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第二話:初夜の業務連絡と、公爵の砕かれたプライド
しおりを挟む「……いいか、ロゼット。今この瞬間から、お前という存在のすべてを俺が支配する」
ブラッドレイ公爵、ウィルフリッドは涙で濡れた睫毛を震わせながらも、どうにか公爵としての威厳を取り戻そうと必死だった。彼はロゼットの両手首を寝台のヘッドボードへと押しやり、絹の帯で手早く、しかし解けないように縛り上げた。
「これがブラッドレイ家に伝わる夜の儀式だ。お前はもう、俺の許しなしに指先一つ動かせない。暗闇の中で、俺の与える快楽だけを数えて過ごすんだ。どうだ、絶望の味は?」
ウィルフリッドは、一族秘伝の教本にあった「身体的自由の剥奪による精神的依存の構築」という一節を脳内で復唱した。今度こそ、彼女を恐怖と欲望の渦に突き落とせるはずだった。
しかし、ロゼットは手首の感触を確かめるように少し動かすと、至極冷静な表情で彼を見つめ返した。
「ウィルフリッド様、承知いたしました。本日から私は、あなたの独占欲を満たすための囚われの身として、完璧に機能することを誓います。……ただ、その前に一点だけ。その、左手の親指の付け根が少し圧迫されています。血流が滞って肌に跡が残ると、旦那様が私を鑑賞する際の『商品価値』を損ねてしまいます。私はプロとして、常に最高の状態で旦那様の所有物でありたいと考えておりますので、少しだけ位置をずらしていただけますか?」
「……商品価値? 貴様、今この状況で何を言っている! 俺はお前を抱こうとしているんだぞ!」
ウィルフリッドが叫び、彼女の薄い衣に手をかける。ロゼットの白い肌が露わになり、寝室の微かな明かりに照らされた。普通ならここで顔を赤らめ、羞恥に震える場面だ。だが、ロゼットはプロの矜持を持って、さらなる「業務」の確認を行った。
「旦那様、存分に私で満足していただけるように、全力で演技いたしますね。……今お求めなのは、無理やり奪われる悲劇のヒロインですか? それとも、恐怖に震えながら愛を乞う薄幸の令嬢でしょうか。旦那様の理想とするシチュエーションを詳細に教えていただければ、私はその通りに振る舞います。せっかく高い報酬を払って私を買い取ってくださったのですから、きっちりとその対価分、私をお使いいただかないと申し訳ありませんし」
ウィルフリッドの指が、ピタリと止まった。
「……演技? お前、俺に抱かれるのを、単なる仕事だと思っているのか?」
「ええ。契約ですから。旦那様が私という女の人生を買い取って、思うがままに蹂躙する。その残酷な悦びに浸っていただくことこそが、私の務めです。……あ、もしかして、もっと本気で嫌がっているように見せてほしいという追加注文ですか?承知いたしました。では、これから五分間、全力で絶望したふりをしますね。……いきますよ?『嫌、離して!あなたなんて大嫌い!』……どうですか、旦那様。今のはゾクゾクきましたか?」
ウィルフリッドの心の中で、何かが音を立てて崩れ去った。
彼はこの鉄のメンタルを持つ女を、本気で絶望させたかったのだ。それなのに、自分の方が金を払ってサービスのクオリティをチェックする客のような立場に追い込まれている。
「ふざけるな……ッ! 俺は、俺はお前に演技をしてほしいんじゃない! なぜそんなに、事務的なんだよ……っ!」
「事務的? 心外です。私は旦那様の狂気を最高の形で完成させるために、こうして身を捧げているのですよ。……あ、でも、その顔はいいですね」
ロゼットが、縛られた両手を少しだけ持ち上げ、ウィルフリッドの頬を指先でなぞった。
「泣きそうな顔で怒鳴る姿は、なかなか情欲をそそります。旦那様、マニュアルのなぞり読みはもう結構ですので、あなたの本能のままに私を扱ってください。私はあくまで、あなたの独占欲を満たす『契約済みのおもちゃ』なのですから。……さあ、私に高い深夜手当を支払う覚悟があるのなら、存分に私を弄んで、雇い主としての意地を見せていただけますか?」
ウィルフリッドは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
彼女は自分を「道具」だと言い切っている。しかし、その言葉の端々からは「私を満足させられるだけの技量を見せてみろ」という、熟練の使用人が主人を試すような余裕が滲んでいた。
「……わかった。お前が望む報酬なら、いくらでも払ってやる。その代わり、俺に満足したら……明日も俺のそばにいて、俺だけを見ていろ。お前を雇い、飼い殺すのはこの俺なんだからな……っ」
「交渉成立ですね。では、旦那様。お手並み拝見といきましょうか」
ロゼットが不敵に微笑むと、ウィルフリッドの理性がついに限界を迎えた。
彼は獣のような咆哮を上げ、彼女の唇を奪った。それは一族の教本にある「洗練された愛の技法」などではない。怒りと、焦燥と、そして抑えきれない激情が混ざり合った、泥臭くも濃厚な口付けだった。
ロゼットは、彼の舌が口内に侵入してくるのを感じながら、心の中で算盤を弾き始めた。
(……うん。情熱は合格点。私の演技を不要にさせるほどの本能的な執着……。素晴らしいです。これなら明日の朝、美味しいクッキーを要求してもバチは当たらないでしょう)
ウィルフリッドの大きな手が、ロゼットの柔らかな曲線を描く身体を、壊れ物を扱うように、それでいて力強く愛撫していく。ロゼットは、初めて自分の心拍数が少しだけ上がったことに気づいた。しかし、それは決して恐怖ではない。
「……ロゼット……。逃さない。絶対にお前を、俺から逃がさないぞ……」
「ええ。契約を履行してくださる限り、私はここにいますよ。……あ、今の吐息の漏らし方、非常に良いです。旦那様、その調子で続けてください。ほら、私を存分に犯して、雇い主としての悦びに浸ってください」
ロゼットが彼の首筋に手を回し、引き寄せたその時。
ウィルフリッドは、自分の最愛の女(予定)が、事の最中にさえ主人の満足度を冷静に見極めていることに気づき、再び目尻に涙を浮かべた。
「お前……。今、俺の動きを査定していただろう!? わかるんだぞ、お前のその冷静な目が……っ! 情緒……ッ! 情緒がない……っ!!」
「情緒とかどうでもいいですから、集中してください。ほら、業務を全うしないと、明日の報酬を請求しにくくなるじゃないですか」
こうして、ブラッドレイ公爵邸の初夜は、支配する側と支配される側が奇妙にねじれた状態で、夜通し行われることとなった。
翌朝、ベッドの中で目覚めたウィルフリッドが見たのは、朝日を浴びてスッキリとした顔で、手元のメモ帳に昨夜の残業時間を書き込んでいるロゼットの姿だった。
「おはようございます、旦那様。昨夜は一晩中お付き合いしましたので、非常に疲れました。契約に基づき、今日の朝食は例の高級なバターを使ったキャラメルクッキーを要求させていただきます。それから、追加の報酬として、庭の花を一輪いただけますか?……ふふ、旦那様の狂愛にお供するのも、なかなか体力が要りますね」
「……情緒ってなんだ……」
ウィルフリッドは枕に顔を埋め、ボロボロになった心と体で、かすれた声を出すのが精一杯だった。
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