貴方なんて冗談じゃありません! 婚約破棄から始まる入れ替わり物語

立風花

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らしくして下さい!

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 レナート王子を名乗る『私』に向かって手を伸ばす。透けるような肌に指が触れると、自分で触れるのとは違う愛しくなるような感触がした。
 ごめんなさい。そう心の中で呟いてから捩じり上げると、『私』が小さな悲鳴を上げる。

「――っ! にゃん、ひゃめるんだ!」

 体から力が抜けて、思わず天井を仰ぐ。

「『私』も痛いって事は、『私』の中に本当にレナート王子がいるのですね」

 胸の中にあった『私』に対する複雑な感情が、小さな音を立てて弾ける。
 やっぱり、『私』の中にいるのはレナート王子……。分り切った事なのに、私は何故『私』が誰であるかを不安に思っていたのだろうか。
 指から逃れた『私』が、レナート王子の口調で非難の声を上げる。
 
「何故、私で試すのかな? やるなら自分の頬にしてもらいたいな」
「一番初めに試しました。それで、自分はレナート王子と実感したんです。でも、『私』の方はずっと分からなかった。レナート王子がいるのか、いないのか。不安なのか、怖い気持ちなのか分からないけど、心の奥で何かが引っかかってた。だから、『私』の体で実感したかったんです。……一応、謝ります。ごめんなさい」

 頭を下げると、頭上で小さく『私』が笑う気配がした。

「それで、君は中にいる『私』を実感できた?」

 顔を上げると肩に落ちた長い前髪をくるりと指で遊ぶ。
 不安のような感情は、今はもう消えている。代わりに胸を満たしたこの感情は、一体何と呼ぶべきなのだろうか。
 私はレナート王子で、レナート王子が『私』。
 安堵……? 小さく首を振る。最悪なのに、そんな訳ない。存在がはっきりして、心が一区切りついただけだ。

 視線の端で、『私』が手を伸ばす。頬に柔らかな指が触れて、同時に軽い痛みが走る。

「いふゃい。ひゃめてださい」

 頬を捩じられながら、楽し気な『私』に抗議の声をあげる。

「私も痛がる自分をみて実感したよ。お互いにこの現実を受け容れられて良かった」

 普段は控えめで優しいのに、昔から時折レナート王子は意地悪だ。満足気に頷く私から身を引いて逃れると、柔らかな弧を描く紺青の瞳と視線が重なった。
 今更だけど、私はレナート王子の中身として自分の名を告げていなかった事に気づく

「あの、私はリ――」
「わざわざ言わなくても分る」

 レナート王子である『私』が、穏やかな笑顔のままでぴしゃりと言葉を遮る。

「そうですよね。私が貴方なら、貴方が私に決まってますよね」
「君が私で、私が君。そんなのは当然だろう?」

 当然と言い切るレナート王子には、自分が誰かと思う不安はなかったみたいだ。
 一体私は、何をあんなに気にしていたのだろう。

 苦笑いを返すと、鼻で笑われる。嫌な感じの笑いもレナート王子である『私』だと、優雅さと気品が損なわれない。不満げな私の視線の先で、レナート王子の訳知り顔で頷く。

「予想もしてたけれど、君が入ってきたら一目でわかったよ。リーリアはがさつだからね。とりあえず、後ろ手で扉を閉めるのは、人前では絶対に辞めてくれないかな?」

 思わず頬が引き攣る。

「あれは、焦っていたんです。私、頑張ってますよ? レナート王子に見えるように歩幅だって大きくしてるし、言葉遣いだって気を付けてます。胸だって男らしくしっかりと張って……」
「張っては駄目だろう?」

 言葉の途中で、『私』の細い指をいきなり突きつけられる。

「胸を張ると下品になる。頭の上に糸があると思って、引っ張られる感じで首を伸ばす。ナディルに習わなかった?」
「そういえば、習いました……」
 
 慌てて姿勢を正す。頭上に糸をイメージすると、首がぐっと伸びて体全体がまっすぐする。
 ナディル先生は確か、お腹に少し力を入れてとも言っていた。この方が一回り体が大きく綺麗に見えるのだ。
 『私』であるレナート王子が、柔らかな手つきで手を叩く。
 
「ほら、できるじゃないか。言葉と動きにはもっと気を付けて欲しいな。私が築きあげた王子らしさが、崩壊してしまう」

 『私』のしたり顔に、何だか少し苛っとする。
 今日一日どれだけ私が気を配ったと思っているのだ。大体、私がレナート王子らしくないというならば、レナート王子だって『私』らしくない。

「だ、だったら、レナート王子も私らしくしてください! なんですか、その変な気品とか艶やかさは? はっきり言って、『私』じゃないみたいで気持ち悪いです!!」

 『私』が悪びれた風もなく肩を竦めて、紺青の髪を優雅な手つきで指で梳く。

「大丈夫。ほら、胸元のリボンが微妙に捩じれているだろう? リーリアらしいと思わないかい?」
「私、そんな子供みたいな失敗しません」

 微妙に均等じゃないリボンに頬を膨らませる。

「してたよ。大体三度に一度は、君のリボンは曲がっていた。リーリアは元が良いのにさつで損をしていたからね。私が君だと、本当の良さが引き立つかもしれないよ?」

 澄ました顔で『私』がお上品に微笑む。見た事もない美女っぽさに、落ち着かない気持ちが込み上げる。

「嫌です! それじゃあ『私』ではないです。なんだか、見ていると体中がむず痒くなりそうです。いいですか、私は……私はもっと『こざる』っぽくしてください!」

 真剣な顔で訴えかけたら、『私』の姿でレナート王子が吹き出した。

「リーリア。君って……どうしてそうなのかな? 自分で自分を『こざる』ってさ。それでいいの?」

 口元を抑えて苦しそうに顔を背けて笑う。こんな仕草は『私』になっても、レナート王子は昔とちっとも変わらない。

「いいです。思いっきりがさつにして下さい。その方が、私の苦痛が和らぎます」
「じゃあ、遠慮なく」

 『私』が気持ちよさそうに手足を伸ばしてから、布団の中でレナート王子が部屋でするように片膝を立てる。
 気楽な様子に、凄く不公平な気がしてきた。
 業とらしく大きなため息を吐くと、私はレナート王子に聞くべき事を口にする。

「国王陛下の書類の事で、伺いたことがあります。要検討の書類の決裁に迷っていす。『リーヴァの港湾工事』『キュールの教会の改修』『西の公路の再整備』、これらはどうしたらいいですか?」

 『私』が表情を引き締めて、軽く握った拳で口元を叩きながら考え込む。

「『キュールの教会の改修』は、ただの教会の我儘だから不承認だね。『リーヴァの港湾工事』は、費用の部分が今のままでは折り合いがつかない。縮小を指示して差戻し審議をさせるといいよ。『西の公路の再整備』は、先延ばしにしても領民が苦しむだけだ。文句は言われると思うけど、承認しておいて」

 書類を持ってきていないのに、レナート王子がすらすらと答えを口にする。
 グレゴーリ公爵はレナート王子は提案しないと言ってたけど、私が知る通りレナート王子は自分の考えを正しくきちんと持っていた。
 安堵すると同時に、何故と怒りが込み上げる。

「大馬鹿! レナート王子は大馬鹿です」

 絶対言ってやろうと思っていた言葉を口にすると、『私』の眉を寄せてレナート王子が不思議そうに紺青の瞳で私を見る。
 堰を切ったように言葉が溢れて止まらなくなった。

「グレゴーリ公爵とか『旧国派』の人とか、レナート王子の未来をたくさんの人が心配しています。私が大っ嫌いでもいい。だけど、何故あんなに馬鹿な書類を承認したんですか? 『教会派』だけを遇していては、セラフィン王国が立ち行かなくなるのが分からない訳じゃないでしょう?」

 『私』の中で、レナート王子が厳しい眼差しになってすっと目を細める。

「リーリア。書類の決裁に戸惑う君に、私のしようとする事の何が分かるのかな?」
「わかりません。でも、今押し通そうとしている事が間違っているのは分かります」

 まっすぐに見つめて告げると、レナート王子が忌々し気に舌打ちをする。

「おかしな事は考えないでね、リーリア。今の君は私なんだ。ならば私として、私のする事を粛々と続けるべきだ」

 私のする事? それは過った道を歩み続けて、私自身を処刑しろという事か。
 込み上げる怒りに身を乗り出して、レナート王子の体の側に思いっきり手を叩きつける。

「お断りします! 私は私の自由にします。貴方の姿で過った道を正して、私は『私』を救います」

 吐息が届くほど近くなった『私』の瞳を睨みつけると、受けて立つような不遜な眼差しを『私』が返す。

「君が自分を救う必要はない」

 レナート王子が『私』の声で、冷たく言葉を否定する。
 救う必要はない? 救わなければ、『私』は処刑されてしまう。レナート王子が『私』の中でどうなるのか分からないし、私にも帰るところはなくなる。
 厳しい現実を、レナート王子はどれだけ理解して言っているのか。 

「お断りします。私がやらなきゃ誰がやるんです! レナート王子は、今は『私』なんですよ。囚われの身で何ができるんですか? もう、私のする事は婚約破棄の代償とでも思って諦めて下さい」

 私の胸をレナート王子である『私』の小さな手が軽く押す。僅かに身が遠ざかると、『私』の胸元からチェーンの先にぶら下がる指輪が掲げられた。

「私も同じ意味を持つ指輪を持っているよ。だから、これが何を意味するのか分かっている」

 『剣と氷』が描かれたデュリオ王子の指輪が、紫の眼差しと紺青の眼差しの間で揺れる。

「そ、それは、念のために渡されただけです。深い意味なんてありません」
「デュリオが、そう言ったのかな? 彼らしいけど真に受けたらいけないよ、リーリア。これは本当に大事なものなんだ。念のためなんて言葉で渡せるものじゃない」

 王子の紋が記された指輪は、初めは世界に一つしかない。それが、二つになるのは妻を迎える時だ。王子以外の者が紋の入った指輪を持てば、誰だって一つの意味を見出す。

 黙り込んだ私を、硝子みたいに感情のない『私』の瞳がじっと見つめる。

「君が何かをしなくても、この指輪があれば処刑は回避できるだろう。おかしな真似はする必要はない」
「返して下さい」

 指輪を取り返そうと手を伸ばすと、『私』が届かないように身を引く。咄嗟の動きに慣れない体がバランスを崩して、『私』の肩に顔を乗せるように倒れ込む。

「リーリア、君はデュリオが好きだった。デュリオだって、最後には君への思いに気づいていた」

 耳元を擽るように囁かれた言葉に首を振る。

「知りません。そんな訳ないです。だって、デュリオ王子は来なかった。あの日、あの外苑にいたのは貴方で……」

 婚約を受けるか迷っていたあの日、私はデュリオ王子を外苑に呼び出した。
 初恋に答えが欲しかった訳じゃない。デュリオ王子が、友としてしか私を見ていないのは知っていた。
 私を思わないデュリオ王子と、私を思うレナート王子。私が思うデュリオ王子と、私が思わないレナート王子。そして、派閥と未来への布石。
 心は迷すぎてもう滅茶苦茶で、私はただデュリオに会いたかった。私の心が何処へ動くのか、会えば確かめられる気がしていたからだ。

 レナート王子が私の腰を抱く。

「そうだね。あの日は、私が先に外苑にいて君を求めてしまった」

 姿が見えないと、声だけだと、私は『私』が分からなくなる。ここにいるのは、私とレナート王子。ただ二人だけ。

「あの日、あんな偶然は起きるべきじゃなかった。私じゃなくて……デュリオと君が出会っていたら、こんな事にはならなかったのに」

 後悔を滲ませた声に唇を噛む。
 腰を抱く私の細い手が、私の手をとったレナート王子の震える手を思い出させる。
 私は確かにあの日選んだのだ。この弱い手が私を求めるのなら、私はそれに答えると。

「大馬鹿! レナート王子の大馬鹿! そして、裏切者!」

 私と『私』。どちらが誰であるかを忘れて体を押すと、か細い私の体がベッドに倒れ込む。
 紺青の髪がシーツに緩やかな弧を描く。見下ろした『私』の瞳が、悲しげに私を見上げる。

「リーリア、何もしなくていい。ただ、静かに待っていれば、デュリオが君をここから救い出す。私はそれを邪魔しない」
「やめてください。『私』にデュリオ王子を利用させないで。その指輪は念のために渡してくれたんです。そんな理由はないんです。私はその方法で答えを出したくなんてない」

 『私』の細い指が私の頬を優しく撫でて、『自分』の顔がくしゃりと歪んだ。
 
「泣かないで」
「泣かないで下さい」

 二つの声が重なる。
 泣きそうなのはどちらなのだろう。

 弾かれる様に体を起こして離れると、私は逃げるように身を翻す。

「私は、昔の夢をまだ覚えています。だから、私の思った通りに動きます。それが貴方の思い通りじゃなくても、婚約破棄の代償か、天罰だとでも思って諦めて下さい。今夜はこれで帰ります」

 扉に手を掛けた私の背中を、『私』の感情のこもらない声が追う。

「おやすみ、リーリア」

 無言で部屋の外に出ると、グレゴーリ公爵が仔細を尋ねる眼差しをすぐに向けてきた。
 私はゆっくりと首を振る。

「リーリアは、まだ少し混乱しているようです。誰も近づけずに、一人にしておいてあげて下さい。特にデュリオ王子との接触は禁じます。今は無理を願って、余計な騒ぎを引き起こす可能性があります」

 少し考えた後、グレゴーリ公爵が頷いて一礼する。
 連絡を密に取る事を約束して別れると、私は真っ直ぐ自分の部屋を目指す。

 長くて短い一日が漸く終わろうとしていた。廊下から見た月は昨日よりも僅かに明るいのにまだ細く、今にも凍えそうに見えた。

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