Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground caT』

春風に乗せて

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 春一番が過ぎ去れば、桜前線が北上して行く。新しい命が生まれ、新しい人生が始まる。何となく気分が上昇する不思議な季節。俺はそんな春が好きだ。だけど何故だろう。何もかもが浮き足立った世界の中で、一人長い冬を抜け出せずにいた。
 雪がいなくなってもう三月は経った。それなのに未だ部屋は空っぽのまま。あいつが消えたあの日から、何も動かせずにいる。もう帰って来る筈はないのに。俺の知らない所での幸せを、心の底から願っているのに。何度か電話してみようと携帯を手に取った事もあった。それでも気が咎めるのは、自分自身で自覚しているからだ。俺は雪を幸せにしてやる事は出来ない。だからこそ、心の底の重い蓋は未だ硬く閉ざされたまま。

「りゅうじー!」
 遅めの朝食の後の珈琲を飲んでいると、元気な声が玄関から飛び込んだ。バタバタと足音を響かせ走り寄って来たのは、淡いピンクのワンピースに身を包んだ可愛らしい女の子。
「おはよう、夢」
 母親と同じ頭の上の大きなお団子がぴょんぴょん跳ねるのにあわせて揺れる。
「おはよう!ゆめ今日かわいい?りゅうじのおよめさんになれる?」
「大きくなったらな」
 そう言って頭を撫でてやると足にしがみ付く姿があまりにも可愛くて、自然と心が和んだ。何故か俺は子供に好かれる。子供は好きだし嬉しいんだが、自分でも決して人相が良いとは思っていないだけに不思議なもんだ。
 いつものようにませた夢の相手をしていると、慌ただしく実咲ちゃんが迎えに来た。
「隆司さん準備出来た?もう行くよ!ほら夢、おじちゃんに抱っこしてもらいな!」
 ……おじちゃん。若いつもりも毛頭ないが、それにしても軽くヘコむもんだ。
 桜が間も無く散る今日、俺は前々から慎太郎一家と花見に行く約束をしていた。本当はもっと早くに行きたかったのだが俺と慎太郎の休みが合わず。将生さんが東京から一時姿を消しても相変わらず遠くから送迎やその他雑務の指示は来るし、暇ではないのだ。でも本音、忙しい方が有難い。少しでも一人の時間があれば考えてしまうから。自分ではそんなつもりさらさら無くても、自然と頭に浮かぶ。雪はどうしてるだろうと。本当に俺はどうしたんだろうか。自分で自分が嫌になる。
 そんな自己嫌悪に陥っていると、ふと前を行く実咲ちゃんが大きく息を吐き出した。
「そう言えば大分大きくなったな。予定日は何時だって?」
「九月頭!今度は男の子な気がするんだよね」
 そう言って笑う顔には幸せが滲み出ている。将生さんの失踪でバタバタしていて最近知ったのだが、実咲ちゃんのお腹には新しい命が宿っている。慎太郎もそりゃあもう大喜びだったが、変に俺に気を遣ったのか最近報告を受けた。俺が落ち込んでるだとかよく分からない事を言って。落ち込んでなんかいないし落ち込む理由もない。だが実際、そう無理にでも突っぱねてる事位自覚はしている。認めたくないだけだ。
「隆司さん早く早く!」
 その声にハッと我に帰り、俺は急ぐ実咲ちゃんの後を追った。

 世間は平日だからか、花見スポットで有名な公園はそんなに賑わってはいなかった。ポツンポツンとビニールシートを囲む集団が見受けられる位。その中の一つで、朝から一人準備をしてくれていた慎太郎が俺達の姿に満面の笑みを浮かべ手を振っている。
「ごめんねパパ、夢がグズっちゃってさ」
「そうだろうと思ったよ。ほら、夢、パパだよー!」
 慎太郎が鼻の下を伸ばして俺に抱かれる夢に手を伸ばす。
「やだ、りゅうじがいい!」
 そう叫んで首にキツく抱き付いた夢を見て、拒絶された父親は今にも泣き出しそうな顔で俺を見た。これは俺でも相当へこむ。だけど言われた方としては嬉しいもんで、苦笑いするしかなかった。そんな俺達を見て楽し気に笑う実咲ちゃん。四人で囲む食事はいつも笑顔が絶えない。皆俺にとって大切な家族だ。何時でも手を取り合って、共に生きて来た。愛する人達だ。
 人は一人では生きてはいけない。人間なんて弱いものだ。でもそれで良いんだと、そう雪に教えてやりたかったな。
 ふいと青い空を仰いだ時。ざあっと音を立てて風が通り過ぎて行った。青空の下に舞う花弁が、まるで遠い日に見た雪の様だ。少し寒かった夜明けの道で、縋る様に伸ばされた細い指先が裾を握る感覚。ポケットの中で密かに繋いだ手の温もりさえ蘇る。
 雪に、会いたい──。
「……隆司さん?」
 その声に我に帰る。俺を見詰める慎太郎も実咲ちゃんも、何かに驚いていた。
「りゅうじ、どっか痛いの?」
 夢の小さな手が、頬を撫でる。その指先が春の陽光でキラリと輝いた。その煌めきが涙だったと理解した途端、心底ゾッとした。
「……悪い」
 何を俺は、人前で、しかもこんな時に。羞恥と自責の念で、俺は一刻も早くその場から逃げたかった。
「隆司さん!」
 背中越しに聞こえた慎太郎の声すら振り払い人気のない場所まで必死に足を進めた。この年だ。走るなんてみっともない真似はしたくないから、少し早歩き程度だが。
 公園の脇の水道で顔をこれでもかって位に洗う。そうすればスッキリするかと思っていた。だが排水溝に溜まる薄紅色の花弁がそれを許さない。ああ、畜生。何だってこんなに吹っ切れないんだ。

 流れる水を呆然と見詰めていると、脇からスッと薄いブルーのタオルが差し出された。驚いて振り向いたそこに立っていたのは実咲ちゃんだった。
「みっともねえ所を見せたな。年かな」
 おどけて笑う俺に実咲ちゃんも優しく微笑み掛けてくれた。
 近くのベンチに並んで腰を下ろす。春の強い風に舞う花弁にまた胸が痛んだ。
「雪君、何で消えちゃったんだろうね」
「……良い男でも見付けたんだろ」
 俺の事は忘れて、幸せに暮らしているんだ。
「そうだったら隆司さんそんなに悩まないでしょ?」
 ギクリと心臓が縮み上がる。
「雪君が何か深い理由があって隆司さんの側を離れた。新しい男なんか出来てない。それが分かってるから……そんなに苦しいんでしょ?」
 女性ってのは繊細に人の心を汲み取るのが実に上手い。俺の態度や少ない言葉で実咲ちゃんは勘付いていたんだろう。俺ですら目を背けていた事実に。見抜かれて悔しい言うよりは、何もかも曝け出してしまいそうな不思議な諦めを覚えた。
「……敵わねえな、実咲ちゃんには。確かにあいつが寄席に顔出してたって聞いた時に、分かってた筈なんだ。でもな、俺は、怖いんだよ。情けねえな」
 思わず乾いた笑いが口から漏れる。誰かを愛する事も、雪に溺れてしまう事もどうしようなく怖い。
「隆司さん。あたしは慎太郎みたいに認めろとは言わないよ。誰かを好きだって認めてしまう事は、凄く勇気のいる事だもん。隆司さんは元々ストレートな訳だしね」
 実咲ちゃんの言う通り。男として、男である雪を愛すると言う事がどう言う事か分からない程愚かではないし、未知の領域に勇んで足を踏み入れられる程俺は若くない。簡単に認めるには重すぎる現実に、何時でも俺は押し潰されそうだった。
「でもね、あたし達がいつも側にいるって忘れないで欲しいんだ。例え世間が隆司さんや雪君を許さなくても、あたし達はずっと味方だよ。だからたまには、頼ってね」
 実咲ちゃんはそう言って少し淋しそうに笑った。俺はバカだな。家族だと思っていながら、慎太郎達に迷惑を掛けたく無くていつも一人で抱え込む。それが余計に心配させる事も分かってはいたのに。
「ありがとう」
 風が優しく通り抜けて行く。春は新しい季節。俺の人生も、新しい一歩を踏み出す時なのかもしれないな。

 あの花見から一週間。この辺りの桜は梅雨の雨に攫われ姿を消した。そんな鬱陶しい季節が始まり、この先の身の振り方を漸く考え始めた背中を押すかのように、一人の男が強い決意を持って俺の元を訪れた。
 降りしきる雨の中。仕事帰りの俺の目に、玄関の扉の前で佇む影が映る。
「あんたは……」
 何度か雪が連れ込んでいた、二階堂家の番犬。名前は確か、犬飼だったか。俺に気付くと鋭い瞳が研ぎ澄まされた敵意を映し出す。
「話しがある」
 今更来た所で雪はもういないのに。知らないのだろうか。
「上がんな。何も出せねえけどな」
「仲良く茶を飲む気はない」
「……だろうな」
 こいつの目の前で雪を殴った事もあった。そのお陰か何だか知らないが嫌われたもんだ。俺も良い印象は持ってはいないから犬飼同様仲良く茶をしばく気にはなれない。
 ソファに通したものの、隣り合って座るのも気持ちが悪い。対面の床に腰を下ろして、重苦しい空気の中、犬飼の話しを聞く事となった。
「話しってのは何だ?」
 そう問い掛けてみても犬飼は握った拳に視線を落としたまま、中々切り出そうとはしない。検討がつくと言えばつく。だがそれは雪の事だろうと言う漠然としたもので、その口から語られる何かに、緊張しているのも確かだ。
 そんな沈黙を破り、意を決した男が漸く重い口を開く。
「雪は今、二階堂家の本邸にいる」
「……は?」
 突然居場所を教えられ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。予想してたものとかなり違ったって事と、二階堂が絡んでいた事。どちらも驚きだ。将生さんから聞いた話しでは二階堂譲との愛人契約は雪から切ったとの事だったから。それに憤慨した二階堂が雪を無理矢理縛ったのだろうか。
 悔しさからか小さく震える犬飼の姿に、嫌な予想は尽きる事はない。
「二階堂昴様……二階堂家の末のご子息だ。今はその人の元にいる」
 与えられた答えに不思議と全身の力が抜けた。
「……そうか」
「それだけか?」
 驚きと失望に満ちた瞳が俺を捉えた。よしてくれよ。俺に一体何を望む。
「雪は、幸せか?」
「分かっている筈だろ……!」
 掴みかかって来た犬飼によってローテーブルがガタンと大きな音を立てる。こんな青臭いガキに噛み付かれるとは、俺もヤキが回ったのかね。呑気な俺を他所に、襟元を掴んだ犬飼の手は震えていた。
「雪はな、あんたを守りたくて自ら離れたんだよ」
 何でそんなバカな事を……喉まで出かかった言葉を咄嗟に呑み込んだ。それが酷く残酷な言葉だと、分かってはいる。
「俺は、雪が好きだ。だからこそあんたに迎えに来て欲しくてここに来た。だがあんたにその気がないのなら、俺がもらう。もう遠慮はしない」
 そう言いながら犬飼の瞳が訴えるものは、止めてくれと言う願いのように思えた。
 俺は一体、どうしたら良いんだ。あいつの人生を背負う事が出来るのだろうか。また同じ繰り返しの日々に、心が耐え得るのだろうか。そもそも、俺は雪をどう思っている。またその自問に頭が痛む。
「……ここで悩む位ならその程度って事だ。二度とあいつの前に姿を見せるな。山室隆司は肝の小さい男だったと、あいつにも伝えておく」
 ゆっくり手を離し、踵を返した男の背中を呆然と見送る。
 そんなに雪を想うのなら無理矢理にでも奪えば良いものを。バカがつく程優しい男だ。俺はどうだ。こうして逃げ惑う事しか出来ない。雪に守られて、のうのうと感傷に浸ってるだけか。情けねえ。
「待ちな」
 もう、自分自身への詭弁はうんざりだ。会いたいと思うのならそれが真実。先の事を考えずに失った人もいた。今度は先の事ばかり気にして失うなんてバカげてる。何が大切で、何を守らなくちゃならないんだ。何を恐れてた。失う物なんか、もう何も無いのに。
 心の底で蓋をした、誰かを狂いそうになる程に愛すると言う激情。凶器にもなり兼ねない深く重い愛情。二度と開くまいと心に決めた筈が、どうして居候のガキなんかにぶち壊されてしまったんだ。それも、相手は男だ。それでも自覚してしまえばもう手遅れだった。
「雪は渡さない。必ず、俺が連れ戻す」
 振り向いた男が小さく笑う。
「出来る物なら、やってみろ」
 静まり返った部屋に扉の閉まる音が響く。
 雪は良い男に巡り会えた。犬飼を好きになったなら、きっと大切にもしてくれるだろう。俺なんかを選んで全くバカな奴だ。それでもその心に映るのが俺だけならば、この上なく嬉しいと思う自分にも笑えた。いつからあいつに惹かれていたのか。そんな事はもうどうでも良い。俺は雪が好きだ。そう言い切れる事は、意外にも悪いものではなかった。

 何時の間にか雨も止み、空に丸い月が昇る。湿気を帯びた重苦しい空気を肺一杯に吸い込んで、覚悟を決めた。
 あいつはまるで子供のように手が掛かるし、人との付き合い方を知らない。自分勝手で傲慢で、疲れる事の方が多い。だけどその裏側で苦しみ続けて生きて来た事も知ってる。誰を信じる事も、誰を愛する事もなく、一人耐え抜いていたのも知ってる。助けてくれと手を伸ばし、そんな自分を責めていた事も、今ならば分かる。辛い道程だっただろう。その暗い道の先に見える光が俺ならば、必ずこの手で幸せにしてやる。その為ならどんな痛みすらも怖くは無い。だからどうか待っててくれ。必ず、迎えに行くから。
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