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第15話 新たな侍従6

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     ◆◆◆


「疲労がたまっていたのでしょう。ゆっくりと休養すれば、よくなりますよ」

 熱を出して寝込むライリーを診察した初老の宮廷医は、そう診断した。
 重い病でないことに、イーデンはほっとした。朝、ライリーを起こしにきたら高い熱があって、寝台から起き上がれない状態だったため、何事だと不安だったのだ。

「そうですか。分かりました。ありがとうございます、先生」
「いえいえ。何かあれば、またお呼び下さい。では、失礼します」

 部屋から出ていく宮廷医。その背中を一礼したまま見送り、扉が閉まる音が響いてからやっと顔を上げる。
 寝台で眠るライリーの寝顔を、イーデンはじっと見下ろした。

「ライリー様……」

 絨毯に両膝をつく。布団から出ているライリーの左手を、そっと握りしめた。

『大丈夫ですか!』

 今も、耳に残るライリーの声。
 二年ほど前のこと。貴族学校に通っていたイーデンだが、卒業間近という頃、女子生徒たちからの嫌がらせにほとほと参っていた。
 嫌がらせの理由は理不尽なものだった。リーダー格の女子生徒が好きな男子生徒が、イーデンのことを好きだったのだという。
 初めは他の男子生徒たちが庇ってくれた。だが、庇えば庇うほど、嫌がらせはひどくなるばかり。次第に味方してくれる男子生徒はいなくなり、イーデンは孤独になった。
 別に見放されたわけではないのだろう。口を出したらイーデンへの風当たりが強くなると理解して、イーデンのためを思って庇うのをやめただけだ。
 だが――分かっていても、当時のイーデンにはつらかった。周りの人間みなが敵のように見えた。
 それでももうすぐ卒業なのだと耐えていたある日のこと。嫌がらせで噴水に投げ捨てられていた学習ノートを一人拾っていた時、声をかけてくれたのが後輩のライリーだった。
 ライリーは、水に濡れるのもお構いなしに、散乱した学習ノートを一緒に拾ってくれた。そして、イーデンの濡れた顔を拭うようあの手巾を貸してくれたのだ。
 平時ではあれば、いい人だな、と思うくらいだったろう。だが、孤独だった当時のイーデンには、ライリーが王子様のように見えた。
 結局、その嫌がらせは、教師たちが指導したことで終わりを迎える。風の噂では、違うクラスだったセオが、見て見ぬふりをしていた教師たちに「学校の規律を乱す問題児を野放しにするな」と物申してくれたのだとか。
 そういう意味では、実際に救ってくれたのはセオなのだが、イーデンが想いを寄せたのは優しく声をかけてくれたライリーで。だから、自分がオメガだと判明した翌年、ライリーがベータだったと情報が届いた時は、天に感謝した。
 勇気を出してアタックしなければ、と思っていたのだ。次に会う時こそ告白しようと。
 どきどきしながら社交界シーズンがくるのを待っていたら――現実は非情だった。ライリーがオメガに変異し、挙句に後宮入りが決まったという情報が流れてきたのだ。
 ライリーと結ばれる道が消えた。大失恋もいいところだった。
 けれど。
 その代わりに、ライリーの侍従になってほしいという話がほどなくしてセオから届いた。イーデンは即座に了承し、だから、今ここにいる。

「……あの日からずっと、お慕い申し上げております。ライリー様」

 夫夫として結ばれることは、決して叶わないけれど。それでも、ライリーの傍にいられるのなら、侍従という立場でも構わない。
 イーデンは眠るライリーの額に口づけをそっと落とし、そして部屋を後にした。


     ◆◆◆


 イーデンが部屋を去った後。
 ライリーは閉じていた瞳を開けた。イーデンから口づけされた額に手を伸ばす。
 途中から狸寝入りしていたのだ。気付いたらイーデンに手を握られている状態だったため、起き上がりにくかったのである。

『……あの日からずっと、お慕い申し上げております。ライリー様』

 あの日というのが、いつのことなのかは分からないが。恋愛的な意味で想いを寄せられていることは間違いない。

(マジかよ……)

 本当の本当に恋愛対象として好かれていたのか。
 どうすればいい。
 どうすれば、イーデンのためになる。
 セオに相談して後宮から出て行ってもらうのは、きっと簡単だ。相手がイーデンでなかったら、悩む余地なくそうしているだろう。
 だが、相手はイーデンなのだ。本来であれば、自分が娶って幸せにするはずだった人だということに、どうしても後ろ髪を引かれてしまう。
 熱でぼぅっとする頭で考えていた時だ。扉をノックする音が響いた。「はい、どうぞ」と応えると、扉が開いて――顔を出したのは、セオだった。

「ライリー。体調は大丈夫か」

 気遣わしげな表情を浮かべて、ライリーの近くまでやってくる。
 ライリーは咄嗟にセオから視線を逸らしてしまった。セオの顔を直視できなかった。目が合ったら、すべてを見透かされてしまいそうで。
 当然ながら、セオは訝しげな声を出した。

「ライリー? どうした」
「あ……ご、ごめん。具合が悪くて」

 具合が悪いからといって、なぜ視線を逸らす。
 熱のせいで頭が上手く回らないからだろう。意味不明な言い訳になってしまった。
 セオも腑に落ちないといった顔をしたものの、病人に対する配慮からか問い詰めることはなく。ライリーの頭を優しく撫でる。

「疲労からくる発熱だと、道すがらイーデンから聞いた。すまない。私が毎夜抱いていたから無理をさせていたんだろう。ゆっくり休むといい」
「う、うん。ありがとう」

 別にセオだけが原因ではないだろうが、そういうことにしておくしかない。

「……顔を出して早々すまないが、王城に戻る。しばらく、夜はこないから」
「え!?」

 普通に考えたら、しばらく手は出さないという意思表示だろう。気を遣わずにゆっくり休めという優しさでもあるかもしれない。
 が、今のライリーは急速な不安に駆られた。

「な、なんで? 抱けないのなら用済みなのかよ」

 おかしなことを言っている。元々は冷遇王婿ライフを満喫しようと思っていたはずで、セオの顏なんて別に見たいとは思っていなかったのに。
 この不安は……おそらく、後ろめたさからくるものだろう。イーデンのことを決断できない自分に愛想を尽かしたのでは、という疑心暗鬼の焦りだ。
 セオの言葉一つで側婿の立場なんてあっさりとなくなる。だから……そう。後宮を追い出されて、代わりにフィンリーの後宮入りルートが復活したら困る、という不安に違いないのだ。
 セオは驚いた顔をして、慌てて否定した。

「待て。違う、そういうことじゃない。私はただ、ゆっくり休養してほしいと思って言っただけだ」
「……本当に?」
「それ以外に何がある。だが不安なら、夜も顔を出す。……だから、そんな顔をするな」

 そんな顔って、どんな顔だ。
 鏡がないから分からない。今、ライリーはどんな顔をしているというのだ。

「もう一眠りするといい。眠るまで、傍にいるから」

 ついばむようなキスをされて、ようやく不安感が消えた。
 再び、目をつぶる。左手にセオの手の温もりを感じながら、ライリーは夢の世界に旅立った。

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