最強の除霊師・上野信次

板倉恭司

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化け猫物語 1

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 そこは、古い木造アパートだった。建物は古く、築ウン十年という雰囲気を醸し出している。二階建てで、階段はトタン屋根に覆われていた。壁は汚れており、得体の知れない染みが付いている。
 そんなアパートの前に、男と女が立っていた。

「先生、いるのでしょうか?」

 不安そうに尋ねた女。年齢は二十代だろうか、スーツ姿で飾り気のない地味な雰囲気である。顔立ちも地味で真面目そうだ。

「ええ、間違いなくいますね。しかし、わからないな。あいつは、何がしたいんだろう」

 答えたのは上野信次である。訝しげな表情で、アパートを覗きこんでいた。

「はい? 何がですか?」

 女も訝しげな表情になる。その問いは「あいつは、何がしたいんだろう」という言葉に向けられたものだろう。上野は苦笑しつつ、目線を彼女に向ける。

「いえ、こっちの話です。正直、本来なら引き受けない案件ですな。しかし、入来くんの紹介とあらば仕方ない。やりましょう」



 翌日の夜、上野はアパートの一室に入った。
 いつものように室内で荷物を広げチェックしていると、唐突に現れた者がいる。
 それは、一匹の三毛猫であった。体は大きいが、痩せこけており肋骨が浮いて見えた。上野を見る目には、あからさまな敵意が感じられる。
 と同時に、部屋の温度が下がったような気がした──
 上野は首を捻る。これまで見てきた霊とは、明らかに違うのだ。ほとんどの霊は、生者に対する羨望と嫉妬と憎しみの感情を抱いている。その感情が、妖気と化して空気を侵食していく。結果、居心地の悪さを感じて住人たちは去っていくのだ。
 この猫からも、憎しみは感じられる。だが、単なる憎しみだけでここまでの妖気を発することが出来るのだろうか。
 まあいい、いずれわかるだろう。上野は、再び荷物をチェックする。
 その途端、またしても空気が変化する。異様なほどの妖気だ。これほど濃いものは久しぶりである。常人なら、呼吸困難になっているだろう。これは、単なる霊の出せるものではない。もはや妖怪に近いレベルである。
 上野は、顔をあげた。三毛猫は、ずっとこちらを睨んでいる。その瞳には、凄まじいまでの憎しみがあった。
 どういうことだろう。人間への憎しみだけで、ここまでのものが出来上がるとは思えない。何か、他に理由があるのか。
 そんなことを考えている間にも、妖気はさらに濃くなっていく。上野を、この部屋から追いだそうという意図によるものであるのは明白だ。並の人間なら、今ごろ気絶しているだろう。
 だが、上野は荷物のチェックを続ける。必要なものが全て入っていたことを確かめると、うんうんと頷く。
 直後、バックパックの中から何かを取り出した。潰れた浮き袋のようである。
 上野は、それに空気を注入した。すると、ビニールは巨大な人形へと変わっていく。大きさは、小柄な女性と同じくらいか。
 次に上野は、スマホをスタンドにセットした。画面を指で操作する。
 数秒後、声が聞こえてきた。

(ハーイ、あたし茶々明美チャチャ アケミ! 今から、みんなにランバダを指導するわよ! これからの時代、ランバダくらい踊れないと恥かくわよ!)

「かくか馬鹿」

 ボソッとした声で突っ込むと、上野はすっと立ち上がった。さらに、人形も立ち上がらせる。そのまま、向き合う形となった。
 やがて、何やら陽気で軽快かつ若干の狂気を感じさせる曲が流れ出した。上野は曲に合わせ、人形を抱き抱えて踊り出す。
 と、明美の声が聞こえてきた──

(そうよ! そこそこ! ああ、いいわ! あなたのパッションが感じられる! パッション! パッションよお!)

 字面だけ見れば勘違いを起こしそうだが、本人は真面目にダンスの指導をしているつもりのようである。
 上野は全く動揺せず、人形を抱え踊り狂っている。
 さらに、明美の声も激しさを増してきた──

(もっとよ! もっと! あなたのパッションをパートナーにぶつけるの! ランバダは、ラブとパッションのダンス! あなたとパートナーは、セクシーの高みに突入するのよ! ああ! 素敵!)

「普通に言えないのか」

 ボソッと突っ込みながらも、上野はダンスを続ける。ビニール人形を抱えて、その場でくるくる回転する。次の瞬間にはピタッと止まり、腰をくねらせ体を密着させていく。
 そんな異様な光景を、三毛猫は憎々しげな目で睨んでいた。



 翌日、上野は八時に目覚める。
 上体を起こし、周りを見回した。その途端、ぞくっとする。重苦しいまでの妖気が、辺りに立ち込めていた。昨日よりも、さらに強くなっている。これは尋常な量ではない。常人には、もはや毒ガスに近いレベルであろう。
 妖気の源である三毛猫は、少し離れた位置から上野を睨んでいる。早く出ていけ、とその瞳は言っていた。
 上野は首を傾げた。動物霊であるのは間違いないが、発している妖気は異常な量である。人間の地縛霊が数十体がかりで発する妖気と、同じくらいのレベルだ。たった一匹の猫から発せられるとは思えない。
 まあ、いい。今はまず、やらねばならないことがある。上野は手を伸ばし、スマホを操作した。
 すると、ラジオ体操の音楽が流れ出す。上野は立ち上がり、軽快な動きで体操を始めた。
 その時、強い圧力を感じた。重力が、いきなり二倍になったような感覚である。手足も重い。パワーリストとパワーアンクルを装着しているようだ。あの三毛猫の仕業だろう。
 にもかかわらず、上野はラジオ体操を続行していた。手足を振り回し、体を伸ばし、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
 三毛猫は、そんな姿をじっと眺めていた。敵意は収まる気配がなく、したがって妖気も濃いままだ。
 やがて、ラジオ体操は終わった。上野は座り込み、バックパックからペットボトルを取り出す。中には、黒い液体が入っていた。
 蓋を開け、ぐいっと飲む。途端に、顔をしかめた。

「うーん、これが噂に聞く炭酸抜きコーラか。あまり美味くはないな」

 ボソッと呟いた時だった。いきなりドアホンが鳴る。上野は立ち上がり、玄関へと向かう。
 ドアを開けると、そこにいたのは山樫明世であった。顔を引き攣らせながらも、荷物を突き出してくる。

「はい、これ。ちゃんとお届けしましたからね。では失礼します」

 早口で言ったかと思うと、慌ただしく帰っていく。上野に語る隙を与えぬまま、あっという間に消えてしまった。
 いつもなら、上野は彼女を呼び止めていただろう。彼女の礼を逸した振る舞いに対し厭味のひとつも言っていただろう。そこから、入来との関係について問いただしもしたはずだ。少なくとも、そのつもりで今朝呼んだのである。
 しかし、この妖気の中で立ち話をさせるわけにもいかなかった。ここまで来ること自体、彼女でなくては不可能なのだ。上野はビニール袋をぶら下げ、部屋に戻っていった。
 中では、相も変わらず三毛猫が睨んできている。しかし、上野は無視して座り込む。
 ビニール袋の中には、プラスチックケースが入っている。それを開けると、中にはライ麦パンとラクレットチーズが入っている。どちらも出来たてだ。
 チーズをライ麦パンに挟み、口に運ぶ。直後、満足げな表情になった。

「うむ、これは美味い。アルプスの山脈を思わせる味だ。ものすごく高いブランコに乗りたい気分だぞ」

 そんなことを呟きながら、三毛猫をちらりと見た。
 三毛猫は、敵意に満ちた目で上野を睨んでいる。心なしか、昨日より妖気が濃くなってきた気がする。ここまでの妖気を、たかだか人間への恨みだけで発することが出来ない。他に何か理由がある。まずは、その理由を突き止めなくてはならない。
 その時、ある者のことが頭に浮かんだ。






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