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第四話 逃げ道、全部塞いでいいですか?
しおりを挟む朝食の席で、カレンは紅茶を一口飲んでから切り出した。
「そういえば、愛人の方にはもうお伝えしたんですか?」
ルーファスが盛大にパンを喉に詰まらせる。慌てて水を掴み、むせながら咳き込んだ。
「なっ……何をだ」
「私と結婚したこと。契約を履行したこと。当然、報告すべきでしょう? 誠実な方なら」
「それは……その……」
「まさか、まだ何も伝えていないんですか?」
ルーファスは水を一気に飲み干すと、視線を泳がせた。窓の外を見たり、テーブルの縁を見つめたり、明らかに目を合わせようとしていない。
「いや、手紙を書こうとは思っているんだが……」
「思っているだけで、書いていないと」
「言葉が……なかなか見つからなくて……」
カップを静かに置き、カレンは小首を傾げる。その仕草はどこか無邪気にすら見えた。
「でしたら、私が代筆しましょうか?」
「は?」
「あなたが書けないなら、私が書きます。事実を簡潔に伝えるだけですから、難しくありません」
「いや、それは……」
「『拝啓、このたび政略結婚により妻を娶りました。つきましては、今後のお付き合いについてご相談したく』……こんな感じでいかがです?」
「やめてくれ!」
顔を見る見る真っ赤にしてルーファスが叫んだ。
「なぜですか? 事実ですよね」
首を傾げたまま、本当に疑問に思っているという風情で問いかける。
「事実だが……そういう問題じゃない……」
「では、どういう問題なんですか? 具体的に説明していただけますか?」
「彼女を傷つけたくないんだ」
「傷つける?」
カレンは眉をひそめた。理解できないとでも言いたげな表情だ。
「あなたが結婚したことは、もう変えられない事実です。伝えるのが早いか遅いかの違いでしかありません。遅らせることで傷が浅くなるんですか?」
「それは……」
「むしろ、遅らせるほど『なぜ早く言ってくれなかったの』と不信感が増すのでは?」
「……」
「つまり、あなたが手紙を書かないのは、彼女のためではなく、あなたが責められたくないからですよね?」
図星だったのだろう。ルーファスは完全に黙り込んだ。反論の言葉が見つからない様子だ。
容赦なく畳みかけるカレンを睨んでいる。
「わかりました。手紙が難しいなら、直接会いに行けばいいのでは?」
「えっ」
「顔を見て話した方が誠意が伝わりますよね。馬車の手配をしておきましょうか?」
「い、いや、それは……」
「今日の午後なら予定は空いています。あなたの予定も確認しましたが、特にありませんでしたよね?」
「なぜ私の予定を……」
「侯爵夫人として、夫のスケジュール管理は当然の務めです。で、今日行きますか? 明日にしますか?」
じわりと、ルーファスの額に汗が浮かぶ。追い詰められた動物のような表情で視線を彷徨かせている。
「その……今すぐは……心の準備が……」
「心の準備、ですか。具体的に何日必要ですか?」
「何日って……」
「三日ですか? 一週間ですか? 一ヶ月? 期限を決めないと、永遠に準備できませんよ」
「そんな急に決められない……」
「急に?」
カレンの声が、わずかに鋭くなった。
「結婚してからもう何日経ってます? あなたにとっては短い時間でも、彼女はずっと待っているのでは?」
「……っ」
「それとも、会えない理由が何かあるんですか?」
「理由⋯⋯」
「ええ。手紙も書けない、会いにも行けない。まるで、会うと困ることがあるみたいですけど」
ルーファスの顔色が、さっと変わった。明らかに動揺している。
「そんなことは……ない」
「ないなら、会えますよね?」
「……」
「沈黙は肯定と受け取りますよ」
「違う! ただ……」
「ただ?」
ルーファスは言葉に詰まった。何か言い訳を探しているようだったが、思いつかないらしい。口を開けかけては閉じることを繰り返す。
静かに立ち上がったカレンの椅子を引く音だけが、沈黙の中に重く響く。
「まあ、いいでしょう。今日のところは」
何も解決していないが、窮地を脱したかのようにルーファスは、ほっと息を吐いた。
「……助かった」
「ただし」
カレンの声に、ルーファスの体が硬直する。
振り返り、カレンはルーファスを見下ろした。その瞳には、一片の譲歩もない。
「来週までに、手紙を出すか、会いに行くか、どちらか選んでください。どちらも選べないなら、私が代わりに動きます」
「君が? 何をする気だ?」
「愛人の方を探し出して、直接お話しします。侯爵夫人として、家の問題は把握しておくべきですから」
「そんなこと……!」
「できないと思いますか?」
カレンは、ふっと微笑んだ。その笑みは、どこまでも穏やかで、どこまでも冷たかった。
「私はやると言ったことはやりますよ。嘘、つかないので」
その言葉に、ルーファスは何も返せなかった。反論する隙すら与えられない。
カレンは優雅に一礼し、足音も立てずに食堂を出ていく。
残されたルーファスは、閉じた扉を見つめながら頭を抱えた。両手で顔を覆い、深く、深く息を吐く。
存在しない愛人を、妻が探し出そうとしている。
詰んだ。完全に詰んだ。
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「逃げ道を残すのは優しさじゃありません。甘やかしです」
カレン・ベルンワード侯爵夫人
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