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眩い

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「……すみませんでした」

使っていいよ、と言われたシャワーを浴びてから戻ってくると、生田さんがローテーブルの上にコーラの注がれたグラスを並べているところだった。
「終わったら、食べよう」という約束を守ろうとしているのか、ちゃんとお菓子も出されている。

「……鈴井さん、なんで謝る?」
「それは…」
「ああ、地味なパンツを履いてきたことかな。それなら、全然気にしなくていいよ。
パンツが派手だと言われたことを気にしてるみたいで可愛いし、」
「違いますっ!」

パンツが派手だと言われたことを、気にしているのは本当だったから、それがバレていたのに動揺してつい食い気味に、叫ぶような強い口調で否定してしまった。生田さんは一瞬驚いた後、困ったような顔で肩を竦めた。

「…あの、ほ、本当はもっと、俺がいろいろ、触ったりしないといけないのに、ごめんなさい……」

こういったアルバイトをしているのに、相手の性器を触れないのは致命的だ、と改めて思ったし、俺の手で気持ちよくしてあげられないうちは、生田さんの遠慮だとか優しさに漬け込んで半人前の仕事しか出来ていない、となんだか自分が情けなく感じられた。
気持ちが全く乗らないとか、同じ男の性器に触れたくないとか、そういう甘ったれた感情は取っ払って、手足と同じ皮膚に覆われた身体の一部と割り切った考えでやるしかない、とシャワーを浴びながら密かに決意を固めたところだった。


「も、もっと頑張るから、また呼んでくれますか……?」
「……ちょっと、ごめん。席外していいかな」
「こんなことくらいで、抜きに行かないでくださいよ……」

さっき散々出したのに、と俺がゲンナリしているのにも関わらず「鈴井さん、よく分かったね」と言った後、生田さんはハハッと短く笑った。
どことなく嬉しそうだし、ひょっとしたら本気で抜きたいとは思っていなくて、俺のツッコミ待ちなのかもしれなかった。

「……でも、鈴井さんが触ってくれるのは嬉しいよ」

そう言う生田さんの口調は平坦で落ち着いていて、声を聞いているだけだと、本当に嬉しいのかどうか、疑問に思ってしまいそうだった。
けれども、よく観察すると頬が紅潮していた。どうやら「嬉しい」という言葉は本当みたいだった。

「……鈴井さんみたいな、本来近付くことも許されないような……ストレートの男の子が、構ってくれたり反応してくれたりするだけでも嬉しいのに……」
「ち、近付くことも許されないって?」
「ああ……」

生田さんはなんでもないことのように頷いてから、答える前にグイ、とコーラを飲んだ。
その姿を見ていると、俺の方も急に喉が渇いているような気がして、真似して一気に飲んだ。

「……ゲイだって言うと、自分が性的な対象として見られているかもしれない、と嫌がる人は多い。
普通に友達として仲良くしていたとしても、ゲイだと知られた途端に「俺はソッチじゃないから」と言って避けられるのも珍しいことじゃないし。
ジロジロ覗き見たりなんかしないよ、と言ったとしても更衣室や銭湯で一緒になるのを怖がる人もいるだろうし……」

だから、俺、会社では更衣室に他の人がいない時にコソコソ着替えるようにしてるんだよね。べつに、ゲイだとカミングアウトはしてないけど、もし、何かのきっかけでそれを知った人がいたら、俺のことを嫌がるだろうから……と、生田さんは淡々と説明した。


「……鈴井さんは、俺がゲイだと知っても、嫌がったりしなかったね」
「……それは、あの、そういうの気にしないから」
「そうなんだ。優しいね」

優しい、そう言われても、何て答えたらいいのか、果たして自分自身は本当にそう人間なのかが分からなくて、愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。
もちろん今までだって、同性が好きな人がこの世にいることは知っていた。

俺はきっと「俺は女が好きだから」という理由で、その人達と自分とは一生交わることは無いだろうから、「そういう人達どうしで自由に恋愛していたらいいと思いますけど」というどことなく冷めた目で見ていたのかもしれなかった。
「優しい」というのとは全然違う……無関心で、それこそ生田さんが言うような更衣室の共用とか、そういったことにも「自分がいると嫌がる人がいるだろうから」と気にしている人がいるなんて考えたことも無かった。

「近付くことも許されないような男の子」という言葉は、なんだか生田さんの今までの孤独が感じられるような寂しい言い方だった。
もしかしたら、自由に男の人と恋愛が出来ず一人で悩んでいた間も、誰かを好きになったこともあったのかもしれない。
その度に「拒絶される」と思って静かに身を引いてきたんだろうか。

生田さんが「気持ち悪い」と嫌がられることを喜ぶのも、好意を受け入れてもらいたい、という感情が「徹底的に無視されて拒否されるよりも、せめて何か反応を返して欲しい」というふうに変化したのかもしれなかった。




水滴がビッシリついたコーラのグラスを弄びながら、黙って生田さんのことを考えていた時だった。

「……鈴井さん、手を見せて」

そう言われて、慌てて手についた水滴を自分の服に擦りつけて拭いた。
差し出したひんやりした俺の手を生田さんは無言で掴んだ。

比べてみると、生田さんの手の方が大きいしゴツゴツしていて、男っぽかった。けれど、手のひらにいくつもタコが出来ていて、あちこちに引っ掻き傷のある俺の手と比べたら、生田さんの手の方がずうっとキレイだった。
普段重いものを運んだり、屋外で作業をしたりしているから、女の人みたいにスベスベした手をしていないのは仕方がないことだとは自分でも分かっている。
けれども、こうやってキレイな手の人と並べてみると、思っている以上に自分の手がボロボロなことに気付く。そんな手を生田さんにジロジロ見られるのはなんだか嫌だった。
出来ればほんの一瞬見せた後、さっさと隠してしまいたかった。


「……一生懸命働いている人の手だ」
「……そ、そんなこと分かるんですか」
「わかるよ」

生田さんは大きさや質感、節々、それから温度や傷の一つ一つを確かめるようにして俺の手に触った。
ボロボロで汚ない、と感じていた手についてそんなふうに言われてなんだかむず痒くなった。
さっき、もっと恥ずかしいところも触られたし、感じまくっているところも見られたのに、今の方がなんだか照れ臭かった。
だから、生田さんから言われた言葉は嬉しかったのに、ろくにお礼も言えなかった。



「……ありがとう。この手を思い出して、いろいろ楽しむよ」
「もう……」

また、そんなことばっかり言う、と俺が呆れているのに生田さんは目を細めて嬉しそうにしていた。
生田さんの長い指が俺の頬をつついた。
怒って頬を膨らませた小さい子供に対してするような仕草だった。
俺は、もしかしてそんな表情をしていたのかな、と感じたくらいで、ほんの少しビックリしたけど、それほど嫌な気分にはならなかった。

「あのっ……」

お仕事は何をされてるんですか、と質問したかったけど「もう時間」と肩を叩かれてしまったから、ハッとして慌てて立ち上がった。そのまま「お邪魔しました」と頭を下げて自分の家に戻った。
時給を貰っているから、俺がいつまでもダラダラしていると、生田さんはキッチリしているから「超過勤務」だとか、そういうことを気にするかもしれないからだ。

帰ってからルーズリーフに、無視はされたくないこと、俺の乳首を吸いたがっていること、たぶん、俺の手に触られることを想像して抜くであろうこと、それから、生田さんの……が、大きかったことも一応メモしておいた。
忘れないうちにと大急ぎで書いた酷い字のうえに、書いてある内容はいやらしい。誰にも見せられない秘密のメモだ。



この時はまだ、自分の身体や生田さんへの気持ちがどう変わるかなんて想像もしていなかった。
メモしたルーズリーフの枚数が増えるたびに何かが少しずつ変わっていって……。まさか、自分がラブホテルでわんわん泣いて恥ずかしいお願いをするようになるなんて、思いもしなかった。


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