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【その後】幼馴染みにかえるまで
古い記憶(3)
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「……どうしたの」
いつもならインターフォンを鳴らせばすぐにドアを開けてくれるのに、今日のヒカルは普段よりずっと長い時間をかけて出てきた。二階の自分の部屋にいたんだろうか、と勝手に想像しているとヒカルはバツの悪そうな顔で「入る?」と首を傾げた。
用事がある、と言ったのに家にいることがバレたのを気にしているのかもしれない。もちろん、それについて「お前、嘘をついていたんだな!」とヒカルを責めるつもりはなかったし、腹を立てているわけでもなかった。むしろ、本当にこうするのが正解だったのか自信がなくて、少しだけ緊張している。それをヒカルに悟られないように、余計なことは言わずに中へと入った。
「……ゲームでもする?」
いつもと比べて少しだけ元気はないものの、ヒカルはすでに普段通りのヒカルに戻り始めていた。家で一人で過ごしているうちに「仕方がない」と気持ちを切り替えてしまったんだろうか。そしたら、俺はやっぱり余計な事をしに来ただけなんじゃないかって気もするけれど、一度決めたことを取り止めにしてしまうのもカッコ悪い。
「……ケーキ切りに来た。切ろうぜ」
え、と言う一文字を発した後、ヒカルは黙り込んだ。せかせかしている俺と違って、おっとりしているヒカルは聞かれた事に「そーだねえ……」と間を置くことがよくある。ただ、今のヒカルは自分の中のテンポやリズムを守っているから、と言うよりは、珍しく困っていた。なんでも涼しい顔でさらっとこなしてしまうヒカルがこんなふうになるなんて。
「切って、食べよう」
冷蔵庫に入ったままの誕生ケーキを今日二人で切って食べたところで、ヒカルに元気が出るのかはわからない。本当の本当は、夕べの夜をやり直せるのが一番いいんだろうけど、それが叶わないことくらいわかっている。おじさんとおばさんの顔が浮かんだけど、結局俺に思い付いたのは「いつものようにヒカルと遊んで手付かずのケーキを食べる」だった。
「……わかった」
そう頷いてから、ノロノロとキッチンへ向かうヒカルの後に続いた。汚れ一つ付いてない、真っ黒でツルツルした大きな冷蔵庫は、給食の献立表や学級だより、いつまでも作られることのないおかずのレシピがベタベタと貼り付けられているうちの家の冷蔵庫とは大違いだった。
人の家の冷蔵庫を勝手に開けたり、中を覗き込んだりするのはよくない気がしたから、ヒカルの背中を見つめてやり過ごした。
「すっげ……」
箱が開いた瞬間、俺が漏らした声にヒカルもようやく笑顔を見せた。
「うまそー」
「本当だ……」
三人家族用のケーキは大きくはなかったけれど、乗っているフルーツは全部ピカピカだ。クリームはずいぶん複雑な絞り方をしていて、一つ一つが花びらのようだった。
年齢の分のロウソクじゃなくて持つところが針金で出来た花火が一本だけ付いていたけど、友達の家で勝手に火を使うのは絶対ヤバイ。花火は置いていてもいいか聞くと、ヒカルは「うん」と静かに笑った。優しいヒカルがそんなことを言うはずないってわかっていたけど、ビビってんの? と言われなかったことにホッとした。
「せっかくだから、でっかく切ろうぜ」
「うん」
四等分に切った後、「デカ」と二人で笑った。何せ普段食べているケーキ一切れよりもずっと大きかったからだ。
「誕生日おめでとう」
「……当日も祝ってもらったのに?」
「……いいことは、何回言ってもいいだろおー」
頷きながらクスクス笑うヒカルはいつものヒカルだった。五層になっているケーキを食べながら「あのさあ」とヒカルが口を開いた。
「……ずっと友達でいてくれる?」
「はあ? なんだよ急に……」
なんで当たり前のことを聞くんだろう、小さい頃からずっと一緒にいるのに、と思うと「当たり前のことをいちいち聞くなよ」と言い返したくなった。
だけどヒカルの目は余りにも真剣だった。言って、と俺が返事をするのを待っている。何も言わなくても眼差しだけで思っていることを伝えるなんて、コイツはいつの間にそんな技を習得したんだろう。俺は思ったことをすぐ口にしてしまうし、まだまだハッキリ言葉にされないとわからないことだって多いのに。
「うん……。当たり前だろ、そんなの」
「良かった」
パッとヒカルの表情が明るくなった。嬉しい、という気持ちがわかりやすく表れている顔つきに嬉しくなって、俺も笑った。
◆
「重い……」
ヒカルが帰ってくるのを待っていたつもりが、いつの間にかソファーで眠ってしまっていた。そうして帰ってきたヒカルが俺の上に倒れ込んできたから、目が覚めた。
「……今日も遅かったんだな。ごめん、起きて待ってるつもりだったのに……」
「ううん……。起こしちゃってごめんね」
すりすりと胸に顔を埋められると、デッカイ犬に甘えられているみたいだった。……ほとんど思い出せないけれど、子供の頃の夢を見ていたような気がする。ずいぶん寂しげな顔をする少年の頃のヒカルだけが印象に残る夢だった。あれはいつの出来事だったか。どうしても思い出せないまま、黙ってヒカルの背中を撫でた。
「あんまり無理するな、って言いたいけど、そういう仕事なんだよな……。でも、体を壊すんじゃないかっていつも心配してる」
「うん……」
目の前のヒカルと夢で見た子供の頃のヒカルの顔が重なる。「ずっと友達でいてくれる?」と約束をしてから、お互いすっかり大人になったけれど、やっぱり今でもヒカルが疲れていたり元気が無かったりするのを放っておけないのは子供の頃とちっとも変わらなかった。
いつもならインターフォンを鳴らせばすぐにドアを開けてくれるのに、今日のヒカルは普段よりずっと長い時間をかけて出てきた。二階の自分の部屋にいたんだろうか、と勝手に想像しているとヒカルはバツの悪そうな顔で「入る?」と首を傾げた。
用事がある、と言ったのに家にいることがバレたのを気にしているのかもしれない。もちろん、それについて「お前、嘘をついていたんだな!」とヒカルを責めるつもりはなかったし、腹を立てているわけでもなかった。むしろ、本当にこうするのが正解だったのか自信がなくて、少しだけ緊張している。それをヒカルに悟られないように、余計なことは言わずに中へと入った。
「……ゲームでもする?」
いつもと比べて少しだけ元気はないものの、ヒカルはすでに普段通りのヒカルに戻り始めていた。家で一人で過ごしているうちに「仕方がない」と気持ちを切り替えてしまったんだろうか。そしたら、俺はやっぱり余計な事をしに来ただけなんじゃないかって気もするけれど、一度決めたことを取り止めにしてしまうのもカッコ悪い。
「……ケーキ切りに来た。切ろうぜ」
え、と言う一文字を発した後、ヒカルは黙り込んだ。せかせかしている俺と違って、おっとりしているヒカルは聞かれた事に「そーだねえ……」と間を置くことがよくある。ただ、今のヒカルは自分の中のテンポやリズムを守っているから、と言うよりは、珍しく困っていた。なんでも涼しい顔でさらっとこなしてしまうヒカルがこんなふうになるなんて。
「切って、食べよう」
冷蔵庫に入ったままの誕生ケーキを今日二人で切って食べたところで、ヒカルに元気が出るのかはわからない。本当の本当は、夕べの夜をやり直せるのが一番いいんだろうけど、それが叶わないことくらいわかっている。おじさんとおばさんの顔が浮かんだけど、結局俺に思い付いたのは「いつものようにヒカルと遊んで手付かずのケーキを食べる」だった。
「……わかった」
そう頷いてから、ノロノロとキッチンへ向かうヒカルの後に続いた。汚れ一つ付いてない、真っ黒でツルツルした大きな冷蔵庫は、給食の献立表や学級だより、いつまでも作られることのないおかずのレシピがベタベタと貼り付けられているうちの家の冷蔵庫とは大違いだった。
人の家の冷蔵庫を勝手に開けたり、中を覗き込んだりするのはよくない気がしたから、ヒカルの背中を見つめてやり過ごした。
「すっげ……」
箱が開いた瞬間、俺が漏らした声にヒカルもようやく笑顔を見せた。
「うまそー」
「本当だ……」
三人家族用のケーキは大きくはなかったけれど、乗っているフルーツは全部ピカピカだ。クリームはずいぶん複雑な絞り方をしていて、一つ一つが花びらのようだった。
年齢の分のロウソクじゃなくて持つところが針金で出来た花火が一本だけ付いていたけど、友達の家で勝手に火を使うのは絶対ヤバイ。花火は置いていてもいいか聞くと、ヒカルは「うん」と静かに笑った。優しいヒカルがそんなことを言うはずないってわかっていたけど、ビビってんの? と言われなかったことにホッとした。
「せっかくだから、でっかく切ろうぜ」
「うん」
四等分に切った後、「デカ」と二人で笑った。何せ普段食べているケーキ一切れよりもずっと大きかったからだ。
「誕生日おめでとう」
「……当日も祝ってもらったのに?」
「……いいことは、何回言ってもいいだろおー」
頷きながらクスクス笑うヒカルはいつものヒカルだった。五層になっているケーキを食べながら「あのさあ」とヒカルが口を開いた。
「……ずっと友達でいてくれる?」
「はあ? なんだよ急に……」
なんで当たり前のことを聞くんだろう、小さい頃からずっと一緒にいるのに、と思うと「当たり前のことをいちいち聞くなよ」と言い返したくなった。
だけどヒカルの目は余りにも真剣だった。言って、と俺が返事をするのを待っている。何も言わなくても眼差しだけで思っていることを伝えるなんて、コイツはいつの間にそんな技を習得したんだろう。俺は思ったことをすぐ口にしてしまうし、まだまだハッキリ言葉にされないとわからないことだって多いのに。
「うん……。当たり前だろ、そんなの」
「良かった」
パッとヒカルの表情が明るくなった。嬉しい、という気持ちがわかりやすく表れている顔つきに嬉しくなって、俺も笑った。
◆
「重い……」
ヒカルが帰ってくるのを待っていたつもりが、いつの間にかソファーで眠ってしまっていた。そうして帰ってきたヒカルが俺の上に倒れ込んできたから、目が覚めた。
「……今日も遅かったんだな。ごめん、起きて待ってるつもりだったのに……」
「ううん……。起こしちゃってごめんね」
すりすりと胸に顔を埋められると、デッカイ犬に甘えられているみたいだった。……ほとんど思い出せないけれど、子供の頃の夢を見ていたような気がする。ずいぶん寂しげな顔をする少年の頃のヒカルだけが印象に残る夢だった。あれはいつの出来事だったか。どうしても思い出せないまま、黙ってヒカルの背中を撫でた。
「あんまり無理するな、って言いたいけど、そういう仕事なんだよな……。でも、体を壊すんじゃないかっていつも心配してる」
「うん……」
目の前のヒカルと夢で見た子供の頃のヒカルの顔が重なる。「ずっと友達でいてくれる?」と約束をしてから、お互いすっかり大人になったけれど、やっぱり今でもヒカルが疲れていたり元気が無かったりするのを放っておけないのは子供の頃とちっとも変わらなかった。
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