白き死の仮面

板倉恭司

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廃墟での乱闘

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 かつての真幌市は、日本でも有名な工業地帯であった。町には工場が並んでおり、毎日フル稼働していたのだ。それに伴い、居酒屋や風俗店などのような店も存在していた。夜になると、外国人の売春婦もうろうろしていたという。
 ところが、日本全土を不景気という巨大な津波が襲う。その波に押し潰されるように、町の工場もバタバタと潰れていった。夜逃げする経営者が多数でたが、それはまだマシな方である。借金で追い詰められた挙げ句、家族を道連れに一家心中をした工場経営者のニュースがワイドショーに取り上げられることもあったくらいだ。
 そんな現況であるが、工場の建物自体は未だに残っている。持ち主と連絡がつかず、空き家のような形となってしまった工場が、町のあちこちに建ったままになっているのだ。法的な問題から取り壊すことも出来ず、もちろん再稼働させる訳にもいかない。使い途のない工場が、哀れなむくろを晒している状態であった。
 結果、ゴーストタウンのような不気味な一角が出来上がってしまったのだ。しかし、その光景は一部の物好きを引き寄せることとなった。令和の時代となった今でも、廃墟の町として知られている。



 ここは、そのゴーストタウンにある工場のひとつだ。二階建てで、一階は工場だが二階は民家のような雰囲気である。持ち主とその家族は夜逃げしたのか、中には家具がそのまま残されている。埃まみれのソファーや、ボロボロのテーブルなどが置かれていた。
 そんな場所の一階を、我が物顔で占拠している一団がいた。

「いやあ、今日の浅野の顔は笑えたな。泣きながら、許してくださいだってよ」

 そんなことを言って、げらげら笑っているのは十代の少年だ。まだ幼さの残る顔立ちであるが、手にはタバコとライターを握っている。

「本当だよな。で、次は何させる?」

 笑いながら彼に尋ねているのは、これまた少年である。
 彼らは、実のところ全員が中学生であった。それも、わざわざ隣の市から来ている。しかも皆、同じ私立の学校に通っている同級生だ。親は上級国民……というほどではないが、それなりに地位と収入はある家だ。
 全員、そんな上流家庭にて育ったのだが、生まれ持った性分ゆえだろうか……中学生になる頃には、いっぱしの不良少年になっていた。
 もっとも、本格的に悪い連中とはかかわっていない。彼らとって非行とは、若い時だけ許されるゲームなのだ。イジメのような行為もまた、非行の延長線上にあるものでしかない。ほどほどの悪さをして、進学する頃には悪さも卒業するつもりなのだ。
 さらに、彼らは他校の不良ともぶつかりたくなかった。自分たちが不良でいられるのは学校の中だけ、他校にはもっと怖い連中がいる……その事実を、ちゃんと理解している。したがって、繁華街で大きな顔をして歩くような真似はしない。
 この廃墟は、彼らが学校以外で大きな顔が出来る数少ない場所のひとつであった。いや、自由にふるまえるという点では、学校より上だったかもしれない。そう、この廃墟は彼らだけの聖域であった。
 しかし、その聖域を乱す者が現れる──

「おい、何だよあいつは?」

 ひとりが声を発した。その声に、みんなが反応する。
 二階に通じる階段から、よろよろ降りてきた男がいた。年齢は四十過ぎだろうか。ドレッドヘアのごとき状態の、汚らしくベトついた髪。ボロボロの作業用ジャンパー。穴の空いた靴。ドス黒く汚れた顔。何者であるかは、一目でわかるだろう。
 中学生たちは、一瞬にして不機嫌そうな顔になる。

「なんだこいつ、いつの間に住み着いたんだ?」

 ひとりの少年が言うと、別の少年が立ち上がる。

「オッサンよう、あんたホームレスだろ。ここは俺たちの場所なんだよ。十円やるから、さっさと出ていってくれや。でないと、殺すよ」

 言いながら、顔を近づけていく。同時に、他の少年らも立ち上がった。威嚇するような顔つきで、ホームレスらしき男に近づいていく。
 今の彼らにとって、目の前にいるホームレスは暇つぶしのための玩具でしかない。さらに学校で「昨日、知らないオッサンをポコッてやったよ」などと吹聴することも出来る。
 だが、少年たちはわかっていなかった。目の前にいる男は、本物のホームレスにあるはずのものがない。それは匂いである。これだけ汚い髪をしていながら、接近しても体臭を嗅ぎ取れない……この時点で、相手が本物でないことに気づくべきだったのだ。
 また、相手の体にも目を配るべきだった。上着に覆われているが、胸板が厚くガッチリした体型であるのは見て取れたはずだ──

 ホームレスは瞬時に動いた。手近な少年の鼻先に右のストレートを叩き込み、もうひとりの腹にボディアッパーを食らわす。その二発で、ふたりは声も出さず倒れた。
 そこで、少年たちはようやく気づく。相手が、暴力慣れした恐ろしい男である事実に気づく。だが、男の動きは止まらない。残る者たちに、獣のごとき勢いで襲いかかった──

 数分もしないうちに、少年たちは全員倒されていた。腹を押さえ呻く者、脳震盪を起こし気絶している者など状態は様々だが、戦意がないという点は同じである。
 だが、男はこの程度で終わらせる気はないらしい。やがて、ひとりの少年の右片足を掴む。
 右足首を脇に挟み、寝そべると同時に己の両足で相手の太ももを挟み込んだ。
 直後、思い切り捻る。と、少年の膝が異様な音を発した。一瞬遅れて、少年の口から悲鳴があがる──
 男は今、ヒールホールドという関節技をかけたのだ。ヒール(かかと)と付いているが、実際のところ膝関節を破壊する関節技である。両足で相手の太ももを挟み固定し、脇に挟んだ足首をハンドルのように捻り膝関節を外すのだ。運が悪ければ、一生歩けなくなることもある危険な関節技である。
 膝を抱え泣き叫ぶ少年を無視して、男はその場を去っていった。


 しばらく歩くと、行く手に車が止まっている。男は後部席のドアを開け、車に乗り込んだ。と、助手席に座っていた咲耶が怒鳴る。

「ちょっとショウちゃん! 除菌スプレーした!?」

「ああ、したした。だから、さっさと帰ろうぜ」

 面倒くさそうに答えつつ、省吾はカツラを外す。続いて、タオルで顔の汚れを拭いた。と、咲耶がじろりと睨む。

「ちょっとお、顔くらい拭いてから乗ってよ。だいたい、本当に除菌したの?」

 口を尖らせ、なおも聞いてくる。実のところ、除菌などしていない。だが、面倒くさいでこう答える。

「だから、したって言ってんだろ。だいたいな、俺ひとりにやらせといて文句いうな」

「しょうがないじゃない。女のコが、あんな汚いとこなんて入れないから」



 今回は、グリーンカードの案件だ。
 オルガノ救人教会の信者・浅野博司アサノ ヒロシは、市議会議員である。彼の息子・智治トモハルは私立の学校に通っていたが、最近いじめに遭っていた。
 いじめの相手が、先ほどの少年たちである。彼らの手口は巧妙であり、証拠や証人を残さない。今の状況で下手に騒ぎ立てると、かえって面倒なことになりかねなかった。
 そこで朝永は、ひとまず首謀者と取り巻きたちを病院送りにすることにしたのだ。根本的な解決にはならないかもしれないが、入院している間、智治は平和に過ごせる。その間に、別の対処方法を考えればいい。先ほど省吾がヒールホールドをかけ膝関節を外したのが、グループのリーダー格である。当分、松葉杖は手放せないだろう。
 今回、省吾らが動いたことは、息子の智治はもちろん父親の博司も知らされていない。あくまで「いじめという卑劣な真似をしていた者たちに天罰が下った」という形で済ませるつもりだ。廃工場の周りには防犯カメラもないし、少年たちも「ホームレスに襲われた」としか言えないだろう。
 本当なら、咲耶にも手伝わせる予定だった。しかし彼女は「こんな汚いところに隠れて、ガキを待ち伏せするなんて嫌だ」と、頑なに拒絶したのだ。自衛隊の時は、もっと汚い場所で訓練をしてきたはずなのだが、それとこれとは別らしい。
 そのため今回は、省吾が単独でこなすこととなった。



「ところでさ、朝永はしばらく帰って来ないのかい?」

 不意に、恭子が聞いてきた。

「ああ。何でも、本部がゴタついているらしい。当分、山川が代理を務めるみたいだ」

「まいったねえ。あいつはあいつで、真面目すぎて融通が利かないんだよ」

 恭子は、面倒くさそうにぼやいている。確かに、あの男は堅物だ。ルールを重んじるタイプでもある。

「まあ、仕方ないよ」

「朝永も、いたらいたで厄介だけど、いなきゃいないで面倒だねえ」











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