Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground caT』

塀の中のハッピーバースデー

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 年末のカラオケ大会も終わればまた同じ日々の繰り返し。うるさい音楽で起きて、着替えて、点呼を受けて掃除して、朝食。出役の準備は十分。歯を磨いて、トイレの奪い合いをして、正座して看守を待つ。
 看守が来たら軍隊みたいな号令で工場まで進む。冬は寒さを凌ぐために着れるだけ着込むから作業着に着替えるのも一苦労だ。もたもたしていると当然看守の怒号が飛ぶ。刑期の長い者は慣れたもので手際良く着替えられるのだけど、最初は俺も大分もたついてドヤされた。工場用の作業着に着替える前に丸パンで毎日身体検査もある。こうして無駄口厳禁で黙々と作業をこなし、房に帰って一日を終える。
 他の工場の受刑者とはまず会うこともないし、休日以外は口をきくことも禁止されているから隆司さんの顔を見られるのも、あの渋い声を聞けるのも休日だけ。カラオケ大会以降また、あの人は運動場には顔を出さなくなった。週に一度。それすらも叶わないのに、何をしている時でも頭に浮かぶ。
 今、何を思ってる?奥さんの事?塀の外に置いて来た息子の事?ここを出た時の事?その隙間にほんの少しで良い。俺の事を考えてくれたら──そんな事ある筈ない。だけど、考えてくれていたら?……嬉しい。そう素直に思えた。
 初めて知る人を想う優しい気持ち。会いたくて、会いたくて、涙が滲みそうな程の切なさ。俺はとうとう変わった。山室隆司と言う男に出会って。
 ぶっきらぼうだけど優しくて、深い愛情に満ち溢れた人。あの人は沢山沢山俺に与えてくれた。その全て無償の物。あんな風に生きられたのなら、俺は幸せと言う物を意識出来たのかもしれない。それでも俺は今日も山室隆司と言う男を想いながら、別の男に抱かれる。けれどこの胸の痛みすら、酷く愛おしく思えた。

 変わった事と言えば、もう一つ。カラオケ大会以来、俺と周りの関係も少しづつ変わっていた。御曹司の出現で手を出されなくなったのは勿論なんだけど、同房の連中も何気無い事を話し掛けてくるようになった。消灯前とかに今日の作業の事だったり、身の上話しだったり。凄い嫌だったカラオケ大会も悪い物ではなかったと今となっては言える。
 そして何かに傷付き歪んだ若い受刑者達は、例えば佐武のような真っ直ぐで純粋な奴と話すよりも楽だった。そりゃあ四六時中狭い房にいるのだから小競り合いはあるものの、無闇に踏み込まず、本当にそこにいたから話し掛けるような。そんな風に俺との距離を上手く取ってくれる。それが心地良かった。
 シャバの人間にとってはしょうもないバカなガキの犯罪者が傷を舐め合っていると思うかもしれない。罪を犯したのだから抑圧されて当たり前。人を傷付けたのだから苦しむのは当たり前。そんな事は皆自分で良く分かっている。それでも前を向きたいんだ。犯した罪の重さを忘れるんじゃない。ただ、やり直したい。ここを出たら真っ直ぐに生きて行きたい。そしてここを出れば暖かい家庭が待っていてくれる事を夢見る。その一縷の希望に思いを馳せる気持ちは、この閉鎖され、抑圧された施設の中で暮らさなければ分からない事かもしれない。

「ここを出たらどうする?」
 消灯前、同房の若者が、間も無く出所を迎える隣の少年に問い掛けた。
「調理師免許取って、定食屋開こうかと思ってる」
 あまりにも綺麗な瞳で語る少年に、皆一瞬言葉を無くした。
「ここのまずい飯が忘れられねえと困るからよ!だったら自分でって……」
 照れ隠しのようにそう付け足したものだから、皆冷やかして笑った。その輪から少し外れていた俺も、笑っていた。頑張れ。そう思っている自分に驚く。

 そして一月の終わり頃、御曹司が出所した。知らなかったし興味もなかったけれど、同房の連中が教えてくれた。御曹司がいなくなっても何故か俺に手を出す者もいなくなった。
 季節は巡る。前を向き生きる。刑務所を後にする人々を見送り、そしてまた新しい者を迎える。俺の刑務所生活も間も無く一年となる。
 そしてずっと考えていた事に、ようやく答えが見つかった。俺はここを出たら母さんに会いに行こうと思う。会って謝って、一緒に罪を償おう。そしてもう一度、やり直したい。やり直さなきゃいけない。失くした時間は戻らないし、亡くした人は戻らない。それでも生きていればきっと、遅くはないんだ。
「ここを出たら、お袋さんとちゃんと向き合いな」
 そう言ってくれた隆司さんの言葉を胸に。小さくても人生に目標が持てた。それが嬉しかった。

 そして二月。隆司さんが再び運動場に顔を出すようになった。その姿を見付けた瞬間の胸の高鳴りは、自分でも驚いた位。また迷惑そうな顔するかなと心配だったけれど、軽く手を上げて微笑んでくれた時は思わず泣きそうになった。
 隣に腰を下ろす。ふわっと心の奥に灯が灯ったようで、ジンワリあったかくてちょっと苦しい。あんたの隣にいる事を夢にまで見たよ。そう言ったら、笑うだろうか。
「震えてんじゃねえか。中入んな」
 少し心配そうに覗き込む男に、俺は慌てて首を横に振った。そうかと言って運動場に視線を流す、その横顔が堪らない。
 洗練された訳でもなく、荒削りな男らしさ。大きくて武骨な手。その指で……触れて欲しい。不意に背筋がゾクリと粟立ち、身体の芯が熱を帯びて行く。男を目の前にするといつも感じる暗い期待。それと同じ感覚。この人はどんな風に抱いてくれるんだとか、その声で、その指で、その身体で、どんな風に攻めてくれるんだとか。
 やはり、これは恋ではないのかもしれない。俺はただこの男に欲情しただけなのかもしれない。変わった気がした。誰かに恋が出来た気がした。少し人間らしくなれた気がした。けれど欠陥品は所詮、欠陥品でしかない。無償の優しさをくれた人にさえ、抱いて欲しいと思ってしまう。
「そういやあ、お前さんそろそろ誕生日なんじゃないのか?」
 自己嫌悪に浸り切ってた俺は、その言葉にはっと我に帰った。俺の誕生日は一月中旬。すっかり忘れていたし、誕生日なんか十三歳から一度も祝った事がない。あの事件以来、産まれた事に感謝なんかしていなかったし、思い出す事もなかった。
「……もう過ぎたよ。何で知っているの?」
「名前だよ。親はな、子供に名前付ける時にうんと頭使うんだ。我が子の幸せを一心に願ってな」
 大雪の日に産まれたからの他に、大地を包み込む雪のように純粋で優しい子になって欲しい。俺の名前にはそんな由来がある。最初は父さんと母さんの意見が食い違って全然決まらないし、挙句大喧嘩もしたそうだ。でも俺が産まれた日、空から舞い降りる白い雪を見て、今迄考えてた名前なんかそっちのけで雪になったんだって。バカだろ。でも、俺は愛されていた。そう思うと胸が苦しくて、視界が揺れる。
「……あんたも、そうだった?」
「ああ、随分と悩んだな」
 まるで懐かしむように微笑んだ横顔に、寂しさが滲んだ。周囲の話しによれば隆司さんは殺人で懲役十三年らしい。もう十三年も息子と会っていないから、恋しいのだろう。
 それにしてもこの人が殺人犯なんて信じれない。何か事情があったのだろうか。けれど何があったとしても、大切な人を亡くした人間が人を殺せるのだろうか。少なくとも、この人に限ってはない気がする。もしかしたら俺と同じ……そんな途方もない憶測が頭の中を回った。
「真也って言うんだ。俺が考えた。誠実に、真っ直ぐに生きて欲しい。そう思ってな。俺は、ヤクザ者だったからよ」
 隆司さんはそう言うと少し自嘲気味に笑った。
「ここを出たら、足洗うんでしょ。息子さんと暮らすの?」
 一瞬、俺を横目で捉えた男の深い深い瞳の色には、冬の冷たい風がよく似合う。それ位何か大きな悲しみが潜んで見えた。
「……そうだな。嫁と、息子と、仲良く三人で暮らしてえな」
 隆司さんが呟いたものは、叶う事の無い願いだ。同情でも哀れみでもなく、衝動的に抱き締めたいと思ってしまった。ダメだ。懲罰を受けるし何より、隆司さんがそれを望んでいない。この人はストレートで、今も嫁を愛している。胸の痛みに思わず顔が歪みそうになって慌てて笑って見せた。
「今は中学生?もう彼女いるんじゃない。最近の子は早いからさ」
 その言葉に隆司さんも笑ってくれた。それだけで凄くホッとする。
「ここの暮らしも長かったなあ」
 ふいと投げられた視線の先を、俺も追い掛けた。澄んだ青空が、唯々眩しい。
「……出所は、いつ?」
「このまま行けば十月だ」
 胸の奥が鈍く痛んだ。後、半年か。
「そういやあ言ってなかったな。雪、誕生日おめでとう」
 あまりにも突然の言葉に驚いて隆司さんを振り返ると、優しい微笑みが向けられていた。それは、不意打ちってもんだ。痛い程にあったかくて、耐え切れず涙が溢れた。こんな塀の中で、しかも出会って一年程度のおっさんに言われるとは思っていなかった。めでたい事なんかないと思っていたのに、この人に祝福されるなら、生きていて良かったとさえ思えた。
「泣くこたあねえだろ。情けねえ奴だな。何が欲しい。俺は作業報奨金貯めてるからよ。本でも買ってやろうか」
 笑いながら頭を撫でられ、余計に涙が止まらない。刑務所の規則で短く刈り込まれた頭がジャリジャリと音を立てる。欲しい物なんか、たった一つだ。
「ここ……」
「おいおい。後半年しかねえのに俺の特等席を乗っ取る気か?」
 そんな呆れ顔にも優しさが滲む。
「あんたの隣。後半年だけ……俺に、下さい」
 一瞬、息を呑むのを肌で感じた。分かっている。自分が何を言っているのか。それでも止める事が出来なかった。
「この瞬間、この塀の中だけで良いんだ」
 暫くの沈黙の後に、大きな手が頭を軽く叩く。
「お前もモノ好きだな」
 困ったように笑ってくれた事が凄く嬉しくて、胸が握られたように甘く痛む。
 これは、やっぱり恋なのかな。十九歳にもなって分からないなんて、とことん自分が嫌になる。けれど不意に、そんな自分に笑いが込み上げた。後半年。俺は夢を見る。それで良いじゃないか。これは半年だけの本当の初恋。俺は、隆司さんが好きだ──。

 それから俺は毎週の休みを楽しみに日々を過ごした。同房の連中にからかわれたりしたけれど、嫌な気はしなかった。
 残された日々を指折り数え、あの人の隣にいられる時間を大切に過ごす。人を見下し軽蔑しながら、憂鬱を引きずり生きて来た俺には新鮮な事ばかり。
 隆司さんが笑えば俺も笑って、隆司さんがぼんやりしていると不安になる。頭を撫でられると胸が高鳴って、運動場を後にする背中を見送る時は、泣きたくなった。これはここだけの関係。ここを出たら二度と会う事はない。会っちゃいけない。そう言い聞かせなければ、望んでしまいそうだった。隆司さんが欲しいと、言ってしまいそうだった。

 季節は過ぎ行く。運動会が終わり夏を越え、少し冷たい秋の風が雲を運ぶ。お楽しみ会は今年もあの落語家だった。落語は面白えだろと言う隆司さんにおっさん臭いと言ったらど突かれて、顔を見合わせて笑った。
 俺達の時間も、着実に終わりに向かう。それでも、終わりがある事が分かっているのに、幸せだった。

 運動場に二人並んで鰯雲をぼんやり見送る。今日で最後。来週遂に引き込みだ。隆司さんは引受人がいなくて満期出所だから、釈前ではなく独居房に移る。そして一週間の釈前教育を受け、ここを出て行く。
 寂しくないと言ったら嘘だ。けれどきっとここよりも厳しいシャバに出る隆司さんを応援したい。息子と幸せに生きて行って欲しい。その思いが強い。
「雪、お前笑ってろよ」
 不意に変な事を言うもんだから、思わず顔を顰めてしまった。
「……何、急に」
「俺は笑った時のそのガキ臭い面が好きだ。ここ来たばっかん時はひでえ面構えだったぞ。他人見下して、バカにして、そうやって自分守ってるフリして傷付いて。そんな生き方は辛えだろ」
 俺に視線を向ける事もなく言葉を繋ぐ横顔は、やっぱり優しくて、会えなくなる事がただただ辛い。
「……バカじゃないの」
 こんな幼稚な照れ隠しなんかバレているのだろう。可笑しそうに笑う隆司さんを見たら、俺も自然と笑えた。
 またぼんやり空を見上げ、時間が流れて行く。さて、と腰を上げた隆司さんが、いつものように俺の頭を軽く叩く。
「そこ、二十歳の誕生日の前祝いにお前さんにやるよ。俺の特等席だ」
 あんたがいないならいらない。そんな子供じみた事は言えないから、ありがとうと言って精一杯、笑って見せた。隆司さんはそんな俺に微笑んでくれた。まるで秋の夕暮れのような、少し、寂しい笑顔。その顔も好きだった。
「雪、自分を大切にしろよ」
 涙を耐えて、悠然と去る大きな背中を見送った。

 隆司さんは予定通り十月の爽やかな秋晴れの日に、長い長い刑期を終えて出所した。あの人のいない塀の中は灰色で、休日の楽しみもなくなった。それでも前とは違う。もう会えなくてもこの想いを大切にしたい。そう思う人間らしい自分が、少しだけ好きになれた。

 また季節は巡り、カラオケ大会はまた俺が印刷工場代表にされそうになったけれど、全力で阻止した。皆残念そうにしていたが洋裁工場の受刑者はもう出所していて、結局俺達印刷工場が優勝を勝ち取った。
 カラオケ大会が終われば俺の釈放も目前。本面も済ませていたし。予想通り引受人はおらず満期出所だったけれど、特に残念には思わなかった。

 そして二十歳の誕生日を迎えた翌月に、無事刑務所を出所する事が出来た。塀の外に出た瞬間、思わず両手を高く上げたくなった。冬の冷たい風すら塀の中とは違う匂いを運ぶ。
 美味い物が食いたい。二十歳を越えたし、酒も飲んでみたい。母さんとのやり直ししか考えていなかったけれど、シャバに出た途端、色々な欲が湧き出て来た事に自分で笑った。
 結果的に俺に関して言えば刑務所に入って良かったのだと思う。そりゃ精神的にも辛かった。二度と入りたいとは思わない。でも普通に生きていたらあまり直接的には感じない、罪を犯す事に対しても考える事が出来た。そして何より腐った人生をやり直すきっかけとなったから。誰かの事を考える事を、知ったから。

 電車で二時間、東京に着いて直ぐに立ち食いそば屋に入った。気持ちを落ち着けたかったの
と、取り敢えず刑務所の食事以外の物を何でも良いから食べたかったから。
 普通のチェーン店の立ち食いそば屋。サラリーマンが小腹が空いてフラッと立ち寄る程度の店。安っぽい庶民の味。二百七十円のそばが、涙が出る位美味かった。
 隣のサラリーマンも流石にびっくりしていて、恥ずかしいし急いで掻き込んで店を出たその足で繁華街をブラブラと歩く。都会の喧騒も、黄色い空気も、息の詰まるようなごちゃ混ぜの匂いも、派手な男も女も、酷く懐かしい。また、泣きそうになった。何だか服役してから涙脆くなった気がする。感傷的になったって言うか……やっぱり人間らしくなった。

 夕暮れ前まで適当にブラブラしてからマンションに向かった。心の中で何を言うか何度も何度も考える。
 許してあげる……唐突過ぎるか。母さんごめんなさい……重いか。久しぶり……軽すぎるか。ただいま──。ただいまか。もう何年母さんに向けて言っていないのだろう。結局マンションに到着しても何を言うか決まらなかった。こうなったら当たって砕けろだ。顔を合わせて一番最初に出た言葉がきっと、一番相応しいのだろう。
 二年前迄黄ばんでいた白い壁が、塗り直されて真っ白になっている。それが妙に時間の経過を感じさせた。見慣れた階段。見慣れた廊下。見慣れた、三〇六号室。心臓が激しく脈打ち、冬にも関わらず手に汗がジットリと滲む。扉の前で深い深呼吸を何度も何度もして、やり直す、やり直す、やり直す、まるで呪文のようにそう繰り返す。

 何分位そうしていただろうか。流石にそろそろ通報され兼ねない気がして俺は慌てて意を決した。またムショに逆戻りなんて堪ったもんじゃない。
 最後に一つ深呼吸して、ドアの脇のインターホンを押そうとした時、震える自分の指にちょっと笑えた。ここ迄来たんだ。やり直すんだ。そう言い聞かせて、人差し指に力を込めた。
 久しぶりに聞くインターホンの間の抜けた音が響く。中でドタドタと足音が聞こえ、俺の緊張も高まって行く。頭は真っ白で、もう何を言うかも考えられなかった。扉が音を立てて開かれる。

 しかし、見慣れた灰色の扉から顔を覗かせたものは、全く知らない女だった──。

「……どちら様ですか?」
 インターホンを押した癖に呆然としていた俺はその声で我に帰った。
「あ……え、すみません間違えました……」
 女は警戒しているのか、いつでも閉められる程度にしか扉を開けていない。それ以上いると面倒な事になりかねないから、俺は慌てて逃げた。おかしい。そう思って自分のいる階を確認して見たが、あそこは確かに俺の家だった筈の場所。一階に降りてズラリと並ぶポストを隈なく調べてみたが間宮の文字は結局見付からなかった。

 ふと気付けば、俺はマンションの前の公園のベンチに座っていた。ビルの隙間から眩しい朝日が目の裏を刺す。思わずキツく瞼を閉じた。
 また裏切ったんだね。いや違うか。待っている筈がない事位俺は知っていた筈だ。大体面会にすら来ない奴とやり直せる訳がない。
「バカみたい」
 口から無意識に乾いた笑いが漏れた。愚かな自分が堪らなく可笑しかった。信じれば信じるだけ、絶望の味を知る。そんな事分かり切っていたじゃないか。夢の時間は終わり。あの女に復讐しようとも思わない。もう二度と誰も信じない。それで良い。

 太陽がビルの隙間に堕ちて行き、長い夜の訪れを告げた。
「……いくら?」
 繁華街を少し外れた広場で、眼鏡を掛けたサラリーマン風の男が俺に声をかける。ここは昔よく通ってた所謂〝そう言う〟所。
「金はいらない。あんたの好きにしてよ」
 驚いた顔をした男を見た瞬間、なりを潜めていた悪魔が笑い声を上げた。 
 イイコトを教えてあげる。だけど後は、あんた次第だよ。手を引いて、甘い闇夜に溺れさせて、嘲笑うように腕の中をすり抜ける。嫉妬に狂い、怒りに歪む顔を見て、腹を抱えて笑う。それが俺と言う人間だ。
 それでも昔のように、どんなに激しく抱かれても何もかも忘れる事が出来なかった。忘れたい。そう願えば願う程に、胸の奥底で山室隆司の顔が蘇った。
「自分を大切にしろ」
 その言葉が、まるで罰を与えるかのように、息が出来なくなる程胸を締め付ける。その度に俺はまた繰り返す。快楽を追い求めるだけのセックスに溺れて、傷付けて傷付いて暗い暗い悦びを手に入れる。全てが悪循環。分かっているのに痛みを求め、名前も知らない誰かに抱かれ、深い虚無を抱いて目を覚ます。堕ちて堕ちて堕ちて、俺はどこへ行くのだろう。

 苦しい──恋なんて、知らなきゃ良かったんだ。
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