【メフィスト賞選評作品】上海千夜一夜物語

すえひと

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第二連

第二連・転句 チュウカイチバン!

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第二連・転句 チュウカイチバン!

View point of 李自成

 もう慣れたことだ。茫漠と広がる碧海を眼下に少年たちは幾度となくタップした『東京』という文字を叩く。そういえばこのツバルの海を形容するに適当な「碧海」の字面は後ろを歩む少女と同じだなっと連想して苦笑する。彼女の親が連想したのはむしろ無限に広がる緑の海、草原ではなかったのか。確か、彼女の家は漢民族ではなかったっけ。共に中華を分け合う朋友だから、自分にとってはさしたる問題では無いのだけれども。

 もう通い慣れた品川サーバーの自成達のギルド『颯爽英姿』の部屋は順調にCPがたまり、少しずつ調度品が整い始めている。チュートリアルミッションはもう殆ど数えるほどしか残っていないようで、最近はあちこち遊びに行ったりタカマガハラ仮想サーバーでCPを稼いだりしながら遊んでいた。特に楚歌はいくら食べても太らないと毎日楽しみにしているようだった。

 「そういえばさぁ、次の主観共有っていつか聞いてる?」

楚歌が机においてあったピスタチオの皮を割りながら聞いた。あの壮絶な体験から後、幾度かウツツに指示されて主観共有のミッションはこなさせられた。当初こそは辛く、混乱した自成達も、少しずつ慣れていき、今では大体主観を共有することを恐れなくなっていた。大抵の辛いことは慣れることが出来る。人間は社会に適応できるのだから。

 そして自成も初めての主観共有の直後の様に日本人達を恐れることもなくなっていた。彼らに二心あるのは当然、そういうものなのだと受け入れ始めていた。思っていることと行動が違ったとしても、それが彼らの礼儀なのだと。素直に受け入れ始めていた。

 確かに時々、彼らは胸糞悪い罵詈雑言を自成達に心の中で向けた。しかし所詮は心の中のこと。内心の敵意は必ずしも続くと限らないし、行動に現れるわけでもない。一々気にしたところで百害あって一利なしだ。

 「聞いてないわよ」

天衣がいつもの様に短く簡潔に答える。その直後、自成の電子手紙に着信があり、開いてみるとウツツからだ。自成達がログインしたことに気がついたのだろうか?今すぐ会いたい、ということだった。

どうせやることもない。自成はすぐに了解と返信を送る。


それほど間を置かずしてギルド「夢現」の三人が現れた。
「ああ、最後のチュートリアルミッションの案内に来た」
自成が開口一番宣言する。
「特にメッセージは表示されていないのだけれど」
天衣が不安げに言う。

「ああ、最後のコレはチューターの判断で与えていいことになっているんだ。この一ヶ月、かなり頻繁にログインしてミッションをクリアしてくれたし、私達もコミュニケーションを取ってみてもう危なげないと思ったから案内しに来た。
ただ、これは少し特殊な任務で特別な設備が必要なんだ。ちょっと皇居まで付き合ってほしい」

「ふーん、皇居か。行ったことないし面白そうだね」
相変わらずのんきに楚歌が言う。

「まぁ、中に入るわけじゃないんだけどな。ああ、事前に言っておくと、これは1000CPだ」
「少し高すぎない?」
自成が問う。

「いや、これでも低すぎるくらいだ。すべての日本人は15歳の時にこれを体験するが、大抵人生最悪の記憶になる。恐ろしい経験だ。正直主観共有であんなに影響があったお前たちを連れて行くのは気が引けるんだがな」

そう言って自成の表情が曇った。

「思い出すのもいやですわ~」

カリがぼそっとらしくない低い声でつぶやく。オモウも気持ちうつむき加減だ。そんな空気を感じてか、歩きながらウツツが強く言う。

「そうだ、終わったら寿司をおごろう。きちんとした店で最高級のものをだ。
なんといってもこれを終わらせればお前たちも半分日本人みたいなものだ。全ての我々と同じ傷みを背負い、同じ感覚を共有する。素晴らしいじゃないか」

あっと、思ったが既に遅かった。静かだった天衣が噛み付く

「自分たちの感覚を普遍化するなんて、過去の軍国主義の復活かしら?」
自分の過ちに気がついたのかウツツが慌てて取り繕おうとする。

「いやいや、滅相もない、私は私達の文化の特徴について述べただけでお前たちの文化や精神を否定する気なんて毛頭ない」

よくよく見ると、ウツツの服の裾をオモウが陰から摘んでウツツを抑えているのが目につく。たぶん、こちらに来た当初ならそんなことに気がつくはずもなかったはずだが、我ながら彼らと馴染んだなっと自成は自嘲する。

険悪化した空気を変えるべく、オモウが口を挟む。

「どこに食べに行きます?アカサカ?アザブ?」
「ちょっと、待って、いくらなんでも高すぎる。そんなところに行ったら私が破産する!」

そんなやりとりを経てシナガワステーションのゲートを潜りトウキョウステーションに出る。

「あれが…皇居?」

楚歌が指した先にあったのは巨大な朱塗りの建物だった。黒い瓦に朱塗りの門。いかにも巨大な神殿然としたそれは小山のような高台に立ち、その山の中腹には幾つもの小さな同じ建物が立っている。
「ああ、でも聖域には今日は行かないぞ。
行くのはあそこだ。マレビトジンジャだ」

かなり低い位置にある小さな神殿を指さす。
「とりあえず、あそこに入る上で作法を覚えておいてほしい」

ウツツが解説しながら歩みを進める。門の前でおじぎをするとかそういうことだ。天衣は興味ないという風に風景をしげしげと見ながら、碧海は頑張って聞いていますという風に。そして楚歌の目線は相変わらずオモウのホットパンツで覆われた尻にいっていた。まぁ、つまる所はこの数週間と同じように少年少女たちは日本人に先導されていた。唯一つ、日本人達が緊張からか僅かにぎこちない笑みを浮かべている以外は。


少しして、朱い鳥居をくぐる。天衣以外はしぶしぶお辞儀をしてくぐるとそこはなんだか雰囲気の違う空間だった。色使い、建物の形、全てが馴染みのないように思われる黒い木造建築だった。地面から奇妙に床を高く持ち上げて建てられたそこにウツツはやはり木の段をのぼって入っていく。

中は円形の鏡が置かれた祭壇らしきものがあり、そこにはかなり大きな池のような水盆が配置されている。盆の底は磨かれて鏡のようになっているようだった。

「靴を脱いでその水の中に立ってほしい。何もアドバイスしてはいけないことになっている。何も言わないが、私達はコレを禊(みそぎ)と呼んでいる」

禊、奇妙な言葉だと思った。意味も解らないが、どこかその響きは不可解に聞こえた。


靴の装備を解除して素足になって祭壇の前に立つ。眼前の水盆は不思議に青白く輝いて、磨かれた底面は自分達の姿を歪めて写す。楚歌がまず一歩を踏み出した。彼の勇気は時々賞賛に値する。続いて天衣と自分が続く。

初め、何も起こらないかと思った。しかし、ふっと見渡すと自分しかいないことに気がついた。わけが分からなかった。さっきまで隣に立っていた楚歌も天衣もいない。祭壇の前で跪いていたギルド『夢現』のメンバーも誰一人いない。

これが最後のミッション?狙いがわからないし、意味もない。とにかく状況を理解しなくては、そう考えて自成は水盆から足を踏み出し、あたりを見渡す。とりあえず、状況確認の文字通信をウツツに送ろうとするも、エラーが出て、そもそも靴をはくボタンすら操作できない。操縦不能の電脳世界の中で少年は途方に暮れた。

数分もしただろうか、結局何も変わらない状況の中で飄々としていられるはずもなく、自成は神殿を後にすることにした。誰かに助けを求められるかもしれない。

街は変わらないようだった。来るときに見たのと同様に店々は営業し、往来は少なくない。通行人の一人、赤い髪の優男風の人間に自成は声をかけることにした。考えてみればトウキョウでウツツ達以外と会話するのは初めてかもしれない。

「あの、すみません、失礼ですが」

なるべく彼らの様に見えるように丁寧に声をかける。しかし男は一顧だにせず無視する。

「ちょっと待ってください」

もう一度声をかけてみる。何の反応もなく、返って来るべき返答もない。

「待ってください、無視するなんて失礼じゃないですか」

すこしいらっときて、少年は男の手を掴もうとする。しかし、彼の手が人間を掴むことはなく、少年の指は空を掴む。

自分のやり方が良くなかったのかっと何度も繰り返し、そのたびに指は男の腕を通り抜けて掴むべきものは掴めない。最終的に自成は男に体当たりを試みたがそれも虚しく終わる。勢い余って男をすり抜けただけだった

これはどういうことなのだろうか。見渡してみれば先ほどと何も変わることはない。店々は営業し、人々は歩く。誰一人道の真中で挙動不審な少年に関心を払うことすらしない。皆、それぞれの世界の中で完結している。

少年は突然、自分が空気になったような感じがした。疎外された心持ちがした。彼らには自分のことが見えていないのだと心底理解した。今まで主観共有で日本人達がどれほど周りに気を使って日々生きているかを知っているだけにそれは衝撃だった。彼らの虚ろな目に自分は映らず、自分は彼らから完全に切り離された存在なのだ。

急に心が冷えた気がした。冷やしたのは寂しさ、いるにも関わらずもはや自分とは程遠い彼ら。人間社会という群れを追放された悲しみ。そこには何もなかった。心底自分の存在が薄くなっているのを感じた。

通行人たちは全く何一つ気にせず、路傍の石ころにかけるほどの関心すらも見せず、無視して自成の中をすり抜けていく。疎外感の果てに自成は寂しいと感じた。

もし、これが通常のミッションの結果ではなくバグか何かの障害が発生して完全にここに閉じ込められているとしたら?ヘッドセットを取ったとしても完全に帰れるのだろうか?アレほど脳内を自由自在に操作していた彼らのプログラムが自成を容易く解き放つことなどありえるのだろうか?少年にはそんなこと不可能に思えた。彼はもしかするとここで死ぬまで朽ち果てるしかないのだろうか。

異郷の地、孤独の涙、疎外の悲しみ。深々と寂寂(せきじゃく)の念が心を打ち、初夏の往来の真ん中で少年の心に去来したのは寒波であった。全ては氷付き、心は冷やされる。営業していた店舗の営みは凍りついたように触れることすらかなわない。行き来する人々の笑顔や感情も凍てつき何の意味もない。笑顔は自分に向けられるからこそ温かいのだと知った。人々の楽しげな雰囲気そのものが凍てつく寒波となって自成を取り巻き、吹き溜まりとなって凍らせようとした。

孤独とは救われないということなのだと心の底から理解した。助けてくれる誰かが一人でもいるならば人は孤独ではない。しかし、この状況は何だ?誰一人見えず、聞こえず、感じさえしない。これこそ絶望以外の何物でもなく、救いもない。八方塞がりであって四面楚歌なのだ。しかし、包囲し、取り巻いている者達はそのことに気がつかない。こんな不条理は哀しくて寒すぎる。

ふらふらと寒さに震えながら自成が歩いていると、一つの店があった。中華料理屋のようだった。力強い筆運びの漢字で『中華一番』と書かれている。何か、胸の奥から高まってくる熱い感情を少年は感じた。

そうだ、それこそが自分たちであったはずなのだ。それを忘れたとしたら自分は一体何を学校で学んでいたというのか。人と違うことは問題ではない。誇りを忘れることが問題なのだ。四千年の昔から高く槍を掲げてきたのではなかったのか。母なる歴史と父なる祖国ではなかったのか。その前で人とのつながりにいかほどの意味があろう。否、孤高であること、孤高で在り続けること、一人他者よりも高くあり続けること、それこそが背負っている文明というものではなかったのか。

思えば数千年、中華が他の文明を必要としたことなどなかった。他の文明が常に乞うてきたのであって、中華が膝を屈したことなど一度もなかった。化外の民に身をかがめて同盟を求める行為は自らの優越性を捨て去ること以外の何物でもなかった。ならば、自分はこの孤独に耐えねばならない。他に選択できることはなく、唯誇りのために打ち勝たねばならないとそう強く自覚した。
無意識に足が元いた神殿を目指す。もう恐れることはない。孤独であることは恐ろしいことではない。誇りという拠って立つべきよすがを失うことが恐ろしいのだ。しかしそれは自らの過去にある。誰にも奪われない過去に拠って立つならば、中華は最強であった。
帰る途上、道の端々に黒いドロッとした存在が見えた。近づいて見ると
「あはぁ、あはぁ、」
っとぼそぼそ呟いている。直感的に理解したのは、これが孤独に負けた人間のさまよえる亡骸だということだ。彼らはきっと自分では意味のあると思う言葉を紡ぎながら、その実態を、魂をとかしてしまったのだ。彼らにはよすががなかった。立ち続けるための強さがなかった。町中を黒々と徘徊する影達は一見おどろおどろしかったけれども、その実惨めで救いようがない哀れな人間たちの成れの果てだった。
再び神殿に足を踏み入れる。出た時とは全く逆の強い心持ちに支えられて。何週間でも何年でも、あの水盆の中で誇りを試すために立つ覚悟であった。

再び水盆に足を入れると水が青白く輝き、目の前に全員が戻っていた。既に天衣は意識が戻っているようだった。彼女らしいと思う、きっと自分ほども迷ったり葛藤したりしなかったのだろう。
「おかえりなさい~」
カリがいう。はいっと水筒に入った水を渡してくる。それを飲む俺にウツツが声をかけてくる。
「早かったな、大丈夫か」
ウツツが彼女らしくもない心配気な口調で言う。
「別に特に」
そう自成は答えた。ウツツは驚いたようだった。
「お前たちは孤独が怖くないのか、まったく」
「自分の恥じるべきもののない孤独のどこに恐れる必要があるのかしら。自分の正義が揺るがないのであれば、孤独は問題では無いはずよ」
そう天衣が言った。
「それに、人間の絆なんて一々主観共有しなくても疑うものじゃないしな」
自成はそう言った。この延安学校中等部三年第二班が好きだからだ。次々に楚歌と碧海も目を覚ます。
「全くお前たちは大したものだな」
そうウツツが声をかけた。
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