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第五話 噂の出所、気になりますよね?
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結婚披露を兼ねた夜会。
王都の社交界でも名高いグラナディア伯爵邸の大広間は、
笑い声や囁き声が混じり合い、華やかな喧騒が空間を満たしている。
完璧な笑みを浮かべて、カレンは社交場に立っていた。
彼女が身に纏うのは、深い翠色のシルクドレスだった。
肩を大胆に露わにしたデザインながら、胸元から腰にかけては
優雅なドレープが施され、品格を損なわない絶妙なバランスを保っている。
ウエストに輝くサファイアのブローチが、彼女の白い肌をいっそう際立たせていた。
髪は緩やかに結い上げられ、数本の編み込みが繊細な装飾となって首筋に沿っている。
対照的に、隣に立つルーファスは漆黒の正装に身を包んでいた。
金糸の刺繍が施された襟元と袖口が、ベルンワード侯爵家の格式を静かに主張している。
しかしその端正な装いとは裏腹に、彼はどこか落ち着かない様子で視線を定めることができずにいた。
「まあ、ベルンワード侯爵夫妻! お似合いですこと」
「本当に。新婚さんは違いますわね、雰囲気が」
煌めく目で二人を見つめる令嬢たちに、カレンは優雅に微笑んで応えた。
「ありがとうございます」
「いや、我々はその……」
ルーファスが何か言いかけた瞬間、一人の夫人が声を上げた。
「あら、でも噂は嘘だったのですね」
ざわめきが一瞬止み、場が静まり返る。
小首を傾げて夫人を見ると、夫人は親しげに身を乗り出してきた。
「噂、ですか?」
「ほら、侯爵様には想い人がいらっしゃるとか……政略結婚だから形だけのものになるとか……そんな噂がありましたでしょう?」
ルーファスの顔が凍りついた。だがカレンは表情を変えずに、にっこりと微笑んだ。
「あら、そんな噂があったのですか? 存じませんでしたわ」
「まあ、ご存じなかったの?」
「ええ。でも、ご覧の通りですわ」
カレンは少し頬を染め、ルーファスの腕に自分の手を添えた。
その仕草は親密で、自然で、疑いようもなく妻のものだった。
「夫は毎晩、私の寝室に来てくださいますもの。とても形だけとは言えませんわ」
「ま、まあ……! で、では、やはり噂は噂でしたのね」
カレンの完璧な演技に気づかない令嬢たちは、二人の顔を交互に見て頬を染めた。
ルーファスは石像のように固まり、一言も発することができなかった。
「そうみたいですわね。噂って怖いですわ」
カレンはにこやかに会話を続け、その場を切り抜けた。
◇
帰りの馬車の中。
重苦しい沈黙が続いていた。窓の外を流れる夜の街並みだけが、二人の間を埋めている。
「……カレン」
「はい」
「あの場は……助かった。お前がうまく立ち回ってくれなければ、面倒なことになっていた」
「そうですか。お役に立てて何よりですわ」
カレンは窓の外を見たまま、素っ気なく答えた。
「で、あの噂なんですけど」
「……何だ」
「出所、気になりますよね? ああいう具体的な噂は、誰かが意図的に流さない限り広まりません」
ルーファスが息を呑む気配がした。
「誰が言い出したんでしょうね。あなたに想い人がいるなんて。しかも『政略結婚だから形だけのものになる』なんて、内情を知る人間でなければ言えないことです」
「それは……確かに、そうだが……」
「普通、そんな噂は立ちませんよ。よほど親しい人に話さない限り。それも、かなり詳しく話さなければ」
「……」
「あなた、誰かに話しました? 私との結婚について、愚痴でもこぼしたんですか?」
「いや……そんなつもりは……」
「つもりはなかった、ということは、何か話したんですね? それとも、話してないのに噂になった? それもおかしな話ですけれど」
それまで窓の外を眺めていたカレンが、ゆっくりと視線を動かす。
月明かりに照らされたその横顔は穏やかでありながら、どこか冷ややかな光を宿していた。
「それとも、あなた自身が広めたんですか? 私との結婚が不本意だと周囲に知らせたかった?」
「なっ……! そんなわけないだろう! 俺がそんなことをして何の得がある!」
「では、誰が? あなたの側近? 友人? それとも、その想い人とやらが?」
「知らない……そんなこと、俺にも分からない……」
「知らない、ですか。随分と無責任ですこと」
小さく息を吐き、カレンは片方の肩を軽く上げてみせる。
諦めとも、呆れとも取れない仕草だった。
「まあ、いいでしょう。犯人捜しは後でゆっくりできます。でも、一つだけ確認させてください」
「何を……」
「あの噂、嘘なんですよね? 想い人など存在しない、ただの誤解だと」
「……え?」
「想い人がいるという噂。嘘だと、きっぱり否定できますよね?」
暗がりの中、ルーファスの視線が定まらず揺れ動いた。
その動揺は隠しきれないほど明白だった。
「それは……嘘というか……その、複雑で……」
「言葉を濁しましたね。ということは、否定できないんですか?」
カレンの瞳が、わずかに細められる。
その視線は猛禽が獲物を見定めるときのように、鋭く、冷静で、容赦がない。
「これ、深掘りしたら論破できそうですね。矛盾だらけじゃないですか」
「は?」
「今日は見逃しますけど、よく考えておいてくださいね。次に聞いたときには、筋の通った説明をしていただきたいですわ」
ルーファスは何か言い返そうと唇を開いたが、すぐに閉じた。
そしてまた開くが言葉は出てこない。
喉まで出かかった言い訳も、カレンの冷静な視線の前では意味を成さないように思えた。
「……今日は疲れた。この話はまた今度にしよう。頭が回らない」
「ええ、今日は許します。ゆっくり考える時間を差し上げますわ」
馬車が屋敷の前で止まった。カレンは先に降りながら、振り返った。
「噂の件、私は忘れませんからね。出所が判明したら、また話しましょう」
その目は、獲物を追い詰める狩人のようだった。
取り残されたルーファスは、馬車の座席に沈み込んだまま身動きひとつできなかった。
カレンの後ろ姿が屋敷の扉に消えるのを見送りながら、彼は深い溜息をついた。
---
「嘘は、いつか必ず矛盾を生みます。覚えておいてくださいね」
カレン・ベルンワード侯爵夫人
王都の社交界でも名高いグラナディア伯爵邸の大広間は、
笑い声や囁き声が混じり合い、華やかな喧騒が空間を満たしている。
完璧な笑みを浮かべて、カレンは社交場に立っていた。
彼女が身に纏うのは、深い翠色のシルクドレスだった。
肩を大胆に露わにしたデザインながら、胸元から腰にかけては
優雅なドレープが施され、品格を損なわない絶妙なバランスを保っている。
ウエストに輝くサファイアのブローチが、彼女の白い肌をいっそう際立たせていた。
髪は緩やかに結い上げられ、数本の編み込みが繊細な装飾となって首筋に沿っている。
対照的に、隣に立つルーファスは漆黒の正装に身を包んでいた。
金糸の刺繍が施された襟元と袖口が、ベルンワード侯爵家の格式を静かに主張している。
しかしその端正な装いとは裏腹に、彼はどこか落ち着かない様子で視線を定めることができずにいた。
「まあ、ベルンワード侯爵夫妻! お似合いですこと」
「本当に。新婚さんは違いますわね、雰囲気が」
煌めく目で二人を見つめる令嬢たちに、カレンは優雅に微笑んで応えた。
「ありがとうございます」
「いや、我々はその……」
ルーファスが何か言いかけた瞬間、一人の夫人が声を上げた。
「あら、でも噂は嘘だったのですね」
ざわめきが一瞬止み、場が静まり返る。
小首を傾げて夫人を見ると、夫人は親しげに身を乗り出してきた。
「噂、ですか?」
「ほら、侯爵様には想い人がいらっしゃるとか……政略結婚だから形だけのものになるとか……そんな噂がありましたでしょう?」
ルーファスの顔が凍りついた。だがカレンは表情を変えずに、にっこりと微笑んだ。
「あら、そんな噂があったのですか? 存じませんでしたわ」
「まあ、ご存じなかったの?」
「ええ。でも、ご覧の通りですわ」
カレンは少し頬を染め、ルーファスの腕に自分の手を添えた。
その仕草は親密で、自然で、疑いようもなく妻のものだった。
「夫は毎晩、私の寝室に来てくださいますもの。とても形だけとは言えませんわ」
「ま、まあ……! で、では、やはり噂は噂でしたのね」
カレンの完璧な演技に気づかない令嬢たちは、二人の顔を交互に見て頬を染めた。
ルーファスは石像のように固まり、一言も発することができなかった。
「そうみたいですわね。噂って怖いですわ」
カレンはにこやかに会話を続け、その場を切り抜けた。
◇
帰りの馬車の中。
重苦しい沈黙が続いていた。窓の外を流れる夜の街並みだけが、二人の間を埋めている。
「……カレン」
「はい」
「あの場は……助かった。お前がうまく立ち回ってくれなければ、面倒なことになっていた」
「そうですか。お役に立てて何よりですわ」
カレンは窓の外を見たまま、素っ気なく答えた。
「で、あの噂なんですけど」
「……何だ」
「出所、気になりますよね? ああいう具体的な噂は、誰かが意図的に流さない限り広まりません」
ルーファスが息を呑む気配がした。
「誰が言い出したんでしょうね。あなたに想い人がいるなんて。しかも『政略結婚だから形だけのものになる』なんて、内情を知る人間でなければ言えないことです」
「それは……確かに、そうだが……」
「普通、そんな噂は立ちませんよ。よほど親しい人に話さない限り。それも、かなり詳しく話さなければ」
「……」
「あなた、誰かに話しました? 私との結婚について、愚痴でもこぼしたんですか?」
「いや……そんなつもりは……」
「つもりはなかった、ということは、何か話したんですね? それとも、話してないのに噂になった? それもおかしな話ですけれど」
それまで窓の外を眺めていたカレンが、ゆっくりと視線を動かす。
月明かりに照らされたその横顔は穏やかでありながら、どこか冷ややかな光を宿していた。
「それとも、あなた自身が広めたんですか? 私との結婚が不本意だと周囲に知らせたかった?」
「なっ……! そんなわけないだろう! 俺がそんなことをして何の得がある!」
「では、誰が? あなたの側近? 友人? それとも、その想い人とやらが?」
「知らない……そんなこと、俺にも分からない……」
「知らない、ですか。随分と無責任ですこと」
小さく息を吐き、カレンは片方の肩を軽く上げてみせる。
諦めとも、呆れとも取れない仕草だった。
「まあ、いいでしょう。犯人捜しは後でゆっくりできます。でも、一つだけ確認させてください」
「何を……」
「あの噂、嘘なんですよね? 想い人など存在しない、ただの誤解だと」
「……え?」
「想い人がいるという噂。嘘だと、きっぱり否定できますよね?」
暗がりの中、ルーファスの視線が定まらず揺れ動いた。
その動揺は隠しきれないほど明白だった。
「それは……嘘というか……その、複雑で……」
「言葉を濁しましたね。ということは、否定できないんですか?」
カレンの瞳が、わずかに細められる。
その視線は猛禽が獲物を見定めるときのように、鋭く、冷静で、容赦がない。
「これ、深掘りしたら論破できそうですね。矛盾だらけじゃないですか」
「は?」
「今日は見逃しますけど、よく考えておいてくださいね。次に聞いたときには、筋の通った説明をしていただきたいですわ」
ルーファスは何か言い返そうと唇を開いたが、すぐに閉じた。
そしてまた開くが言葉は出てこない。
喉まで出かかった言い訳も、カレンの冷静な視線の前では意味を成さないように思えた。
「……今日は疲れた。この話はまた今度にしよう。頭が回らない」
「ええ、今日は許します。ゆっくり考える時間を差し上げますわ」
馬車が屋敷の前で止まった。カレンは先に降りながら、振り返った。
「噂の件、私は忘れませんからね。出所が判明したら、また話しましょう」
その目は、獲物を追い詰める狩人のようだった。
取り残されたルーファスは、馬車の座席に沈み込んだまま身動きひとつできなかった。
カレンの後ろ姿が屋敷の扉に消えるのを見送りながら、彼は深い溜息をついた。
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カレン・ベルンワード侯爵夫人
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