必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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闇に裁いて、仕上げます(三)

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 翌日の昼、お禄は通りを歩いていた。
 店の仕事を放り出して、こんなところで何をしているのかというと、これから裏の情報屋に会いにいくのだ。店の方は、いつも通り蘭二とお春に任せてある。事情を知らないお春は、小声でぶつぶつ文句を言っていたが、聞こえないふりをして出てきたのだ。
 だが、お禄は想定外の事態に出くわす──

「おう、蕎麦屋のお禄じゃねえか。店ほっぽらかして、何してるんだ」

 不意に、後ろから野太い声が聞こえた。お禄は、愛想笑いを浮かべて振り返る。

「これはこれは、岩蔵の親分さんじゃありませんか。いえね、ちょっと着物でも見繕ってみようかと」

「まだ明るいうちに、ふらふら出歩けるとは、いいご身分だな。ちっとは真面目に働け」

 そう言いながら、こちらを睨みつけているのは、目明かしの岩蔵だ。いかつい体つきと強面の風貌、さらに十手持ち。最悪の組み合わせである。

「いやあ、店の方は二人に任せているんですよ。蘭二はよく働いてくれますし、学がありますから。お春は気のつく娘でして……」

 お禄は、ぺこぺこ頭を下げる。だが、岩蔵に引く気配はない。

「そうらしいな。ところで、近頃の景気はどうなんだよ?」

「いやあ、さっぱりですね。お客の入りも良くないですし──」

「そこが不思議なんだよ。お前みたいな、大して客もいねえような蕎麦屋を切り盛りしてる女が、なんだって下働きを二人も雇えるんだ? 俺みてえな、学の無い男にも分かるように説明してくれねえかな」

 言いながら、顔を近づけて来る岩蔵。お禄は、その視線を真っ向から受け止める。

「いやあ、何ででしょうねえ。まあ、あたしの人徳って奴でしょうか」

 そう言って、お禄はにっこり微笑んだ。しかし、岩蔵はにこりともしない。

「とにかく、あの二人はよくやってくれてますよ。では、あたしは店に戻りますんで、失礼して……」

 そう言って、お禄は向きを変え歩き出す。すると、岩蔵も動いた。厳つい体に似合わぬ素早い動きで、彼女の前に立つ。

「おいおい、まだ話は終わっちゃいねえぞ。お前は──」

「岩蔵、ちょいと来てくれねえか」

 不意に、声が聞こえてきた。脱力感を誘う、とぼけた雰囲気のものである。岩蔵は、苛ついた表情で振り返った。

「旦那、何ですかい? あっしは今、お禄と話してるんですがねえ」

「いやあ、悪いんだがな、ちょいとお前の手を借りたいんだ。来てくれよ」

 そう言って近づいて来たのは、同心の渡辺正太郎だった。昼行灯、という不名誉な二つ名を持つ男だ。しかし、立場上は目明かしの岩蔵よりも上である。さすがの岩蔵も、無下にするわけにもいかない。彼は、しぶい表情を浮かべた。

「運のいい奴だな。だが忘れんなよ。お前のことは、この岩蔵がきっちり見張っているからな。俺はな、女だからって手心を加えたりはしねえんだ」

 どすの利いた声である。だが、お禄は怯まない。にっこり微笑み、ぺこりと頭を下げる。
 もっとも、内心でため息をついていた。岩蔵は本当に厄介な男だ。仕事熱心だし腕も立つ。あの男はこれまでにも、恨みを持つ者たちの襲撃を何度となく受けてきたが、ことごとく返り討ちにしているとのことだ。
 噂の真偽はともかく、腕の方はかなりのもの……というのは、お禄にもわかる。その上、彼女に目を付けているらしい。岩蔵に目を付けられ、拷問された挙げ句に命を失った者も少なくないのだ。
 だが、怯んでいる場合ではない。お禄は、ふたたび歩き出した。



 人気《ひとけ》のない路地裏で、お禄は立ち止まった。彼女の前には、古びた物置小屋がある。
 左右を見回すと、お禄はさりげなく声をかけた。

「お歌、いるかい」

「はい」

 小屋の壁越しに声がした。お禄は、小屋に背を向ける。

「今回の相手は?」

「青天の由五郎と、要心鬼道流柔術の師範、花田藤十郎ですよ」

「青天の由五郎に、花田藤十郎ねえ」

 お禄は下を向き、その二人についての記憶を探る。青天の由五郎は聞き覚えがある。青天の、という二つ名は自ら名乗っているだけで、どんな意味があるのかは知らない。どうせ、大した意味はないのだろう。
 一方、花田藤十郎という名に心当たりは無い。しかし、要心鬼道流柔術という名は聞いた記憶がある。確か、そこの道場は賭場として使われていたような記憶がある。
 由五郎の方は、間違いなく悪党だ。様々な噂を耳にしている。だが、花田の方はどうなのだろう。

「由五郎と花田は、最近あちこちで悪さしています。最近じゃあ、下働きの女に安い金で客を取らせてます。しかも、逆らえば花田に腕や足をへし折られるんですよ。もう何人もが、あいつらのせいで歩けなくされました」

 その言葉を聞き、お禄は舌打ちした。

「なんて奴らだい。本当のくずだね」

「ええ、かたわ同然にさせられた女も少なくないんですよ。頼み料は十両ですが、どうします?」

「いいよ。引き受ける」



 その日の夜、蕎麦屋の地下室に仕上屋の四人が集められた。

「殺るのは、青天の由五郎ってやくざ者。それと花田藤十郎って名の、柔術の師範だ。この由五郎が仕切る店の下働きの女が、何人もかたわ同然にされたらしい。仕事料は十両だよ」

 言った後、お禄は四両を机の上に置く。

「さあ、前金だよ。やるんなら、一両ずつ持っていきな」
 
「ひとつ条件がある」

 言いながら、小判に手を出したのは権太だった。たこだらけの厳つい手を伸ばし、小判を懐に入れる。

「条件? 何だい?」

 お禄が尋ねると、権太は立ち上がった。

「花田藤十郎とかいう柔術家は、俺に殺らせろ」

 そう言うと、権太は立ち去ろうとする。だが、蘭二が彼の前に立った。

「ちょっと待ちなよ。権太さん、大丈夫なのかい? 相手は柔術の師範なんだよ」

「刀や鉛玉で、あっさりあの世に送ったんじゃ面白くない。関節をへし折られる痛さを、あの野郎にきっちりと教えてやる」
 
 言い終えると、権太は大股で階段を上がって行った。

「しょうがない奴だねえ。まあいい。壱助、あんたには青天の由五郎を殺ってもらう。引き受けてもらえるかい?」

「ええ、やらせていただきますよ。もとより、あっしは仕事を選びませんからね。相手が誰であろうと構いません。殺ってやりますよ」

 そう言って、壱助は不敵に笑った。お禄はその手に、小判を二枚握らせる。

「そう言ってくれると思っていたよ。じゃあ、ついでに似顔絵と人相書きも渡しとく。お美代さんに見せてやっとくれ」

「わかりました。任せてください」

 そう言うと、多助は立ち上がり歩き出した。だが、足を止める。

「あ、そうそう。大したことじゃないんですがね、その花田藤十郎って柔術の師範ですがね、どっかで聞いた覚えがあるな……てな具合に頭に引っ掛かってたんですが、今思い出しました。こないだ、そこで大立ち回りしてましたぜ。あいつは、腕は立ちますよ」

「ちょっと待ちなよ。花田は、そんなに腕が立つのかい?」

 お禄が尋ねると、壱助は頷いた。

「ええ。浪人を二人、あっという間に叩きのめしちまいましたからね。手強いですよ」

「めくらのあんたに、立ち回りが見えたってのかい?」

「目は見えないですが、耳は聞こえますからね。あっしはね、大抵のことは耳で分かるんですよ。何が起きているか、くらいのことは耳で把握できます。あんたらの動いている音も、ちゃんと聞こえますぜ」

 そう言って、壱助はにやりと笑った。

「へえ。大したもんだなあ」

 蘭二が言うと、壱助は首を振る。

「いえいえ。めくらになれば、それくらい誰でも出来るようになりますよ。生きるためには、ね」




 
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