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雫(1)
しおりを挟む「ユウイチってさあ、時々圧が強すぎる時があってマジで引く。俺が『うん、わかった』なんて黙って部屋まで着いてくるとでも思ったのかよ」
圧が強すぎる、という言葉について身に覚えはなくパクパクとよく動くリンちゃんの唇をただ見つめていた。赤々とした艶のある唇が吐く、息が白かったことをよく覚えている。
「えっ? 圧? そんなものは出ていないと思うけど……。それに部屋は取ってるけど、べつに何もしないよ」
「いきなりこんな高いホテルに連れ込もうとしといて何言ってんだ! 言っとくけど、どこに連れて来られようと俺はお前とは100パーそういうことにはならないから! マジで無いから!」
確かにこのホテルはラグジュアリーランクではあるけど、他のホテルと比べて宿泊費は高騰していないし、設備やサービスといった部分を考えた場合、同程度のランクのホテルの中ではかなりコスパはいい方だということを丁寧に説明したら、余計に怒らせてしまったらしく、リンちゃんはホテルのエントランスに待機していたタクシーに乗り込んで逃げるように帰ってしまった。
「……」
本当に1ミリも下心が無かったかと言えば嘘になる。さっきまで串焼き屋で散々飲んでいたし、このままいい部屋で、二人きりで過ごしていればなんとなくそういう雰囲気になるんじゃないかと、そう思っていた。
リンちゃんは帰ってしまったし、二人分の宿泊費がパーになること自体はそれほど問題ではない。けれど、あの時はそのまま自宅に帰る気にもなれなくて、結局一人でラグジュアリーホテルに宿泊した。
リンちゃんを怒らせてしまったことに落ち込んではいたが、いいホテルのいい部屋と質の高いサービスには純粋に感動した。なんなら最上階のバーにも行ったし、バスルームの大きな窓から夜景を眺めながらゆっくりとバスタブに浸かった。そうして、清潔なベッドシーツの上に寝そべる頃には「本を持ってくればよかった」と後悔するぐらい、一人のホテルステイを満喫していた。
たまに宿泊するくらいなら、快適な部屋で一人で過ごすのはいいリフレッシュになる。そんな考えが頭を過って、「ああ、俺はこのまま一人遊びを極めて、一人で年を取っていくんだろうな……」と思いながら、その日の夜は眠りについたような気がする。
後日、謝罪の電話をかけた時のリンちゃんは「ああいうことは、絶対イケると思った相手以外にやってもフツーに引かれるだけだから。ユウイチ、お前は気色が悪いんだからさあ、そんなヤツが仕掛けるサプライズってのはちゃんと付き合ってる相手とだけ成立するんだってことをよーく覚えときな」と釘を刺された。
お触りくらいならイケるだろう、と思っていたことがバレたら二度と会ってもらえなくなりそうだったため、「はい」と神妙な声で返事をしておいた。
◇◆◇
「すごい……! こんな高そうなホテル、本当にいいの? 記念日でもないのに、ユウイチさん、ありがとう……」
いいよ、と目で微笑みかけると、マナトは嬉しそうに笑ってから、窓にかじりつくようにして外の景色を眺めている。……正確に言えば、今日は「マナトが初めて乳首を吸わせてくれた日」からちょうど半年、という記念の日でもあるが、忘れてしまっているのならば仕方がない。そっと俺の胸の中で祝えればそれでいい。床から天井まである大きな窓からの夜景に「きれいだね」と感動しているマナトは控えめに言って可愛いすぎる。
無邪気で純粋な姿は、髪や体に軽々しく触れて、「そういう雰囲気」に持っていくことが憚られるほどだったので、「今夜はゆっくり過ごそう」とだけ伝えた。
「……急に連れてきてしまったけど大丈夫だった?」
あの時リンちゃんに言われたことが頭を過ったためそう尋ねると、マナトは「えっ?」と不思議そうにした後、うんうんと、何度も頷いて見せた。
「すっごく嬉しいです! 明日の朝ごはんはなんだろう? ローストビーフはあるかな!?」
好物があるかどうか心配した後は、クロワッサンが食べたい、エッグベネディクトが食べたいとはしゃぐ様子が可愛い。動き回っているわけではないけれど、食事の前にくるくる走り回る子犬を思わせるような、明るい無邪気な笑顔。こういう時、マナトは自分より十歳も年下なのだと改めて感じてしまう。
「きっと明日の朝、ビュッフェで食べられるよ。こっちへ来て少し座ったら?」
少し落ち着かせようと、ソファーに腰掛けるよう促すとマナトはすぐに駆け寄ってきて、ぽすんと側に座った。……時々インターネットで見かける、小型犬が全力疾走している時に四本の脚全部が地面から離れている瞬間の写真をなんとなく思い出した。
「……何か飲む? 冷蔵庫にあるものはなんでも飲んでいいし、何か持ってきてもらうことも出来るよ」
自分を抑えて、なんとか落ち着いた声色を作り出す。本当は「ああ~! 可愛い! 可愛すぎるんだよ、もう~!」と思う存分追いかけ回して捕まえた後は、全身を撫で回してから頬擦りをしたり、匂いを嗅いだりしたい。もちろんそんなことをすれば逃げられてしまうだろう。
「大丈夫です。それより、あの……さっきはパンツを買ってくれてどうもありがとうございました」
えへ……とはにかむマナトの破壊力に絶句していると、「ユウイチさん、一緒にお風呂へ入りませんか」と可愛い声で誘われる。本当に今日はマナトとただ添い寝をしてゆっくり過ごせるだけでも充分……と何度も自分に言い聞かせていたというのに、魅力的な誘いの前で簡単に決心が揺らぎそうになる。
「……なんだ、そんなこと。急に誘ったのは俺なんだから、気にしないで」
ディナーの後に、実はホテルを予約している、と伝えた瞬間、マナトはビックリした顔でぱちぱちと瞬きを繰り返していたた。
以前、初めてセックスをした時に予約したホテルでは部屋や食事についてずいぶん気に入ってくれていたから、きっと喜んでくれるだろう、とそう思い込んでいた。それなのに、「えっ」と驚いたきり、困った様子で黙りこんでいる。
そういう気分じゃないのに、ヤらせないといけない……マナトにそんな思いをさせてしまっているのだろうかと、何か言いにくそうにしている恋人を血の気が引く思いで見つめていた。
「でも、俺、パンツを持ってない……」
「……パンツ?」
「泊まるって知らなかったから、替えのパンツがなくて……」
そう言った後、ずいぶんスッキリした様子でマナトはケラケラ笑った。ここは笑う所だよ、とアピールしているような、そういう元気で明るい笑い声だった。
「……パンツなら俺がコンビニで買ってあげるから」
「本当? よかったあ……。どんなホテルですか? 俺、すごくすごく楽しみです」
ホテルへ向かう前に立ち寄ったコンビニには無難な黒のボクサーパンツしか売っていなかった。普段は目に止めない商品だ。けれど、マナトが「あっ! あった! よかった~」と微笑みかけてくれたことが嬉しくて、税込720円のパンツがずいぶんありがたいものに感じられた。
マナトの替えのパンツを手に入れた後はタクシーで真っ直ぐホテルへ向かった。
食事の時に少しだけアルコールを口にしていた影響なのか、薄暗い車内でこっそりと手を握ってきたり、「早く着かないかな」ととろっとした目つきでじっと見つめてきたり、マナトは普段よりもずっと大胆だった。……自分から「お風呂に入ろう」と誘ってくれたのも、酔っぱらって緊張がほぐれているからだろう。
お湯を溜める間少しだけ待ってて、と伝えた時の「はーい」 というマナトの返事も表情も、なんだかふにゃっとしていて無防備だった。
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