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『Underground caT』
二人の行方
しおりを挟む季節は巡って冬が過ぎ去り、一緒に暮らして二度目の春が訪れた。桜はもう散って、最近じゃ雨続き。本格的に暑くなる前に、俺達は風呂なしアパートを引き払って少し駅に近いマンションへと引っ越した。今日は梅雨間の晴れた空が気持ち良い。
「隆司さん、これこっちで良い?」
ダンボールを持って近寄ると、箱の中を漁っていた隆司さんはチラリとこちらに視線を投げ、直ぐに向き直ってしまった。
「ん?ああ、置いといてくれ。お前さん仕事だろ?やらなくて良いよ後で慎太郎も来るし」
「でも……」
「ほら、今日泊まりなんだろ?ちゃんと寝とけよ今のうち。布団の場所分かるか?」
「……うん」
それ以上食い下がると煙たがられるだけだし、俺は諦めて自分に充てがわれた部屋に入った。
白い板目のフローリングに見晴らしの良い大きな窓。クーラーもある。綺麗で、日当たりも良い。風呂もあるしお互いの部屋もある。もう、あの人の隣で眠る事もない。住んでる街は変わらないのに、銭湯の前で待つ事も、もうない。
春の優しい陽光に視界がブレる。隆司さんは何時も「おかえり」と言ってくれるし、変わらずに優しい。けれどあまり俺の目を見なくなった。少し距離を置いて俺に接する。あの日を境に何を望んだ訳じゃない。酔っていたのも知っていたから。ただ、一夜の夢と変わらずにいてくれたら良かった。けれどたかがキス一つ。酔いに任せた衝動。隆司さんはそう思うには、真面目過ぎた。
たいして広くもない部屋が、無性に広く感じる。ここは、汚い物に蓋をして、いらない物をしまっておく物置と一緒だ。
夕陽が空を赤く染める頃に、俺は家を出た。自室で片付けをしていた隆司さんとは顔を合わせずに。こうしてこの先、すれ違って行くのだろうか。新しいマンションはまるで幼い頃を思い出させる。居場所の無い家。誰一人、俺を待つ事の無い家。あんな事しなければ良かったと、俺はいつも後悔ばかり。余計な事をして、悔やんで、それでも変われないバカな人間。
軽いクラクションの音と共に現れたシルバーの車の後部座席に乗り込んだ瞬間に、堪えきれなくて涙が溢れた。
「……雪君?」
白髪混じりの男は何も言わない俺の頭を、優しく撫でてくれた。男が軽く合図を送り車は走り出す。
最近こんな風に上手く切り替えられない日が続いている。分かっている。弱い所を見せるのは良くない。しかも今日は二階堂譲さんだ。月一で会えるか会えないかも分からない相手。今回も二ヶ月ぶりだし、高い金払ってこれじゃあ報われない。
「ごめんなさい……」
小さく頭を下げて身体を離すと、譲さんは優しく微笑んでくれた。
「いや、嬉しいよ」
何の事かと見上げた俺の目に映ったものは、酷く淋しそうな男の顔だった。
「私には君と同い年の息子がいてね。こんな風に泣き付いて来てくれる事なんか一度も無い。随分と嫌われていたよ。けれど減らず口を叩いて嫌われているうちはまだ良かった。あの家での私はもう、ATMでしかない。仕事一筋。家族の為にと思って生きて来た。いつしかそれが、埋められない溝を作っていたんだね」
悲しい?後悔してる?だから俺を買ったの?……バカだね。それが更に家族との溝を深めて行くんだよ。でも俺にはその気持ちが痛い程に分かるから、嘲笑う気にはなれなかった。
「寂しいよね」
小さく微笑む男の唇にそっと触れて、腰に回された腕に胸を熱くする。
寂しいから誰かの熱を求める。それは俺も、変わらない。淫乱で、玩具としては最高で、誰彼構わず引っ掛ける節操の無い人間。そう思われたって構わない。例えお前は最低のクズだと呼ばれたって、笑ってやる。俺にはそれしか逃げ場がない。縋る物も、助けを求める人もいない。
誰かの腕の中でだけ自分になれる。誰かの腕の中でだけ、間宮雪と言う人間は求められる。そんなの虚しいだけだと言われ、寂しい子だと同情されて、それを鼻で笑って生きてきた。だってそう言う連中が一番、この心の隙間に付け込んで来るでしょ?『寂しい子 可哀想な子 だから、愛してあげる』そんな自己陶酔の自己満足、反吐が出る。そんな物俺にとっては何の役にも立たない。やはり愛なんて物を語る連中は嫌いだ。
……また堂々巡り。こうやって一歩進んで二歩下がる、そんな人生。もう、疲れた。
連れて行かれた場所は温泉街の外れにある森の奥地の旅館だった。完全離れで、女中がたまに来る他は譲さんと俺と犬飼しかいない。犬飼はまた別部屋だけど、心配なのか俺達の部屋の庭にある池の前でぼんやり岩に腰掛けていた。良い番犬飼ってるよ。
それにしても久しぶりにこんな良い部屋に泊まったから何だか変に浮かれた。部屋に露天風呂もあるし綺麗だし、畳の匂いはやっぱり落ち着く。
譲さんはこんな風に時間が取れたら色んな所に連れて行ってくれる。たまに抱かれる事もあるけれど、それよりも誰かとこう言う時間を持ちたいのだと思う。これを家族にやれば良いのにと普通の人は怒るのだろうね。そんな事百も承知でやってるからタチが悪いのだけれど、きっともう、手遅れだと思ったんじゃないかな。知らないしどうでも良いけど。
それでも俺自身疲れた時は、この時間に癒されたりもする。知らない場所で自然の中ゆっくりして、消える事のない汚れすら、一瞬だけでも忘れられる。それが譲さんだけは切らない理由なのかもしれない。
運ばれて来た豪勢な夕飯を食べて、俺が一人で露天風呂に興奮している間に譲さんは眠ってしまった。忙しかったみたいだから疲れているのだろう。隅に置いてあった茶羽織を掛けて、電気を消して部屋をこっそりと抜け出す。空を見上げると今日は月が綺麗過ぎて、それがやけに俺を苛々させた。
そのまま足を進め庭先に回り込んでみたら、未だに座り込む犬飼の姿が目に止まった。
「あれ?わん公まだいたの?」
失礼な物言いに鋭い睨みが向けられた。
「……犬飼さんと呼べ。離れて良いのか?」
「ご主人様は飯食って直ぐ寝ちゃったよ。大分疲れていたみたいだね」
それ以上話す気はないみたいで、再び視線は池に戻された。
月明かりに照らされた水の中を泳ぐ錦鯉。そんなものをずっと見ていて楽しいのだろうか。俺はもう既に飽きた。それにしても薄い月光に影を落とす横顔はそんなに悪くない。身体つきもガッシリしていて、背格好だけは隆司さんに似ている。この人に抱かれたら、隆司さんだと思えるのかな。そんなバカな事が頭を過る。
「そんな所にいると、声、聞こえるんじゃない?」
そう耳元で囁いた瞬間、犬飼は飛び上がって驚いた。
「あっち行け、このっ!」
あまりの慌てように思わず笑を堪えきれなかった。当の犬飼はそんな俺を信じられないと言った様子で睨んでいる。
「お前、本当に誰でも良いんだな……。汚い奴!」
「あんたのご主人様はそんな汚い男にご執心の様子だけど」
俺の返しがショックだったのかなんなのか犬飼は黙り込んでしまった。狭い岩の端に腰掛けて、そっと身体を寄せる。この男も、温かい。
「……分からない。何故お前みたいなダニに執着するんだ?」
あまりにも真っ直ぐな瞳が俺を捉えた。この堅物を落としてみたい。そう思ったが最後、犬飼はもう俺の獲物でしかない。
「後学の為に、試してみれば良いんだよ」
否定の言葉を投げられる前に、素早く唇を塞ぐ。この体格差だ。簡単に振り解けるものを、犬飼は固まったままそれをしなかった。それが、嫌悪感の裏側で、好奇心が揺れていた証拠。
舌を吸い上げ、甘く食むように口付けてやる。口腔を嬲りながら、耳の付け根から項に掛けて擽る様に爪を這わせると、犬飼は簡単に本能に負けた。たかがキス一つでも、やり方ひとつで気持ちいいもんだろ?抵抗を忘れ、それどころか恐る恐る細い腰に腕を回し、続く行為に熱く期待を揺らす。ここまでくれば後は墜ちて行くだけだ。
重なっていた身体をゆっくり離し、月明かりに輝く唇を優しく指で拭ってあげると、ピクリと腰を浮かす初心な男。
「今夜の事は二人の秘密。ただの遊びだよ?犬飼さん」
ご主人様の目を盗んでの暗い暗い背徳のお遊び。これが顛落への第一歩だと知る由もなく、俺は優しくその手を引いた。
庭を抜けて、犬飼の部屋へと進む。旅館の下駄がカラカラと小気味良い音を立てる。少し狭い犬飼の部屋も、畳の良い匂いがした。一枚しか敷かれていない布団に二人でゆっくり腰を下ろす。初めての相手は焦らない事。ちゃんとノる迄手を離さない事が大切。
「緊張してる?」
月明かりに照らされた堀の深い顔がきゅっと歪んだ。
「女とは違うから、優しくしてね」
頷いた男の唇の端にそっとキスを落として、大きな手を胸元へ導いて行く。浴衣が肩からするりと落ちるそんな小さな煽りだけでも、犬飼は生唾を飲んだ。思った通り。お硬いこの男は初心で面白い。
「……お前、綺麗だな」
青白く浮かぶ俺の裸身を見て、犬飼はそんなバカな事を呟いた。
「さっき自分で汚いって言った癖に」
もう、喋らないで。今はただ、俺に夢を見させてくれれば良い。バツが悪そうな男の耳元に唇を寄せて、俺は最後の後押しをした。
「この身体も、今だけはあんたの物だよ」
だから好きにして。俺はそれを貪欲に拾い集めて、新しい快楽の波間に溺れるんだ。この身体が隆司さんに抱かれている。そんな夢のような時間に、揺れるんだ。首筋に落とされた唇がゆっくりと下へ落ちて行く。
「あっ……」
胸の飾りに舌先が触れた瞬間、自然と甘い声が漏れる。
「男でも、ここ感じるのか?」
「……うん、気持ちイイよ。もっと、して?」
自分でも引く位、甘ったるい稚拙な誘惑。けれど慣れていない男にはこの位が丁度良い。生暖かい唇に丸ごと包み込まれ、硬い歯が微かに触れただけで勃ち上がった硬い芯を分厚い舌で悪戯に弄ばれ、身体がひくりと機敏に揺れる。それでもまだ遠慮がちな動きがもどかしさを与え、余計に欲情を煽られた。
こんな事が譲さんに知れたら、揃ってクビだ。そう思うだけで上り詰めそうな快感が背筋を駆け上がった。犬飼も同じ。俺に触れれば触れる程、恐怖と背徳に蝕まれ、それでも目の前の美味しそうな獲物を手放す事ができない。身体中に唇を這わせ、時折思い出したようにキスをする。もう犬飼の思うまま。俺はただ感じていれば良い。
押し倒された事を合図にゆっくり瞼を閉じて、俺は隆司さんを想った。触れる指先に、腕を回した広い背中。耳元に触る熱い吐息も、身体に落ちる優しい口付けも全部、隆司さん──。
「……おい、何で泣いている」
優しい犬飼の声が上手く息も付けない程に苦しい。涙だけが溢れて、言葉にもならない。
分かりきっている。これは隆司さんじゃない。ただそれだけ。それだけなのに何でこんなにも胸が押し潰されそうなんだ。塀の中で御曹司に抱かれた時に感じた苦しみなんか足元にも及ばない。まるで裂けてしまいそうな程の痛み。
俺はその時誰かに抱かれながら、初めて涙が出る程の虚しさを覚えた。一体俺は何をしているのだろう。叶う事のない奇跡を信じてどうなる。こんな痛みを知る位なら、もう何もいらない。
「良いから……このまま抱いて」
苦しい。忘れたい。あの夜の出来事を、全部。たかがキス一つ。それに縛られていたものは、俺だった。一瞬触れて、それでもまた遠ざかって行く。知ってしまった心は膨れ上がり、次を求めはしても、あの人の熱を忘れる事はない。それでも俺達の未来は、終わりの無い永遠の綱の上。このまま進んでどうなるの?だけどもう、戻る事さえ出来ない。
俺はまた、過ちを繰り返す。
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