政略結婚から始まる初恋

深凪雪花

文字の大きさ
上 下
3 / 11

第3話 舞踏会に向けて1

しおりを挟む


 ――どうしたんだろう。
 翌日からクレアは困惑した。というのも初夜以来、エルトンがキラキラと輝いて見えるというか……率直に言ってイケメンに見えるのだ。クレアの好みの顔ではなかったはずなのに。
 医者に診てもらった方がいいだろうか。いやしかし、夫の顔がすごくカッコよく見えるようになったんです、なんて何を言っているのかと思われるだろう。
 身支度を整えながら難しい顔をしていると、

「どうかされましたか、クレア様」

 身支度を手伝ってくれているメイドが、気遣わしげな顔で訊ねてきた。
 彼女は四十路の朗らかな人で、古くからアディントン侯爵家に仕えてくれている。クレアにとっては、第二の母のような存在だ。
 だからだろうか。彼女になら、ここ最近の悩みを打ち明けることができた。

「それが……ちょっと、困っていて。実はね――」

 打ち明けられたメイドは最初こそ目を丸くしていたものの、やがてくすりと笑った。

「ふふ。クレア様ったら、ご自覚がないのですか」
「自覚? お医者様に診てもらった方がいいかなぁとは思っているけど……」
「そういうことではありません。それはですね、恋ですよ」

 今度はクレアが目を点にする番だった。

「こ、恋?」
「はい。エルトン様のことをお好きになったのですよ」

 にわかには信じられなかった。
 あのエルトンに恋? いやまぁ、赤ワインまみれにされた件は、クレアのためを思っての行動だと分かったし、肉体関係を持っているので情もないとは言わないが……エルトンのことを好きになった? 本当に?
 我ながらチョロいのではないかと思うが、あれからエルトンと一緒にいると、胸がどきどきすることの辻褄は、確かに合う気がする。

「縁あってご結婚されたのです。想いを通わせられるのなら、それに越したことはないのではないですか」
「……うん」

 エルトンのことが好き。
 言葉にすると、ますますエルトンのことを意識してしまう。次、どんな顔をして会ったらいいのか分からない。
 クレアは頬を赤らめつつも身支度を整え、一階にある食堂に下りた。そこにはすでにエルトンと、父の姿があった。

「おはようございます」

 エルトンの向かい側の椅子に腰を下ろす。綺麗な顔立ちが目の前にあって、胸の辺りがキュンとしてときめいた。や、やっぱり、カッコいい……!
 眩し過ぎて直視できない。目線を合わせないクレアに、エルトンは怪訝な顔をしたものの何も言わず、三人で朝食をいただいた。ちなみに今朝の話題は、来月開く舞踏会についてだ。
 貴族というのは、春から社交界シーズン。王宮ではもちろん、各地の貴族も屋敷で舞踏会を開く。アディントン侯爵家も例外ではなかった。

「では、二人とも。当日はよろしく頼むよ」
「「はい」」

 朝食を終え、話も切り上げて解散だ。といっても、エルトンはアディントン侯爵の地位を継ぐべく、すぐに父の下へ行って勉強するわけだが。
 それでも、夫婦の時間も大切にすべきという父の考えにより、朝食の後から一時間ほどは夫婦の寝室でともに過ごす。

「……クレア。ここのところどうして、私の目を見ないんですか」

 ぎくり。
 エルトンと寝台に隣り合って座りつつ、クレアは目を泳がせた。まさか、本人にカッコよすぎて直視できないんです、なんて言えない。
 というか、やっぱりそのことを気にしてはいたのか。

「え、えっと……」
「そんなに私の顔は見るに堪えませんか」
「ち、違います!」

 慌てて否定したものの、目線を合わせないのでは説得力がない。エルトンは半信半疑そうな目でクレアを見つめたが、ため息一つで話題を切り替えた。

「……まぁ、いいです。それよりも、舞踏会のことですが」
「た、楽しみですよね! 私、ダンスが好きなので」

 それは嘘ではない。社交のダンスは、『クリフォード・アディントン』を演じていた時から、本当に好きだったことだ。

「ほう。では、――半月でステップを覚えられますね?」

 クレアはきょとんとした。

「半月? ステップ? え、どういう……」
「あなたは今まで『クリフォード・アディントン』としてしか、ダンスを踊ったことがないでしょう。女性パートは知らないはずです」
「あ……」

 言われてみると、エルトンの言う通りだ。男性として生きてきたクレアは男性パートこそ踊れるが、女性パートは知らない。そのことに今さら気付く。

「半月かけて叩き込みます。覚悟しておいて下さい」

 思わず「ひ…っ……」と悲鳴じみた声を上げてしまいそうになった。が、ぐっと堪えて「……はい」と頷くほかなかった。
 かくして、その日からエルトンの指導によるスパルタ特訓が始まった。

「はい。左、右、左」

 エルトンの指示に従い、必死にステップを踏む。なまじ男性パートを覚えてしまっているだけに何度も間違えているが、それでもエルトンは根気強く教えてくれた。

「ここでターン」

 腕を上げ、言われるままくるりとターン。それから再び体を密着させ、ゆったりと揺れ動く。
 エルトンと練習とはいえ、社交のダンスを踊る。きっと、どきどきして集中できないだろうなと危惧していたが、予想に反して練習に集中して打ち込めた。というか、打ち込まざるをえなかった。なにせ、スパルタ過ぎてどきどきしている余裕がない。
 社交ダンスってこんなに難しかったっけと思いつつ、クレアはエルトンの指導に必死にくらいついていった。
 その努力が実ったのか、半月後――。

「合格です」

 ようやく及第点をもらい、クレアはぱぁっと顔を輝かせた。や、やった。これで舞踏会で恥をかかずに済むし、何よりも――エルトンとおおやけの場でダンスが踊れる。

「エルトンさ……エルトン。ありがとうございました」
「いえ。よく頑張りましたね」

 ぽん、と頭の上に手を置かれた。頭を撫でられて褒められるなんて、子供の頃に両親からされて以来だ。なんだか、くすぐったい気持ちになった。

「楽しい舞踏会にしましょう」
「はい!」

 つい顔を上げて返事をすると、エルトンの柔和な目と目が合う。
 クレアはどきりとして、慌てて目線を逸らそうとした。が、それよりもエルトンの指がクレアの顎を掴んで、上向かせたまま離さない。
 キラキラと輝いて見える整った顔立ちと、正面から顔を突き合わせることになってしまい、クレアは視線のやり場に困った。
 どくん、どくん、と脈打つ心臓の鼓動がうるさい。

「あ、あの……?」
「もう一度、聞きますが。どうして、私と目を合わせようとしないんです」
「そ、そういうわけじゃ……あっ、んん!」

 キスで口を塞がれた。口内を貪られ、とどめに舌をちゅっと吸われると、それだけで腰が砕けてしまいそうになる。
 一旦、唇を離したエルトンは、ぽつりと言った。

「……あなたが他の男性に好意を寄せていたことは知っていますよ」

 他の男性。そういえば、かつて憧れていた男性がいた。結婚相手に推薦しようとした男性だが、けれど別に好意を寄せていたとまではいかない。

「ええと、あの……」
「――ですが」
「わっ」

 抱え上げられたかと思うと、寝台に乗せられて押し倒された。

「今は私を見て下さい。あなたは私のものでしょう」

 頭上にあるエルトンの表情は、いつもの澄ました顔とは違い、激しい嫉妬にかられた男性のもので。
 ――違う。
 ――今、クレアが見ているのはエルトンだ。
 そう伝えなければならないのに、気恥ずかしさが勝って口にできない。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ちょっと復讐してきます。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:33

ローズゼラニウムの箱庭で

BL / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:1,701

桜の季節

恋愛 / 完結 24h.ポイント:220pt お気に入り:7

主役達の物語の裏側で(+α)

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,031pt お気に入り:42

クソつよ性欲隠して結婚したら草食系旦那が巨根で絶倫だった

恋愛 / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:317

滅魔騎士の剣

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:108

王子に転生したので悪役令嬢と正統派ヒロインと共に無双する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:269pt お気に入り:276

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:83,742pt お気に入り:2,382

復讐します。楽しみにして下さい。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:223

処理中です...