貴方なんて冗談じゃありません! 婚約破棄から始まる入れ替わり物語

立風花

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処刑二日前になりました!

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 人のいない早朝の中庭を、ジャンを伴なって執務室に向かって歩く。
 今日の空は重い雲に覆われて、今にも泣き出しそうだ。憂鬱な気分で、たんこぶの出来た額をそっと撫でる。

「小さい湯浴み場はないんでしょうか……。扉から一、二歩で浴槽に辿り着けて、ささっと入って、ささっと出られるような」

 昨晩、私は着替え以上の難問を抱える事になった。それが『湯浴み』だ。着替えだって儘ならないのに、全部脱いでお湯につかるとか無理難題過ぎる。
 目をつぶって挑戦したら、見事に転んだ。はっきり言ってもう二度とやらない。絶対無理。
 今回はたんこぶで済んだけど、一つ間違えば『私』の処刑の前に私が死んでしまう。

「では、体調が悪い時の小さな湯浴み場をお使いになりますか?」

 ジャンの言葉に目を瞬く。レナート王子の所有するいくつもの部屋に、もう一つ湯浴み場があるとは知らなかった。必死に首を縦に振ると、ジャンが苦笑いを浮かべる。

「湯浴みがお好きな方も、転んだら懲りてしまうんですね」
 
 ジャンは私が湯浴み場ではしゃいで転んだのだと思っている。レナート王子が知ったらかなり怒りそうだけど、ささやかな代償という事にしておこう。
 でも、痛いのは私。微妙に納得がいかない。大体、私ばかりいろいろな事で苦労して思い悩んで……。……。
 私ばっかり? あれ、私の体はレナート王子。 レナート王子の体は……。

「あっ……。えっ? えっ? ちょっと……」

 気付いた途端に居てもたってもいられなくなって、西棟に向かおうと身を翻す。でも、何て聞くのだと考えてて執務室へとまた身を翻す。
 聞きたい衝動と聞きたくない恐れが頭の中で行ったり来たりして、足を止めて振り返るを何度も繰り返す。
 明らかに挙動不審になった私を止めるように、ジャンが私の前に回り込む。

「レナート王子、どうかなさったのですか? 何かお心を煩わせる事が?」

 レナート王子の大きな手で、私はジャンの肩を縋るように掴む。

「あの、わた、リーリアは……湯浴みや着替えをどうしているのでしょうか?」

 昨日の私は、真新しい罪人の黒いドレスを着て、肌や髪もしっかりと手入れされていた。一昨日のずぶ濡れで、汚れた姿の名残は一切なかった。
 突然の問いかけに、目を白黒させながらジャンが答えを口にする。

「お待ちしている間、警護の者と世間話をしておりました。確かリーリア様は誰も寄せ付けず、着替えも湯浴みも全てお一人でなさっていると……」
「――!!!」

 両手で顔を覆って、嫌々するように体をよじる。本当は今すぐ叫びたいけど、それは何とか堪える。
 羞恥というか、怒りというか、『きゃーーーーー』としか言い表せない感情が私の中を駆け巡る。

「レナート王子?」
「――!!!」

 正直、今すぐ西棟に言って色々注意をしたい。でも、レナート王子は何でもない顔で、『気にならないよ』とか絶対言うだろう。嫁ぎ先がなくなると言えば、『デュリオがいるから大丈夫』ときっとまた言い出す。

 今の私達は会ったって、一つ良い事なんてない。色々なものを振り払うべく、頭を強く振る。とりあえず、一回すべて忘れる。都合が悪い事は、気付かなかった振りだ。
 大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、痛々しげな眼差しを向けるジャンに笑いかける。

「すみません。もう平気です。気になる事があって取り乱しました」
「そうですか……。リーリア様の事が、取り乱される程心配なのですね」

 何か大きな勘違いをされた気がするけど、訂正して藪蛇になるのは嫌だからそっとしておく。

 執務室につくと、昨日と同じように決済が必要な書類に印を押す。ジャンが仕分けてくれたのと、要確認の書類がないお陰で、王子としての最低限の仕事が予想より早く片付いた。
 書類を机で整えながらジャンが私に尋ねる。

「レナート王子。ストラーダ枢機卿との時間まで余裕がございます。グリージャ皇国の王族クリス・ニアンテ大公とお会いになってみませんか?」

 外見は天使の狡い大人の笑顔が頭を過ぎる。クリスはグリージャ皇国の支援をレナート王子と取引したいと言っていたが、今すぐに対応できる余裕はない。
 
「何かあったのですか?」

 設定されている拝謁の予定は、処刑の日の五日後。ジャンは時間がないのを十分理解しているから、早める事を提案するなら相応の理由がある筈だ。

「はい。レナート王子をお迎えに上がる時、中庭でニアンテ大公とお会いしたんです。気になる事をその際に仰っていたので」

 正妃様と縁があるクリスは、北棟の来賓室に滞在中となっている。中庭で散歩する事はあるだろう。
 だけど、今ですら朝と呼べる時間帯だ。私を迎えに来るジャンと会ったなら、それは明け方に近い。
 訝しむ私の表情に、ジャンが苦笑いを浮かべて頷く。

「偶然ということはないので、お待ちになっていたのだと思います。ニアンテ大公は『旧国派とは会えずとも、他国の王族と会うのは容易いでしょう』と仰いました。そして、『今日は一日中、西棟で美術書を読んでおります』とも」

 謁見が成立しない嫌味ともとれるが、待ち伏せしてたならちゃんと深読みするべきだろう。

「ジャン、『旧国派』が酷く立腹しているのは聞いています。しかし、私の所には訴状が一つも届いていません。何故なのでしょう?」
「確かに、一枚もないのは妙ですね。補佐のストラーダ枢機卿が握りつぶしているのかもしれません」

 ストラーダ枢機卿はお父様と同世代で、教会の役職は教会長に次ぐ枢機卿。高い実務力と若い頃には宮廷を騒がせた容姿で『教会派』では一際目立つ人物である。
 派閥を問わず『信頼がおける』と言われていた人だから、対立はとても残念だった。

「いかがされますか?」

 クリスの言葉は、握りつぶされている『旧国派』の書状を、自分なら届けられるという意味だろう。そして、今日一日はいつもでも呼び出して構わないという事だ。

「お会いします。謁見室の用意をお願いします」

 一礼したジャンが準備に向かうと、私は椅子の背に体を預けてぼやく。

「クリス様は狡い」

 善意の橋渡しに見える行動だけど、クリスには3つの利点がある。一つは、面会が大幅に早まる事。一つは、謁見が国王陛下ではなくレナート王子となる事。最後は、『教会派』『旧国派』どの出方でもレナート王子と関係が対応次第で構築できる事。
 乗せられるのは少し悔しい。だけど、今は一つの可能性も潰すわけにはいかない。

 グリージャ王国の幾つかの資料に目を通し終えて扉に向かうと、控えめなノックの音が響く。出ようとしていた所だったから、自ら扉を開ける。

 扉の向こうから、稲穂色の愛らしい瞳が上目遣いに私を見る。綺麗に巻いた縦ロールが、小さく首を傾げて愛らしく揺れる。

「ごきげんよう、グレゴーリ公爵令嬢。お部屋をお間違えになったのですか?」

 東棟には官吏の執務室が多く並ぶ。あまり使われていないようだが、騎士団の役職者の部屋もある。
 愛らしく微笑んだジュリアが、ドレスの端を摘まんで見惚れような優雅な礼を返す。

「ごきげんよう、レナート王子。間違えておりません。お父様の命で参上いたしましたの。お人払いいただけますか?」

 珍しくジュリアはお供の者を連れていない。昨日の件で何かあったのかと思って、僅かに身をずらしてジュリアを室内に招く。

「丁度、従者は不在です。これから人と会う用事があります。時間がかかる要件ならば、歩きながらにさせてください」

 兎の耳のような縦ロールを揺らして、ジュリアが花が綻ぶような笑顔を浮かべる。

「いいえ。すぐに済みますわ」

 滑るように室内に足を踏み入れたジュリアが音もなく扉を閉める。くるりとドレスの裾を揺らして愛らしく身を翻して、表情が一変する。

「グレゴーリ公爵令嬢?」

 引き結んだ唇と冷たく射る様な眼差し。私に向けるのとそっくり同じで、自分がリーリアに戻ったのかと慌てて体を確認する。残念ながらレナート王子のままで、落胆してからジュリアを見る。
  
「お父様からの伝言は嘘ですわ。臣下である公爵家の一令嬢が、第一王子レナート様に嘘を付いた事は、心からお詫びいたします」

 そう言ったジュリアが、再び深く一礼する。でも、顔を上げたジュリアの表情は厳しいまま変わりはなかった。
 ジュリアは良くも悪くも、王都の貴族令嬢らしい子だ。男性に対しては、女性らしい仕草と笑顔を崩す事がない。王妃を目指していたから、レナート王子への対応は特に顕著だった。

「何故、嘘を?」
「お伺いした事とお話したい事があったからです。まず、最初は田舎娘のリーリア、次は聖女様とはいえ庶民のソフィア。何故、貴方様はわたくしを選ばなかったのですか?」
 
 自分を婚約者にしない理由を、一国の王子に直接聞くなんて! とんでもない質問に私は唖然とする。
 答えられる事でもないから、どうするかを考え込むうちに一つだけ尋ねてみたい気分になる。

「グレゴーリ公爵令嬢、君はリーリアを嫌っていたね。旧国の事も嫌っていた。庶民も嫌いなの?」

 『私』とジュリアも、歩み寄れそうな機会は何度かあったけど、ことごとく拒否されてきた。でも、友達になりたい気持ちはまだ変わっていない。
 白い頬を人差し指で軽く叩いたジュリアが答えを口にする。

「昔は、お爺様が可哀そうだから旧国の方が嫌いと思っておりましたわ。でも、今は嫌いではありません。周囲が『教会派』ばかりなので、『旧国派』が寄ってこないだけです。お茶に誘われれば喜んで伺いましてよ」

 嫌いじゃない? 『派閥』が違えば交流する機会はないから、変わっていても気づけない可能性はある。でも、ついこないだも私は嫌がらせを受けたばかりだ。嘘か本当かの判断は難しい。
 お爺様が可哀そうだから、いまいちわからないその理由を先に問う。

「お爺様が可哀想というのは?」
「まぁ、次の国王なのにお分かりになりませんの? 先先代の国王様が旧国を認めた。それをわたくしのお爺様は、亡くなるまで毎日のように嘆いておりましたわ」

 何故、ジュリアのお爺様が嘆くのだろう? 
 セラフィンと一つになった旧国には、『教会派』の由来でもある教会がたくさん建てられた。元々のセラフィン貴族は神官として派遣され、喜捨と言う名の税を自由にする権利を持っていた。神官は指名制だったから地位は長く独占され、元々のセラフィン貴族は多くの利を得た筈だ。

「嘆いたのは、旧国ではないのですか?」

 一方で旧国の民はセラフィン王国への租税、自分の住まう旧国の租税、喜捨。三つの税に長く苦しんできた。それを変えたのは、先々代の国王の旧国をセラフィン王国の民と認める宣言だ。
 租税は一つに統一されて、旧国の優秀な人材が国政に関わるようになった。喜捨も上限が徐々に引き下げられて、旧国の領地は生活の苦しさから漸く解放された。

 栗色の縦ロールを軽く手で払って、ジュリアが一段と冷たい眼差しで私を見る。

「間違ってはおりません。でも、それは『旧国派』の目です。『教会派』には別の目もございますの。グレゴーリ公爵家は代々騎士の家系で、激しい争いの中で常に最前線に立ちましたわ。お爺様のお爺様は戦いで散りました。セラフィンの為に戦った者が、セラフィンに抵抗した者と同じであっていいのか。それがお爺様の口癖です」

 ずっと昔、ナディル先生が言った言葉が頭に浮かぶ。
 『旧国が嫌いな人にも、嫌いな理由があります。理由は酷く理不尽な事もありますし、誰かにとって意味がある事もあります』
 失う痛みに『旧国派』『教会派』の差はないという事なのか。
 ジュリアが幼い頃に向けた敵意の意味。それが一つ解ける。

「グレゴーリ公爵令嬢。わかりました。でも、痛みは引きずり続けるべきじゃない。そうは思わなかったのですか?」

 ジュリアが小首を傾げて、一瞬眼差しを落とす。

「昔は、思えませんでした。『旧国』は貴族の下の身分と思っておりましたの。でも、今はわたくしも子供ではありません。多くを学んだうえで、過去に固執する事は無益であり、悲劇を生むだけと理解しております。この国が目指す新しい行く末も、間違っていないと存じておりますわ」

 その言葉にほっと息を吐く。
 見つめ合う稲穂色の瞳は、実直なグレゴーリ公爵と同じ色をしている。言葉に嘘はない気がした。
 ジュリアが『旧国』を嫌っている訳ではない、少しだけ胸が温かくなる。でも、それなら何故舞踏会で、『旧国派』を罵る真似をしたのか。

「舞踏会で騒ぎがあったのは聞いています。あれは何故ですか?」

 僅かに首を振って、ソフィアが小さくため息をつく。

「わたくしはリーリア様を本気で追い落とすつもりでしたの。あの日を逃したら王妃が決まってしまうと焦って、『派閥』の対立まで利用してしまいました。あれで崩れる程『旧国派』の足元は弱く無いとはいえ、流石に少し気が咎めましたわ」

 『旧国派』と『教会派』の対立を煽ったのは私を追い落とす為……。そこまで私が嫌いだったのか、それとも他に理由があるのか。思い当たった言葉を口にするのは、少し勇気が必要だった。

「そこまで望んだのは、私の事を慕ってくださっていたのですか? それともリーリアが嫌いでしたか?」

 稲穂色の瞳がすっと細められて周辺の温度が下がる気がした。

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