Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground caT』

優しさの裏表

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「飲み過ぎですから!隆司さん、本当に何かあったんじゃないんですか?」
 慎太郎は俺の手からグラスを奪うと、呆れたように溜息を吐いた。いつもよりピッチが早い事は自覚済みだ。家庭のある人様の家でヤケ酒なんてタチが悪いのも分かっている。それを置いておける程、俺は苛立っていた。
 久しぶりに他人に対して抑え切れない怒りを感じる。大人だと思って甘やかし過ぎたのだろうか。あいつは所詮我慢も出来ないし、自分の事もよく分かっていないお子様だともっと肝に銘じておくべきだった。しかし、相手も相手だ。いい大人が。よく殴らなかったと自分を褒め称えてやりたい位だよ。
「夢寝たよ」
 娘を寝かし付けていた実咲ちゃんが俺達のいるリビングに戻って来た。ローテーブルを挟んで座ると、鋭い視線が向けられる。
「何があったの?」
「……雪が、家に男を連れ込んだ」
 それには慎太郎も再び呆れ顔で溜息を吐く。
「考えられるか?玄関開けたら男同士が真っ最中だぞ?どう思うよ」
「パラダイス」
 真顔で言い放つ実咲ちゃんに、一瞬時が止まった。
「……実咲、ちょっと黙っとこうか」
 冗談を言っている場合じゃないと慎太郎が宥め、再び重い空気が流れる。
「いや、いつかはこうなる気がしてはいたんだが。まさかなあ……」
 生で見てしまうと結構衝撃的だ。色んな意味で。
 にしても雪の奴、いつも他人を見下した生意気な面をしている癖に、男の下ではあんなにも切なそうな顔をするんだな。気が強くて傲慢で、加えてあの男だか女だかよく分からない位の美人だ。それが抱いている時だけあんなに縋るような可愛い面見せるのだから、ハマるのも分からなくはない。雪は俺が思うよりもとんでもない魔性の男だったって訳だ。
「隆司さんはそれ見てどう思ったの?非常識で腹立つってだけ?」
 突然ずいと乗り出した実咲ちゃんの言葉に、一瞬頭の上を疑問符が通り過ぎて行く。
「おい実咲、変な事言うなって!」
「パパ、これは大事なんだよ?恋の芽生えは何時でも嫉妬からって鉄則でしょ?」
 なるほど、そう言う事か。
「いや、嫉妬とかは全く無いけどよ。なんて言うか……」
 うまく言えねえな。俺の勘だが、新しい男と言っていたのは嘘だろう。無理矢理だと思うのだが、だったら何故庇ったりしたのか。ストーカーの類だって言ってくれたなら、警察に突き出してやったものを。雪の頭の中は訳が分からな過ぎて無性に苛立つ。
 言葉の続きを待っていたが、一向に俺が言わないと分かると慎太郎は、よしと言って机を叩いた。
「取り敢えず良い機会だし引っ越ししたらどうすか?このままワンルームはキツいでしょ。風呂もねえし」
 それは俺も考えていた。雪は頑なに銭湯には入らないし、まあ男の所で浴びて来ているらしいが、今日みたいな事があると不便だろう。
「そうだな、明日にでも早速物件見に行ってみるよ」
 取り敢えずその場は収まって漸く俺の心も落ち着いた。

 そのまま三人で飲みながら何処に引っ越すのが良いかで盛り上がり、気付けば日付も変わろうとしていた。
「さすがに泊まっていきますよね?実咲、布団余ってたよな?」
 それは有難い。さすがに顔合わせるのは気まずいと思っていた。しかし揃って腰を浮かした俺達を実咲ちゃんは何故かキレ気味で制した。
「隆司さん。帰りたくない気持ちは分かるけど、雪君今見捨てたら手遅れになると思うんだ。これは勘だけど。手を差し伸べてあげられるのは、隆司さんだけじゃない?話し聞いてあげるだけでもさ、違うと思うよ」
 女性ってのは何でこう、鋭いんだ。こんな事を言われたら帰るしかないじゃないか。今日の一件で腹は立ったものの、雪の事は嫌いじゃない。だからこそ、結局渋々俺は自分のアパートへと引き戻ってしまった。

「ただいま……」
 暗い部屋に足を踏み入れたが人の気配は無い。おかしいと思って電気を付けると、そこに雪の姿はなかった。普通ならいつもの事だから気にする事でもないと思うだろうか。だが残念ながら俺は勘の良い人間だ。本能的にこれが見逃してはいけないサインだと感じ取ってしまった。
 藁にも縋る思いで電話を手に取る。長いコール音の後、怠そうな声が響いた。
「あ、お疲れ様です。夜中にすいません。今大丈夫ですか?実は雪がいなくなりまして……」
「はあ?いつもの事でしょ」
 電話口の向こうで将生さんは至極面倒臭そうに溜息を吐いた。取り敢えず寝ていた訳ではなさそうで一安心だ。
「いや、ちょっと今回ばかりは様子が違うと思うんですよ」
「どうせ男の所だろ。頼むよ。大切な商品なんだから」
「……すいません」
 商品──俺は前に性根の優しい人間だと言ったが、ここで撤回させてもらおう。そう心の内で呆れ果てていたら、将生さんは思わぬ事を口にした。
「山室。性格の悪い猫はね、主人の嫌がる事を何度も何度も繰り返すもんだよ」
「……は?」
 何を言っているんだこの人は。
「まあいいや。GPSで調べて位置送るから」
 些か謎を残しつつ、電話は一方的に切られた。

 その後直ぐに届いたメールには住所が記されていた。ここからそう遠くない。遠くないどころか、近所じゃねえか。取り敢えず側にあったコートを引っつかんで、俺は家を飛び出した。送られて来た住所の辺りには小さな公園がある。多分、そこだろう。この辺りはそこしか行く所なんかない。
 薄暗い街灯の下。滑り台とブランコしかないような公園のベンチで、ぼんやり地面を見詰める雪を無事に見つける事が出来た。灰色の細かい砂利を踏む音が静かな公園に響く。
「……何で?」
 驚きと共に顔を上げた雪の瞼が赤くなっているのは、弱い街灯の下でもよく分かる。泣いていたのだろうか。やはりあれは新しい男なんかじゃなかったと変に確信した。
「こんな所にいたのかよ。心配したぞ」
「あんたが、出て行けって言ったんじゃん」
 全く口の減らない野郎だ。
「ルールを守れねえならって言ったろ?ほら帰るぞ。酒も入って俺は眠いんだよ」
 久しぶりに結構なペースで飲んで挙句走った所為で酔いが回っている事は本当だ。服役していた間は当然酒なんか一滴も飲まなかったお陰か、弱くなったのもある。昔はザルだった筈が……。
 そんなどうでも良い事を考えながら歩き出したものの、振り返れば雪は着いて来ていないどころか立ち上がる様子もない。
「……どうした?」
 戻って問い掛けるとふいと顔を逸らされてしまった。この生き物はどうしたもんか。縋るようにしがみ付いてきた癖に、抱き上げようとすれば必死で逃げて行く。ガキの頃に飼っていた可愛げのない猫を思い出す。
「雪、黙ってちゃわかんねえよ」
 なるべく優しく話し掛けてみてもジッと暗い地面を見詰めるだけだ。そこでふとある事を思い出した。
「お前、もしかしてもうすぐ誕生日だろ?」
「……覚えていたの?」
 漸く俺を見た雪の驚きに満ちた表情は、酷くガキ臭い。嬉しそうな顔しやがって。隠しているつもりだろうがバレバレだよ。
「何日だ?何か欲しいもんあるか?」
 またふいと顔を逸らされて、思わず舌打ちしそうになる気持ちを必死で抑える。
 ……それにしても俺は何をしているんだか。たかが居候のガキ一人に振り回されて、明日も六時には起きなきゃならないのにこの寒空の下公園でご機嫌取りか。放っておけば良い。ガキって言ってもこいつだってもう二十歳を越えた大人だ。それに俺はこいつの人生を背負う気もなけりゃそんな責任もない。なのに何でこいつはこんなに、放っておけないんだろうな。
「まあ考えときな。ほら、もう帰って寝ようや。風邪ひくぞ?」
 誕生日の話しが効いたのか、雪は漸く重い腰を上げてくれた。

 冬の夜道を並んで歩く。俺の中では今でも不思議な心地がする。寄席に連れてく時も、軽く一杯引っ掛けに行く時も。塀の中だけの関係だと思っていたのだが。それにお互い何も話しを切り出さないから気を抜けば終始無言。俺は構わないが、雪は気まずいんじゃないかと変に気になってしまう。
 大体俺は裏社会を生きて来たから、こう言う品の良さそうな人種には懐かれた事もない。元々自分から話しを振るのも苦手だし、何話したら良いか分からない。
「お前の好きなしりとりでもするか?」
 アパートまでは歩けば十分。いつからか俺達の間で始まったこの遊びは、雪が変な事を言わなければ割と嫌いじゃない。良い暇つぶしにもなるだろう。
「別に、好きじゃねえよ」
「よー……夜釣り」
「……リトマス紙」
 勝手に始めた俺を軽く睨みつつ、ノって来た事が可笑しかった。
「何だそりゃ。えー、塩辛」
「隆司さんって本当おっさんだよね」
 そう言って笑った顔は、俺の事をバカにしている筈なのに嬉しそうにも見えた。いつもそんな顔してたら良いものを。
 アパートに到着して、布団を敷きながらも俺達はしりとりを続けた。やっと雪が笑ってくれた事だし、何だか止めるには勿体ない気がして。流石に長い事やっているからお互い大分ネタ切れだ。布団を敷く手を止め、雪はずっと考え込んでいる。
「んー……蟻とキリギリス!」
「す、なー……。スズメに狙われた柿」
 こうなったら何でもアリだ。
「何それ狡い!」
 そう言って笑った顔に、不思議と胸の奥が熱くなる。……何だろうこの気持ちは。あり得ない。
「お前いつも〝き〟ばっかりだからな。仕返しだよ」
「うわっ、大人気ないし」
 どっちがだと言いたくなる程、雪はあからさまにムッとしている。やはりこいつはまだガキだな。敷き終わった布団の上で胡座をかいて勝ち誇っていたのが相当癪に触ったのか何なのか。雪はゆっくりと近付くと、俺の首に腕を回した。
「キス、する?」
 甘く淀んだ光を放つ瞳で煽るように見詰められ、俺の中で何かが弾ける音が響いた。軽く顎に手を掛けて、親指でそっと唇を撫でると長い睫を震わせて薄い瞼を伏せる。まるで誘うように薄らと開いた唇は、幾度となく貪られた事を露呈するように、淫靡な色をしていた。一見清純そうな癖に、その妙に慣れた仕草に、俺は胸の奥底を掻き立てられた気がした。こいつは間違いなくプロだ。一体何人の男を溺れさせて来たのだろうか。
 ほんの数秒。唇に優しいキスを落としてやる。それだけで、頬に影を落とす睫を濡らし、一筋の涙が俺の指先を滑って行った。その時漸く雪が泣く程に俺を好いてくれている事を実感した。堪らなくなって抱き締めた身体は冷え切っていて、まるでこいつの心の中みたいに酷く心細い。
 男を引っ掛けて歩くのは寂しいからか?不安だからか?傷付いて、傷付いて、一体何が欲しいんだ。俺には全く分からない。
「隆司さん、俺──」
 続く言葉を聞いたら罪悪感に押し潰される気がして、再び唇を奪う。柔らかい禁忌はやはり、涙の味がした。
 これは完全に言い訳だが、俺は大分酔っていいる。明日になれば後悔もするだろう。このたった一夜の期待がこいつを傷付ける事になると分かってもいる。それでも小さく震える身体を、今は離したくなかった。雪の望みを叶えてやる事なんか出来ないのに。雪の気持ちを、知っている癖に──。

「隆司さんなんか元気ないっすね」
 次の朝、運転席から慎太郎に声を掛けられ思わず溜息を吐く。寝不足に加え二日酔い。そして昨日の罪悪感から俺は終始ぐったりとしていた。
「……取り敢えず、一発殴ってくれ」
「え、嫌ですよ何なんですか気持ち悪い」
 気持ち悪いとは酷い。それにしても──。
「俺は、最低だ」
 ポツリと呟くと、慎太郎は面白そうに笑った。
「何すか?手だしちゃったんすか?」
「……」
「……ええええ!」
 デカい声が頭にガンガン響く。
 本当の事を言うと、雪に手を出したのは酔っていたからじゃない。分かってはいた。気付かないフリをして来ただけだ。俺は自分の背負う罪の重さを理解している癖に、この世に一人残された寂しさに負けた。愛する者のいない世界。罪を償う事さえ捨てて戻った裏稼業。全て自分で選んだ癖に、もうあいつらに顔向けすら出来ない事が堪らなかった。
 それでもそんな俺に想いを寄せてくれた事が、真っ直ぐに、俺を想ってくれた雪の気持ちが、ただ嬉しかった。こんなものは優しい人間なんかじゃない。雪にした事も優しさじゃない。底無しに最低で、狡い行為だ。

 その罪悪感で暫く息も付けない日々が続いた。なるべく平静を装ってはいるが、いつ雪が再び求めてくるかと戦々恐々としていたのは情けない事に事実。それでも雪はまるであの夜の出来事を忘れているかのように普段通りで、俺は心底ホッとしていた。
 だが、確実に雪は傷付いていた。俺はそんな事にも気付けない程自分の事で精一杯で。『性格の悪い猫は、主人の嫌がる事を何度も繰り返すものだ』その将生さんの言葉の意味を知るのに、そんなに時間は掛からなかった。
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