氷の薔薇と日向の微笑み

深凪雪花

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第18話 再会

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「エリス! 二番テーブルへ運んで!」
「はい!」

 エリスは急いで料理を運ぶ。「お待たせしました」とにこやかに料理を差し出してから、今度は食事を終えた客の勘定を行う。それが終わったら空いた席のテーブルを拭いて、次の客を案内して注文を聞く。その繰り返し。
 ああ、忙しい。食堂というのは、昼食時や夕食時は戦場だ。
 ――エリスがノークス邸を出て早半年近く。持ち金があまりなかったのでノークス地方からあまり離れられなかったが、今のところノークス邸の使用人たちが連れ戻しにきたことはない。初めは探したかもしれないが、半年近くも経てば諦めただろうとも思う。

「ありがとうございました」

 帰っていく客を見送り、空いた席のテーブルを拭いていると。近くで食事していた客の話が耳に届いた。

「そういえば、革命軍はどうなったんだ。この前、王都へ攻め込んだんだろ?」
「知らないのか? もう愚王を討ったらしいぞ」
「え! そうなのか!」

 へぇ、とエリスは思った。とうとう現国王……いや、先代国王を討ったのか。半年近くかかったというのは長いのか、短いのか、よく分からないけれども。
 風の噂によれば。セオドアが先々代国王の隠し子だと名乗り出ると、後見であるアンカーソン公爵の影響力もあるだろうが、貴族たちがこぞって集結したという。国王の味方であるはずのハルシスタ軍からも離反者が続出し、革命軍はあっという間に大きくなったらしい。

(じきにセオドアさんが王位につくんだろうな)

 まだその知らせが国中に広がっていないのは、後始末にごたついているからだろうか。
 そう思いながら、次の客をテーブルへ案内する。メニュー表を見せ、注文を承っている後ろで、さきほど話していた客が話を続けている。

「セオドア・ノークスだっけ。先々代国王の隠し子だって話で、革命軍を率いていたの。そいつが新しい王になるのか?」
「順当にいけばそうだったんだろうが……」

 男性はそこでふつりと言葉を途切らせ、衝撃的なことを言った。

「愚王との戦いで深手を負って、死んじまったらしいぜ、セオドア・ノークス」

 瞬間、エリスの耳からすべての音が掻き消えた。右手からペンが滑り落ち、音を立てて床に転がる。……セオドアが戦死した?

(う、そだ)

 そんなの嘘に決まっている。
 セオドアは新たな国王となる人だ。新しい伴侶を迎えて幸せになるはずの人。戦死なんかするはずがない。なにかの間違いだ。
 ……けれど。それから間もなくして、セオドア・ノークスの訃報が国中に広まった。愚王を討ったヒーローとして、その死は国民から悲しまれた。
 代わりに王位についたのは、アンカーソン公爵だった。アンカーソン公爵には息子がいるので、息子が次期国王になるだろうという話だった。
 エリスは愕然とした。セオドアとはもう会わないつもりだったし、王位につくセオドアとはもう会うこともなかっただろう。それでも、生きていてくれているのと、死んでしまっているのとでは、抱く感情が違う。

(セオドアさん……)

 どんな人だろう、とどきどきしながら嫁いで出逢った人。最初はとっつきにくそうだと思ったけれど、不器用なだけで心根は優しい、亡き母に対する罪悪感から解放してくれた人。
 たった半年近くの付き合いだった。それなのに不思議とずっと前から傍にいたかのように、一緒にいる時間が居心地よくて。
 エリスが初めて好きになった人――。

「うう…っ……」

 借りている集合住宅の一室で。寝台の上に座って膝を抱えながらエリスは泣いた。近所迷惑にならぬよう、声を押し殺しつつ泣きじゃくった。

『エリス……愛している』

 あの時。伝えればよかった。――俺も愛しています、と。




 それから一ヶ月ほど経ち、エリスはミモザの花が一面に咲き誇る花畑を訪れていた。セオドアとの結婚当初に連れてきてもらった、セオドアの育ての両親の墓がある花畑だ。セオドアが死んだのなら、両親と同じ墓に入ったのではないか、と思ったのだ。
 けれど、予想は外れて墓にセオドアの名は刻まれていなかった。とはいえ、他に心当たりがあるわけでもない。購入した花束を墓に供え、片膝をついて手を合わせた。
 さわさわと春風が吹く。エリスの髪や衣服を揺らす。
 春の陽気な日差しが暖かく、ふとエリスはセオドアの言葉を思い出した。

『……エリスは日向のようだな』
『日向、ですか?』
『そうだ。暖かく、優しい。凍えるものすべてを包み込むような……俺の居場所だ』

 ふっと笑った優しげな表情は、今でも覚えている。
 エリスは……セオドアの居場所になれていたのだろうか。日向のように、セオドアの心を暖かく包み込むことができていたのだろうか。
 その疑問に答えてくれる人は――もうこの世にいない。

(帰ろう……)

 あまり長居してしまうと、ノークス邸の使用人たちと鉢合わせしてしまう可能性がある。ノークス邸に戻るつもりはもうない。セオドアが亡くなってしまったのなら、なおさらだ。
 立ち上がり、踵を返そうとした時だった。

「エリス、か?」

 抑揚に欠けた声が、エリスの名を呼ぶ。
 エリスははっとして振り返った。ここ一ヶ月間、ずっとセオドアのことばかりを考えていたからだろうか。そこには……セオドアの幻が立っていた。
 荷物を持ったセオドアの幻は、エリスの前までやってきて、言う。

「やっと、見つけた」

 エリスの頬に触れる手は、しかし決して幻ではなくて。感触がある。温もりがある。
 そこでようやく幻覚などではないのだ、とエリスは思い至った。

「……セオドア、さん?」
「他に誰だと思っている」

 苦笑するセオドアの手に、エリスは自身の手を重ねる。触れるまで、自分の手が震えているということに気付かなかった。

「どう、して……」

 死んでしまったのではなかったのか。どうして、生きているのだ。

「王位を継ぐのが嫌で、死んだことにしたんだ」
「嫌でって……あの時、国王になる覚悟を決めたんじゃ」
「違う。俺が決めたのは、自らの手で先代国王を討つことだ。国王になることじゃない」

 そういえば、と思う。セオドアが言っていたのは、現国王を討とうと思うとか、戦おうと思うとかであって、一度も新たな国王になるとは言っていない。いまさら、そのことに気付く。

「俺は王の器じゃないしな。それに……エリス以外の男を娶るなんて嫌だったから。アンカーソン公爵は渋々ながら偽装工作に協力してくれたよ」

 ネタバラシをしてから、セオドアはようやくエリスの頬から手を離した。そして、不思議そうな、けれどどこか悲しそうな表情をして聞く。

「それで、エリスはどうして屋敷で待っていてくれなかったんだ。必ず迎えにくる、と言ったはずだが」
「……だって」

 てっきり、国王になるものだと思っていたから。そして、他に王婿を娶って子をなすだろうと思っていたから。それが嫌で逃げ出したのだとは、恥ずかしくて言えない。
 口ごもるエリスを、セオドアは独自の解釈をした。

「俺が国王になると思って、自分は相応しくないとでも思ったか」
「………」

 是とも否とも言わない。そう思われるのなら、そっちの方がマシだ。
 沈黙を是と受け取ったらしいセオドアは、言葉を続ける。

「それが理由なら、俺は国王じゃない。だからこれからも……一緒にいてくれないか」
「え……」
「国王でも、地方伯爵ですらない。なにも持たない、愛想もない、つまらない男だ。それでも……ずっと、俺の傍にいてほしい」

 真っ直ぐな言葉は、泣きたくなるほど嬉しかった。また、セオドアの傍にいられる。一緒に暮らせる。それも第二夫人としてではなく、たった一人の正婿として。
 セオドアから離れると決めた心が揺らぐ。国王ではないのだから、拒否する理由はないだろう。はい、と頷きたい。受け入れたい。……けれど。

「……俺はもうセオドアさんのお傍にはいられません」
「どうして」
「だって、俺はセオドアさんから離れようとした……! セドオアさんの想いを裏切ったんです……! そんな俺に、セオドアさんのお傍にいる資格があるわけないじゃないですか!」

 一度離れると決めておきながら、求められたら応じるなんて虫のよすぎる話だ。エリスは覚悟を決めて屋敷を出たのだ。それをあっさりと覆すことなんてできない。
 苦しげに吐露するエリスを、セオドアが力強く抱き締めた。

「気にしなくていい。エリスにはエリスの考えがあったんだろう。それに言葉足らずだった俺が悪い。だから、一緒にいてほしい」
「でも、俺は…っ……」
「エリスは俺と一緒にいたいと思ってくれないのか」

 かつてエリスがセオドアに聞いたことを、今度はセオドアがエリスに問う。
 一緒にいたいと思ってくれないのか。そんなの答えは決まっている。一緒にいたいに決まっているじゃないか。
 エリスの目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。

「…………です」
「ん?」
「~~っ、一緒にいたい、です! ずっと、ずっと……!」

 もう離れたくない。死ぬまで一緒にいたい。
 たとえ、都合がいいと言われても。たとえ、そんな資格がないと言われても。
 セオドアはふっと笑みをこぼした。

「なら、一緒にいよう」
「…っ……、は、い……!」

 エリスは嗚咽を洩らしながら頷く。
 そして、優しくも熱いセオドアからの抱擁に身をゆだねた。
 さわさわと吹く春風は、まるで二人を祝福するように穏やかに吹き抜けていった。

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