群が鋭い煌めきを放っていた。その真ん中に立つ東京タワーの濃いアンバーの色は、今日も優しい。
明日遂に、愛人としての生活が始まる。そう思うと怖くて、不安で、叫びたい衝動に駆られた。実はもう白井さんと言う愛人がいるのだから始まっている事になるんだけど、何だかそれとはまるで違った。俺の事を知らない、俺の知らない人。上手く出来るのだろうか。
そんな妙な緊張に酷く喉が乾いて、静かにリビングに出て水を一杯煽る。やるしかない。そう自分に言い聞かせる。部屋に戻る途中、ふと目に入っただらしのない寝顔に不覚にもホッとしてしまった。
幼い頃からずっと一人膝を抱えて生きてきた。寂しくて、不安で、誰かに見付けて欲しくて、必要とされたくて荒れた。ここには俺を見てくれる人がいる。見張っているだけ、けれど、それでも良かった。
誰かがいる──それがこんなにも深い安堵を与えてくれる事を、俺は知らなかった。
明け方、ふと鼻先を掠めた匂いに意識が浮上する。この匂い、好きだったやつだ。わざわざ同じ香水を探し回った位。ガキの頃、夜泣きが酷かった時、側にいてくれた白井さんの匂い。大きな手で髪を撫で上げて、手を握ってくれる。あの時の白井さんは今でも好きだ。
虚ろな意識の中で感じる手の温もりはあの時の物で、消えてしまわないように俺はキツく握り返した。
「……起こした?」
ふと頭上から降った聞き覚えのある声に重い瞼を開く。朝の低い太陽の光が端正な顔に影を落とし、俺を見下ろす瞳が優しく揺れていた。顔にかかる前髪を掬い上げられる感覚が、酷く懐かしい。
「もう少し寝ていなさい」
白井さんの透き通った氷を思わせる声は、まるで暗示のように再び俺を眠りへと誘った。
遠くなる意識の中で感じた安心感。夢か現実か、判断が付かない程に、不思議な優しい時間だった。
次に目覚めると案の定誰もいなくて、全てが夢だったのだと知った。白井さんはもう昔の白井さんじゃない。俺の雇い主で、俺はあの人の愛人だ。衣食住の代わりに身体を開く。受け入れた筈の現実に酷くゾッとした。そんな現実から目をそらそうと、取り敢えずテレビを付けてみる。相変わらず内容なんて頭に入っては来ないけれど、雑音があるだけ大分マシだった。
そうやって時間迄暇を持て余していた時、不意に扉が叩かれた。
「冬弥、起きなさい。そろそろ支度をしないと間に合わないよ」
扉越しに聞こえた言葉に思わず耳を疑った。約束の時間は十八時の筈だ。壁の時計に目を向けると、まだ十二時。待ち合わせ場所がとんでもなく遠かったとしても、早すぎる気がするのだけど。
「入るよ?」
返事をしない俺に痺れを切らし、白井さんは言うが早いか扉から顔を覗かせた。もう準備は出来ているみたいで、髪も服もいつも通りちゃんとしている。少し長い前髪を左に向かい雑に流した髪は彼の持つ色気をより深くしているし、モデルみたいな細身の長身に、紺地のスーツが良く似合う。
「起きているなら返事をしなさい。早く準備して。服は買うし、髪も美容院に行くから取り敢えず出れる格好に着替えてね」
そう早口に捲くしたてられ、俺も慌てて準備を始めた。……にしても強引だ。相変わらず有無を言わさない。夢を見たからだろうか、何故かそれに酷く落胆した。
結局、本当に適当な格好に着替えて直ぐ、追い立てられるように出発した。マンションの下では既に黒塗りの国産高級車が止まっていた。当然のようにフルスモーク。
促されるまま後部座席に乗り込むと、運転席には慎太郎さん。助手席には、慎太郎さんと同じ位の頻度で俺の面倒を見に来る男が乗っていた。名前は知らない。歳の頃は四十近いだろう、堀の深い整った顔立ちに、綺麗に整えたあご髭がよく似合う、無口で無愛想な男だ。誰かの下で動くと言うより、この男こそがいずれ玉座に君臨する者であるような、圧倒的な威圧感を醸し出している。
「お疲れ様です!」
逆に運転席からはいつものように無駄に爽やかな笑顔で迎えられた。無愛想野郎は小さく頭を下げただけ。
「慎太郎、場所分かる?アキさんの店ね」
アキさんが誰かは知らないけれど、白井さんの声を合図に車は走り出した。車内は暫く無言だった。聞こえるものはタイヤがアスファルトを転がる音と、微かに流れるラジオだけ。白井さんは手元の書類に視線を落としながら眉間に皺を寄せている。仕事が上手くいっていないのだろうか。まあ俺には関係ないけれど。
ぼんやり険しい横顔を眺めていると、横目で睨まれてしまった。慌てて逸らす俺を見送り、白井さんは助手席の男に視線を投げた。
「山室」
誰だそれはと思う暇もなく、助手席にいた無愛想野郎が素早く煙草を取り出し、白井さんが咥えると慣れた手付きで火を付けた。白井さんよりも年は上だろうに、こんな人相の悪い男を顎先一つで使うなんて、もしかして白井さんはこの若さで俺が思うよりもとんでもなく上の人間なんだろうか。
確かに紫煙を燻らす横顔からは、往年の貫禄さえ感じた。勿論それは顔じゃなくて、雰囲気。顔はどちらかと言うと童顔の部類に入るのだろうか。決して幼く見えるとかではなく、無駄に整っているから若く見えるのだと思う。
しかし改めてじっくり見るとこの男はどこ迄完璧なんだ。顔も小さいし手足も長い。身長も百八十はあるだろう。睫毛も長いし鼻も高い。ついでに頭が良くて金もある。全く嫌味だ。
思わず顔を顰めて観察していた俺に、訝しげな視線が向けられた。
「何、煙草?冬弥は暫く禁煙だよ。祐樹は煙草嫌いだから」
祐樹って誰だとも思ったが、状況的に考えてこれから落ち合う予定の笹原さんの事だと暫くしてから気が付いた。名前で呼ぶ程親しい間柄なのだろうか。疑問は多いが、白井さんが黙った事で再び車は静まり返る。俺もヤクザに自分から話しかける程お気楽能天気じゃないから、同じように口を閉ざしておいた。
そして観察していて気付いた事だが、山室と呼ばれた無愛想な男は、かなり気の利く男のようだ。白井さんが何も言わなくてもすっと灰皿を差し出す。それも後ろに目が付いているのかと言う位タイミングが完璧。人は見かけによらないものだ。
白井さんはそんな至れり尽くせりに全く動じる事もなく一本吸い終わると、思い出したように口を開いた。
「そう言えば冬弥。年は二十歳って事になっているからね。あと、俺の下でボーイとして生きる為に言っておかなきゃいけないんだけど」
年の事はまあ、未成年だから分かる。けれどボーイと言う単語に頭の中で疑問符が浮かぶ。俺の中でのボーイと言うものは、キャバクラにいるボーイとか、給仕とかの知識しかない。
「……何?」
嫌な予感がしたけれど聞かない訳にはいかないと、俺は仕方が無いから背筋を伸ばした。
「相手の人生に深入りはするな。探る事も厳禁。相手が君に望む事を理解して、それに全力で応えてやれば良い。それと……決して情に流されない事。相手と君の歩む場所はいわば裏の人生。本気になっちゃいけないよ」
そう言う白井さんがあまりにも真剣な顔をしているものだから、何も言えなかった。がしかし。重ねて言うが俺はホモではない。男相手に本気になる訳がない。例えば白井さんに憧れはするが、それは男同士には良くある事だし、恋愛感情じゃない。俺にはまるで心配ない事だ。後の事もそんなに難しい事とは思わなかった。ただ、何を望まれてるか、それだけは多分簡単には分からないだろうけど。
そんな事を一人で考えていると、不意に頬にしなやかな指先が這い、思わず身体が強張る。色が抜け切った毛先で遊び、髪の擦れる音が耳をくすぐる。気色悪い事するなと、手を払いのけたかった。けれどまるで射抜く様に真っ直ぐ見詰められると、全く動けない。
「誰かを、本気で愛した事は?」
白井さんの声が脳の奥に沈み、思考さえも持っていかれてしまったかのような感覚。その質問の意図さえ考えられなくて、答える事が出来なかった。
「将生さん、着きましたよ」
唐突な慎太郎さんの声で白井さんはその魔の手を離した。俺はそこでようやく催眠術を解かれたように意識を取り戻す。息をする事も忘れていたようで、気が付いてからやたら息が上がっていた。動悸も激しいし、まるで階段を駆け上がった時に似た疲労感。
「何をしているんだよ。早く降りて」
まだ息が整わない俺を、白井さんは無情にも車の外に蹴り出した。目の前には美容院。そう言えば髪の毛どうこう言っていた事を思い出す。となるとアキさんとは、どうやら美容師の事らしい。
「じゃあ山室、後よろしく。アキさんには伝えてあるから任せておけば大丈夫。服は言った通りね」
早口で言うだけ言って、車は俺と山室さんを残し颯爽と繁華街を去って行った。
車を完全に見送ってから無言のまま店に入る山室さんを慌てて追うと、店内からは客をもてなす元気な声が其処彼処から上がった。
「待ってたわよお、りゅうさん。あら、こちらが例の子ね。初めまして、店長のアキです。やだ、将生くんから聞いてたより若あい!」
高い声で俺達を出迎えに来た人は見た目は男。短い金髪に黒縁メガネ。ピッチリした派手なパンツに柄物のシャツ。誰がどうみてもアレだ。しかし何でそんなにクネクネしているんだ。
「アキさん、初仕事なんです。よろしくお願いします」
山室さんはそんな彼に対して特に驚く様子もなく頭を軽く下げた。
「聞いてるわ。じゃあこっちへいらっしゃい。ええっと、お名前はふみくんね!」
一体どうなるんだ俺の髪の毛。
初対面は度肝を抜かれたアキさんだったが、話してみると普通に面白いし良い人だった。白井さんの注文らしく、毛先の金髪はバッサリ切り落とされた。全体は耳が見える位。それに反して前髪は眉下と少し長い。そして何年振りかに見る黒髪の自分は、とても二十歳には見えなかった。元々身長も普通で秀でて恵まれてはないし、顔立ちもどちらかと言うと大人びている方ではない。年相応の幼さはある。加えて最近の食欲の低下で激痩せしたからか、何となく顔付きが暗い。別に明るい方ではないけれど、まるでイジメられっ子みたいな印象を受けた。これは、年齢なんか誤魔化せるのだろうか。だがアキさんがなぜか満足していたから何も言えなかった。
美容院を後にした俺は、山室さんの後について次は服を買いに行かされた。辿り着いた店は、完全に場違いなスーツ屋。気後れしまくっていた所為でされるがまま、高そうな紺地のスーツを着せられ、靴まで履き替えさせられそのまま店を出た。人生で初めてスーツを着るけれど、何だか落ち着かない。
「あと三十分か」
山室さんは徐にそう呟くと、電話を掛けながらまた何処かへ歩き出した。行き先位教えてくれたって良いのに、俺に掛けられる言葉はない。
繁華街を少し離れ、山室さんがようやく足を止めた場所は、古い喫茶店の前だった。
「珈琲、飲めるか?」
無駄に渋い良い声で言われると思わず頷いてしまう。それになんだかこの人は、慎太郎さんや白井さんとは違う。言ってみれば人一人殺してそうな重い雰囲気がある。だからか、あまり刺激するのも怖かった。
山室さんの後について喫茶店に入り、俺達は無言のまま珈琲を飲んだ。窓の外を眺める横顔は何の色も無い。怒りも、喜びも、ほんの少しの感情さえ伺えない、何処か寂しい姿だ。
ぼんやり見詰めていると突然、それまで微動だにしなかった山室さんは、徐にスーツの内ポケットに手を入れた。見ていた事がバレたのかと驚いた挙句のその行動。当然ビクついた俺に目もくれず、山室さんは取り出した携帯を耳に当てた。
「……はい。分かりました」
短くそう言って電話を切ると、金を払いまたさっさと店を出て行く。一言行くぞとか言ってくれたら良いのに。
そんな無意味な文句を心の中で叫んで追い掛けると、その先には白井さんの車が止まっていた。山室さんは既に扉を開けて待っている。鋭い三白眼が俺を見ていたから、慌てて車に乗り込んだ。
「印象変わるね。良いじゃん、アキさんにお礼言っとかないと」
「本当だ、良いっすね。冬弥さん黒似合いますわ!」
白井さんと慎太郎さんはこのいじめられっ子ヘアーがお気に召したようだ。俺は全く似合っているとは思わないけど。そしてスーツにはノータッチ。完全に服に着られてる事位、自分でも分かっているけど。
散々褒めちぎると、一瞬白井さんは意味深な笑みを浮かべた。何を考えているのか見当もつかな過ぎて怖い。警戒する俺を見て、その顔には直ぐにいつもの笑顔が浮かんだ。
「さあ、冬弥君。新たな人生の幕開けだ」
女だったら絶対持ってかれている、無駄に美しい笑顔。〝冬弥君〟と言ったという事は、白井さんが仕事モードだって事。その輝く笑顔も営業スマイル。段々分かって来た気がする。
車が静かに走り出す。やるしかない。やってやる。飛ぶ様に過ぎる景色を見詰め、俺は決意を固めた。いつか訪れるであろう、自由を夢見て──。
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