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『Underground──』
終章
しおりを挟む遂に触れた禁忌の先にあったものは、想像していたものとは少し違った。愛でも恋でもない、本能に引き寄せられた俺たちが、肌を重ね互いを知り、愛しさと言うものを知った。俺がこんな事を思うなんて、誰も想像しなかっただろう。田島一平と言う男が凄いのか、米倉さんが遺してくれたものの力なのか。
「へえ、将生って料理上手いんだな」
「普通ですよ」
「いやあ、上手いよ。好きだよ俺は」
朗らかに笑いながら、田島さんは心底嬉しそうに適当に作った朝食を頬張っている。
田島さんは消えてしまったと言ったが、やはり山室秀司は田島さんの中に残っているような気がする。伊崎が言っていた。俺のあるんだか分からない優しさは、米倉さんの愛情だと。だとしたら、田島さんのこの柔らかな人柄もまた、優しく穏やかだったと評判の山室秀司が、特異な生い立ち故に感情のなかった田島さんが生き抜いて行く為に与え続けた愛情故なのだと思う。
朝食を食べ終わり、ソファへ移動し食後の珈琲を飲みながら適当な会話を楽しんでいると、田島さんは突然真面目な顔で俺を見据えた。
「親父に報告したい。いやか」
「何をですか」
まさかとは思うが、やめてくれよ。
「俺たちお付き合いましたって」
「中学生かよ」
どこの世界に組長に男同士で付き合いましたなんて報告に行く極道者がいる。それも組を背負う若頭が、こんな厄介者となんてそれこそ戦争が起きる。そもそも俺には付き合ったと言う認識がなかったのだが。まあ田島さんがそう思っているならそれでもいい。問題はそれを組長に報告するなんてとんでもない要望の方だ。
しかし田島さんはただいま脳内がお花畑中らしい。
「いいじゃん、青春を謳歌させてくれよ」
「聞きたくないでしょ、組長も」
「そんな事ないと思うよ。喜ぶよきっと」
命を賭けてもいい。喜ぶはずがない。
「将生が山室組に来る日な、親父は嬉しそうだったよ。面白い奴が来るんだって。俺に、将生を見て学べって言ってたな」
「学ぶ所なんかないでしょ俺に」
部屋住時代なんて、ただの狂犬だ。
「反面教師にはなるよな」
悪戯っぽい笑顔で言われ、俺もまた嫌味なほどいい笑みで答える。
「どこで覚えたんですかそんな難しい言葉」
「馬鹿にしやがって」
こうやって、俺たちはいつも下らない話しをしていた。まるでかつてに戻ったようで、懐かしくも穏やかな心地がした。
「また漢字教えてもらえるな」
「読めない本も読んであげますよ」
「動物園に行って、一緒にミミたんを膝に乗せよう」
「カルピス、買って置いときます」
田島さんは嬉しそうに笑い、俺の頬を撫でる。
「将生」
その声に呼ばれ、唇を重ねる。こんな朝が俺に来るなんて、やはり誰も想像していなかっただろう。
穏やかな朝のひと時を過ごし、スーツに着替えた所で丁度インターホンが鳴る。すぐ降りると返し、俺たちは二人肩を並べてマンションを出た。
マンションの前には、横付けされた車の前で阿部と三島が行儀良く並んで立っていた。俺たちに気付いた阿部が、驚いたように目を丸くする。
「え、何で田島さんが」
三島は阿部には言っていなかったのか。そもそも三島が同行している時点で気付かないもんなのか、この万年三下は。
心の中で罵る俺の横で、田島さんは満面の笑みを浮かべた。
「聞いてくれよ、俺にも遂に恋人ってもんが出来てなあ」
おい、正気か。
「田島さん」
俺の事を無視し、田島さんは阿部の肩を抱く。
「どこの誰だと思う」
「田島さん」
突然俺の声だけ聞こえなくなったようだ。三島は勘付いたのか、項垂れている。それもどう言う事なんだ、と突っ込もうかと思ったが、それどころではない。
「え、誰ですか、気になる。ラウンジのレナちゃんですか。レナちゃん田島さんの事好きでしたもんね」
「え、そうなの。レナのやつ、何も言って来ないから」
「いや、気付かないの田島さんだけですけどね」
誰なんだその女は。ここに連れて来い。
「レナちゃんじゃないなら誰ですか」
「相手はな──」
俺が叫ぶのと、田島さんが俺の名を口にしたのはほぼ同時だった。ほぼ同時だったが、阿部にはしっかり聞こえていたようだ。
「ええええええっ本当ですか、え、え、まさか、うそですよね」
見開かれた瞳が俺を捉え思わず足が出る。
「うるさい黙れ」
「その反応ガチのやつじゃないすか」
「殺すぞお前」
俺の手が出る前に、阿部は田島さんの後ろに逃げ込んだ。組の若頭を盾にするなんて、とんでもない奴だ。
田島さんの背中から顔だけ出し、阿部は抜けた前歯を惜しみなく披露する。
「おめでとうございます、俺は嬉しいです」
「なんでお前が嬉しいんだ」
「いやあ、お似合いだなとは思ってたんですよ。なんだかんだ仲良いし。なんか二人にしか分からない空気みたいなのずっと出してましたし。最近喧嘩したのかなって寂しかったんです。あ、記念に写真撮っていいですか」
ポケットから慌てて携帯を取り出す阿部を前に、俺の理性も限界を迎えた。
「お前だけは許さない」
暴れる俺から逃げ惑いながら何故か信じられないくらい喜ぶ阿部と、それを呆然と見つめ信じられないくらい落ち込む三島。そしてその姿を見て嬉しそうに笑う田島さんを見ていたら、なんだかバカらしくなってしまった。
そのまま三島の運転で山室邸へと向かう車内でも、憂鬱な俺と三島をおいて阿部と田島さんは大盛り上がりしていた。
それから俺たちは真っ直ぐに組長の部屋を訪れた。何故こんな事に。そう思っても、もう遅い。なんで俺たちが二人揃って突然やってきたのか、さすがの山室晋三でも分からないだろう。
何事かと眉を顰める組長を前に、田島さんは開口一番で言い放ってしまった。
「親父、俺たちなんとお付き合いを始めました」
あまりにも清々しく宣言するものだから、組長の前と言う事も忘れ罵りたくなる。とりあえず正座をさせ、俺はその横で深く頭を下げた。
「申し訳ありません。お許し頂けますか」
「許す訳ねえだろうが。何だってんだお前らはいい歳こいて」
あまりの事態に深すぎる溜息が漏れる。
「俺は一平の孫の世話で老後を潰す予定だったのによ。女にも男にも興味がねえと思っていたら、こんな一番危なっかしい奴を何でわざわざ選ぶかね。こいつをお前に引き合わせたのは、将生がお前の良い女房役になれると思ったからだ。何も本物の女房にしろなんて言ってねえ」
分かっているのかいないのか、田島さんはにこにこと笑っている。多分この顔は分かっていない。組長もそんな事は百も承知のようで、厳しい瞳が能天気な息子を射抜く。
「分かってんな、一平。こいつはとんでもねえ魔性の男だ。手懐けられるなんて思うな。常に寝首を掻かれると思って手綱握ってろ」
「大丈夫」
なんの自信なんだそれは。
「将生も、一平は俺の倅だ。少しでも浮ついてみろ。俺が許さねえからな」
「心得ています」
一応にも俺が殊勝な態度を取っているからか、何度目かの深いため息を吐くと組長もついに諦めたようだ。
「まあ、将生は案外良い女房になりそうだがな」
なる訳ないだろう。この俺が。
「お前らの親父どもにも、ちゃんと報告するんだぞ」
二人揃って返事をして、そのまま部屋を後にする。
「良かったな、許してくれて」
よほど嬉しいのか、田島さんは終始ふやけた笑顔を浮かべている。こっちの身にもなってほしい。
「いい加減俺は殺されますよ」
命を危険に晒したかと思えば、今度は交際宣言なんて、俺が親なら殺してる。
立ち止まらずに廊下を歩き、庭に出た所で俺は足を止めた。
「じゃあ、また」
車まで見送ってもらう必要もない。この辺で別れた方がいいだろう。田島さんもそれには不服はないようで、相変わらず幸せそうに微笑んでいる。
「うん、墓参りの日調整しような」
「そうですね、帰ったら連絡します。それじゃあ──」
俺たちが別れようとしたその時、突然破裂音が響いた。銃撃か、と思い身構えると、頭上から紙吹雪が舞った。
「おめでとうございます」
聞き慣れた不愉快な声に視線を向けると、瓦屋根の上から阿部が紙吹雪を降らしている。
一体どう言うつもりだ、と睨む俺をおいて、ぞろぞろと部屋住の下っ端が庭先に出てきた。一人がせーの、と掛け声を掛け、野太い声が庭に響き渡る。
「田島さんをよろしくお願いします、姐さん!」
紙吹雪にはしゃぐ田島さんの横で、俺は拳を握り締めた。
「全員そのまま動くな。順にいく。おい阿部、当然お前からだ。降りてこい。来ないならこっちから行く」
悲鳴を上げ阿部が逃げ出す。こうなったらもう、誰からでもいい。
「おい、将生さんが暴れ出したぞ!」
「何でだ、止めろ!」
「姐さん、落ち着いて!」
「今姐さんて言った奴誰だ。三秒以内に名乗り出ないなら全員殺す」
色とりどりの紙吹雪が舞う中、庭先は血みどろの地獄絵図と化した。そんな流血交際報告は、その後語り継がれて行く事を俺はまだ知らない。
それから少し経った春先に、ようやくスケジュールの調整がつき俺たちは広島に向かった。先に米倉さんに報告したいとは、田島さんの提案だった。どっちだって同じだろうと俺は思うが、そうしたいならすれば良い。俺にこだわりはない。
十数年一人で歩いていたこの道を、まさか誰かと歩く事になるとは思わなかった。沢山の人が訪れる山室秀司の墓とは違う。米倉輝樹は、会長の命に背き自害した。だから毎年ここを訪れる者は俺と伊崎二人だけだった。これからはもう一人増える、それがどこか嬉しかった。
いつものように雑草を丁寧に抜く俺を真似て、田島さんも腰を屈める。この間来たばかりだが、雑草の生命力はすごいものだ。
雑草も抜き終わり、墓石も綺麗に磨き、煙草に火を付け手を合わせる。
「米倉さん、見ていてください」
隣で予想外にはっきりした声がして思わず振り返る。
「米倉さんが大切に育てた将生を、俺も大切にします」
真面目な顔をして。そう言うものは心の中でやるんだよ。
「それ、俺も秀司さんの墓で言わなきゃいけないんですか」
「当たり前だろ。ちゃんと挨拶してくれよ」
「大切には出来ないかも知れないですけど」
「ええ、ちゃんと大切にしてよ」
そんな事で俺たちは笑い合い、幸福の端っこに触れる。
「ほら、将生がちゃんと報告しないと米倉さんも納得できないだろ」
そう言われ、ようやく俺も瞼を閉じる。
「米倉さん──」
この俺の隣に、命を賭してでも守りたい人ができました。きっと随分と心配をかけた。自分のせいで俺が捻くれたまま孤独と共に命を終えるのではないかと。自惚れるな。俺は元々そう言う人間だ。そんな事を言っても、貴方は自分を責めただろう。
田島さんは、まだ貴方ほどではないかもしれないけれど、しっかり一本筋の通った男です。痛みを耐えぬく強さのある人です。こんな俺でさえ引き摺り込む程の引力を持つ人です。きっと二度とは誰にも芽生えないこの想いを大切にして行こうと思う。いつ死んでもいいなんて、もう思わない。貴方の分まで、俺はしぶとく生きてみます。だからどうか、安心してゆっくり眠ってください。
瞼を開く。田島さんの大きな手が、優しく背中を撫でてくれた。その微かな揺れに、思わず涙が溢れて行く。
「将生」
その声に呼ばれ、口付ける。米倉さんの墓前で、二度と同じ過ちは繰り返さないと誓うように。
来た道を戻りながら、田島さんはふと晴れ渡った空を仰ぐ。
「米倉さん、喜んでるかねえ」
「怒り狂ってますよ」
「ええ、なんで」
決まってるだろう。それだけ俺の事を想っていたんだよ。それでもやはり、あの人の事だから涙を流し喜んでいる気がする。
「秀司さんは大喜びだろうなあ」
「どうですかね。相手が俺だって知ったら心配で化けて出るかもしれないですよ」
おかしそうに笑いながら、微かに泥のついた指先が頬を撫でる。
「将生──」
その声に何度でも呼ばれ、身を預ける幸福。その後ろ側にある寂しさが、何時も俺の心を引き摺り込んで行く。
深い愛情故に命を絶った米倉さんを忘れたくなかった俺と、山室秀司が拒絶したものを受け入れる事で、自らの中の山室秀司を失う事を恐れた田島さん。
その重い呪縛を解いた先にあったものは、幸福ではなく確かな喪失で。けれどそれは、生きていくのなら感じなければならないものでもあったのだろう。長年立ち止まっていた俺たちが、再び歩き出す為に。
「なあ、全てが終わったら、将生の田舎に行こうや。農業やって、子供のための食堂作って、そんで仲良く暮らしていこう」
「夢は語るなって言っただろ。死んだら殺すからな」
「それどう言うこと」
俺たちはまた笑い合い、足を踏み出す。
どこでも、何でもいい。いつ死ぬとも知れぬ地獄の淵を歩むこの道を、この男と共に肩をぶつけ笑い合いながら歩んで行けるのなら──。
了
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