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後章

聖女として旅にでましょう!

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 護衛のアランに促されて屋敷の扉を開ける。さっきまで真っ暗だった筈の東の空が、少しだけ色づき始めていた。
 屋敷を出た私に、馬車寄せで持っていた二分隊二十名の騎士の視線が一斉に集まる。朝の清らかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、旅装の短いドレスの端を摘まむ。

「早朝から有難うございます。数日の間、どうぞ宜しくお願い致します」

 一礼して顔をあげると、騎士達が馬の手綱を片手に立礼を返してくれていた。どの顔もどこかで見た事があるのは、旧国派の騎士ばかりだからだろう。何人かは名を知る者もいて、目が合うと笑顔が返ってきた。

 アランの先導で漆黒に金の彩が施された馬車へと向かう。後ろには、同行の侍女が乗る頑丈さが取り柄と言った雰囲気の騎士団の馬車もある。
 二つの馬車を見比べてから、アランに向かって首を傾げる。

「この馬車は、目立ち過ぎではありませんか?」

 貴人が乗ってると宣伝する様な黒塗りの馬車は、今回の旅にはやや不向きである。当初の予定ではもっと、質素なやや高級な程度の馬車だった筈だ。

「直前にカミッラ様より、お預かり致しました。目立たぬ馬車の利点を説いたのですが、存在を知らせる事も今回の仕事と言って、聞き入れて頂けませんでした。安全についてはご安心ください。腕のある騎士が揃っていますから、山賊が来ても盗賊が来てもお守りします」

 頼もしく胸を叩いてアランが安全を保障してくれる。でも、安全以外にも非常に残念な点がある。

「皆さんの腕は信じております。ただ、今回は『魔女』の噂を払拭する旅でもありました。質素な馬車で民衆受けを狙いたかったんです」

 あざといけれど、見た目は大事だ。
 アベッリ公爵が広めた噂の所為で、『魔女』リーリア・ディルーカには浪費家で我儘な印象がついている。質素な馬車で浪費家ではないと宣伝する予定だったのに、こんなに凄い馬車では印象をぬぐい去る事が出来ないだろう。むしろ、浪費家の確信を深めてしまう気すらする。
 何とも言えない表情で馬車と私を見比べて、アランが取り繕うような笑顔を浮かべる。

「噂は、『奇跡』と行動で勝負しましょう。長い旅ですから、乗り心地も大事です。カミッラ様の馬車なら、その点は間違いありません。あぁ、いいお知らせを一つ。馬車にはジュリアを同席させます。宜しいですよね?」

 ジュリアが同席すると聞いて、馬車の見た目に対する気鬱さが一気に吹き飛ぶ。

「勿論! 大歓迎です。長い移動の間、馬車に一人寂しいと思ってたんです」
「そうでしょう。ジュリアは任務中ですが、移動の馬車の中は少しは目こぼししますよ」

 アランがジュリアを手招いて、共に馬車へと乗り込む。御者からすぐに出発の声が掛かって、馬車が滑らかに動き出した。

 カミッラ正妃が用意した馬車は、流石に振動が少ない。美しい車内に据えられた椅子も豪華で柔らかく、我が家で一番の馬車よりもずっと乗り心地が良い。これなら、長い移動でも身体に掛かる負担は少ないだろう。

「これって、カミッラ正妃様なりの配慮なのでしょうか?」

 感心して呟くと、向き合うように座ったジュリアが首を振る。

「ないですわ。あの計算高いカミッラ様ですのよ?お人好しも程ほどになさいませ」

 頬を膨らませたジュリアを見つめる。
 よく知る前のジュリアと、今のジュリアでは私の中で大きく印象が違う。向き合って見なければ分からない事は、世の中には案外多い。
 カミッラ正妃を国王陛下は、高く評価していた。厳しいとため息を吐きながらも、旧国派の大人達は敬意を持っている。向き合えば、カミッラ正妃も新たな一面が見えてくるかもしれない。

「計算高いですが、実は悪い方ではない気がするんです」

 大きなため息を吐いてジュリアが、馬車のカーテンに手を伸ばす。

「リーリア様は素直すぎます。カミッラ様の命令を、お伝えしますわ。王都を出るまでは、馬車から手を振る様にと仰せです。通りを人払いをする騎士達は、『聖女』リーリア様を宣伝する命を受けています。出だしから、利用されている事を忘れないで下さいませ」

 カーテンが引かれると昇り始めた朝の光が、車内に差し込んできた。目を細めて窓へと近づくと、沿道には朝が早いのに人が集まっていた。
 処刑の闘技場に立った時も、ラントに出立するレナート王子の馬に乗った時も、たくさんの視線を感じたけれど、他の事に気持ちがあったり、自分に向けられたものではなかった。

 でも、今日は違う。
 過ぎていく人々に向かってそっと手を振る。レナート王子の出立に比べて人数は少ないけれど、大きな歓声が上がって馬車の中まで届く。

「何だか、どきどきします」
「期待されてるんですわ。ソフィア様も、暫く『奇跡』を起こしておりませんから、第二の『聖女』リーリア様の『奇跡』を楽しみに待っているのです」

 向けられる声に引き寄せられる様に、更に窓に身を寄せる。さっきよりもずっと人の顔が見えるけど、馬車はどんどん進むから邂逅はほんの一瞬だ。それでも、途切れない歓声と過ぎていく手を振る人の姿は、切り取った様に心に残って離れていかない。
 
「期待……。これが、期待されるって事なんですね」

 嬉しいと思うのに、胸が苦しい。不思議な感覚だった。
 手を振れば喜んでくれる人がいると嬉しい、向けられた眼差しに切実な祈りが垣間見えると苦しい。
 切実な瞳をしている人は、時には馬車を追って駆ける事もあった。『聖女』に願いたい何かがあるのだろう。向かう先の村では、同じような眼差しがきっと待っている。
 受けた思いを捕まえるように、膝の上で手を握りしめる。熱い体とは反対に、握った拳は強くなり過ぎて冷たくなっていった。

 王都の郊外まで来ると、漸く歓声と人の姿が消える。ジュリアの手でカーテンが閉じられると、ほっと胸を撫で下ろして、柔らかな馬車の背もたれに体を預ける。
 
「国王陛下も、レナート王子も、デュリオ王子も、こんな風にいつも誰かの期待を背負っているんですね」

 ゆっくりと拳を開いて、手を見つめる。手の平には薄く爪の後が残っていた。
 冷たくなった私の手を取って、ジュリアが微笑む。

「リーリア様……いいえ、リーリア。 馬車の中なら、少し自由にして良いとアランが言ってくださいましたの。だから、少しお友達に戻ってもよろしい? 旅は長いから、楽しくお喋りをいたしましょう」

 『聖女』の責任を感じる私を、元気づけようとしてくれるジュリアの気遣いがとても嬉しい。誰かが側に居て、気持ちに気づいてくれる。それだけで、背負うものが軽くなる気がした。

「ジュリア、何から話しましょうか? そうです、騎士団の様子を教えて下さい? 上手く周囲とやっていますか?」

 ジュリアが得意げに胸をはって、騎士団での活躍を楽しそうに語りだした。

 今回の行程の中で、最初の街までの道のりが一番長い。馬を休ませるための休憩を取りながら、馬車は北へと向かう街道を昼までひたすら走り続ける。
 どこまでも広がる青い空の下を何の問題もなく順調に進んだ馬車は、昼過ぎには最初の村に近い騎士団の駐屯地に辿り着いた。
 そこで昼食をとって、カミッラ正妃の用意した『聖女』のドレスに着替えを済ませる。再び馬車に揺られて一刻を過ぎた頃、窓から畑に囲まれた小さな家々が遠くに見えた。

「あれが最初の村ですか?」
「そうですわ。到着前に準備は終えて下さいませ。夕刻には宿泊地に入りたいんですの。村の滞在はできるだけ短くなさってください」

 ジュリアの言葉に頷くと、馬車の中に持ち込んだ鞄を膝の上に乗せる。中には器の『魔術』を書いた魔石が入れてある。
 水源を作って維持する『魔術』には、処刑の時よりもたくさんの魔力が必要だ。『聖女』の依頼を受けると決めた日から、魔石には細目に魔力を溜めて準備をしてきた。それでも少し不安だったけど、デュリオ王子の協力を取り付けられたから、もう魔力不足の心配はない。

 白のスカーフに包んだ、子供の握りこぶし大の魔石を確認していく。魔力がしっかりと満ちた一つを選ぶ。

「それは何ですの? リーリア……、リーリア様の儀式に使いますの?」

 村が近づいて任務に戻る事を決めたジュリアが、私の名に呼称を付けて尋ねる。
 魔石の事は誰かに聞かれると思っていたから、言い訳はきちんと準備しておいた。不思議そうに瞬かれるジュリアの瞳に向かって、にっこりと余裕の笑顔を浮かべる。

「魔石です。ソフィア様のような巫女の舞も祈りの言葉も私にはありません。代わりに『奇跡』に繋がる品として魔石を用意してきたんです。『聖女』の印象を残す事も、私の今回のお仕事です。祈るだけよりも、道具を使った型があった方が印象的ではありませんか?」

 魔石は器になるので、『魔術』の発現には欠かせない。でも、『魔術』である事を隠すには重要性は伏せておきたいから、なくてもよい品を装っておく。

「型? では、魔石はなくても良いのですね。印象に残るには、雰囲気は確かに大事と思いますわ。ただ、魔石は高価なものですし、少し勿体ない気がしてしまいます」

 一応肯定の返事を返してくれたけど、まだまだジュリアの表情は半分納得が言っていない感じだ。
 この流れも想定済みなので、『魔石』と私の『奇跡』の形を受け容れてもらう為の説明を返す。

「それから、もう一つ意味があるんです。型があると、何事もやりやすくなります。会話もダンスも、何事にも基本の型がありますよね? 『奇跡』も同じです。型を作れば、私の切り替えが容易になって成功率が上がります」

 稲穂色の瞳を何度か瞬いて、ジュリアが今度はしっかりと頷いてくれる。

「確かにマナーや剣術にも型がありますわ。覚えた方が潤滑に動けるのは、私もよく理解しています。魔石はリーリア様にとって、『奇跡』を起こす道具なのですね」
「はい。なくても困らないけれど、大事な道具です」

 納得を得られた事に安堵したのも束の間で、直ぐにジュリアが栗毛色の髪を右へ左と揺らして首をひねる。万端のつもりだった説明に不備があったかと、浮かべた笑顔の裏側で私は大慌てする。

「気になる事がありましたか、ジュリア?」

 バラ色の唇の横に人差し指を添えて悩むジュリアはとても愛らしい。

「『奇跡』って、何なのでしょう? 見た事はないけれど、ソフィア様は祈りの言葉を口にされると聞いております。リーリア様は魔石を使って、型をご自分で作って祈る。『奇跡』が特別なのは、分かっておりますわ。でも、祈る以外は使用者の自由なんて、一様に同じ手順のある魔法と比べて不思議ですの」

 正確には、私は祈るのではなく『魔術』だから発動するになる。でも、そこは口に出して訂正できない。
 曖昧に頷くに留めると、ジュリアがちょっと残念そうに肩を落とす。

「『奇跡』の秘密が、簡単に解ける訳ありませんわよね。でも、せっかくリーリア様の『奇跡』を近くで見るのだから、次はソフィア様の『奇跡』を近くで見て比べてみたいですわ。秘密の欠片ぐらいい見つかるかもしれませんでしょう?」

 『奇跡』を見比べる。その発想は私には無かった。
 今、私が知る『奇跡』は二つある。
 一つはソフィアの起こす『奇跡』。もう一つは、『祭祀』と呼ばれる国王だけが起こせる宝剣の『奇跡』。
 私は『奇跡』は特別だから、同じものは二つとないと思って関連など考えた事もなかった。でも、簡単な力じゃないからこそ、別の力である可能性もまた低いかもしれない。

「ねぇ、ジュリア。ソフィア様の『奇跡』は見た事がないと言ったけど、教会派の中で情報は流れていない? 私は簡単な噂でしか知らないから、知っているなら詳しく聞いてみたい」

 私が知るソフィアの『奇跡』は噂されている三つ。どれも、伝聞で情報が凄く少ない。
 最初は、半年前の式典でレナート王子に舞を披露した後に、転倒して怪我をした子供を癒した。
 二度目はシャンデラの近くで村で、枯れた井戸に美しい水を蘇らせた。
 三度目は、大修道院の朽ちた花を、再び美しく咲かせてみせた。

 何処でどんな結果が得られたかは分かっているけれど、どんな風に何をしたかの情報はない。
 噂と自分の知る話を比べて暫く考え込んだ後、ジュリアがゆっくりと首を振る。

「お役に立てる話はない気がしますわ。舞いを舞って祈りの言葉を口にされたという事は聞いておりますが、他は噂とあまり違いがありませんの」
「ソフィアの『奇跡』は、全てシャンデラ周辺で起こされていますよね。シャンデラ滞在中に、実際に見た方とお会いできるでしょうか?」

 これからシャンデラに向かうから、『奇跡』の場にいた人に会うなら丁度よい。
 再び記憶をたどってジュリアが考え込む。

「……観衆の多い最初の『奇跡』より、後の二つの教会派が確認の為に行った『奇跡』を当たった方が見つかるかも知れませんわ。ストラーダ枢機卿とレナート王子が同席したと聞いた気がします。同席するなら、シャンデラの上流貴族だと思いますの」
「レナート王子? ストラーダ枢機卿と一緒だったんですか? どうしても見つからなかったら、レナート王子に尋ねる手もあるんですね」

 ジュリアが凄く嫌そうに、思いっきり顔を顰める。相変わらず、ジュリアのレナート王子嫌いは継続中みたいだ。

「わたくし、嫌ですわよ? あの馬鹿王子は、嫌いです。しかも、もっと嫌いに今なりましたわ。リーリア様のその反応……レナート王子は立ち会った話を、貴方になさっていないんでしょう?」

 言った後に、ジュリアが言い過ぎたと言う様に口元を抑える。
 今のは、胸の奥が少しだけチクリと痛んだ。ソフィアの『奇跡』への立ち合いは、時期を考えれば私との婚約期間中の事だ。
 最初の『奇跡』の噂が耳に届いて様子を尋ねた時、教会派の中の事だからと言ってレナート王子は何も教えてくれなかった。
 政には口を出さない。レナート王子と婚約した時にお父様と約束した。だから、私はそれ以上は聞く事をしなかった。
 聞かなかったからなのか、あとの二つの『奇跡』に立ち会った事を私は知らされていない。

 過去をどんなに思っても、取り返す事もやり直す事も出来ない。でも、知らない事を知れば、どうしても考えてしまう。
 あの時、求めなかったのが悪かったのだろうか。
 もっと聞いていたら、ソフィアの事を話してくれただろうか。
 そうしたら、私はソフィアの『奇跡』について、今の段階でもっと知れていたかもしれない。
 そうしたら、シャンデラに訪問したレナート王子がソフィアと距離を縮める事にも気付いて――

「村に入りましたわ、リーリア様」

 ジュリアの声と同時に、馬車が少し速度を落としたのが分かった。外から人々のざわめきが聞こえ始めて、次第に大きくなっていく。
 膝の上に置いていた鞄から、スカーフに包んだまま魔石を一つ取り出す。カミッラ正妃からもらったドレスをもう一度確認して、小さく深呼吸を繰り返す。

 扉を開けて表に出たら、私は聖女リーリアだ。
 嘘でも成り行きでも、私にはできることがあって、期待を託されている。
 
 ジュリアが扉に身を寄せて、腰の剣に手を伸ばす。馬車がゆっくりと止まると、騒めきの中に歓声が混じるのが聞こえた。ドアを叩く音と共に、アランが私に声を掛ける。

「『聖女』リーリア様、到着しました。馬車をお降りください」

 ジュリアの伺う視線に頷くと、決めてあった手順通りにドアが開かれる。護衛騎士の中心であるアランが私にエスコートの為の手を差し出す。
 その手に手を乗せてゆっくりと馬車から降りると、『聖女リーリア』という声が周辺から上がった。

 小さな木造の家屋、共同の井戸、端に並んだ大型の農作の道具。王都とは違った長閑な景色を、村の広場の中央から少し懐かしい気持ちで見渡す。
 囲むように配置された騎士の向こうでは、私を窺う様に見つめた村人立ちが息をのむ音が響いた。

 どうしよう……。歓声も戸惑う気がするけれど、沈黙も辛い。

 焦りを表に出さない様に優雅な動き意識して、やや離れた場所に一人跪く男を見る。彼が村の代表者なのだろう。正装ではないけれど、意識した組み合わせは迎えようとする気持ちを感じて好感が持てた。歳月を重ねた皺だらけの顔の中の不安げな瞳と目が合うと、慌てて男が一層深く頭を下げる。

「リーリア様。あの者が村長となります」

 アランが男の名を告げると、紹介を受けた村長が歓迎の言葉を口にする。

「ご来訪を心より歓迎いたします、聖女リーリア様。我が村は王都から近い農村の一つで、王都の食を支える一柱と誇っております。しかし、水源が枯渇しつつあり、存続が危ぶまれる状態です。どうか、『奇跡』で我が村をお救い下さい」

 緊張の為か声を震わせた村長の口上に、見守る村人たちの間にも緊張が走る。
 聖女らしく、聖女らしく。胸の中でそう唱えて、少しソフィアを真似て穏やかに微笑む。

「はい。出来る事を精一杯させて頂くとお約束します」

 まだ結果も出していないのに、その言葉だけで広場が歓声に包まれる。これは絶対に失敗なんてできない。
 
 早速、村長の先導で水源へと案内してもらう。
 水源である泉は、村のすぐ隣の丘にあった。道が細く、木の枝が張り出している場所が多いので、馬車や馬の入れないから、騎士に囲まれて徒歩で進んで行く。

「本当に申し訳ございません。このような場所までご足労頂き……」

 振り返った村長が謝罪の言葉を口にする。村を出てから何か気づくたびに、村長は私に謝罪の言葉を繰り返している。

「大丈夫ですよ。水源は自然に囲まれていて当然です。土と木が水を蓄えるんですから」
「そうですか。あぁ、せっかくの美しいドレスも、土の道ではご不快ですよね。本当に本当に申し訳ありません」
「大丈夫です。気になさらないで下さい。ドレスはこうして裾を上げれば汚れません。私、実は田舎育ちで、山道は得意なんです」
 
 村長が驚いた様な顔で私の顔とドレスを交互に見る。この服装で田舎育ちと言っても、説得力はないかもしれない。

「田舎育ち? リーリア・ディルーカ……いいえ、リーリア・ディルーカ様がですか?」
「はい。そうですよ。ここよりもずっと田舎で、作物も自分で作っていました。だから、水の大切さは良く分かるつもりです」
「あの、お気遣いですよね? 痛み入ります」

 案の定、私の田舎育ちの話は信じて貰えなかった。信じて貰えていないからか、また村長が怯えたように謝罪の言葉を口にする。

「馬で入れたら良かったのですが、枝が邪魔で申し訳――」
「もう、本当に大丈夫です」

 村長の言葉を遮る。本当に謝ってもらう必要なんてない。
 水源への道は、雑草が抜かれていて、周辺の草木も整えられてた。ところどころに新しい土の跡があるのは、歩きやすいようにを土盛って均した為だろう。
 村長の服装、この道の精一杯の整備。この村が私の為に出来る事をしてくれているのは良く分かる。

 人と人の距離を縮めるなら、どうするべきだろう? 
 私と村長は身分の差もあるから、社交界の遠回りの方法よりも思い切った対応をした方が良いのかもしれない。故郷の田舎国アルトゥリアでの人との距離の取り方を思い出して、少し小走りに歩みを進めて村長の隣に並ぶ。

「リーリア様?!」
「この道、私の為に整備をして下さったのでしょう? お気持ちを嬉しく思います。ありがとうございます」

 皺だらけの働き者の手を取って、両手で包んで軽く振る様にして謝意を伝える。
 村長が息をの飲んで、繋がった手を凝視する。

「貴族なのに汚れた手を取って、お礼を言ってくださる。……『魔女』という噂は、やはり嘘なのすね……」

 どうやら、この村にも私の『魔女』の噂は届いていたようだ。緊張や度重なる謝罪は『魔女』で悪女である私が、機嫌を損ねる事を恐れていた所為なのだった。
 
「私は『魔女』などではありません。怯えなくて大丈夫です。もう、謝らないで下さい」

 安心させるように告げると、村長が安堵の息をついて目元を緩める。

「噂を不安に思っていた自分が情けないです。小さな事に目を向けて下さるリーリア様は、間違いなく『聖女』様なのでしょう。あぁ、泉が見えてまいりました。どうか、村を救ってください。聖女リーリア様」

 言葉に促されて前方を見ると、木々の切れ間に水面の青が見えた。
 近づいた泉の様子に、唖然として声を失う。騎士たちも同じ様に声を失っていた。ただ一人ライモンドだけが、皆の心にある言葉を声にした。
 
「酷いですね! これ程、枯れた水源は見た事がない。もうすぐ、泉が消えそうではないですか!」
 
 想像よりも泉の状態はずっと酷い。もはや大きさは泉とも呼べない程に小さい。
 渇いて雑草が顔を出した斜面の縁。その周囲には、大きな木が立ち並んでいる。枯れる前は木の側まで、きっと水で満たされてたのだろう。
 大きな泉であった頃と今の泉とも呼べない状態。一体、何があったらこんな風に突然水源が枯れてしまうのか。
 
 肩を落とした村長が縋る眼差しを私に向ける。

「雨が少なかった訳でもないのに、今年に入ってみるみる水嵩が減ってしまいました。周辺の村でも同じような話があるようですが、うちの村は特に酷いんです。どうか聖女様、泉に『奇跡』を……」

 村長の言葉に頷いて、魔石を手に一歩踏み出す。
 初めての『奇跡』。失敗すれば、すぐにでもこの村は困る事になるだろう。
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