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第27話 ガーデンクォーツの悲哀6
しおりを挟むそんなわけでイアンは警吏騎士から解放され、今度はアルバータが訴えかけたデイナが虐待されているという件の話になった。しかし、そのデイナの姿が見えないことを訝しむ警吏騎士にイアンが事情を説明し、警吏騎士は己が関わる領分ではないと理解して立ち去っていった。
マイ、イアン、アルバータ、ベアトリス。デイナの家を後にして、無言で歩く四人が向かった先は、聖石店『クロスリー』であった。マイはカウンターの席、イアンはいつもの定位置に、アルバータとベアトリスは来客用のソファーへと座る。
しばらく、店内には沈黙が下りた。
「……警吏騎士に相談しに行く、なんて私は悠長なことを言っていたのね」
そう沈黙を破ったアルバータの表情は、沈痛なものだ。マイの表情も同様で、溢れ出そうになる涙を必死に堪えながら、マイも口を開いた。
「私がすぐに行動してたら……」
「今日にしようと言ったのは俺だ」
「でも、それに賛同したのは私だよ」
「やめなさい、二人とも。そんなことを言い出したら、これまでデイナの虐待に気付かなかった周囲の人達はどうなるの。きりがないわ。悪いのはあの夫婦。そうでしょう?」
諭すように言うアルバータの言葉に、マイもイアンも沈黙する。
確かにそうだ。それは頭では分かっている。けれど、もっと早く気付いてあげられていたら、助けてあげられていたら、という思いが拭えない。
ずっと、ずっと、母親のために一人で虐待に耐えて。どれだけつらかったことだろう、どれだけ苦しかったことだろう、どれだけ……悲しかったことだろう。
デイナが魔眷属を生み出した経緯については、厳密には分からない。けれど、魔眷属が養父だけでなく、母をも襲っていたということは、大好きだった母のことさえ憎く思うようなことが何かあったのだろう、と思う。
イアンは「くそっ!」と壁をどんっと叩いた。
「虐待の証拠がない以上、教団の権力をもってしてもあの夫婦は裁けない! あの二人だけが、これからものうのうと暮らすのか……!」
「イアン君……」
憤っているのは、悲しいのは、マイだけではない。改めてそう気付く。イアンもアルバータも、マイと同じように己の無力さを感じているに違いない。
アルバータはその瞳を悲しげに揺らした。
「救いようのない話だけど……話を聞く限りじゃ、コーリーと一緒に逝けたのが唯一の救いかもしれないわね。今頃、二人で天国にいるんじゃないかしら」
「そう、ですね……」
「私、仕事があるから帰るわ。行くわよ、ベアトリス」
そう言って、アルバータとベアトリスはソファーから立ち上がった。ベアトリスの手を引いて扉の前まで歩いたアルバータは、そこで足を止めて振り返る。
「二人とも、あんまり気を落とさないで……と言っても無理かもしれないけど。あなた達はよく頑張ったわ。それもたった一人の客のために。同じ接客業の先輩として尊敬するくらい。後は……あの夫婦に天罰が下ることを信じましょう。じゃあね」
そうしてアルバータはベアトリスとともに店を出て行った。アルバータも気落ちしているだろうに、それでもマイ達に心を砕いてくれるようなところは、以前会った時と変わらない。かつてエイベルがいい女だと評した理由が分かる。
それからほどなくして、イアンも「俺も帰る」と口を開いた。
「この件を上層部に報告しなくちゃな」
「そっか……またね」
イアンまでいなくなってしまうのは寂しかったが、イアンにも仕事がある。マイは引き止めたりはしなかった。
「って、待って、上着……あ、ダメだ。内側に血が付いてる。ごめん、洗って返すね」
「分かった。まあ、もう二着あるから急がなくてもいい」
そう応えて扉の前まで進んだイアンだったが、彼もまたそこで足を止めて。
「……上手く言えないが、あまり思い詰めるなよ。アルバータさんの言う通り、お前はよく頑張った。今回のことは運が悪かった……じゃ、片付けられないよな。それでも」
「死を乗り越えて前を向く、だっけ」
「覚えていたか。そうだ、そうするしかない。どんなにつらくても、どんなに心が折れそうでも。……じゃあまた明日」
イアンはそう言って店を出て行った。不器用ながらマイのことを慮ってくれる、その優しさは嬉しい。対して自分は、二人に慰めの言葉一つかけられなかったことが情けない。
イアンの背中を見送ってから、マイは店に鍵をかけて二階へ上がった。そして寝台に横になって布団を頭から被る。
気を落とすな。思い詰めるな。
頭ではそうするべきだと分かっていても、心はそう簡単に割り切れないものだ。
(デイナちゃん、コーリーちゃん……助けてあげられなくてごめん、ごめんね…っ……)
ずっと堪えていた涙が溢れ出し、マイはデイナの壊れた聖石ペンダントを握り締めながら、布団の中で静かに泣いた。
……風の噂によれば。
それから三日後の夜中、デイナの家――部屋といった方が正しいだろうか――が、火事で燃えたという。部屋の中には二つの遺体、デイナの母と養父が見つかり、デイナの養父の腹部には包丁が突き刺さっていたらしい。
よって警吏騎士は、デイナの母による無理心中だと結論付けた。
アルバータが言っていた通り、天罰が下ったのだと言えるかもしれない。けれど。
「……なんか、いい気味だとは思えないね。後味が悪いっていうか」
「そうだな……」
マイの感想にイアンも同意を示す。
聖石店『クロスリー』。マイはいつものようにカウンターの席に座っており、イアンも定位置に腕を組んで立っている。客が来店する気配は残念ながらない。とはいえ、まだデイナの一件から完全に立ち直れたわけではないマイにとっては、それがありがたかった。
マイはそっと目を伏せる。
「私のせい、なのかな……」
「どうしてそう思う」
「だって、デイナちゃんのお母さんに人殺し同然とか言っちゃったし……それで思い詰めて無理心中したんじゃないかなって。だとしたら私も、あの夫婦と同じだよね……」
言葉にだって相手を死に追い詰めるほどの力がある。言わば、言葉の暴力だ。彼らがデイナを追い詰めていたように、マイもデイナの母を追い詰めてしまったのではないか。
そんな罪悪感に駆られるマイに、イアンはきっぱりと否定した。
「お前とあの夫婦は違う。絶対に、だ。だいたい、お前が言わなかったら俺が言っていたところだ」
「でも……」
「あの母親はデイナが死んでようやく目を覚ましたんだろう。そして、夫のことを許せなくなり、自分が見て見ぬふりをしていたことの罪悪感にも耐え切れなくなった。だから、無理心中した。そんなところだと俺は思うが」
「そう、かな……」
「まあ、母親の心の内は今となっては分からない。分かっているのは、あの男が救いようのないクズだったってことくらいだな」
確かにそれは間違いない。きっと、デイナの養父は地獄に落ちただろう。
(デイナちゃんとコーリーちゃんは、天国に行ったよね……)
マイは店の窓から青く澄みきった空を見上げる。
もし、来世があるとしたら。そうしたら、今度こそ幸せになってほしい。
――どうか、安らかに。
そして、それから数十年後。
それまで子宝に恵まれなかった老夫婦の下に、一人の赤ん坊が生まれる。その赤ん坊は女の子で、不思議なことに前世の記憶を持っていたという。
前世の名は『デイナ』。眷属の子竜に『コーリー』と名付けて可愛がる彼女は、老夫婦からの愛情を一心に受け、すくすくと成長した。
そうして大人になった彼女は、心優しい伴侶を得て、老夫婦に恩返しをしつつ幸せな生涯を送ったとか――。
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