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『Underground──』
引力
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マンションへと帰る車中、言葉はなかった。ただただ微かに触れ合った指先が、心臓を握り潰しているようで堪らなかった。怖い──それでも、振り払う事が出来なかった。
車がマンションに到着し、指が解ける。焦っている訳ではないのに、手が震え、息が上がる。互いに俯いたままエレベーターに乗り込み、右肩に触れる熱だけを感じていた。
エレベーターが止まる。鍵を開き、身体を滑り込ませ、漸く顔を上げる。視線が絡み合った瞬間、息が止まる。早く閉まれと願うほど、扉がゆっくりと閉まって行く。
微かな音が静寂に響いた瞬間、どちらとも無く手を伸ばす。互いの冷えた身体を掻き抱き、僅かな隙間さえも埋めるように唇を重ねた。
もう、戻れない。戻りたくない。
コートが重い音を立てて落ちる。巻いてやったマフラーを引き抜き、ジャケットのボタンを弾く俺を真似るよう、慣れない指先が彷徨うように胸元をくすぐる。深く、浅く唇を重ね、思い出したように見詰め合う。深い瞳に呑まれ堕ちていく感覚が恐ろしくて仕方がない。それでも歯止めが効かなかった。
性急にタイを引き抜こうとする俺の手首は捕らえられ、背中に冷えた壁がぶつかる。自由は奪われ再び塞がれた唇からは、抑え込んだ本能が流れ込んでくる。
逸る気持ちが抑え切れず、ゆるゆると解放された手でシャツのボタンを弾く。やはり真似るように三つ外したところで、冷たい指先が素肌に触れた。
塞がれた唇の隙間から漏れた声に、田島さんは一瞬驚いたように身体を引いて俺を見る。冷たくて驚いただけだ。そんな言葉を吐く時間も惜しくて、首に腕を回し唇を塞ぐ。肌けたシャツの隙間から伸びた指先が腰を撫で背中へと回る。筋肉の隆起をなぞるように、もどかしく。
耳鳴りのする程の静寂に満ちる荒い息遣い。素肌を這うザラついた掌の感触。足の間に割り入れられた硬い太腿に無意識に揺れる腰を擦り付け、まるで獣のように、互いの唇を貪り合う。それだけで身体が悦びに打ち震え、軽い絶頂の波が小刻みに訪れる。微かに漏れる喘ぎを隠そうと顔を背けても、直ぐに引き戻されて唇は塞がれる。
数えきれない程に繰り返したこの行為。短絡的な性欲の捌け口、それだけだった。それなのに何故こんなにも感じ入る。全てが初めて経験する甘さを孕み、脳を焼いて行く。
言葉なんてなくともここまで互いを感じ合えていた。惹かれ合っている事を自覚していた。それなのに踏み出す事をしなかった。ずっとそうだった。俺たちは薄い禁忌の前で、ただただ互いを見詰め合っていた。言い聞かせてきたんだ。この男に触れてはいけない。このうすい禁忌を犯してはいけない。抗えない引力に、引き摺り堕とされてしまうから。
深い瞳が俺を見詰め、もどかしさを埋めるようにまた口付ける。
「将生──」
甘い声に呼ばれ、きつく瞼を閉じる。
戻れなくてもいい。もう抗わない。だからもう、二度と這い上がれない程に沈め欲しい──。
我を忘れ抱き合う俺たちの隙間を縫うように突然鳴り響いた着信音に、二人同時に身体を離す。互いに荒く上下する肩を見て、思わずどちらともなく吹き出した。
「ちょっと待って、ごめん」
「三島でしょう。早く出てやってください」
脱ぎ散らかしたコートとジャケットを拾いリビングに出ると、背後からついてくる田島さんは息を整えながらも電話に出たようだ。
「もしもし……うん、大丈夫。無事だよ」
まるで沸騰したように脳が痺れる感覚は初めてだ。まだ動悸がおさまらない。
「そうそう、雪がすごいから、今は将生の家」
冷静になんて、なれそうもない。
「何でって」
ふ、と振り返った瞬間、視線がぶつかる。
「ごめん、三島。今日は帰れない」
突然身体を引かれ、なす術もなく掻き抱かれて息を詰める。俺たちは体格も身長も、よく似ている。少し田島さんの方が背が高く、俺の方が絞れている程度。それなのに何故こんなにも抗えないのか。この男を前にすると何故かいつも敵わないと思い知らされる。
そのままソファに倒れ込み、田島さんはようやく身体を離した。
「悪いけど俺痛いの嫌だから、公平にじゃんけんな」
真面目な顔で言うもんだから、思わず笑ってしまった。
「その覚悟があるんですか」
「負けたら仕方ねえよなあ」
ソファから立ち上がり寝室へ向かう俺の背中に、不安気な声が投げられた。
「じゃんけんしないの」
自らぶら下がるだけのタイを引き抜き、俺もまた覚悟を決めた。
「分かれよ」
田島さんも感じ取っている筈だ。どちらが捕食者なのか。
呆然と立ち尽くす田島さんの手を引いて、ベッドに沈める。跨る俺を見上げる瞳は無垢な子供のようで、何だか悪い事をしている気になってしまう。さっきまで随分と乱暴に好き勝手していた癖に。
劉がいなければ、二の足を踏んでいたかもしれない。こんな俺にだって恐怖心くらいはある。それでもきっと、この結果は変わらなかっただろう。本能が叫んでいた。ずっと、俺の奥底で。
「俺が抱かれたいと思う男は、今までもこれからもあんただけだよ」
だから柄にもなく怯えていないで、その本能を曝け出してくれればいい。予感がする。俺が今までしてきたものが全て消し飛ぶ程の強烈な感覚が、きっとこの先にはある。俺だって怖い。それでも、この男と共に見てみたい。この先の景色を。
飽きもせず抱き合って、俺たちはキスをした。舌先で唇を撫でると、驚いたように田島さんは身を引く。一瞬見詰め合い、また唇を重ねる。夢中になってきた隙をついて、また唇を舐める。驚いて身を引く無垢な顔を見ていたら、思わず笑いそうになる。
「こう言うキスもあるんですよ」
狼狽えるように瞬きをして、田島さんは考え込んでしまった。顎先を捕え、唇の端に舌を這わせる。
「いいから、逃げないで」
こくんと頷き、揺らぐ瞳は薄い瞼に消えた。
しつこいくらいに口付けながら、ゆっくりと服を剥いでいく。互いの昂りを薄い布地越しに擦り付けると、小さな呻き声が上がる。ちゃんと反応している事に安堵した。スラックスの前をくつろげ、ゆっくりと膨らみを撫でると、引き締まった腰の筋肉が微かに痙攣する。
下着から取り出し、焦らすように、導くように、ゆったりと指先で愛でる。それだけでひくつく先端から涎を垂らし、待ち焦がれていたように俺の指を濡らしていく。これまで他人のこんなものを愛しいだなんて思った事もないが、俺が初めて触れたのだと言う感動は意外にも大きかった。らしくもないが、そもそもらしくない想いに駆られてここまで来てしまったんだ。
「ま、将生」
怯えたような声に驚いて顔を上げると、田島さんは両手で顔を覆っていた。
「なんか、すごいです」
「誰が相手だと思ってます」
俺が何百人相手にしてきたと思っているんだ。経験のない奴も、手練れでさえも、どれだけ溺れさせてきたか。それでもゆっくり慣らしてやりたい。田島さんに本能が芽生えなかった理由が、きっと奥底にある筈だから。それもまた初めての感覚だった。
けれど耐えきれなくなったのか、田島さんは突然俺の腕を引くと押し倒すようにしてベッドに沈めた。
この人はどうも急にスイッチが入るようだ。そして突然スイッチが切れるようで、押し倒しては見たものの、どうしたら良いのか分からないのか縋るように俺を見下ろし固まっている。
笑ってはいけないと思い必死で耐えながら、そっと唇を塞ぐ。その隙に身を包むものを捨て、田島さんの手を取って先走りを掬い上げる。何をするつもりかわからず驚いているが、最近仕事以外では枯れていたし、今日は突然すぎて気の利いたものは置いていない。俺だって無意味に痛いのは嫌だ。
見せ付けるように素肌を這わせ、固く閉ざされた窄まりに導いて行く。
「ここ、一本づつ、ゆっくりして下さい」
俺の言う通り、指先をゆっくりと沈め、田島さんは俺の顔を伺う。
「慣らすって、分かりますか」
ぶんぶんと首を振り、相変わらず不安気な瞳が揺れている。
「拡げる感じです。ここに、田島さんのが入るように」
自分のモノを確認し、優しく指が蠢き始める。これは、冷静に説明してやれるかどうか。どうにも随分と劉は開発してくれたようだ。
「馴染んできたら、一本づつ増やして行くんです」
「はい」
田島さんは恐る恐る動かしてはちらちらと俺の様子を伺っている。手を貸してやるつもりで微かな声をあげれば、驚いてすぐに手を止める。これは、教育が大変そうだ。
「田島さん、痛い時は言うから」
「え、じゃあ今のは」
「いいって事」
伝わらなかったようで、首を傾げている。
「もっとそこ触れって事だよ」
何で俺がこんな事を言わなきゃならないんだ。そうも思ったが、惚れた弱みだ、仕方がない。
俺がよしと言うまでやめないつもりか、指が三本目になっても、熱に浮かされたような顔でじっと震える俺を見詰めている。まるで、美味そうな獲物でも見るかのように。やはりその目からは逃れられそうにない。
「もう、いいから」
荒い呼吸の隙間にそう吐き捨てると、不意に田島さんは汗で濡れた俺の髪を撫でた。
「将生は、綺麗だなあ」
突然何を言い出したのか、言動が掴めなさすぎる。
理性のあるうちに見詰め合い、唇を重ね抱き合った。濡れた肌が隙間を埋めて行く感覚が、どうしようもなく心地いい。背中を流れる汗が、この男の緊張と興奮を表しているようで、それが何故か酷く愛おしく感じた。
苦しそうに息を吐き、先程から太腿に擦り付けられる昂りは、限界が近い事を俺に伝えている。きつく抱き寄せられた耳元で、震える声が吐息と共に囁く。
「いいか」
俺もまた覚悟を決め、小さく頷く。
ゆっくりと離れて行く熱と、押し当てられた熱の間で浅く息を吐く。身体が期待している。それは抗いようもない事実だ。
先端が沈む。それだけで情けなくも腰が震えた。こんなにも堪え性がなかったか。そんな自分に愕然とする。田島さんもまた微かに呻くと、潤んだ瞳を投げ掛ける。
「将生」
縋るような声だった。
「これが本能なのか」
こんな時に、そんな事を聞くな。そう詰ろうかとも思ったが、田島さんの瞳は静かに沈んで行く。
「触れちゃいけないと思ってた」
うわごとのように呟いて、濡れた胸に掌が触れる。
「俺の本能が、ここにあるから」
言葉を聞きたいのに、身体が暴かれて行く。何を言っている。熱を帯びた頭では考えられない。
「もう、しゃべるな」
腰が押し進められるたびに、満ちて行くようだった。
「将生」
嗚呼、まずい。
「将生──」
抗えない。
激しく突き上げられ、情けない悲鳴を上げる。まるで自分が自分でなくなって行くようで、このまま呑み込まれてしまう事が堪らなく怖い。気持ちが追いついていかない。それなのに、もっと深みを期待する身体ばかりが先走る。
「いやだ、もう」
思わず腰を引いて逃れようとする俺を、田島さんは余計に強く引き摺り込む。
耳元深く、荒い呼吸の隙間に切ない声が俺を呼ぶ。その度に身体は震え、脳が溶ける感覚に酔いながら、感じた事のない昂りに夢中で縋り付いていた。
恐怖よりも深く、満たされて行く。意識が白むほどの絶頂に背筋を仰け反らせる俺の手首を抑え付け速度を増す突き上げに情け無く喘ぎながら、見てはならないと分かっているのに、見てしまう。自分が今、誰に愛されているのかを。
滴る汗が頬に熱を落とすたび、自由を奪われた身体を熱い舌が貪るたび、その心地よさに酔い痴れ吐いた事のない言葉を吐く。もっと深く、もっと激しく、泣き叫ぶ程の痛みが欲しい。この胸を抉るような、壮絶な痛みが。この男に喰われているのだと、実感できるから。
俺を見下ろす瞳にまた乱されて、身体中を駆け巡る悦びに息苦しくて涙を落とす。
「将生──」
その声に呼ばれるだけで、涙だけが溢れて行った。これは幸福か、苦しみか。分からないのに、ただただ心地良かった。
確かめ合うように指を絡め、飽きる程に抱き合って。互いに触れる事を恐れてきた時間だけ、キスをした。
ただ本能のままに求め合っただけだ。それなのに、まるで互いの胸に空いた底のない深い穴が、満ちて行くような夜だった──。
重い眠りから目覚め、瞼を開く。ゆっくりと輪郭を露わにする世界の中で、優しい瞳が俺を見詰めていた。
「おはよう」
「おはようございます」
田島さんの隣で目覚めるなんて、やはり不思議な心地だ。
気怠い身体を起こし、習慣でサイドテーブルのうえの煙草に手を伸ばし、ふと止める。
「すみません、つい癖で」
田島さんは少し疲れた顔で微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。
「いいよ、吸って」
驚く俺から視線を離し、田島さんは天井を仰ぐ。
「秀司さんが嫌いだったんだ。大好きな兄貴の煙草だけは嫌いだって、よく言っていた。俺は正直、あんまりよく分からない。何が良いのか分からないから吸いたいとも思わないけど」
遂に開かれて行く、田島一平と言う男が。その気配を感じ、静かに煙草を戻す。
「こう言う行為も、秀司さんが嫌っていた。汚い行為だって、俺には絶対に教えなかった。何でかはわからない。聞かなかった。聞く術を知らなかった。そのまま秀司さんは死んだ」
淡々と語られて行く。俺の知らない顔で。
「いつからか、自分の感情が分からなかった。俺は本当に煙草が嫌いなのか。俺には本当に本能がないのか。考えない事もなかった。それでも秀司さんが嫌う行為をする事が怖かった。本能がないフリをして、自分に言い聞かせてきた。そうしないと、秀司さんが消えてしまう気がして」
苦しそうに息を吐いて、田島さんは優しく微笑む。
「汚くなんかなかった。将生はずっと綺麗だったよ。将生と触れ合った今、満たされているような気がする。俺の中には、秀司さん以外何にもなかった筈なのに。何もなかった空間が、将生で満たされて行くんだ」
ふと伸びた指先が、空を掴む。
「ああ、やっぱり、消えてしまったんだなあ」
田島さんはそう言って、ひどく打ちひしがれたように微笑んだ。その瞳からゆっくりと落ちた涙は、十数年を共にした俺も初めて見る、この男の心だったように思う。
囁くように呼ぶ声に惹かれ、縋るように口付ける。この男の悲しい程の空虚に俺は惹かれ、そしていつの間にか愛してしまったのだろう。
山室秀司は、本当に山室や慎太郎が言うように壊れていたのだろうか。田島さんは、山室秀司の洗脳じみた行動によりこうなってしまったのだろうか。それは俺には分からない。山室秀司にしか分からない事だ。それでも感じる。田島さんの中に、山室秀司が遺したもの。
恐れていた。抗ってきた。俺たちが愛した人が、自分の中から消えてしまう事を。米倉さんも、山室秀司も、どれ程悔やんでも、どれ程叫んでも、もう二度と届かない場所へ行ってしまったから。
俺たちの胸の奥底に、二度と消えぬ深い深い傷痕と、それと同じくらい、清い愛情だけを遺して──。
車がマンションに到着し、指が解ける。焦っている訳ではないのに、手が震え、息が上がる。互いに俯いたままエレベーターに乗り込み、右肩に触れる熱だけを感じていた。
エレベーターが止まる。鍵を開き、身体を滑り込ませ、漸く顔を上げる。視線が絡み合った瞬間、息が止まる。早く閉まれと願うほど、扉がゆっくりと閉まって行く。
微かな音が静寂に響いた瞬間、どちらとも無く手を伸ばす。互いの冷えた身体を掻き抱き、僅かな隙間さえも埋めるように唇を重ねた。
もう、戻れない。戻りたくない。
コートが重い音を立てて落ちる。巻いてやったマフラーを引き抜き、ジャケットのボタンを弾く俺を真似るよう、慣れない指先が彷徨うように胸元をくすぐる。深く、浅く唇を重ね、思い出したように見詰め合う。深い瞳に呑まれ堕ちていく感覚が恐ろしくて仕方がない。それでも歯止めが効かなかった。
性急にタイを引き抜こうとする俺の手首は捕らえられ、背中に冷えた壁がぶつかる。自由は奪われ再び塞がれた唇からは、抑え込んだ本能が流れ込んでくる。
逸る気持ちが抑え切れず、ゆるゆると解放された手でシャツのボタンを弾く。やはり真似るように三つ外したところで、冷たい指先が素肌に触れた。
塞がれた唇の隙間から漏れた声に、田島さんは一瞬驚いたように身体を引いて俺を見る。冷たくて驚いただけだ。そんな言葉を吐く時間も惜しくて、首に腕を回し唇を塞ぐ。肌けたシャツの隙間から伸びた指先が腰を撫で背中へと回る。筋肉の隆起をなぞるように、もどかしく。
耳鳴りのする程の静寂に満ちる荒い息遣い。素肌を這うザラついた掌の感触。足の間に割り入れられた硬い太腿に無意識に揺れる腰を擦り付け、まるで獣のように、互いの唇を貪り合う。それだけで身体が悦びに打ち震え、軽い絶頂の波が小刻みに訪れる。微かに漏れる喘ぎを隠そうと顔を背けても、直ぐに引き戻されて唇は塞がれる。
数えきれない程に繰り返したこの行為。短絡的な性欲の捌け口、それだけだった。それなのに何故こんなにも感じ入る。全てが初めて経験する甘さを孕み、脳を焼いて行く。
言葉なんてなくともここまで互いを感じ合えていた。惹かれ合っている事を自覚していた。それなのに踏み出す事をしなかった。ずっとそうだった。俺たちは薄い禁忌の前で、ただただ互いを見詰め合っていた。言い聞かせてきたんだ。この男に触れてはいけない。このうすい禁忌を犯してはいけない。抗えない引力に、引き摺り堕とされてしまうから。
深い瞳が俺を見詰め、もどかしさを埋めるようにまた口付ける。
「将生──」
甘い声に呼ばれ、きつく瞼を閉じる。
戻れなくてもいい。もう抗わない。だからもう、二度と這い上がれない程に沈め欲しい──。
我を忘れ抱き合う俺たちの隙間を縫うように突然鳴り響いた着信音に、二人同時に身体を離す。互いに荒く上下する肩を見て、思わずどちらともなく吹き出した。
「ちょっと待って、ごめん」
「三島でしょう。早く出てやってください」
脱ぎ散らかしたコートとジャケットを拾いリビングに出ると、背後からついてくる田島さんは息を整えながらも電話に出たようだ。
「もしもし……うん、大丈夫。無事だよ」
まるで沸騰したように脳が痺れる感覚は初めてだ。まだ動悸がおさまらない。
「そうそう、雪がすごいから、今は将生の家」
冷静になんて、なれそうもない。
「何でって」
ふ、と振り返った瞬間、視線がぶつかる。
「ごめん、三島。今日は帰れない」
突然身体を引かれ、なす術もなく掻き抱かれて息を詰める。俺たちは体格も身長も、よく似ている。少し田島さんの方が背が高く、俺の方が絞れている程度。それなのに何故こんなにも抗えないのか。この男を前にすると何故かいつも敵わないと思い知らされる。
そのままソファに倒れ込み、田島さんはようやく身体を離した。
「悪いけど俺痛いの嫌だから、公平にじゃんけんな」
真面目な顔で言うもんだから、思わず笑ってしまった。
「その覚悟があるんですか」
「負けたら仕方ねえよなあ」
ソファから立ち上がり寝室へ向かう俺の背中に、不安気な声が投げられた。
「じゃんけんしないの」
自らぶら下がるだけのタイを引き抜き、俺もまた覚悟を決めた。
「分かれよ」
田島さんも感じ取っている筈だ。どちらが捕食者なのか。
呆然と立ち尽くす田島さんの手を引いて、ベッドに沈める。跨る俺を見上げる瞳は無垢な子供のようで、何だか悪い事をしている気になってしまう。さっきまで随分と乱暴に好き勝手していた癖に。
劉がいなければ、二の足を踏んでいたかもしれない。こんな俺にだって恐怖心くらいはある。それでもきっと、この結果は変わらなかっただろう。本能が叫んでいた。ずっと、俺の奥底で。
「俺が抱かれたいと思う男は、今までもこれからもあんただけだよ」
だから柄にもなく怯えていないで、その本能を曝け出してくれればいい。予感がする。俺が今までしてきたものが全て消し飛ぶ程の強烈な感覚が、きっとこの先にはある。俺だって怖い。それでも、この男と共に見てみたい。この先の景色を。
飽きもせず抱き合って、俺たちはキスをした。舌先で唇を撫でると、驚いたように田島さんは身を引く。一瞬見詰め合い、また唇を重ねる。夢中になってきた隙をついて、また唇を舐める。驚いて身を引く無垢な顔を見ていたら、思わず笑いそうになる。
「こう言うキスもあるんですよ」
狼狽えるように瞬きをして、田島さんは考え込んでしまった。顎先を捕え、唇の端に舌を這わせる。
「いいから、逃げないで」
こくんと頷き、揺らぐ瞳は薄い瞼に消えた。
しつこいくらいに口付けながら、ゆっくりと服を剥いでいく。互いの昂りを薄い布地越しに擦り付けると、小さな呻き声が上がる。ちゃんと反応している事に安堵した。スラックスの前をくつろげ、ゆっくりと膨らみを撫でると、引き締まった腰の筋肉が微かに痙攣する。
下着から取り出し、焦らすように、導くように、ゆったりと指先で愛でる。それだけでひくつく先端から涎を垂らし、待ち焦がれていたように俺の指を濡らしていく。これまで他人のこんなものを愛しいだなんて思った事もないが、俺が初めて触れたのだと言う感動は意外にも大きかった。らしくもないが、そもそもらしくない想いに駆られてここまで来てしまったんだ。
「ま、将生」
怯えたような声に驚いて顔を上げると、田島さんは両手で顔を覆っていた。
「なんか、すごいです」
「誰が相手だと思ってます」
俺が何百人相手にしてきたと思っているんだ。経験のない奴も、手練れでさえも、どれだけ溺れさせてきたか。それでもゆっくり慣らしてやりたい。田島さんに本能が芽生えなかった理由が、きっと奥底にある筈だから。それもまた初めての感覚だった。
けれど耐えきれなくなったのか、田島さんは突然俺の腕を引くと押し倒すようにしてベッドに沈めた。
この人はどうも急にスイッチが入るようだ。そして突然スイッチが切れるようで、押し倒しては見たものの、どうしたら良いのか分からないのか縋るように俺を見下ろし固まっている。
笑ってはいけないと思い必死で耐えながら、そっと唇を塞ぐ。その隙に身を包むものを捨て、田島さんの手を取って先走りを掬い上げる。何をするつもりかわからず驚いているが、最近仕事以外では枯れていたし、今日は突然すぎて気の利いたものは置いていない。俺だって無意味に痛いのは嫌だ。
見せ付けるように素肌を這わせ、固く閉ざされた窄まりに導いて行く。
「ここ、一本づつ、ゆっくりして下さい」
俺の言う通り、指先をゆっくりと沈め、田島さんは俺の顔を伺う。
「慣らすって、分かりますか」
ぶんぶんと首を振り、相変わらず不安気な瞳が揺れている。
「拡げる感じです。ここに、田島さんのが入るように」
自分のモノを確認し、優しく指が蠢き始める。これは、冷静に説明してやれるかどうか。どうにも随分と劉は開発してくれたようだ。
「馴染んできたら、一本づつ増やして行くんです」
「はい」
田島さんは恐る恐る動かしてはちらちらと俺の様子を伺っている。手を貸してやるつもりで微かな声をあげれば、驚いてすぐに手を止める。これは、教育が大変そうだ。
「田島さん、痛い時は言うから」
「え、じゃあ今のは」
「いいって事」
伝わらなかったようで、首を傾げている。
「もっとそこ触れって事だよ」
何で俺がこんな事を言わなきゃならないんだ。そうも思ったが、惚れた弱みだ、仕方がない。
俺がよしと言うまでやめないつもりか、指が三本目になっても、熱に浮かされたような顔でじっと震える俺を見詰めている。まるで、美味そうな獲物でも見るかのように。やはりその目からは逃れられそうにない。
「もう、いいから」
荒い呼吸の隙間にそう吐き捨てると、不意に田島さんは汗で濡れた俺の髪を撫でた。
「将生は、綺麗だなあ」
突然何を言い出したのか、言動が掴めなさすぎる。
理性のあるうちに見詰め合い、唇を重ね抱き合った。濡れた肌が隙間を埋めて行く感覚が、どうしようもなく心地いい。背中を流れる汗が、この男の緊張と興奮を表しているようで、それが何故か酷く愛おしく感じた。
苦しそうに息を吐き、先程から太腿に擦り付けられる昂りは、限界が近い事を俺に伝えている。きつく抱き寄せられた耳元で、震える声が吐息と共に囁く。
「いいか」
俺もまた覚悟を決め、小さく頷く。
ゆっくりと離れて行く熱と、押し当てられた熱の間で浅く息を吐く。身体が期待している。それは抗いようもない事実だ。
先端が沈む。それだけで情けなくも腰が震えた。こんなにも堪え性がなかったか。そんな自分に愕然とする。田島さんもまた微かに呻くと、潤んだ瞳を投げ掛ける。
「将生」
縋るような声だった。
「これが本能なのか」
こんな時に、そんな事を聞くな。そう詰ろうかとも思ったが、田島さんの瞳は静かに沈んで行く。
「触れちゃいけないと思ってた」
うわごとのように呟いて、濡れた胸に掌が触れる。
「俺の本能が、ここにあるから」
言葉を聞きたいのに、身体が暴かれて行く。何を言っている。熱を帯びた頭では考えられない。
「もう、しゃべるな」
腰が押し進められるたびに、満ちて行くようだった。
「将生」
嗚呼、まずい。
「将生──」
抗えない。
激しく突き上げられ、情けない悲鳴を上げる。まるで自分が自分でなくなって行くようで、このまま呑み込まれてしまう事が堪らなく怖い。気持ちが追いついていかない。それなのに、もっと深みを期待する身体ばかりが先走る。
「いやだ、もう」
思わず腰を引いて逃れようとする俺を、田島さんは余計に強く引き摺り込む。
耳元深く、荒い呼吸の隙間に切ない声が俺を呼ぶ。その度に身体は震え、脳が溶ける感覚に酔いながら、感じた事のない昂りに夢中で縋り付いていた。
恐怖よりも深く、満たされて行く。意識が白むほどの絶頂に背筋を仰け反らせる俺の手首を抑え付け速度を増す突き上げに情け無く喘ぎながら、見てはならないと分かっているのに、見てしまう。自分が今、誰に愛されているのかを。
滴る汗が頬に熱を落とすたび、自由を奪われた身体を熱い舌が貪るたび、その心地よさに酔い痴れ吐いた事のない言葉を吐く。もっと深く、もっと激しく、泣き叫ぶ程の痛みが欲しい。この胸を抉るような、壮絶な痛みが。この男に喰われているのだと、実感できるから。
俺を見下ろす瞳にまた乱されて、身体中を駆け巡る悦びに息苦しくて涙を落とす。
「将生──」
その声に呼ばれるだけで、涙だけが溢れて行った。これは幸福か、苦しみか。分からないのに、ただただ心地良かった。
確かめ合うように指を絡め、飽きる程に抱き合って。互いに触れる事を恐れてきた時間だけ、キスをした。
ただ本能のままに求め合っただけだ。それなのに、まるで互いの胸に空いた底のない深い穴が、満ちて行くような夜だった──。
重い眠りから目覚め、瞼を開く。ゆっくりと輪郭を露わにする世界の中で、優しい瞳が俺を見詰めていた。
「おはよう」
「おはようございます」
田島さんの隣で目覚めるなんて、やはり不思議な心地だ。
気怠い身体を起こし、習慣でサイドテーブルのうえの煙草に手を伸ばし、ふと止める。
「すみません、つい癖で」
田島さんは少し疲れた顔で微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。
「いいよ、吸って」
驚く俺から視線を離し、田島さんは天井を仰ぐ。
「秀司さんが嫌いだったんだ。大好きな兄貴の煙草だけは嫌いだって、よく言っていた。俺は正直、あんまりよく分からない。何が良いのか分からないから吸いたいとも思わないけど」
遂に開かれて行く、田島一平と言う男が。その気配を感じ、静かに煙草を戻す。
「こう言う行為も、秀司さんが嫌っていた。汚い行為だって、俺には絶対に教えなかった。何でかはわからない。聞かなかった。聞く術を知らなかった。そのまま秀司さんは死んだ」
淡々と語られて行く。俺の知らない顔で。
「いつからか、自分の感情が分からなかった。俺は本当に煙草が嫌いなのか。俺には本当に本能がないのか。考えない事もなかった。それでも秀司さんが嫌う行為をする事が怖かった。本能がないフリをして、自分に言い聞かせてきた。そうしないと、秀司さんが消えてしまう気がして」
苦しそうに息を吐いて、田島さんは優しく微笑む。
「汚くなんかなかった。将生はずっと綺麗だったよ。将生と触れ合った今、満たされているような気がする。俺の中には、秀司さん以外何にもなかった筈なのに。何もなかった空間が、将生で満たされて行くんだ」
ふと伸びた指先が、空を掴む。
「ああ、やっぱり、消えてしまったんだなあ」
田島さんはそう言って、ひどく打ちひしがれたように微笑んだ。その瞳からゆっくりと落ちた涙は、十数年を共にした俺も初めて見る、この男の心だったように思う。
囁くように呼ぶ声に惹かれ、縋るように口付ける。この男の悲しい程の空虚に俺は惹かれ、そしていつの間にか愛してしまったのだろう。
山室秀司は、本当に山室や慎太郎が言うように壊れていたのだろうか。田島さんは、山室秀司の洗脳じみた行動によりこうなってしまったのだろうか。それは俺には分からない。山室秀司にしか分からない事だ。それでも感じる。田島さんの中に、山室秀司が遺したもの。
恐れていた。抗ってきた。俺たちが愛した人が、自分の中から消えてしまう事を。米倉さんも、山室秀司も、どれ程悔やんでも、どれ程叫んでも、もう二度と届かない場所へ行ってしまったから。
俺たちの胸の奥底に、二度と消えぬ深い深い傷痕と、それと同じくらい、清い愛情だけを遺して──。
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入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
【R18+BL】甘い鎖~アイツの愛という名の鎖に、縛られ続けたオレは……~
hosimure
BL
オレの1つ年上の幼馴染は、強いカリスマを持つ。
同性でありながら、アイツは強くオレを愛する。
けれど同じ男として、オレは暗い感情をアイツに持ち続けていた。
だがそれと同時にオレ自身もアイツへの気持ちがあり、そのはざまで揺れ続けていた。
★BL小説&R18です。
恋なし、風呂付き、2LDK
蒼衣梅
BL
星座占いワースト一位だった。
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彼氏に二股をかけられてた。しかも相手は女。でき婚するんだって。
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「恋人のフリをして欲しい」
と、イケメンに攫われた。痴話喧嘩の最中、トイレから颯爽と、さらわれた。
「女ったらしエリート男」と「フラれたばっかの捨てられネコ」が始める偽同棲生活のお話。
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