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第3話 舞踏会に向けて1
しおりを挟む――どうしたんだろう。
翌日からクレアは困惑した。というのも初夜以来、エルトンがキラキラと輝いて見えるというか……率直に言ってイケメンに見えるのだ。クレアの好みの顔ではなかったはずなのに。
医者に診てもらった方がいいだろうか。いやしかし、夫の顔がすごくカッコよく見えるようになったんです、なんて何を言っているのかと思われるだろう。
身支度を整えながら難しい顔をしていると、
「どうかされましたか、クレア様」
身支度を手伝ってくれているメイドが、気遣わしげな顔で訊ねてきた。
彼女は四十路の朗らかな人で、古くからアディントン侯爵家に仕えてくれている。クレアにとっては、第二の母のような存在だ。
だからだろうか。彼女になら、ここ最近の悩みを打ち明けることができた。
「それが……ちょっと、困っていて。実はね――」
打ち明けられたメイドは最初こそ目を丸くしていたものの、やがてくすりと笑った。
「ふふ。クレア様ったら、ご自覚がないのですか」
「自覚? お医者様に診てもらった方がいいかなぁとは思っているけど……」
「そういうことではありません。それはですね、恋ですよ」
今度はクレアが目を点にする番だった。
「こ、恋?」
「はい。エルトン様のことをお好きになったのですよ」
にわかには信じられなかった。
あのエルトンに恋? いやまぁ、赤ワインまみれにされた件は、クレアのためを思っての行動だと分かったし、肉体関係を持っているので情もないとは言わないが……エルトンのことを好きになった? 本当に?
我ながらチョロいのではないかと思うが、あれからエルトンと一緒にいると、胸がどきどきすることの辻褄は、確かに合う気がする。
「縁あってご結婚されたのです。想いを通わせられるのなら、それに越したことはないのではないですか」
「……うん」
エルトンのことが好き。
言葉にすると、ますますエルトンのことを意識してしまう。次、どんな顔をして会ったらいいのか分からない。
クレアは頬を赤らめつつも身支度を整え、一階にある食堂に下りた。そこにはすでにエルトンと、父の姿があった。
「おはようございます」
エルトンの向かい側の椅子に腰を下ろす。綺麗な顔立ちが目の前にあって、胸の辺りがキュンとしてときめいた。や、やっぱり、カッコいい……!
眩し過ぎて直視できない。目線を合わせないクレアに、エルトンは怪訝な顔をしたものの何も言わず、三人で朝食をいただいた。ちなみに今朝の話題は、来月開く舞踏会についてだ。
貴族というのは、春から社交界シーズン。王宮ではもちろん、各地の貴族も屋敷で舞踏会を開く。アディントン侯爵家も例外ではなかった。
「では、二人とも。当日はよろしく頼むよ」
「「はい」」
朝食を終え、話も切り上げて解散だ。といっても、エルトンはアディントン侯爵の地位を継ぐべく、すぐに父の下へ行って勉強するわけだが。
それでも、夫婦の時間も大切にすべきという父の考えにより、朝食の後から一時間ほどは夫婦の寝室でともに過ごす。
「……クレア。ここのところどうして、私の目を見ないんですか」
ぎくり。
エルトンと寝台に隣り合って座りつつ、クレアは目を泳がせた。まさか、本人にカッコよすぎて直視できないんです、なんて言えない。
というか、やっぱりそのことを気にしてはいたのか。
「え、えっと……」
「そんなに私の顔は見るに堪えませんか」
「ち、違います!」
慌てて否定したものの、目線を合わせないのでは説得力がない。エルトンは半信半疑そうな目でクレアを見つめたが、ため息一つで話題を切り替えた。
「……まぁ、いいです。それよりも、舞踏会のことですが」
「た、楽しみですよね! 私、ダンスが好きなので」
それは嘘ではない。社交のダンスは、『クリフォード・アディントン』を演じていた時から、本当に好きだったことだ。
「ほう。では、――半月でステップを覚えられますね?」
クレアはきょとんとした。
「半月? ステップ? え、どういう……」
「あなたは今まで『クリフォード・アディントン』としてしか、ダンスを踊ったことがないでしょう。女性パートは知らないはずです」
「あ……」
言われてみると、エルトンの言う通りだ。男性として生きてきたクレアは男性パートこそ踊れるが、女性パートは知らない。そのことに今さら気付く。
「半月かけて叩き込みます。覚悟しておいて下さい」
思わず「ひ…っ……」と悲鳴じみた声を上げてしまいそうになった。が、ぐっと堪えて「……はい」と頷くほかなかった。
かくして、その日からエルトンの指導によるスパルタ特訓が始まった。
「はい。左、右、左」
エルトンの指示に従い、必死にステップを踏む。なまじ男性パートを覚えてしまっているだけに何度も間違えているが、それでもエルトンは根気強く教えてくれた。
「ここでターン」
腕を上げ、言われるままくるりとターン。それから再び体を密着させ、ゆったりと揺れ動く。
エルトンと練習とはいえ、社交のダンスを踊る。きっと、どきどきして集中できないだろうなと危惧していたが、予想に反して練習に集中して打ち込めた。というか、打ち込まざるをえなかった。なにせ、スパルタ過ぎてどきどきしている余裕がない。
社交ダンスってこんなに難しかったっけと思いつつ、クレアはエルトンの指導に必死にくらいついていった。
その努力が実ったのか、半月後――。
「合格です」
ようやく及第点をもらい、クレアはぱぁっと顔を輝かせた。や、やった。これで舞踏会で恥をかかずに済むし、何よりも――エルトンとおおやけの場でダンスが踊れる。
「エルトンさ……エルトン。ありがとうございました」
「いえ。よく頑張りましたね」
ぽん、と頭の上に手を置かれた。頭を撫でられて褒められるなんて、子供の頃に両親からされて以来だ。なんだか、くすぐったい気持ちになった。
「楽しい舞踏会にしましょう」
「はい!」
つい顔を上げて返事をすると、エルトンの柔和な目と目が合う。
クレアはどきりとして、慌てて目線を逸らそうとした。が、それよりもエルトンの指がクレアの顎を掴んで、上向かせたまま離さない。
キラキラと輝いて見える整った顔立ちと、正面から顔を突き合わせることになってしまい、クレアは視線のやり場に困った。
どくん、どくん、と脈打つ心臓の鼓動がうるさい。
「あ、あの……?」
「もう一度、聞きますが。どうして、私と目を合わせようとしないんです」
「そ、そういうわけじゃ……あっ、んん!」
キスで口を塞がれた。口内を貪られ、とどめに舌をちゅっと吸われると、それだけで腰が砕けてしまいそうになる。
一旦、唇を離したエルトンは、ぽつりと言った。
「……あなたが他の男性に好意を寄せていたことは知っていますよ」
他の男性。そういえば、かつて憧れていた男性がいた。結婚相手に推薦しようとした男性だが、けれど別に好意を寄せていたとまではいかない。
「ええと、あの……」
「――ですが」
「わっ」
抱え上げられたかと思うと、寝台に乗せられて押し倒された。
「今は私を見て下さい。あなたは私のものでしょう」
頭上にあるエルトンの表情は、いつもの澄ました顔とは違い、激しい嫉妬にかられた男性のもので。
――違う。
――今、クレアが見ているのはエルトンだ。
そう伝えなければならないのに、気恥ずかしさが勝って口にできない。
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