Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground tigeR』

命の始まり

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 将生と動物園に行った、十年前のあの日に俺はようやく自らの足で歩み始めた。荒々しい弟分に背中を蹴られるようにして。踏み出した先は真っ暗闇で、秀司さんが、将生が、たった一人そこを歩いていたのだと思い知らされた。凄い人たちだ。俺は今でもそう思う。

 すっかり夜も更けた料亭の門前──。
「そんじゃあまた、親父にはよく言っておきますよ」
「おお、頼んだぞ一平」
 砕けた調子で手を振る俺を置いて、黒塗りの車は走り去る。それを見送って、隣でいまだに深々と頭を下げる三島の肩を叩いた。
「悪いね長々付き合わせて。帰りも頼むわ」
 後は帰るだけだと疲れを吐き出す俺を、右腕として世話をしてくれている三島は訝しげな顔で見上げる。
「今日は予定があるのでは」
「ええ、なんもねえよ。もう眠いから帰る」
 でも、と食い下がるものだから、俺は首を傾げる。それには三島もどこかおかしいと感じたのか俺のスケジュールを何度も確認している。身に覚えのない予定。遂に暗殺でもされるのか。それも仕方がないかもしれない。

 山室組を揺るがした前代未聞の若頭就任から気付けば随分経った。もうあと数年でこんな俺が四十にもなる。まだまだ若造だと幹部陣には言われるが、週二のコンビニバイトから正社員位には稼げるようになった。まあそれでもはっきり言って話にならないのだが。俺は人より歩みが遅い。誰が虎だなんて言ったんだ。俺は亀だ。驚いたら首を引っ込め、殻にこもって出てこない。そんな奴が山室晋三の後を継ぐなんて、やはり誰が聞いても無茶な話だ。
 だがこの十年、俺はがむしゃらに勉強をした。相変わらず漢字は苦手だが、俺みたいなものがこの裏社会でどう渡り合って行くか。どう人の心を惹きつけるか。先生は沢山いる。ヤクザ者は、一癖も二癖もある奴ばかりだから。若いやつも、年寄りも、俺にとっては等しく先生となる。それを教えてくれたのは将生だ。最近では互いに忙しく頻繁に会う事もないし、連絡を取り合う事もない。先日将生が福建マフィアの男に襲われたと聞いて、様子を見る為阿部に頼み飲みに行った程度だ。俺の心配を他所に、逆に説教をされてしまったが。
 それでも部屋住を抜けてから定期的に俺は将生を呼び出していた。心底迷惑そうではあるが、そうでもしないとあいつはすぐに組織から浮いてしまう。それでは困る。将生が嫌がったとしても、俺が上に立つならば将生が隣にいなくては嫌だ。

 そんなことを考えていたからだろうか。想い人は突然現れた。
「なにしてんだ、闇討ち?」
 俺の車にもたれかかり、優雅に煙草を燻らす色男。俺の軽口に真面目な三島が微かに身構える。しかし残念ながら、三島では将生に勝てないだろう。
「飯行きましょうよ」
 将生はそれだけ言うと煙草をもみ消した。闇討ではなく、飯の誘いだったようだ。三島が慌てるから回りくどい事をせず俺に直接言えばいいものをとも思ったが、俺もまたいつも阿部に間を取り持ってもらうのだから同じことか。俺たちは組織の人間だ。それを忘れてはならない。
 わざとでは無いのだろうが、全く三島が眼中に入っていない気がして、俺は三島を将生の前に押し出した。ようやく俺から目線が下がる。面識はなかったと思う。だいたい外であくせく働く働き盛りの幹部陣なんてそんなもんだ。
「将生のことは知ってるよな。将生、こちら俺の右腕くん、三島だ」
「三島です。挨拶が遅くなりすみません」
「噂は聞いてますよ。優秀な子がいるって」
 そうだろうと胸を張る俺には目もくれず三島は将生を観察しているようだ。三島は俺と違い警戒心が強く、疑り深い。滅多な事では姿を見せない将生の悪評は相変わらず山室邸内に轟いているからか、どうやらこの美貌の暴君から俺を守ろうとしてくれているらしい。涙ぐましい。だがいくら優秀と噂になる程でも、やはり将生には勝てない。自分を値踏みする視線を真っ向から受け止めながら、将生は三島に向けて何故か挑発的な視線を投げかけている。本当に男ってもんは、困ったものだ。
 仲良くしてくれそうもない事がわかり、俺は三島の肩を叩く。
「三島、あと少し頼むわ」
 悪いね、と言うと三島は首を横に振りすぐさま後部座席の扉を開いた。もう眠いのだが、仕方がない。店を告げると車は走り出す。
「あれ吉野組の組長でしょう。丸め込めたんですか」
「うん、なんか思ったより話の分かるおじさんだったよ」
「またそんな適当な事を」
 将生は腹黒狸として有名なその親父を警戒しているようだ。だが三島と言う優秀な男が俺にはついている。俺が気付く所、三島が気付く所、それぞれまるで違うから、どうにかこうにかこうして足元掬われずにやってきている。
「多少はうまくなったみたいですね、田島さん」
「そうかねえ。みっちゃんが優秀だからだよ」
「田島さん、みっちゃんはちょっと」
 運転席からやめてほしいと懇願されてしまった。バックミラーに映る三島を見詰めながら、隣から乾いた笑みが漏れる。
「三島も不運だね」
「それどう言う意味」
 首を傾げる俺を横目で見やり、将生は呆れたようにため息を吐いた。
「才能も未来もある優秀な人間が、まともに稼げもしない三下以下の人間の下につかなきゃいけないなんて可哀想だって話ですよ」
「もう少しオブラートに包みなさいよ」
「包んだら理解できないでしょう」
 確かに。将生の言い回しは俺には少し難しすぎる時がある。しかし相変わらず将生は痛いくらいの核心しかついてこない。
「悪いねえ、三島。まあ上に行きたかったら全然離れてもいいからさ」
 それは申し訳ないが本心だ。三島は本当に優秀で側にいてくれるととても助かる。だが、将生のように強烈な引力はない。
「いえ、俺は田島さんの側にいたいので」
 俺の心を知ってか知らずか、三島のそのまっすぐな言葉に、将生は何故か組んだ長い足で器用に蹴ってきた。痛い、と叫ぶ俺を、冷めた瞳が睨み付ける。
「おい、妬くなって。俺の一番はいつでも将生だからさ」
「そう言う事じゃない」
 違うらしい。
「三島はあんたには勿体ない。簡単に手放せるなら阿部と交換して欲しいくらいですよ」
「雄二は癒されていいじゃねえか。ただほら、俺も癒し系だからちょっと右腕にするにはキャラ被りがさ」
「どこも被ってないですから。そもそも癒し系でもない。出来損ないかぶりはしてますけどね」
 俺たちのいつも通りのやり取りに運転席から微かな笑い声が聞こえる。三島は将生と接点もなかったし、盛大に尾鰭のついた狂犬の武勇伝を耳にして警戒していたようだが、それも少し懐柔したようだ。俺は誇らしかった。どうだ、この男は面白いだろう。
「田島さんには若手一優秀な三島、俺には若手一使えない阿部。これが人徳ですかねえ」
 独り言のようにそう言って窓の外に視線を投げた将生に俺は曖昧に笑って見せる。
 稼ぎは相変わらず悪いが、その代わりに秀司さん仕込みの人工人たらしは思うよりも役にたつ。関係が悪かった組との橋渡し、潰れそうな組に手を差し伸べ人望を得たり、少しづつ俺も認められてきている。こんな風に優秀な若者が俺の下につきたいと直談判しにくるくらいには。

 そんな予定外のドライブは一軒の居酒屋の前で終了した。一応個室ではあるが、高級料亭などとは程遠い店。何故なら俺は稼ぎが悪いからだ。そんな高い店にはとてもいけない。例えば阿部や三島が同席するなら若者に夢を見させなくてはならないから一応格好はつけるのだが、将生と二人ならそんな無駄金はない。それは将生も同じらしい。
 三島には帰りはタクシーにするからとそのまま車を持って帰ってもらった。いつでも気遣いを忘れず、怒鳴らない、何より夜もだらだらと付き合わせず出来る限り早めに解放してくれる、そんな田島付きは羨ましがられるそうだ。お陰で三島もとてもよく働いてくれる。他人に動いてもらうには、自分がまず動かなければならない。それは、秀司さんを見て学んだ事だ。

 席に着き、将生はウーロン茶、俺はカルピスを頼む。二人の時はいつも将生は酒に弱いからウーロン茶、俺は普段頼めない大好物のカルピスにしている。栄養がありそうだと思っていたが、どうやらお腹にいいらしい。そんなに飲むと太ると将生によく小言を言われていたが、美味しいから仕方がない。
 もう数年二人でこんな風に飯を食う機会もなかったが、その習慣が変わっていない事にどこか喜びを感じる。
「どうした、珍しいな」
 俺がそう話を切り出しても、将生はどこか不機嫌な様子で手を拭いている。
 基本的に将生は今や俺が呼ばないと顔を出さない。たまに俺が忙しくて忘れていると自分の事を思い出させるように山室邸を訪れ、悪態をついて帰っていく事はあるが、俺はそんなに忙しい人間ではないから、滅多なことでは自分からくる事はない。ましてやこうして仕事後に待ち伏せなんてされたのは初めてだ。
「別に、たまには気を張らずに飯でも食いたいと思って」
 ふうん、と返事を返し、運ばれて来た白い液体を乾いた喉に流し込む。やはり酒より数段うまい。
「カルピスはお腹に良いらしいぞ。あながち俺の勘も間違っちゃいなかったな」
 何かあったのだろう。それは分かる。だから態とらしく俺は関係ない話題で場を繋ぐ。
「そういえば山本さん、まだ根に持っててよ。いつか背後から刺されるんじゃないかって怖えんだよ。あんなに謝ったのに」
「あれ、謝って済むレベル超えてますからね」
 そうかね、と首を捻る俺から視線を逸らし、将生は飯に誘っておきながら頼む気もないメニューをめくっている。まだか、そう思って無駄話を続ける。
「俺も色んな奴に殴られたけど、お前の蹴りが一番痛かったんだよ実は」
 いまだに忘れられない。人間は本当に吹っ飛ぶ事を教えられた。あれはすごい蹴りだった。
 俺がとんでもない痛みを思い出し顔を顰めていても、将生はメニューに視線を落としたまま。
「飯食いましたか」
「うん、なんか色々。酒も飲んだから、もうお腹いっぱい」
「眠いでしょう」
 うん、と頷くと、ようやく将生は微かに笑って俺の目を見た。何故だろう。将生の言いたい事が分かるのは。
「将生」
 俺が名を呼ぶと、いつも少し不安気に瞳が揺れる。相変わらず不思議な男だ。
「お前が劉にやられたって聞いた時な、初めて嫉妬ってもんを感じた気がするよ」
「何ですかそのクソみたいな口説き方」
 心底嫌そうな顔に、思わず吹き出してしまった。
「いやあ、俺もびっくりしたんだよ。あれ、俺にも遂にそっちの本能が目覚めて、将生に恋でもしてたのかってな」
 そう言いつつも、俺の本能はいまだに仕事をする気はないようだ。人間は面白いとは思う。それはやはり動物園で動物を見たり、図鑑を見てその生態を知る面白さに似ている。だが相変わらず女にも、男にも性的な興味は湧かない。それはこんな千年に一度の色男を前にしても。俺はそう言う人間なのだろうと思う。
 だが将生が劉と言う福建マフィアの男にめちゃくちゃに犯され、挙句その経験が良すぎてハマってしまい、それ以来簡単にヤらせてくれるようになった、将生は最高だったらしいと言うどこまで本当か分からない下世話な噂を聞いた時、内心ひどく動揺した。あれは嫉妬だったのではないかと思う。
 思い出したくもないのか、不機嫌そうに眉を顰めながらも将生はそんな俺の心を見透かしたように吐き捨てた。
「それ、嫉妬じゃないですよ。勿論恋なんてもんでもない」
「ええ、そうなの。こんなに好きなのに」
 思わず巫山戯ると、おしぼりを投げ付けられた。
「本能的な嫌悪感です」
 将生はそう言って、ふと視線を逸らす。
「田島さんが誰かに俺と同じ事やられたって聞いたら、俺も同じ感情を抱くと思いますよ」
「それどう言う事」
 おしぼりを返しながら俺は首を捻った。将生は地頭がいいからか、大体何を言っているか俺には理解が出来ない。だがこんな性格なわりに、聞けば答えてくれるのだから憎めない。
「自分の半身が自分の知らない所で屈辱を強いられていたら、嫌なもんでしょ」
「ええ、俺はケツ狙われたくねえから、お前の半分てのはいやだなあ」
 そらした視線を戻し、将生は嫌味な程の笑みを浮かべた。
「可愛げなくでっかく育って良かったですね」
「そうだなあ、将生みたいにでっかいのに可愛いと生きるのが大変そうだ」
 如何に大変かを将生が苦々しく説いているその見慣れた顔を見ながら、俺は思わず笑みを溢していた。
 そうか、将生もそう感じていたのか。それがとても嬉しかった。

 俺たちは鏡のように互いを映す。反対側の俺と、反対側の将生。将生の言う通り、今や半身に近い感覚。だから分かる。何故突然俺と会おうと思ったのか。将生にもきっと分かっているのだろう。

「なあ、将生」
 それなのにいつまで経っても分からない。その名を呼ぶ度に揺れる瞳は、何故なのだろう。
「親父が死んだら、俺はこの組潰すよ」
 驚く事もなく、将生は静かに俺を見据えている。
「それでいつか田舎に土地を買って農場作りたいんだよ。そこで作った野菜を使って飢餓で苦しむ子供の為の食堂やりてえんだ」
「盛大な死亡フラグ立てるのやめてくれます。夢を語る奴って死ぬんですよ」
 予想外の返答に、やはり俺は弱い。腹を抱えて笑った後は、少し寂しさが残る。
「まあ、それもいいかなあ。秀司さんに俺もだめでしたって笑って言えるもんなあ」
 俺がなりたかった人は、いつまで経っても秀司さんただ一人。あの人になりたい。あの人がこんな人間のカケラすらなかった俺を変えてくれた。嘘だろうとなんだろうと、俺の興味を引き続ける人間になる術を教えてくれた。秀司さんの野望を叶える為に、俺はこの道を進むと決めた。
 元より何もない人間だ。いまだに自分の望みなんてひとつも思い浮かばない。俺にとっての生きる目的は、きっと秀司さんの無念を晴らす事だけだ。
 山室晋三は分かっていたのだと思う。秀司さんの野望も、俺が何故突然やる気を出し、ひたすらに突き進むのかも。そもそも秀司さんの野望そのものが、山室晋三の願いなのかもしれないとは最近思うようになった。それは、人の上に立ったからこそ分かる事なのだろう。

 将生はようやく肩の荷が降りたようなその性質に似合わないどこか穏やかな顔付きで、片頬を持ち上げて見せる。
「田島さん、楽しみましょうよ、人生を」
「誰が、誰に言ってんだ」
 互いに吹き出して笑う。将生といると楽しい、将生と会話をすることが嬉しいと言う感情がいつも俺を包み込むような心地がする。きっとあの日俺に分からなかった、これが幸福な時間なのだろう。
 ふと気付くとへらへらと笑い続けているのは俺だけで、将生はいつも通り冷めた瞳で俺を睨み付けていた。
「でもそれ、本当に俺以外には言わないでくださいね。鼻のきく奴はすでに微かに嗅ぎ取っていますから。知らないですよ殺されても」
 今日はそれが言いたくて珍しく俺を待ちぶせたのだろう。そんな気はしていた。アホな三下に囲まれているが、この世界賢い奴は将生のようにのし上がっていく。油断しているとあっという間に足元を掬われるとは、将生によく説教されたもんだ。元々掬われる足元のない俺には関係のない話しだと思っていたが、気付けばそうでもない所にどうやら俺はいるのだろう。
 勿論将生以外の誰にも言うつもりはないが、わざと戯けてみせる。
「はあい」
「あと夢は語らない」
「はあい」
「いちいち巫山戯ない」
「はい、分かりました」
 そろそろ本当に怒られそうだと俺がしおらしくした事で、ようやく将生も安心したようだ。
「本当にあんたは、相変わらずどうしようもないですね」
 そう言って笑った顔は、どこか不恰好で。自然な笑い方がひどく下手くそな将生のその顔が、俺はこの色男が見せる表情の中で一番好きだった。

 人は人の底をどれだけ知っているのだろう。俺たちのこの歪も、いつか暴かれるのだろうか。何故人が隠したものを暴きたいと思うのだろう。何故他人を知りたいと思うのだろう。俺にはまだまだ知らない事が沢山ある。
 ああ、だから人間は面白いのだ。永遠に解き明かせない、届かないと分かっているのに手を伸ばしたくなる、そんな焦燥をくれるから。




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